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  • ターンセーン滞在1

    ターンセーン滞在1

    こちらは、ターンセーンでの滞在先、マンモーハン・シュレスタ氏のCity View Homestay。外が明るくなってきたので、さっそく町歩きに出ることにする。

    ターンセーンでの滞在先

    昨日夕飯を食べた人気レストラン「Nanglo West」併設のベーカリーで買ったココナツたっぷりのビスケットとマフィンをかじりながら坂道を歩く。

    左手の建物がNanglo West

    Nanglo West併設のベーカリーで買ったココナツクッキー

    ネパールに長くお住まいの日本の方によると、この町の出身で繊維業で財を成した一族の御曹司がアメリカ留学を経て、カトマンズ中心部にレストランとベーカリーをオープンさせたのが、このNangloというチェーン店の始まりであったとのこと。スマートで洗練されたサービス、豊富なメニューと上手な味付け等々、とにかく素晴らしい。飲食業以外にもリゾートも展開しているようだが、このターンセーンには、「Nanglo West」以外にも、「Palpali Chhen」という、このグループが経営するホテルとカフェがある。

    Palpa Chhenのカフェ

    ここで朝食を済ませて外に出ると、上階からカッコいいマウンテンバイクを下ろして来る若者たちのグループがあった。彼らに尋ねてみると、首都カトマンズからやってきたそうだが、本日この町からスタートするレースに参加するのだとのこと。ネパールでも中産階級のこうした年代の人たちは、様々なアクティヴィティーに活発なようである。その他、ネパールの首都圏から普通に観光旅行で来ている人たちも少なくない。

    私が訪れるよりも前に開催されたものだが、こちらもマウンテンバイクによるレースだ。



    どういう料理に使うのは知らないが、ずいぶんカラフルな麺が売られている。

    こんな色合いの麺もあった。

    インド国境からそれほど遠くはないとはいえ、山地に入ってしばらく進んだところにある斜面の町ターンセーンには、中世を思わせる沢山のネワール建築が良い状態で維持されている。町中がきれいに清掃されているのも良い。インド世界の延長線上にあるタライ地域とは別世界である。16世紀にはカトマンズ盆地を窺うほどの勢いの在地勢力の中心地であったというだけに、なかなか見どころは多そうである。だが、もしここがインドの一部になっていたならば、このあたりにもUPやビハールからの人々が多数移住して、すっかりインドになっていたのだろうか、などということも思ってしまう。



    価格の割に高性能な中華スマホHuaweiはネパールでも人気が高いのだろう。

    宿近くのお寺、ビームセン・マンディルはこじんまりしているが優美な姿。いかにもネパールらしい寺院だ。境内では女性たちが鳩に餌を与えていた。

    ビームセン・マンディル


    坂道を下ったところにあるやや大きな寺院、木造で三層になっているアマルナラヤン・マンディルも見応えがある。

    アマルナラヤン・マンディル




    パールパー・ダルバールはマオイストに破壊されたものを修復したとのことだが、この中には入ることはできない。全国各地で内戦を繰り広げたマオイストとの和解と政府への取り込みについては、人類のひとつの快挙と言ってもよいのではなかろうか。もっとも、その後のネパール政局の迷走ぶりは、広く知られているところではあるのだが。

    パールパー・ダルバール敷地への入口

    パールパー・ダルバール

    パルパー・ダルバールの脇に警察署があり、門の前で歩哨に出ている女性警官が可愛らしかったので声をかけてみた。ヒンディーで話すと、にこやかな表情で、すべてネパール語で返事が返ってくる。こちらが尋ねていないことまでいろいろしゃべるので、なかなかおしゃべりらしい。ネパール語なので、ちょこっとだけわかるような、あまりわからないような・・・。

    羽根飾りが素敵な女性警官

    山あいに広がる斜面の町、暖かい陽射しを浴びながら、今日はのんびりと散歩を楽しむことにする。伝統的で落ち着いた佇まいの町並みが素晴らしい。





    「ターンセーン・ダーント・ウプチャール・ケーンドル」という歯医者さん

  • ターンセーンへ

    ターンセーンへ

    ネパールに入国してからネパールのNcellという通信会社のSIMを購入したが、国境越えてからすぐにインドのボーダフォンから、「ネパールでのローミングにようこそ」というSMSが入った。

    国際ローミング(インドの通信会社のネパールでのローミングは割安ではあるが)では、すぐに残高がなくなってしまうので、ネパールのSIM購入したわけであるが、境目のエリアにいるとインド、ネパールどちらのSIMを利用していても、勝手に国際ローミング扱いになってしまう可能性があるはずだが、この地域に住んでいる人にとって、問題はないのだろうか?

