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カテゴリー: column

  • 『旅行人』2008年上期号はグジャラート特集

    20071202-ryokojin.jpg
    年10回発行から季刊、そして年2回発行(6月と12月)へと移行してきた旅行人。内容も旅先の宿の情報ノート的なものから、地域の文化やアート等の紹介も含めた旅行情報誌へと脱皮してきた。特集記事については、学術関係を含めた該当分野の専門家による記事も載るなど、好奇心あふれる若いバックパッカーのための旅行情報誌から、旅をテーマに落ち着いた大人向けのクオリティ・マガジンへと変化してきている。
    発行元の事情もさることながら、旅行雑誌『旅行人』の前身であったミニコミ誌『遊星通信』時代からの読者も含めて、読者がそれなりの年齢層になってきているということもあるようだ。水モノの旅行情報よりも土地の魅力そのものの紹介、記事内容と印刷ともに量よりも質を重視した(年10回発行のころよりも号ごとのページは増えた)誌面構成になっている。その旅行人の最新刊である2008年上期号でインドのグジャラート州を特集している。
    もともとグジャラートといえば、歴史、宗教、自然のどれをとっても偉大な遺産の宝庫であり、隣のラージャスターン州に負けず劣らずのきらびやかな観光スポットに恵まれた地域という印象を受けていたが、なぜか観光客がさほど多く訪れない穴場的な地位に甘んじていることについて私自身、常々不思議に思っていた。
    デリーやムンバイーからのアクセスが悪いわけではなく、インドでも経済面で先進的な州のひとつということもあり、文化的かつ便利な地域である。ただマイナス面といえば、連邦直轄地で行政的にはグジャラート州外にあるダマン&ディーウを除けば禁酒州であること、夏が非常に暑いこと、2002年にゴードラー駅で起きた列車焼き打ち事件をきっかけに発生した大規模な暴動によるネガティヴなイメージくらいだろうか。
    この特集で取り上げられているのは、アーメダーバードに点在する、ルイス・カーン、コルビュジェといったモダニズムの巨匠たちによる現代建築、チョーター・ウダイプル近辺の先住民のペインティング、カティアーワル半島の魅力的なスポット、カッチ地方の中心地ブジとその周囲の村々、この地域に暮らす少数民族ラーバーリーの人たちの生活文化などである。
    数々の美しい写真とともに、読みごたえのある内容であった。残念ながらどこの本屋にでも置かれているという訳ではないので、心当たりがなければ同社のウェブサイトで購入することも可能だ。ぜひご一読されることをお勧めしたい。

  • Lonely PlanetのNortheast India

    Lonely Planet Northeast India
    先日、『インドもの続々 ロンリープラネットのガイドブック』で触れてみた同社によるいくつかのガイドブックの中のひとつ『Northeast India』を実際に手に取ってみた。タイトルや表紙写真からして北東七州、通称セブン・シスターズと呼ばれるアッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、トリプラー、ナガランド、マニプル、ミゾラム、メガーラヤの各州の情報ばかりがドッサリ詰め込まれていることものだと誰もが思うことだろう。だが実はそうではなかった。
    要は広大なインドの国土の中で、相対的に北西部にあたる地域全体を扱うものであった。つまり先述の七州に加えて、オリッサ、スィッキム、西ベンガル各州、そしてこれらの地域からちょっと足を延ばしての『Excursions』として、ビハールやUPのメジャーな観光地までもが扱われている。さらにはインド全般に関して、国情、文化、歴史、旅行事情その他について書かれたイントロダクショの内容は、同シリーズの『India』本冊と重複するので、タイトルの『Northeast』に素直に期待すると肩スカシを食うことになる。

    (さらに…)

