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カテゴリー: food & drink

  • シェーカーワティー地方へ 4  〈タークルの屋敷〉

    シェーカーワティー地方へ 4  〈タークルの屋敷〉

    マンダーワーのタークルのハヴェーリーを見学。商家ではなく、小領主的な存在であったため、「城」を名乗っている。現在の当主はジャイプル在住とのことだ。

    ここは現在、Castle Mandawa Hotelという名前で、おそらくリゾート運営の会社が委託を受けて運営しているようだ。他にもマンダーワーにあとふたつ、ジャイプルにひとつ、チェーン展開している。
    建物内は自由に見学できるわけではなく、宿泊客以外はスタッフによるガイドツアーで見学することになっており、その料金は250RSもする。

    それはさておき、「宮殿」といっていい規模と内容のヘリテージホテルで、一泊6,000Rsほどのようだが、「オフシーズンなので5,000Rsにしますよ」とも言われた。一般的な感覚として、このくらいの料金でちゃんとしたヘリテージホテルに宿泊できるのならば、充分に価値がある。ラージャスターン州からグジャラート州にかけて、数々の藩王国が割拠したところでは、それこそ無数にといっていいほど沢山の宮殿ホテルがある。とても手の届かない料金のところもあるが、ここのようにそうでもないところも少なくない。ここはそうした中で比較的エコノミーな料金で楽しむことが出来る宿泊施設と言えるだろう。

    ただひとつ気に入らないのは、宿泊していない者が見学する際に250Rsという料金を取ること。その料金にはカフェテリアのメニュー内で250Rs分までの飲食が含まれているとのことであったが、実際にはソフトドリンクくらいしかその範囲で頼めるものはなく、結局はそれを大きく上回ることになる。そんな姑息なことをするくらいならば、「見学料金は250Rs」として欲しいものだ。

    このホテルをガイド付きで見学してみた。立派な制服を来た(ラージャスターンの伝統的なスタイルの衣装)スタッフが案内してくれるのだが、建物内の特に立派な部分をいくつか回ってくれる。やはり屋敷というよりも、これは事実上の城、あるいはパレスである。モダンなスイミングプールがあったり、おそらく音楽の演奏や結婚式にも使われるであろうマンダップのある中庭もあった。敷地内に立派なシェーカーワティー式のハヴェーリーもある。

    メインの建物の屋上からは町全体を見渡すことができる。ごく小さな町ではあるが、上から眺めてみると、大規模なハヴェーリーが多いことに改めて驚かされる。映画「PK」のマンダーワーでのロケの際、アーミルやサンジャイなどが宿泊したとのことだ。

    〈続く〉

  • デリーのアフガニスタン人地区

    デリーのアフガニスタン人地区

    ラージパトナガルⅡに出かけてみた。フェイスブックにて、ある方がここにあるアフガンレストランのことなどについて書かれていたので、せっかくデリーに来たので立ち寄ってみることにした。

    地下鉄のラージパトナガル駅で降りて、しばらく東に歩いたあたりで、アフガニスタンの人たちが歩いているのを見かけるようになってくる。アフガニスタンといっても様々な民族が住んでおり、見た目はインド人と同じような感じの人たちも少なくないのだが、タジク人やパシュトゥン人たちは、「やや日焼けした白人」といった風貌の人たちが多く、私が聞き取ることのできない美しい響きの言葉をしゃべっている。

    しばらく進むと、ペルシャ文字の看板が目立つようになり、そのエリアには、アフガニスタン人が経営している店あり、アフガン人顧客が多いインド人の店あり。そんな中にあったアフガンケバーブハウスというレストランに入ってみることにした。

    店内で働いているのはアフガニスタン人、出入りするお客も同国の人たちが多かった。店内に踏み入れたときにいたのは、すべて男性で、揃ってやたらと整ったイケメン揃いである。女性はさぞ美しかろうと思っていたら、ちょうどアフガン人カップルが入ってきて、ふたりともまさに眉目秀麗という感じ。一日中、ああいうキリリとした顔をしていてくたびれないのか?思うくらいだ。