    インドからネパールに入国してから、ルンビニーに行くつもりであったが、客待ちしているタクシーに尋ねても、「行けません」との回答しか返ってこない。ツーリストバスならばその方面に行くことが出来るとのことだが、しばらく待ってもそれらしいものはやってこない。ここで言うツーリストバスとは、観光客相手に地域間を運行しているバスも含むが、ここからルンビニー方面にはツアーバスしかないようなので、要はそうしたクルマに便乗させてもらえということだ。

    国境から東方面あるいは西方面に向かうルートは、地域政党がオーガナイズするバンド(ゼネスト)によるチャッカージャーム(交通封鎖)の対象となっていることから、公共バスを含めたクルマの往来は出来なくなっている。(前述のツーリストバス、スクールバス等を除く)

    ネパール南部の政治問題により、ただでさえ外国人越境者がほとんどいないこの場所、時間がもったいないので、バスでターンセーンに行くことにした。地図などでは「ターンセーン」と書いてあるのだが、一般的には「パールパー」と呼ばれているようだ。

    こちらもかねてより訪れたかった場所である。国境から北に向かうルート(ポーカラー方面)については、燃料不足の問題はあるものの、きちんと運行しているのも幸いだ。

    ターンセーンに直行するバスは見つからなかったが、経由地のブトワルに行くバスに乗車。車内には、山岳地から来たと思われる顔立ちの人々が多く、ゴーラクプルからこちらまでのバス車内とは、かなり違った印象がある。

    山の民と思われる風貌の人たちが多い車内

    1時間強でブトワルに到着。よく整備された印象の大きな街で家もきれいなものが多いようだ。ふと思いだしたのだが、インドとネパールの間には15分の時差がある。この時点で4時20分。ブトワルから北は、「山岳の景色が広がっている」というよりも、「壁として立ちふさがっている」という印象を受ける。

    ブトワルから北側は山地

    ブトワルでバスを待っていると、ターンセーン行きのバスはほどなくやってきた。座席確保できて一安心。国境からターンセーンまでは、「ごく当たり前に」高速通信の4Gレベル。今どきは、どこの国でもそうした通信環境が標準になっている。

    ターンセーンを出て山岳地に入ると、かなり電波が切れてネットは使えないものの、微小な電波でGPSは動作するようで、現在位置は逐一確認できる。周囲の山間の景色を眺めながら、バスは進んでいく。眼下はるか下の川に目をやりながら過ごす。日は暮れなずみも車内は家路を急ぐ人々。もはや車内に会話は私が知らない言葉になっている。遠くに来たな、という感じがする。

    間もなく日が暮れる。山道をガタゴト走るバス車内にて。

    ターンセーン到着は午後7時過ぎ。国境からバスで出る際に、今晩の宿の主人、マンモーハン・シュレスターさんに電話しておいたのだが、ここで彼から電話が入った。さきほども一度かかってきたのだが、電波の具合で話すことができなかった。

    バススタンドから徒歩でバンクロードのほうに上がっていく。坂道の町である。かなり古いものが良い状態で残されている町らしく、明日の町歩きが楽しみだ。坂道ではまだ店はいくつも開いており、歩いている人々の姿もある。

    坂道を上がり、右手に折れて、ナングロ・ウエストというレストランが見えたあたりで声をかけてきたやや年配の男性が宿泊先のシュレスタさんであった。良かった。宿はここからすぐ。シュレスタさんは、自宅の一部に旅行者を宿泊させるとともに、彼自身もボランティアの観光案内書を運営されている。

    宿に来る手前で見かけたレストラン「ナングロ・ウエスト」でダルバートの夕食。
    宿の窓から眺めるすっかり静まり返った町。ネパールらしい建物がいくつも見える。
  • Lonely Planetのガイドブック「The World」

    Lonely Planetのガイドブック「The World」

    一昨年10月にロンリープラネットからこんなガイドブックが出ていたことを今日になってようやく知った。単一の国(「India」や「Thailand」など)あるいはひと続きの地域の案内(「Middle East」や「Africa」など)ではなく、その名も「The World」という大胆なもの。

    ISBN: 9781743600658
    Authors: Lonely Planet Publications
    960 pages, 250 maps | Dimensions: 128mm x 197mm

    この本のインデックス部分が公開されているが、これではコンテンツについてよくわからないので、amazonの「なか見!検索」でサンプルを閲覧あるいはKindle版の無料サンプルを試してみると、イメージを掴むことができるだろう。

    私自身は購入していないので何とも言えないのだが、250の地図を含む960ページ、「世界ガイドブック」というのは、同じくLonely Planetの「India」が256の地図を含む1248ページであることを思うと、実用的なガイドブックとしてではなく、「今度の旅行はどこに行こうかな?」と自宅でぼんやり考えるときに良さそうだ。