  • ミャンマー映画祭2007

    12月8日(土)に、横浜市中区日本大通34番地にある横浜ZAIMにて、第1回ミャンマー映画祭が開催される。
    映画大国インドのすぐ隣にあるミャンマー。当然のごとくボリウッド作品を中心として各地で上映されるインド映画は多いが、ミャンマーでも映画づくりはなかなか盛んである。残念ながら今のところ、日本で同国の作品を目にする機会はほとんどないが、首都圏にお住まいならば、ちょっと足を伸ばして観てみるのもいいだろう。
    歴史、伝統、習俗どれをとっても東南アジアの周辺国とは違う独自のものを持ち、それでいながらインド文化の強い影響が顕著で、まさにここは『南アジアのすぐ外側』であることを感じさせてくれるミャンマー。その国で制作されるのはいったいどういう作品なのか、インド映画ファンとしてもかなり気になるところではないだろうか。
    同映画祭のウェブサイトにあるとおり、今年は第1プログラムとして12月8日(土)に2作品のみ上映、第2、第3プログラムは来年を予定しているとのことだ。こぢんまりとした映画祭(・・・というより上映会?)ではあるが、ミャンマー映画を楽しめる貴重なチャンス。
    なおこの映画祭では、現在新たなスタッフを募集中とのこと。まだ立ち上がったばかりの新しい企画でもあり、幾多の紆余曲折が待ち受けているのかもしれないが、今後ますますのご発展を祈りたい。
    ミャンマー映画祭2007

  • PEN 『新しいインド 永遠のインド』特集

    pen
    遅まきまがら、現在発売中のPEN12月1日号はインド特集。『Amazing INDIA』のキャッチコピーとともに取り上げられている内容は、デザイン、テキスタイル、音楽からはじまり、料理に教育、ITに旧王族といった具合だ。スポットを当てるフィールドそのものには新鮮味や未知の発見があるわけではない。昨今のインド特集といえば、ことさら伝統的なものや古い側面と、最新のトレンドや華やかな消費生活を対比させて、『多様性の国だ』と演出しているものが多いが、そういう扱い方自体や紹介の対象となるモノ自体がマンネリ化しており、逆に『インドはこうですっ!』と、やけに画一的な印象を与えてしまいかねないことが気にかかるこのごろである。
    それでもインド建築研究家による署名記事とともに、特集の協力者名に各方面専門家や有識者の名前があるなど、『クオリティ・マガジン』を謳う同誌らしく、インドのモダンな部分と伝統的な部分両方を、一般読者に伝えるために質の高い特集を目指しているようである。それぞれの記事は決して悪い内容ではなかっただけに、すでに手垢のついた手法で特集が組まれていたことのみが惜しまれる。
    コンテンツそのもの以外に注目すべきことのひとつとして、この号で主要三都市として挙げられているのはデリー、ムンバイーに加えてバンガロールであることが挙げられる。最初のふたつは首都と最大の商都であるから当然のこととして、三番目が昔ながらの『四大都市』の残りふたつ、コールカターとチェンナイではなく、90年代以降急浮上してきたカルナータカ州都。在留邦人数も日本からの投資額はもちろん、IT関連という旬な産業で注目される街である。
    年2回開催されるJETROによるBJTビジネス日本語能力テストの試験地もニューデリー、バンガロール、ムンバイー、プネーとなっている。今年度において前者ふたつは2回とも実施、後者ふたつは交代で隔回実施となっている。つまり『ビジネス日本語市場』としては、ムンバイーよりバンガロールのほうが上位になっていることがここに端的に示されているのだ。独立以来、軍需産業や電機産業が隆盛しつつも、諸外国から見ればインドに数多くある工業都市のひとつにしか過ぎなかったこの街だが、今や経済を主とする日本とのつながりという点で非常に深いものがある。また港湾を持たず内陸に位置するこの地方都市がインドを代表する国際都市にまで成長していることは、まさにこの街をリードする産業が重たくてカサ張る『モノづくり』ではなく、『頭脳』やそこから生み出される『アイデア』であるという性格を顕著に表わしているようでもあり興味深い。
    各都市と日本とのつながりはさておき、近年の急速な発展のもとで地域格差も大きく広がりつつあるインド。前例のない好調な経済成長を続ける都市は、内外の更なる投資を呼び込む。労働市場としても拡大するにつれて外部からの人口が流入するとともに、都市部や周縁の郊外地域が拡大していく。そのいっぽう、停滞を続けている都市、成長を記録しつつも低率で推移しているエリアへ内外の注目度は相対的に低くなっていく。インド国内での地域間、都市間のバランスも大きく変化しつつあるのが今の時代である。新しいインドにおいて、四大都市という言葉の示すものが入れ替わる日、あるいはその言葉自体が死語となる日もそう遠くないのかもしれない。