    店主はタジク人。スタッフはタジク以外にもいろいろな民族の人たちが働いているそうだ。
    「カーブルのレストランで出しているようなものを用意していますよ」とのこと。注文したプラオもコフタも大変上品な味でおいしかった。メニューを眺めてみたところ、やはりペルシャ風のアイテムが多いようだ。インドのムスリム料理に取り入れられたアイテムの原型といった感じで興味深い。

    どれも美味であった。

    界隈には、アフガンによるアフガン式のナーンを焼いて売る店、アフガン食材屋、アフガンのスナック屋台、各国の通貨を扱う両替屋、航空券他を扱う旅行代理店が多く目に付く。Safi Airwaysというアフガニスタンの航空会社のオフィスまであり、それらはペルシャ文字の看板を掲げている。このあたりでアフガン客を相手にするインド人たちには、多少のダリー語(アフガニスタンで広く通用するペルシャ語)が出来る人も珍しくはないようだ。

    脇道から、色白で大変見目麗しい三人連れの女性たち出てきた。洋装なのでどこの人たちかよくわからないが、サイクルリクシャーを呼び止めて、行き先と料金のことをやり取りしている声が、さきほどアフガンレストランで耳にしたような訛りのヒンディー。尋ねてみると、やはりアフガニスタン人たちであった。

    デリーではアフガンから来た人たちが多い(一説には1万人程度はいるとか)のは知ってはいたものの、ここに集住していることやレストランなどもあることは把握していなかったのは不覚であった。かなりアップマーケットな地域なので、レストラン等で雇われている人はともかく、ここで商売を営んでいるアフガニスタン人は、暮らし向きの良い層が多いようだ。ラージパトナガルⅡのアフガンレストラン出入りする人々の多くはアフガン人。けっこう可処分所得の高い人層が少なくないように見受けられる。

    界隈には立派な身なりのアフガン紳士の姿もあるし、金余りのボンボンみたいなのも少々。どんな仕事をして稼いでいるのかはよくわからないが、昔から母国での不都合が生じた富裕層や政治家などが、デリーに逃れてきていたことを思い出した。最たる大物関係では、社会主義政権最後の大統領、ムハンマド・ナジブッラーは、ターリバーンが首都カーブルを制圧してから逮捕、処刑されたが、それに先だって家族をデリーに送っている。主人が処刑されて歎き悲しむ遺族のことがインドの新聞に出ていたことを、ふと思い出した。

    インド人の不動産屋から「あの、お住まいはもうお決まりでしょうか?」と声をかけられる。モンゴル系のハザラ族アフガン人かと思ったとのこと。この人は、アフガン人が大切な顧客なのでこまめにチェックしているらしい。

    翌日にもう一度この地域を訪れてみて、他のレストランで食事をしてみた。メニュー下部に「マントゥー」とあるのは餃子。メンズ豆の煮物とヨーグルトがかけてある。上の写真左側。
    このマントゥーという名前だが、漢字の饅頭(韓国でいうところのマンドゥー。漢字で饅頭と書くが、日本の餃子のこと)と符号しているみたいなのは、何かの偶然なのだろうか、あるいは歴史的な背景が含まれているのか?それはともかく、まんま蒸し餃子であった。

    左側が「マントゥー」

    このアフガニスタン人地区、なかなか面白そうなエリアだ。今後もまた折を見つけて訪れて観察してみようと思う。

  • チベットレストラン&カフェ タシデレ

    チベットレストラン&カフェ タシデレ

    日本では珍しい「チベット料理」を看板にするレストランが今年8月にオープンした。チベット系のアイテムを出すネパール料理はいくつもあるのだが、ここはチベット料理専門店を謳い、加えてインド料理も出している。