    書籍版はかなり嵩張るし重量もあるので、日常の隙間の時間にまだ見ぬ異国の地に思いを馳せるため、Kindle版を手に入れて、スマホやタブレット、あるいはKindle端末でページをめくりながら、世界各地のおおまかな名所や旅行事情を把握して、今後の旅行計画の参考にしておく、何か大きな出来事や事件が報じられたときに、「どんな土地だろうか?」と開いてみる、といった使い方をするのに便利だろう。あるいは世界各地の主要都市に煩雑に出張する機会が多いビジネスマンにとっても役に立つものであるのかもしれない。

    案内の対象が「世界」というガイドブックは、これまで目にしたことがないので、はなはだビックリした。当然、実用性には大きく欠けるであろうことから、それほど売れるものではないように思うのだが、こういう形で「浅く広く」というスタンスで、世界の有名どころをカバーするというのは、なかなか意欲的で楽しい試みであると、私は肯定的に捉えている。

  • ネパール国境へ

    ネパール国境へ

    昨夜(というより今朝がた)寝たのは午前4時くらいであったが、もう7時半過ぎには起きてしまった。昨日は窮屈ながらも列車内で少し寝たこと、このホテルの外が騒々しいことなども理由だが、それ以上に本日の予定があるので、のんびりしていられないということが大きい。
    昨日はほぼ絶食状態であったので、宿の並びにある食堂にて、本日の朝食、トースト、オムレツ、チャーイが、ことさらおいしく感じられる。出来立ての温かい食事はいいな、と思う。

    Gorakhpur Junction駅前の食堂
    朝食

    宿に戻り、荷物を持ってチェックアウト。駅前から出発の国境行きのバスに乗る。ここからネパールとの国境、スナウリーは3時間ほど。

    隣の席の青年は、ムンバイーに働きに出て、ホテルのエレベーターボーイをしていたそうで、久々に帰郷するのだという。こういう人たちが多くこの国境を出入りしているのだろう。同様にネパールからインドへの人身売買もここを通してなされているという黒い話もよくメディアで報じられている。

    車窓左側はインドによる封鎖により留め置かれた輸送車両の長い行列

    国境までまだ10数キロはありそうなところで、道路左側に長い車列が止まっている。これらはすべてインドによる封鎖により留め置かれているものだという。昨年の夏あたりに、ネパールで制定しようとしていた新憲法の内容が、マデースィーの人たちに対して不利な内容となっていることが明らかになったことにより、彼らが暮らすタライ平原部では、地元政党による抗議活動が盛んになっていた。これが現在も続いているのだが、インドもまたこうした状況に鑑み、ネパールに対して独自に制裁を加えることとなったのは昨年9月に新憲法が制定されて以降。ずいぶん長く続いている。

    これにより、ネパールでの燃料や生活物資の不足などが伝えられているとともに、昨年4月と5月に起きた大地震からの復興に影を落としているというが、あまりに強大なインドという隣国との関係で悩まされるのは今に始まったことではなく、同じく国境を接する中国との関係を強化するのは無理もないことだろう。

    これは、南アジアへの影響力強化とインド周辺の国々の囲い込みを着々と進めている中国にとっても好都合なことであり、ネパールに対して様々な経済援助を惜しみなく与える関係となっており、大型の案件のひとつとしてルンビニーの遺跡公園の整備が進められるとともに、運輸関係でも西蔵鉄道をネパール国境まで延伸させるプランや、さらにはカトマンズまで鉄路を伸ばしてリンクさせる計画まである。

    こうした状況はインドにとって看過出来るものではない。新憲法を制定したネパール政府と、これに反対するマデースィー(北インドのビハールやUPの人たちと民族的・文化的背景が共通する人たち)の政党との間の軋轢は、インドにとって自らの影響力を行使する良い機会ということにもなる。

    ネパールへは、モーティハーリーから近いビールガンジから入ることを考えていたのだが、その地域での反政府活動がまだかなり激しいようであるため、予定を変更してこちら側の国境から入ってみることにした次第。

    話は戻る。留め置かれた無数のトラックやトレーラーの長い長い車列。荷主も受け取り手も非常に困っていることだろう。運転手たちに至っては、身動き取れず、さりとて日銭も入らないとあれば、一体どうやって過ごしているのだろうか。彼らが養う家族もいるわけなので、あまりに気の毒というしかない。

    スナウリーに到着。ごみごみした粗末な商店が軒を連ねる中にあるインドのイミグレーションへ。出国印をもらってから、ネパール側に越える。インド人とネパール人はチェックがないので、国境両側は、事実上ひとつの街である。

    だがネパール側に入ると違うのは、インドでは見かけない会社の広告があったり、デーヴァナーガリーで書かれた看板が、ヒンディーではなくネパーリーであったりすることだ。デーヴァナーガリーによる外来語の表記も異なり、例えばVに対してVではなく、BHを当てることなどがある。すると外来語について、Vの字はどう使用しているのか?ということになるが、私はネパール語のことはよく知らない。