  • 2007年発売 昔のバックパッカー風写真機

    Kenko
    デジタル化が一層進み、統合・再編の嵐が吹き荒れるカメラ業界。他企業との合従連衡、事業部の売却、カメラ関係事業からの撤退ありといったなかで、表舞台から姿を消すものがあるいっぽう、交換レンズのメーカーとして知られるシグマのように、カメラ本体の製造へと再参入する会社もある。フィルター、カメラケース、メンテナンス用品等写真関連アクセサリー類で知られる企業、ケンコーもまたカメラ自体の製造に乗り出している。
    私にとって同社によるコンパクトデジタルカメラ類について特に関心はない。だが既存のカメラメーカーが銀塩カメラの製造を中止するなか、あえて今になって(今年8月に発売)ニコン・ヤシカ/コンタックス・ペンタックスといったマウントに対応するマニュアルカメラ各種を売り出していることは注目に値する。
    まだ手元にマニュアルカメラ用のレンズを持っている人は少なくない。中古市場でも沢山出回っている。これらを活用したいが、手元にあるマニュアルカメラ本体がない、あっても老朽化しているなどということもあるかもしれないし、こうしたモデルがすでに新品で販売されていないことに不満を抱く人もあるのではないかと思う。
    そうしたニッチな市場向けではあるが、実売価格2万円台と手ごろなこともあり、ちょっと惹かれるものを感じる人は少なくないことだろう。ニコンのFM2やそれを引き継いだ後継機FM3Aまでもが生産終了している中、メカニカルシャッターを搭載したマニュアルカメラが新品で購入できるなんて!思わず触手が伸びそうになったが、よくよく考えてみるまでもなく手元にあったニコンのマニュアルフォーカスレンズはとうの昔に処分してしまっている。
    造りがシンプルな分、故障が少なく、おまけに価格も手ごろということで、昔のバックパッカーたちがよく手にしていたようなメカニカルカメラ。本当に職業として撮影している人から自称カメラマンまで、旅好きな人たちの中には写真が大好きな人たちがとても多かったようだ。いまさらデジタルカメラの便利さを投げ捨てるわけにはいかないが、『ここぞ』という風景や被写体に出会ったときには、こんな『写真機』で一枚一枚大切に撮っていくのもいいんじゃないだろうか。
    ケンコー フィルムカメラメニュー(Kenko)

  • 再生グレート・イースタン・ホテルは2008年末オープン!

    昔日のグレート・イースタン・ホテル
    今年の初めに取り上げてみたグレート・イースタン・ホテル。訪れたときには外壁が剥がれ落ちたひどい状態の中で改修工事が進行中だったが、来たる2008年末までにBharat Hotels Ltd.のホテルチェーンであるThe Grandの名のもとにリニューアル・オープンすることになっている。その名もThe Grand Great Easternだ。
    1883年、この国で最も早い時期に全館電化されたホテルのひとつだ。エリザベス二世、ニキタ・フルシチョフ、ホーチミンも宿泊したという名門でもあり、旧藩王国の当主や家族たちによる利用も多かったという。しかしインド独立から20年を過ぎたあたりになると、おそらく当時の世情や新興のホテルなどの追い上げもあり深刻な経営危機に陥る。その結果1975年にはグレート・イースタン・ホテルは当時の州政府が経営を握り公営ホテルとして存続することとなる。伝統はあれどもすっかり格式を失い、カルカッタの一泊千数百ルピー程度の中級ホテルのひとつとして内外のガイドブックに掲載されるようになり果ててしまう。
    今年9月に版が改まる前のLonely Planet Indiaでは、このホテルについてこう書いてあった。『This rambling Raj-style hotel was originally called the Auckland when it opened in 1840. It has oodles of charm, but you pay for the privilege. 』
    近年、この記述を目にしてここに宿泊した人たちの大半は、昔はちょっとマシだったのだろうなとは思っても、よもや1960年代一杯までは国賓級の宿泊客が利用する高級ホテルであったなどとは想像さえしなかったことだろう。なお新版には『Total renovation should majestically revive the iconic 1840s Great Eastern Hotel by the time you read this』と書かれているが、実際にそうなるにはまだあと1年ほどかかるのである。
    グレート・イースタン・ホテルの今回の転身は、西ベンガル州政府による州営企業の不採算部門の民営化の一環として、民間への売却がなされたもので、Bharat Hotels Ltd.に売却が決まったのは2005年11月のことであったらしい。
    老朽化し、古色蒼然としたたたずまいの中にも、カルカッタの街の歴史のおよそ半分におよぶ長い年月を経てきた貫禄と重みを感じさせる建物であった。このたび大手資本のもとで、改修にたっぷりと手間をかけて伝統ある高級ホテルとして再生することになる。清潔かつ便利ながらも無国籍で個性に欠けるシティホテルを新築するだけでなく、こうしてリッチなヘリテージホテルへ転用する素材にも事欠かないのは、やはりインドらしいところだ。