    店内にはチベット風の装飾がセンス良くあしらわれており、掲げられたタルチョの向こうには、深い青色の澄み切った空が見えてきそうな気がしてくる。

    在日歴14年になるチベット人店主は、生まれも育ちもインドであるため、チベット料理を柱に、インド料理も共存する。厨房で料理しているのはチベット人とインド人の料理人たち。いかにも在印チベットコミュニティの人らしい演出だ。

    都内や日本各地でこれから開催されるチベット関係のコンサートやイベントに関する情報も掲示されている。興味関心があれば、これまで知らなかった面白い出会いのきっかけになるかもしれない。

    まだ開店から日が浅いため知名度は高くないが、やがて知られてくると、フラリと立ち寄ってもなかなか席がない・・・という具合に繁盛するのではないかと期待している。

    ロケーションと連絡先等は以下のとおり。
    Tibetan Restaurant & Café TASHI DELEK
    所在地:東京都新宿区坂町26-21 四谷坂町永谷マンション 1F
    電話:03-6457-7255
    JR四ツ谷駅から徒歩10分
    都営新宿線曙橋駅から徒歩10分

  • 一品8,000Rsの料理

    一品8,000Rsの料理


    ムガル料理の老舗、オールドデリーのKarim’s本店にて食事。

    一頭まるごと焼き上げるのだそうだ

    メニューには、なんと8000ルピーもする「タンドゥーリー・バクラー」というのがある。店員に尋ねてみると、一頭分のマトンをタンドゥールで焼き上げるのだそうだ。

    「週にどのくらい出るの?」と聞けば、「そうそう注文が入るもんじゃないけど、週に3件くらいオーダーが来ることがある。20から25人くらいで分けられるよ」とのこと。

    とてもとても、そんな大きなものを注文できないが、もし機会があればぜひご相伴にあずかりたいものだ。

  • ナマステ・インディア2015

    今年で23回目となるナマステ・インディア。9月26日(土)と27日(日)に東京都渋谷区の代々木公園で開催される。
    その前の週末には同じ場所でフィリピン・フェスティバルも開催される。一日中、屋外で快適に過ごすことができるこの時期だが、こうしたイベントは天候次第。荒天に恵まれて盛況となることを願いたい。

  • Markha Valley Trek  The Day 5

    Markha Valley Trek The Day 5

    ハンカルの村のホームステイ先からカンヤツェ(中央の雪山)の眺め

    昼食用の弁当を準備してくれるホームステイ先の女性たち

    ホームステイ先を出発



    午前6時起床。昨夜の雨はすっかり上がった。天気はいまひとつとはいえ、雨ではないのは幸いだ。7時半にハンカルの村を出発して、川沿いを歩いて次第に高度を上げていく。足元に生えている背の低い高山植物を眺めつつ、時にかなり急な勾配があったり、少々緩やかになったりする。マールカー村以降は基本的に登り基調なので、どんどん気温が低くなっていく。



    キャンプを撤収する人たち















    ホームステイ先を出たときにはカンヤツェを仰ぐことができたのだが。それでも谷間の眺めは素晴らしい。これで晴れていたならば、もっと素晴らしい眺めとなるのだろう。
    ニマリンのキャンプサイトに到着

    この日宿泊のテント






    正午前にはニマリンのキャンピングサイトに到着。海抜4,800メートル。私にとって、これまでで最も高地での宿泊となる。テントと寝具は用意されているので、身ひとつで泊まることができる。ここには村はないため、ホームステイできる家はない。キャンピングサイトを運営するのは毎年違う村の人たちが輪番で行なっているとのことで、今年はハンカルの村の住民であるとのこと。

    本日の宿泊先はここしかないため、早めに着いてテントを確保する必要があったのだが、途中の集落にあった茶屋で、ガイドのタシ君が彼のポケットマネーで買ったコーラのペットボトルを他のグループの女性ガイドに渡して何事か頼んでいる。