    ネパール側でヴィザ代25ドル支払う。Guidebookでは米ドルのみと書かれているのだが、タイ人のグループを率いるインド人ガイドがパスポートをまとめてイミグレーションに持参していたのだが、その会話からインドルピーでも支払いできるらしいことが判った。もっともいつもそうなのかどうかは知らない。

    昨年の大地震とともに、現在進行中のタライ地域の政治問題等により、外国人観光客が非常に少ないため、国境両側のどちらの国のイミグレーションも待ち時間ゼロであった。

    ネパールでは、物資不足により、インドルピーの需要が高まっているという。地元通貨では購入できない燃料等がインドルピーならば買えるという話をネパール側で耳にした。インドルピーのことをネパールでは俗にIC(Indian Currencyの略)と呼ぶようだ。前述のとおり、国境を挟んだ両側は事実上ひとつの町であり、両国の人々は出入国手続き無しで自由に往来できるため、利ザヤの大きい燃料類をインド側で購入して、ネパール側で売りさばくという商売が盛況とのこと。こうした商売に従事する人たちにとっては稼ぎ時ということになるのだろう。

    取り急ぎドルからネパールルピーに両替、そしてネパールのNcellのSIMを購入。インドの場合と異なり、購入してスマホに挿入すると、即座に通話もネットも利用できるのがいい。インドの場合は、それほど迅速ではないのは、セキュリティの関係でそういう措置になっているのではないかと思う。

  • モーティハーリーからゴーラクプルへの鈍行列車

    モーティハーリーからゴーラクプルへの鈍行列車

    Bapudham Motihari Station

    列車が入線してくるまで、プラットフォームでしばらく話をしたムスリムの紳士は、インドではなくネパールのタライ地域から来た人であった。ネパール側では「マデースィー」と呼ばれるインドの平地から移住した人たちの子孫だが、国境を接する地域では現在に至るまで、ネパール側とインド側での通婚は多いし、人々の往来も盛んだ。

    日が暮れてから列車がゆっくりと入ってきた。人々でぎっしりすし詰め状態であることを想像していたが、案外それほどの混雑ではなかったのは何よりの救いだ。とりあえず座る場所だけは確保することが出来たのは幸いである。人々が乗り込んでしばらくすると、反対側からの列車が駅に入ってきた。やがて私が乗っている各駅停車は、車輪が軋む音を立てながら動き始める。

    ゴーラクプルへ出発

    時折、各種夜行列車が通過していく中で、最も優先度が低い鈍行のため仕方ないのだが、走行している時間よりも、停車駅で行き違いを待つ間のほうが長いように感じられる。出発してからだいぶして、夜11時くらいになって停車した駅の表示を見ると、ゴーラクプルまでの道のりの中間点よりも少し先のベーティヤー駅なので、がっかりしてしまう。席は確保できたとはいえ、座席は直角シートなので楽ではない。それでもしばしうたた寝していると、誰か席の無い者が、突然私の膝に座ってきて、痛くて飛び起きる。思い切り怒鳴りつけてやったが、まったく困ったものだ。

    それにしても感心するのは、こうした片田舎を移動していても、線路両側にないもないところなのに、ちゃんと高速でネットが繋がることだ。ときおり圏外になったり、2G環境になったりするものの、概ねちゃんと高速通信だ。目が覚めてしまうと、とにかくヒマなので、こうして時間を潰したりするしかない。こうした中で、パソコンを取り出して日記を書くのは不用心でどうかと思うが、スマホならばフリック入力しながらその日の出来事をしたためることが出来る。

    この時期の北インド平原部の夜はかなり冷え込む

    少し大きな駅に着くと、乗客の入れ替わりがかなりある。周囲を見渡すと、モーティハーリーから乗車した人たち、乗車したときにすでに居た人たちの姿はほとんどなくなっている。車内の誰もがとても疲れている感じなのは時間が時間なので、こんなものだろう。だいぶ前に深夜を回っているのだ。

    車内の皆さんはお疲れの様子・・・。

    列車は夕方5時過ぎに出発したのだが、終点のゴーラクプルに着いたのは午前3時半。モーティハーリーからの距離は180km程度と思われるが、10時間もかかったことになる。各駅での停車時間を含めてのことだが、平均時速18km。やれやれ・・・。先日発表されたムンバイーからアーメダーバードまでの高速鉄道計画に新幹線の採用決定とは、いったいどこの世界の話?のインド国鉄である。