  • US$は要らない!

    目下、ルピー高が続いているが、対米ドル相場上昇という現象を除いても、近年のインド・ルピーの安定ぶりはかつてなかったものだ。80年代から90年代半ばごろにかけては、その間に92年の経済危機の際のような大きな切り下げもあったが、概ね当時のインドにおける金利より少し低い程度、つまり10%前後の率で切り下げていたと記憶している。
    90年代も後半に入ると、1ドルに対して30ルピー台後半、つまり40ルピーを少し切る程度、闇両替だと40の大台に届くかどうかといった具合になって以降、それ以前よりもゆっくりと価値を下げて45ルピーを越えるようになり、やがて1ドル=50ルピーあたりにまで下がってからは持ち直し、その後長らく40数ルピー台で推移するようになっていた。そこにきて今や1ドル38ルピー台、39ルピー台で行き来している。
    その間、消費者物価は平均4〜7%弱程度上昇しているので、日本のようなゼロ成長の国で収入を得ている者にとって、まだまだ安く滞在できるインドとはいえ、相対的に『高く』なってきていることは事実だ。加えてGDP成長率が7%から9%台という、まさに世界の成長センターであることから、特に住民の間に可処分所得の多い都市部において、『お金を使うところ』『お金がかかるスポット』が増えている。この国を訪問する外国の人々は以前に比べて多くのお金を消費するようになってきていることも間違いないだろう。

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  • 査証申請・引渡し業務の民営化

    11月15日(木)から東京のインド大使館におけるインドヴィザの申請は、大使館認定業者のジャパン・オーバーシーズ・コーポレーションが請け負うことになり、同社によるインド査証申請センターにて、問い合わせ、申請書の受理、パスポートの引渡しが行なわれることになった。外交および公用パスポート所持者を除き、以降はインド大使館でのヴィザ申請受付はしないとのことなのでお間違いなく。インド国籍者への領事業務は従来どおり大使館で行なわれるとのことである。
    この結果、申請受付時間が従来にくらべて大幅に広がり、午前9時から正午までと午後1時半から午後4時まで(前者は同日午後5時半以降受け取り、後者は次の大使館稼動日の午後5時半以降の受け取りとなる)となる。また土曜日の午前9時から正午まで、申請のみ可能となっている。同社のウェブサイトには、各種査証に関するFAQが設けられており、必要に応じて参照できるようになっている。日本の日曜・祝日以外に年3日の休業日がある。
    しかしながら現在のところ、同センターのウェブサイト上にあるContact Usにある電話番号にかけると、インド大使館に転送されるようになっているのは気にかかる。ごくまれに受付担当者に連絡したいこともあるかもしれないし、ヴィザ申請提出そのもの以外にも何か関係する要件で、査証センターに直接問い合わせしたいこともあるかもしれない。書類を受け付ける窓口に直接電話できないのはどうかと思う。
    査証センターを運営するジャパン・オーバーシーズ・コーポレーションのホームページ?にアクセスしてみると、少なくとも今日現在、これといったコンテンツがない。まだ未完成なのだろうか、これではもともと何をしている会社か見当もつかない。まずは業務のアウトソーシングありき、と見切り発車してしまったかのような印象を受ける。
    ただいまインド大使館は、九段の施設老朽化のため改修工事中。そのため現在一時的に麹町に移転している。この業務委託はその関係での暫定的な措置かと思いきや、そうではなく今後ずっとこの形でいく予定とのこと。つまり査証申請受付と引渡し業務が民営化されたわけである。
    査証の免除等については、相互互恵が原則だが、相手国が自国民に査証取得を課してしても、観光目的などの訪問者の誘致、業務の簡素化などを目的として、訪問者数が多く滞在にあたり特に問題が生じていない『お得意先』国民に対しては、短期滞在については査証なしでの入国を認めているケースも往々にしてある。たとえば日本人の対するタイ、オーストラリア人に対する日本の措置などがそうだ。インドが日本人に対して入国の条件を簡素化する日はいつか来るのだろうか?