    先に着いたらテントを確保しておいてね、と頼んだとのこと。翌日、コンマル・ラから下ってからのレーへのクルマに乗ったときもそうだが、タシは運転手と彼と一緒に来ていた娘らしい女の子にファンタを買って渡していた。何かとホームステイ先の子供に小さなお菓子を渡したりしてもいたが、マメな性格なのか、それともラダック人が全般的にそうなのかはよくわからない。

    女性ガイドといえば、ユルツェのような宿泊客の多い家でのホームステイの際には、男性ガイドもいろいろと家の人たちの手伝いをしていたが、女性ガイドや女性ポーターはなおさらのこと、マメにいろいろと手伝いをしている。明るくて溌剌とした性格、大きな荷物を背負って、臆することなく川の急流をジャブジャブと渡っていく行動力と合わせて、お嫁さんにしたいと思う男性は多いのではないだろうか。私がまだ20代かつ未婚であったならば、きっとそう考えることだろう。

    ガイドとしては、女性であるがゆえに月経という、避けては通ることのできない不利な面もある。昨夜のハンカルで同宿であったキューバ人とイタリア人のカップルのガイドは、そのために道中苦しんでいたそうだ。

    午後1時から2時までテント内で昼寝。ぽかぽかと暖かくて気持ちが良かった。
    午後2時過ぎからは、ガイドのタシ君とカンヤツェベースキャンプに行く。斜面を上る途中で雨が降り出したのだが、途中から雪となった。しばらく登ったあたりでは残雪もある。ニマリンから1時間強くらいは上っただろうか。ここだけのことではないが、場所によって足元が泥であったり、岩石の板状のものがゴロゴロしているガレ場だったりする。

    斜面を登るとしばらく勾配が緩やかになったと思ったら、再び急坂になってくる。そんな状態で幾度も緩急を繰り返す斜面を登っていく。最初は遠くに見えていた、本日のキャンプ地がその段のためにやがて見えなくなってきた。




    カンヤツェの氷河下端。山そのものの姿は雲で覆われて見えない。


    カンヤツェを正面に見る下り斜面までやってきた。標高5,000メートルはあるため、息が切れる。ここにはかなり残雪があり、曇り空から降ってくるのは相変わらず雪だ。周囲の高山の上半分にも雲がかかっているので、同じように降雪が続いているのだろう。カンヤツェも下半分のみが見える。谷間を挟んだ正面には氷河の先端。


    ベースキャンプといっても、現在これからアタックする準備をしている登山隊はないので、特にここには何もないし、誰もいない。それにしてもタシは普通に歩いているように見えても実はかなり速い。ラダック人全般に言えることだが、山道でゆっくり歩いているように見えても無駄のない歩き方?のためか、実際にはかなり速いので、ついていくのは容易ではなかったりする。とりわけ下りが速いようだ。同じようなことをかなり昔にボリビアでも感じたことがある。上るスピードはついていくことができても、下るときの速さは山の民ならではのものなのだろうか。

    これまで村のホームステイだったり、キャンピングサイトに宿泊していたりした人たちは私たちと同じルート上を来ているため、しばしば追い越されたり、追い越したりといったときに顔合わせて話をするようになっている。こうした人々が本日は一堂に集まることになるため、賑やかに会話するようになる。食事のときにはトレッキングルート途中の茶屋に使われているような大テント内のテーブルに料理の大鍋が置かれてセルフサービス。マールカーのトレッキング最終日を目前にして、これまで同じルートを歩いてきた人たちとお別れパーティーみたいな具合だ。楽しさのあまり、うっかり失念していて、その際の写真を撮っていないことに後になってから気が付いた。

    たまたま、ここにやってくるまで顔を合わせることがなかった人たちもいた。ベンガル人の3人連れで、国鉄マン、ソフトウェアエンジニア、民間の会社員の男性たち。彼らは写真仲間で、コールカーターで展覧会を開いたり、年に数回、こうした形で撮影旅行をしたりしているとのこと。撮影対象は自然であったり、祭りであったりと様々らしい。趣味でお金にはならないことに対して情熱を燃やし、費用手間をかけることを惜しまないのは、文化を愛好するベンガル人らしい。