    外に出てみるとかなり冷え込んでいる。疲労困憊している身体を引きずりながら、ゴーラクプル・ジャンクション駅の正面にあるホテルをいくつか当たるが満室と言われるが、ようやく新しめでキレイな宿があった。一泊800ルピー。朝からのひどい下痢とバス移動のため朝食はスキップ。宿が見つからなかったおかげで、遅い昼食と兼ねた夕食も抜くことになった。鉄道駅でビスケットを買って、車内で多少かじった程度だ。どの時間帯にも発着する列車がある大きな駅の目の前なので、こんな妙な時間帯でもお客が出入りしている食堂はいくつもあるのだが、さすがに疲れているし眠いしで、食べに出る気にはならない。ベッドに横になると、そのまま眠りに落ちていった。

    本日(とうに日付が変わってしまっているので「昨日から」だが)は、すべてが裏目に出てしまった。収穫もなかったが、まあこういう日もあるというものだ。

  • モーティハーリーへ

    モーティハーリーへ

    パトナーの宿で、朝5時あたりで腹具合が良くなくて目覚めた。嫌だなと思ったら、やはり腹を下しており、再び寝てから7時くらいに起きるともう大変なことになっている。今日はバス移動なので思いやられる。

    こういうときにはてきめんに効いてくれるインド製の黄色い大きめの下痢止めがいい。Nflox-TZという商品名で、どこの薬局にも置いてあるが、これまでもしばしばこの薬に救われてきた。私はこれを「救世主」と呼んでいる。これで少し落ち着いてから、食事を抜けば、バス乗車中に窮地に陥ることはないだろう。

    9時くらいまで部屋で様子を見てから、ホテルから徒歩でバトナ―駅の反対側に出る。そこから乗合オートでバススタンドへ。バススタンドはやたらと広大なのだが、建物はなく、バスも無数に滅茶苦茶に停車しているので、一見するとどこに行けばいいやらよくわからない。それでも当事者たちにとってはちゃんと整理されている?ようで、モーティハーリー行きのバスはすぐに見つかった。

    モーティハーリー行きバスに乗車

    モーティハーリーは、これといって見どころがありそうな町ではないのだが、「1984」や「ビルマの日々」等で知られる英国人作家、ジョージ・オーウェルの生家があるところだ。植民地官僚の父親の元に生まれた彼は、長じてからは同じく英領であったビルマ(現ミャンマー)の警察官となった。父親は、オピウムを取り扱う政府機関で働いていた。当時はインドにおける合法的な作物で、主に中国(および東南アジア方面)へ輸出されていた。これを背景としてアヘン戦争が勃発することとなったのは、よく知られているところだ。その生家が現存していること、これが博物館となっっていることを最近知ったため、せっかくビハールに来たので、ついでに立ち寄ってみようと思った次第である。

    モーティハーリーまでの距離は160kmほどだが、到着したのは2時半くらい、いや3時近くなっていた。サイクルリクシャーで、ロンリープラネットに書かれているゲストハウスに向かう。部屋を見せてもらい、荷物を置いて早速ジョージ・オーウェル博物館に行くつもりであった。しかし、チェックインでIDを提示するように言われて、パスポートを出すと、なんと外国人は泊めることができないとのこと。

    ガイドブック(2015年後半に出たLonely Planetの最新版)に掲載されているではないか、というと、「それが、2カ月くらい前から許可を更新できなくなっていて・・・」などと言う。とにかく泊めればお金になるので、これは本当のことなのだろう。その「許可」とやらをどうやって取得するシステムになっているのか知らないが。

    そんなわけで、宿も手あたり次第当たってみた、なるべく高そうなところ、といってもせいぜい800Rsくらいまでしかないようだが、どれもダメ。安い割には感じのいい宿もあったので残念である。以前、アッサム州都グワーハーティーなどでもこんなケースはあったが、こういうケースは少し上のクラスの宿ならば問題なく宿泊できるものなのだが、特に見どころもない田舎町なので、これよりも下はあっても、よりアップマーケットのところは無いようだった。

    宿探しでそうこうしているうちに、通常の博物館が閉まる時間になってしまった。これはいけない。明日の朝に見学するという手もあるが、そもそも宿泊できるところがなければ、明日の見学はあり得ない。するとここに居る理由はないし、宿泊できなくて困るので、鉄道駅に行ってこの町を出ることにした。あるいは役人が出張等で利用するサーキットハウス(もしあれば・・・) を当たってみるとか、「民泊」を画策するとかいうことも考えられるのだが、ここでの見学を本日中に済ませることができないと、今後予定している訪問先がいろいろある。せっかくモーティハーリーまで来たのに、という思いもあるが、スキップしてしまうことにした。

    ゴーラクプル方面には直行するバスはなく、ベーティヤーという州境に比較的近い交通の要衝と思われる町で乗り換えると行けるようなことを聞いた。もう夜になることだし、下痢は止まっているものの腹具合の不安もあるので、乗り換えなしで、トイレも心配もいらない鉄道がいい。ネットで参照してみると、ちょうどこの時間帯にゴーラクプル行きの各駅停車がある。急行は夜9時頃まで待つことになるので、乗車時間は長くなるのだが各駅停車で行くことにした。