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    2007年11月15日(木)以降のインド査証申請先
    〒112-0012東京都文京区大塚3-5-4, 茗荷谷ハイツビル1階
    ジャパン・オーバーシーズ・コーポレーション
    インド査証申請センター
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  • Bangladesh River Journey

    BBC World Serviceによるこのプログラムは、もともと『Climate Change : Taking the Temperature』という特集の中で、地球温暖化による社会への影響を探る試みのなかのひとつとして、バングラーデーシュのデルタ地帯の水際で生活する人々を例にとって2週間に渡ってリポートするものであった。だが先週のバングラーデーシュを襲ったサイクロンと時期が重なり、その被害に関する報道とジョイントした内容になっている。
    悠久を思わせる大河の眺めとは裏腹にグローバルな規模で進行中の深刻な気候の変化。ここに取り上げられた写真と文章を見ながら、何か身近なところでできることはないか考えてみるのはどうだろうかと考えさせられるとともに、今回のサイクロンの被害については、本日まで各メディアを通じて耳にしている数字よりも大きな被害となりそうで、たいへん気にかかるところだ。
    それでも、バングラーデーシュの豊かな自然、とりわけ水際のとても美しい景色を想うと、いますぐ私もそこに出かけてみたくなる。おりしも乾季のシーズンでもある。バングラーデーシュ側でもインドの西ベンガル州側でもいいのだが、世界最大のマングローブの森、スンダルバンを訪れてみたいなあ、とボンヤリ思う。
    Bangladesh River Journey
    Bangladesh boat diary: River erosion
    Bangladesh River Journey
    Bangladesh boat diary: The launch
    Bangladesh boat diary: Life on the edge
    Bangladesh boat diary: Tigers and dolphins
    Bangladesh boat diary: Northward bound
    Bangladesh boat diary: Cyclone coming

  • インドもの続々 ロンリープラネットのガイドブック

    India, Northeast India, South India, Bhutan
    いまや旅行ガイドブックの老舗となっているロンリープラネット社だが、いわゆるバックパッカーの先駆けであったトニー・ウィーラーとその妻モーリーンがアジア横断旅行後、1973年にオーストラリアにて創業。当時はオーストラリアやイギリスなどからアジア方面に出かけるヒッピー旅行者や安旅行者などの読者を相手にしたベンチャー企業であり、今日のように世界中の書店にLPのロゴが入ったシリーズもの旅行案内書を大量に供給するまでになるとは想像できなかったことだろう。
    ガイドブック『India』の初版は1981年発行で、今年9月に出たものは12版目となる。さっそくこれを手に入れてパラパラめくってみた。いつもどおりシンプルなレイアウトで写真類が少ない分、情報がギュッと濃縮されている。従来の版が全部で1120ページであったのに対して、今度は1236ページと着実に増えている。ただし紙厚が変わったのか重ねてみると、わずかながら薄くなったように見える。(これまで私が使っていたものが繰り返しめくっていたおかげで背が広がってしまったのかもしれない)

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  • お隣さんはどこに行く??