    夜は激しい雨となった。強い雨により、ひとつテントが浸水のためダメになったとのことで、午後9時頃からカヤーの村出身のガイドがひとり、私たちのテントにやってきた。この人はフランスの学生団体の案内をしている。元々は、学生時代にパートタイムでガイドをしていたとのことだが、現在では専業でやっているとのこと。オフシーズンの冬には、スノーレパードを観に行く人たちがいて、私たちが初日に通過したルムバクに行くことがあるとのこと。

    テントを打つ雨音、テントが風でばたばたとはためく音などが煩くてなかなか寝られない。時計を見ると、12時、1時、2時、3時・・・。
    ときおり雨が止んだと思うと、ロバがうるさく鳴き始める。雨をしのぐ屋根もなく、まるで寒さに耐えきれずに泣いているかのように思えたりして不憫である。翌朝起きてロバを見てみると、やはり寒いのには違いないのだろう。身体が震えていて気の毒になる。

    夜中、トイレに行きたくなるが、雨は激しいし風も強い。しかもトイレはラダック式トイレのアウトドア版。この天候ではびしょびしょでもあり、想像するのもおぞましい場所である。ゆえに翌朝まで我慢することにした。ゆえになおさらのこと眠れない。
    それに川の状態も心配である。歩いて渡れるのだろうか、と。

    〈続く〉

  • Markha Valley Trek  The Day 3

    Markha Valley Trek The Day 3



    ルート上にある茶屋

    朝7時半にスキウの村を出発。マールカー村を目指して川沿いに歩いて行く。その日によって楽しむ景色が異なるのがいい。初日は斜面と耕作地、2日目は高い峠と長い下り坂、3日目の本日は、川の流れ沿いに進んでいく。
    浅瀬を選んで渡渉するが、連日の雨で川が増水しているのが少々厄介

    マールカー川に注ぐ支流とマールカー川で、本日は何回かの渡渉があった。マールカー川の水は濁った深い茶色。氷河や雪解け水が水源であるため、まるで氷水のように冷たい。少し浸っているだけでしびれてしまうほどだ。








    途中、競争しているわけではないのだが、他のトレッカーたちに追い付いたり、追い越したり、追い越されたりもする。こうしたことを繰り返しつつ進んでいくにつれて、いつしか顔見知りとなり、次の休憩地や宿泊地で話をしたりするようになってくる。

    テントやら自炊用具やらすべてを背負ってキャンプしながら回っている頑強なイングランド人男性(有り余るパワーがうらやましいほど)とその彼女、NGOのスタディーツァーで来ているフランスの大学生グループ、同じくフランスから来たシニア夫婦、キューバ人男性とイタリア人女性のカップル等々、人気のルートなのでいろんな人たちと知り合うことができるのもまた楽しい。

    村ではペットボトルのコーラその他の清涼飲料水は高値で売られているが、ミネラルウォーターのボトルを見かけない。これは販売が禁止されているからとのこと。その代わりに村々でホームステイを受け入れている家には、UV殺菌機能付きの水のフィルター浄化装置が配布されているとのことである。だが、そのフィルターがどの程度信頼できるものなのかわからないし、山歩きのときに下痢にでもなったらたまらないので、やはり宿泊先で沸騰させたお湯を頼むほうが安心なのではないかと思う。


    マールカー村に到着

    瑞々しい畑の眺めが美しい

    幾度か、マールカー川のこちらから向こうへ、あちらからこちらへと渡渉しつつ歩いて来たら、やがてマールカーの村にやってきた。マールカーの村は川の北岸にある。宿泊したのは村の東の外れに近い部分。少し先には川があり、そこから先にも数軒の家がある。
    マールカーのゴンパ