    鉄道駅に行く。列車は遅れているとのことで、想定していた列車よりも一本前のものに間に合うらしい。

  • インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    インド国鉄に関する便利なウェブサイト

    国鉄が発行しているTRAINS AT A GLANCEには、主だったルートの列車は網羅されているので便利だ。

    しかしながら比較的短い距離を移動する際、急行列車が停車しない駅から移動する場合など、各駅停車の情報が欲しいということも多々あることだろう。そうした場合に参照できるサイトはいくつかあるのだが、最も活用しやすいと思われるのが、etrain.infoだ。

    乗車駅と下車駅を入れてみよう

    利用可能な列車が表示される。

    長距離移動の場合でも役に立つのはもちろんだが、とりわけ直通列車がない場合には有用だ。接続可能な経由地が提示されて、出発地から目的地までのルート、列車名、経由地から先の列車名などを例示してくれる。

    これらふたつの駅には直通する列車はないが・・・。

    利用できる経由地が表示される。これらをクリックすると先に進むことができる。

    さらに嬉しいことに、列車の編成も表示されるため、予約した車両が先頭の機関車から何両目に接続されるかについても表示される。下の例示した列車の場合はともかく、もっと長大な大型編成の急行で、しかも停車時間が短い駅から乗車する場合には助かることだろう。(当然のことながら実際に駅でも再度確認しておいたほうが良いことは言うまでもない。)

    利用する列車番号を入れると車両編成が表示される。

    予約した列車が満席で、WL(Waiting List)あるいは、RAC(Reserve Against Cancellation)であった場合に、現状どうなっているのかPNRを入力して確認できるのはもちろんのことだが、もうひとつ、このサイトで非常に便利な機能がある。画面左側のTrain Route / Running Statusというところ任意の列車番号を入れると、運行スケジュールとともに、ルート上の各駅における実際の到着・出発時間、現在地、今後通過していく駅の予想発着時間まで閲覧することができるのだ。

    この列車の運行状況を確認してみよう。

    このような具合に時刻表上でのスケジュールと実際の運行状況を並べて表示される。

    冬の霧の時期やモンスーンによる大雨の時期といった天候不順の際に、運行が乱れがちだ。自分が乗車する駅に果たして何時くらいに列車がやってくるのか、現在乗車している列車がどのあたりまで来ているのか、自分の目的地にはあと何時間くらいで到着できそうなのか、といったことが一目でわかるありがたいサービス。あまりに甚大な遅れとともに運行されていることが判ったならば、即座に予約をキャンセルして他の列車のブッキングをトライするなり、バスその他の手段に切り替えるなりといった判断が出来ることになる。

    当日の運行状況を確認するだけであれば、Running Train Statusのほうが手軽でいいかもしれない。こちらも同様の内容を参照することができる。

    こちらは列車の運行状況確認専用のサイト

    インドで国鉄を利用するにあたって、こういうサービスを利用できることを心得ておくと、何かと役に立つことがあるだろう。

  • パトナーにて

    パトナーにて

    パトナーの駅前エリア界隈では、無料のWifiが飛んでいることに気が付いた。スマホにFree Wi-Fi Zone of Patnaと出る。タダであるだけに、セキュリティ上の配慮があるのかどうかは知らないが、接続時のパスワード設定がないので、誰でも繋ぐことができる。比較的最近、ハイデラーバードで比較的最近、こうしたサービスが提供されることがニュースになっていたが、まさかバトナ―でもこういうものがあるとは知らなかった。

    この地域のレストランにて昼食。中華料理としてではなく、「インド式中華料理」のチョプスィーは店によってずいぶん違うものが出てくるが、私の好物である。

    チョプスィー

    歴史は長いものの、これといって見るべきものがないパトナーの目玉のひとつ、ゴールガルに行ってみる。英領時代に飢饉対策のために造られた穀物貯蔵庫。ゴールガルは巨大な饅頭を置いたような形で、周囲に付いている階段で登ることができる。天井からはバトナ―市内の眺めがとても良い。ここは、ガーンディー・マイダーンのすぐ西にある。オートはそのマイダーン沿いに走るので、「ああ、ここが州首相が就任の宣誓をすることで知られるあの場所か」と、少々感慨深いものがある。

    ゴールガル
    ゴールガル頂上からの眺め。パトナーには高層建築がまだ多くないことからも、やや昔のインドの街という思いがする。
    ゴールガル頂上から

    そこからパトナー駅前までオートで戻る。バトナ―は、大きな街の割には道があまり広くないところが多く、一方通行であったりするので、ずいぶん迂回していくことになる。駅前に着いたと運転手に告げられても、そうとは判らないのは、あまりに建て込み過ぎて視界が非常に悪いため。巨大な駅舎が、正面の大通りからさえも見えないのである。陸橋を建築中で、さらに交通の流れが悪くなっているし、ずいぶん見通しが悪く、渋滞もひどい。