    それにしても今のパーキスターンの混迷ぶりは気にかかる。その有様を眺める世間の視線もまた気になる。世の中で広く『民主主義=善』『軍事政権=悪』と認識されている。広く民意を募り、つまり公平で自由な選挙という手段によって選ばれたもの、人々の信任を得たものが最良であるという前提がある。国民の総意を結集して樹立した政府に能力の不足や不手際があればふたたび選挙によりそれを交代させることができるという、政治勢力間の競争原理が働くがゆえに、ベターなガバナンスが可能となる・・・はずなのだろう。
    しかしどうした具合か、パーキスターンではその民主主義がうまく機能しないことが多い。文民政府が迷走し、あるいは腐敗の度合いを深めると、「コラーッ!』と怒鳴り込んでくる『雷オヤジ』か、または腐敗した政府に鉄槌を下すための『懲罰機関』であるかのような観さえある。これまで市民の間にもそれをある程度許容する部分があったのだろう。政界で選挙を通じて選び出された政権と軍の威光が並立してきたその背景にあるのは、民主主義というシステムの機能不全である。
    しかし軍政=強硬派による兵倉国家という図式にならないのがパーキスターンである。現在大統領職にあるムシャッラフ氏は、有能な統治者であり軍籍にありながらも、政治的には穏健でリベラルな思想を持つ人物として認識されてきた。隣国インドにとっても、『テロと闘う盟友』のアメリカにとっても、パーキスターンの指導者として少なくとも今までところは『余人を持ってかえがたい』存在である。
    ムシャッラフは、兼務している陸軍参謀長を11月末までに辞任して軍籍から離れ、次期は文民として大統領職に就きたいとの意向を明らかにした。また11月15日に下院が任期満了により解散し、翌16日に選挙管理内閣が発足。上院議長モハンマド・ミヤーン・スームローが暫定首相に任命されている。1月9日までに予定される総選挙は非常事態下で行われる可能性が高い。つまり集会や結社の自由などが保障されない状態での選挙となることから、公平性や透明性が期待できないとの批判を招くことだろう。
    総選挙を前にして、現在同国の政治を率いるムシャッラフ、彼と組んで与党として政権を運営してきたPML、首相返り咲きを狙って帰国したブットーと彼女が率いるPPPという、三者三様の思惑が渦巻く中、先行きは不透明なままである。しかしながら米国にとっては、ムシャッラフ+PML、ムシャッラフ+ブットー率いるPPP、はてまた非常事態宣言に続いて二度にわたる自宅軟禁を受けてムシャッラフに対して激しい批判の声を上げ始めたブットーとPPPがこのままムシャッラフとの距離を広げていっての独走も、場合によってはありえるのかもしれないが、いずれが浮上しても、親米という路線は不変であろう。ムシャラフ氏の専横の度が過ぎて、米国は表面では圧力をかけつつも、本音はちょっと違うのだろう。、最終的に勝ち馬に乗ればいいのだから、目下冷静に様子見である。現在のところパーキスターンとの関係がまずまず良好な隣国インドは大きな変化を望むはずはなく、前者の組み合わせでの現状維持を期待するといったところだろう。
    しかしながら万が一、この三つの勢力に批判と抵抗を続ける原理主義勢力が急伸し、強硬な反米政権が樹立されることになったどうなるのだろうか。今のところ既存の宗教系政党でそこまでの力を持つものはないので心配はないが、数年後はどんな構図になっているかわからない。原理主義過激派が暗躍する素地を作ってきたのはパーキスターンの歴代の政治による部分が大きいとはいえ、昨今こうした勢力が急速に台頭しているのも民意の表われのひとつでもある。
    だがもっと現実味のある危険なシナリオもありえるかもしれない。軍の中に現在のムシャッラフのスタンスに反感を抱く勢力もあり、新たなクーデターの懸念が出ていることがそれだ。こうした懸念があってこそ、先日『ムシャッラフが自宅軟禁』というデマが流れたのではないだろうか。再度のクーデターにより、いくつもの欠陥があれどもとりあえずは前進してきた民主化のプロセスが水泡に帰してしまうだけではない。世俗的かつ穏健派であったムシャッフラに異議を唱えるのはどういう人物であるかということを思えば、かなり危険なものを感じてしまう。
    それだけではない。まだ64歳で健康面での不安が伝えられることもないムシャッラフ氏だが、これまで幾度となく暗殺の危機を切り抜けてきた。果たして身近なところに敵対勢力への内通者がいるのかどうかわからないが、流動的な状況のもとで今後も同様の事件が起きても不思議はない。盤石な支持基盤を持つ大政党を背後に持たない彼が、ある日突然この世からいなくなるようなことがあったら、いったいどうなるのだろうか。混沌下で権力の継承がなされぬままに、突然ポッカリと大きな真空状態が生まれてしまうことが一番恐ろしい。
    6月10日の総選挙後、北部オランダ語圏と南部フランス語圏の地域間対立をもとに新たな政権を樹立できない空白状態が150日を越えるという稀有な迷走ぶりを見せているベルギーのような国もあるが、パーキスターン政治の混迷は大規模な流血の事態を招きかねず、経済や市民生活に与えるインパクトも甚大である。パーキスターンは事実上の核保有国であることから、有事の際にパーキスターンによる核使用を懸念しなくてはならない隣国インドはもちろん、他国等への核拡散の不安もあることから、遠く離れた国々にあっても無関心ではいられない。
    圧政の継続か民主主義の復権かが問われるところだが、本来尊重されるべき『民意』の中にも実にいろいろな部分がある。単に自らの保身というわけではなく無用な流血や混乱を避けるとともに、自国の将来を見据えて平和裏に軟着陸させようと、ベターな『落としどころ』を懸命に探っているのが現在のムシャッラフ氏なのではないかと推測するが、今後かたときも目が離せないパーキスターン情勢である。
    〈完〉