    ゴンパの裏手

    宿泊先はマールカー・ゴンパの隣の家。ゴンパは改装中で、村人たちがボランティアで材木を切ったり、壁にペンキを塗ったりといった大工仕事をしていた。このゴンパは、マールカー川沿いではなかなか由緒あるものらしい。

    風が強くなると、続いて雲が押し寄せてきて間もなく雨となる。まさに「風雲急を告げる」といった感じだ。山の天気は変わりやすい。

    この晩の食事はスキウという料理。日本のすいとんのようで好きだが、ラダックの料理は総じて非常に薄味だ。

    午後7時くらいに食事を出していただき、8時半には就寝した。

    〈続く〉

  • スリランカのドリアン

    東南アジアでの人気ぶりとは裏腹に、南アジアでは一般的に食物として認識されていないドリアン。自生している固有種がないわけではなく、多雨多湿の南インド沿岸部やスリランカでは、自生している木は存在している。
    私にとって、久しく訪れていないスリランカだが、かつて訪れた際に、山間部の道路脇ではごくわずかにドリアンを販売する露店を見かけたことがあったが、町中に入ると皆無。
    なんともったいない・・・と思っていたが、ついにスリランカでも商業作物として扱われるようになってきているとのこと。主に輸出用の目的と思われるが、今後は国内でも人気が高まってきても不思議ではないだろう。
    また、東南アジアでスリランカ産のドリアンへの需要が高まるというようなことがあれば、南インドでも同様の動きが出てくるかもしれない。

    A Durian Village In Sri Lanka (Global Voices)

  • Old & New

    Old & New

    伝統的な水甕

    バーザールの歩道に素焼きの甕がしつらえてあり、そこで働く人はもちろんのこと、道行く人々もそこから水を汲んでは飲んでいる。素焼きの表面に染み出た水分が蒸発する際の気化熱で冷却されるため、夏季で高温の屋外ではなおさらのことひんやりと感じられる。

    こうした甕は日々水を交換したり、中をゴシゴシと洗浄したりなど、きちんと管理されているようだ。炎天下にあっては、まさに命の水。一服の涼感、そして脱水症予防。ちょっとした社会貢献でもあり、徳を積む行為でもある。

    モダンな水甕

    いっぽう、ちょっとモダンな「水甕」もある。テーランガーナー州で、街外れの一角に設置された冷水機。通行人はもちろんのこと、ここを通りかかるタクシーやオートの運転手なども冷水を汲んで飲んでいる。かなり知られたスポットのようで、反対車線を走っていたオートが、わざわざUターンして訪れたりなどもしている。

    しばらく眺めていると、利用者のほとんどは運転手、行商人、ガードマンなど、暑い最中に額に汗して働く人々。冷水機の提供者は宝石店。お店の客層とは関係なさそうな相手に貢献していることに心意気を感じる。

  • 食の南北の混淆

    食の南北の混淆

    昨夕、南インド式ターリー、「ミールス」を食べた店があまりにおいしかったので再訪。やはり、ちょっとアップマーケットなレストランで、行列まで出来るようなハイデラーバードで評判のお店。

    ひとつグレードが上のターリーを注文してみた。バナナの葉っぱの上で、手前の小鉢の南インドでよくあるシャキシャキの野菜。背後になぜかナーンがあり、その下に隠れて見えないけれども、ムグライ風の小鉢がふたつ。これらに加えて撮影した直後に2種類のサンバルが出てくるという、実に奇妙な取り合わせでたまげた。昨夕食べたスタンダードで価格が安いほうは地元アーンドラ式なのに対して、高いほう南北ミックスのスタイルらしい。

    南と北がプレート上で入り混じる。

    「こりゃあダメだな・・・」と、かなり嫌な気分で食べ始めたのだが、意外なまでにしっくりくる食べ心地に再びびっくり。
    例えばナーンにギーを敢えて塗らずあっさりと仕上げ、サンバルのタマリンドもごく少しに抑えてあり、北と南のそれぞれの風味が、異なる相手に干渉しないようにするなど、南北それぞれの品々にちょっと工夫がしてあるようだ。そう、「食べ心地」がいい。