    バトナー駅前。陸橋を作る大きな工事が進行中とはいえ、この見通しの悪さはひどい。

    いつものことだが、ビハールは、かなり昔のインドという感じがする。田舎がとりわけ貧しいのはもちろんのこと、州都パトナーも人口200万人超の街としては、華やかさに欠けて、地味な印象を受ける。

    駅前に戻って徘徊しているうちに日が暮れた。屋台のミターイー(甘いもの)屋さんがあった。露店にしては、見た目があまりに美しいので試してみると、大変美味であった。少なくともグラーブ・ジャムーンとラースグッラーについては、凄腕の職人さんであることが判った。

    グラーブジャムーン
    ラースグッラー

    界隈で夕食を済ませ、宿への帰り道にあったソニーのスマホ販売店を覗いてみた。5.5インチや6.0インチといった大画面の機種が目玉となっている。それらの多くはデュアルSIM仕様なので、日本国内で販売されているモデルとは異なるのだろう。日本でも複数台持ちしている人たちがけっこういるので、本来ならばデュアルSIMの需要は少なくないことと思うが、やはりまだまだ回線契約とハンドセットが抱き合わせ販売が主流の日本のマーケットならではのことと思われる。

    外国ブランドのスマホ等々の販売店が見られる一角

    ビハールにおいても、スマホの普及は相当なもので、ローカルバスの車内でも、大画面の機種を手にしている人たちがけっこういる。昔と違って、今のインドの田舎の人々の購買力も相当なものである。バス車内等で、じーっとスマホに視線を落として、指をチャカチャカ動かしている人たちの姿は、もはやどこに国にあっても共通の眺めとなっている。

    宿に戻る前に、オートの販売店を覗いてみた。近ごろのオートリクシャーらしく、細部がモダナイズされていて、ちょっといい感じであった。

    夜になってもパトナー駅前の渋滞はひどい。
    ちょっと良さげなレストランで夕食後、シメでお茶を一杯。
  • ソーンプル・メーラー

    ソーンプル・メーラー

    ソーンプル・メーラーを訪れた。ちなみにこの「ソーンプル」は、ローマ字では「SONEPUR」と綴るため、「ソーネープル」と読みたくなるかもしれないが、「ソーンプル」というのが正しい。メーラーの期間のみ直行する臨時バスも出ているらしいが、どこから発着しているのかよくわからなかったため、乗合オートでパトナーからハージープル、そこで乗り換えて再び乗合オートでソーンプルまで行くことにした。

    ずいぶん昔からあるメーラーで、マウリヤ朝の王、チャンドラグプタがここで象を購入するのが習わしであったのだとか。つまり紀元前3世紀には、すでにこの祭りが行われていたことになる。気が遠くなるような話だ。現存するこうした催しの中では、世界最古の部類に入るだろう。特に大型の動物の売買がなされてきたことで有名だが、その伝統は今の時代にも引き継がれている。

    往時は、ソーンプル近くのハージープルで開かれていたものが、ムガル朝でアウラングゼーブが帝位にあった時代に、開催地をソーンプルに移したとのこと。ハージープルは、パトナ―からソーンプルに移動する手前にあり、シェアオートで向かう場合に乗り換える町がそれだ。

    現在のパトナ―もまた、古くからある街。紀元前5世紀ごろにマガダ王国か築いた拠点を中心に発展してパータリープトラという街になった。これが現在のバトナ―の前身。古い割には、あまり見るべきところが残ってはいないが。

    メーラーでは、古くからの習わしどおりに、象や馬をはじめとする家畜の市が立つ。私が訪れた本日は、開催最終日まであと2日残すところ、つまり24日に終わるため、すでにこれらは撤収した後であった。だが例年ならば、11月中旬から12月上旬までのこのメーラーが、今年はヒンドゥーの暦の関係か、この時期まで開かれているため、見ることが出来ただけでもありがたい。

    ソーンプルの小さな町から周辺部にまで広がる巨大なメーラーだが、普段はいろんな作業に使われたり、野菜等の物売りが路上で商っていたりすると思われるところまで、すべてメーラーのために徴用されている。星の数ほどありそうな仮説の露店の割り当てなども含めて、おそらく地元のヤクザが取り仕切っている部分もかなり多いのではないかと思ったりする。