  • お隣さんはどこに行く??

    9月10日のナワーズ・シャリーフ前首相の帰国直後の逮捕と国外追放、10月18日のベーナズィール・ブットー前首相の帰国当日夜のカーラーチーでの凱旋パレードの際に起きた、パーキスターン史上最大級と言われる被害を出した自爆テロ事件、大統領選立候補資格の有無をめぐる最高裁との対立、テロの拡大等を理由にした非常事態宣言発令、司法の痛烈な批判と最高裁長官の首すげ替え、閣僚宅への過激派による自爆攻撃、ブットー前首相の自宅軟禁とその解除を繰り返すなど、混迷が続くパーキスターン情勢。
    亜大陸の反対側にあるバングラーデーシュも、今年1月に総選挙が実施されるはずであったが、対立する政党間での軋轢が激化した結果、大統領による非常事態宣言発令、選挙管理内閣による統治へ。選挙は現在のところ来年10月以降になりそうな見込み。こちらもまた先行き不透明だ。
    もっともインドもかつて為政者が強権を発動した時期がなかったわけでもないし、北東部やカシミールでの分離活動やそうした地域で主に軍による人権抑圧、オリッサ、ビハール、アーンドラ・プラデーシュその他広い地域で活動する極左集団、カーストやコミュニティをベースにした対立等々さまざまな問題を抱えている。また90年代から経済的に目覚しい発展を遂げることになったとはいえ、それ以前は長く停滞にあえいでいた。
    それでも総体として今のインドの好調さと安定ぶりは際立っている。旧英領『インド』としての歴史を共有する兄弟国でありながら、なぜこうも違うのだろうか?という思いを抱かないでもない。もっとも分離前の広大な地域をまとめあげたのは、亜大陸に住む人々自身ではなく、イギリスの統治によるものであったことから、元々同じ国であったとすること自体に幻想が含まれているのかもしれない。
    もっとも今のインドにしても、現在の優位が未来永劫に続くという保証があるわけではない。20世紀には『来たる××年代の大国』『次世紀のアメリカ』と目された国が失速していく例はいくつもあった。インドとて、10年、20年後どうなっているかについては誰も正確な予言をすることはできないだろう。そもそも経済とは自国内のみで完結するものではないし、特に今の時代にあっては国際情勢その他、自分たちではどうにもコントロールできない事象に影響されることも多い。
    〈続く〉