    北の食文化と南のそれが混交する、テルグ語社会の中にウルドゥー文化が花開いた、旧イスラーム藩王国ハイデラーバードならでは・・・なんて言うと大げさ過ぎるが、実にうまいことやっているなぁ!と感心した次第だ。

    でも、これを繰り返し食べたいかというと、決してそんなことはない。異なるものを接ぎ木するよりも、それぞれ別々に食べたほうがいいなぁ、と私は思う。南インド料理は南インド料理として、北インド料理は北インド料理として。南の中でも、北の中でも、それぞれ違いはあるのだが、あまりに異なるふたつのタイプをいっぺんに出すというのはちょっと・・・。

  • ラマダーン月がやってきた

    イスラーム世界は今月18日からラマダーン月に入り、7月16日までの間、信者たちの間では基本的に日の出から日没までの断食が行われることとなる。飲食はもちろんタバコもダメなので、愛煙家に対してはニコチン切れという、もうひとつの苦難が加わることになる。

    このラマダーン月が夏季に当たる(太陽暦ではないので、毎年少しずつ前倒しになってくる)場合、気候の上でかなりキツイことになるのは当然のこととしても、日々の断食の時間については、緯度によって日照時間が大きく異なってくるというジレンマを伴う。

    南アジアやアラビア半島では日中のおよそ15時間に及ぶ。それでも充分長いものであるが、
    これがロンドンやベルリンではなんと19時間となり、アイスランドのレイキャビクでは22時間にも及ぶ。

    यहां होगा 22 घंटे का रोज़ा (BBC Hindi ※ヒンディー語記事)

    似たような記事がBBCの英語記事にも取り上げられていたが、それによると断食時間が18時間を超える場合は、メッカにおける断食時間に合わせるか、最寄りのムスリム国のそれに従えばよいということになっているとのこと。

    Ramadan fasting dilemma when sun never sets (BBC)

    この断食だが、信者がこれを実行するにあたって、ムスリムがごく少数派の国々ではなかなか困難を伴うものであろうことは想像に難くない。周囲の理解の程度ということもあるが、とりわけ勤労者にとっては、ムスリムが大半を占める国であれば「そういう時期であるから」ということで、実質の勤務時間が短くなったり、生産性についての許容が甘くなったりという幅が皆無となるからだ。

    とりわけ中国においては、政府による断食に対する規制がなされるようだ。これに従わない場合は、具体的にどのような罰則があるのかは解らないが、人権に関わる問題である。

    China bans Ramadan fasting in mainly Muslim region (ALJAZEERA)

  • ハイデラーバーディー・ビリヤーニー(続き)

    ハイデラーバーディー・ビリヤーニー(続き)

    前回のビリヤーニーは、あまりに量が多すぎて懲りた。利用しているホテルのレセプションで「ノンヴェジのビリヤーニーの店で、量が多いからではなく、味で勝負しているところはないか?」と質問してみた。

    宿泊先と同じアビッズ地域のGPOサークルと呼ばれるところにあるグランド・ホテル(ご存知のとおり、インドでは往々にして単体のレストランに「ホテル」という名前がついている)がお勧めとのこと。

    すぐ目と鼻の先にあるので、歩いて出かけてみる。道路反対側からでも混雑している様子が窺える。美味しいものにありつけそうな予感。

    店の入口をくぐるなり、ビリヤーニーを注文して目の前の席に着く。周囲の客席に目をやると、ここもまたひとつの巨大な盛りの皿から二人、三人でシェアしているのに気が付いて、嫌な予感がする。ややオーバーな言い方をすると、洗面器一杯分くらいの量がある。

    今回もまた困ったことになった・・・。