    こちらはサーカス小屋

    巨大なテントの中では、夕方からステージが開催される。付近で商っている人によると「最高にセクシーなステージ」だとのことで、あるテントでそのリハーサルか何かが行われているときに、若者から中高年の男性までが、その隙間から覗いていた。中では色黒で小柄の女性が踊っているようであったが、そんなにいいものであるとは思えなかった。夕方の5時だか6時だかに始まるらしい。昨日、宿で働いている人が「昔はそんなでもなかったけど、今では子供連れて行けるようなものじゃありませんよ。ああいうのはどうもいけませんな」などと言うオジサンがいたが、このことを言っていたようだ。

    こういうテントが沢山ある。

    私が訪れたときには、最終日まであと2日を残すのみというタイミングであったため、象や馬を扱う市はすでに撤退していて見られなかったが、小鳥や犬、ガチョウや鶏、そして牛が売られている場所は見物できた。

    メーラーの感想としては、田舎でよくあるメーラーがやたらと巨大になったものという印象。クルマやバイクが樽状の壁の中をぐるぐる駆け上がる出し物や遊園地的なものがいろいろあったりしたが、私たちが楽しいと思うようなものではないし、露店にしても他のところのメーラーと変わらない。安物が大量に販売されているマーケットである。期待したほどのことはなかったが、それでも前々から訪れてみたかったものなので、行くことができたこと自体で満足である。

    メーラーの書入れ時に路上で商う露天商も多い。

  • ボドガヤーからパトナーへ

    ボドガヤーからパトナーへ

    オートでガヤーまで移動する。ガヤーの鉄道駅に着いて尋ねてみると、パトナーに向かう次の列車が出るのは1時間半後とのことなので、バスを探してみると、ちょうど駅前から30分後に出発するとのことなので、これを利用することにした。

    スマホの電波状況を確認すると、ボドガヤーでもそうだったが、LTE接続だか4G接続だかになっている。速くて実に快適だ。少し前までは、インドの田舎では3Gどころか2Gであったはずだが、こうした分野での変化の進展は凄まじい。もちろん高速通信網の普及がなければ、スマホの普及はあり得なかったので、さほど驚くに値するものでもないのかもしれないが。

    まもなくバスがやってきた。後ろの席では中年男性と若者の間で、こんなやりとりがなされている。
    車内に乗り込んできた男性が、窓際席に座っている若者に言う。
    「15番は私の席だよ。」
    若者が返答する。
    「何、子供みたいのことを。オレが子供の頃には、大人は子供に窓側席に座られたものだ。それをあんたは、自分が窓際がいいなんて。その年になっても窓際がいいのか?」
    これですっかり喧々諤々のケンカが始まってしまった。かなり迷惑である。

    バスはすぐに満席となり、定刻ちょうどくらいに発車した。有効なSIMが入ったスマホがあると、今どこを走っているのか、あとどのくらいなのかが一目でわかっていいものだ。沿道に何か気になるものを見つけて、あとから戻って見学したこともあるし、バスがターミナルに着く前に、利用しようとしている宿の近くを通過しようとしているのが判れば、そこでサッサと下車することもできる。ちょっと面白い人と知り合ったら、その場でメールアドレスを交換して、FB友達になって、その後も連絡取り合ったりできるのもいい。もっとも、こんなことは、子供の頃からネット環境に馴染んでいる若者たちにとっては当然のことなのだろうけれども、こうしたものがなかった時代から旅行している私みたいな世代にとっては、非常に画期的なことなのだ。

    ヒマな車内で、家族や友人とのやりとりもあったりして、日本にいるのとさほど変わらない環境ともなる。だが遠くの人たちとしっかり繋がっていながらも、せっかく目の前にしている風景や人々と縁遠くなってしまうようなことがあってはいけないので、こういうモノの利用はほどほどにしなくてはいけないな、とも思う。

  • ボドガヤー 2

    ボドガヤー 2

    ナムギャル寺院
    中国寺院
    中国寺院

    マハーボディー寺院を出てから、チベットの名刹のボドガヤーにおける別院であるナムギャル寺院、そして中国寺院等を訪れてから朝食取っていないことを思いだす。中国からインドに亡命してきたカルマパが建てさせたことで知られるテルガル寺院へオートで向かう。この寺院の境内には軽食を出す店があり、そこでインスタントラーメンのワイワイを頼む。出来上がってくると、これが想像以上に辛くて閉口した。

    テルガル寺院
    テルガル寺院のマニ車

    テルガル寺院はなかなか立派だが、やはりレンガ積みとコンクリで建てて、外見だけをチベット風にした建物であるがゆえに、他国が出している寺院もそうだが、あまり慈しみを感じるものではないが、場所が場所だけに仕方ない。各国のお寺の見本市さながらの様子は見応えがあるし、いろいろ訪れてみるのは楽しい。

    そこからさらにオートでブータン寺院に行く。入口のところにトラ柄に塗られた白い野犬がいた。奇妙で面白いといえばそうなのだが、なんだか気の毒でもある。お堂の中には前国王と現国王の写真も飾られていた。

    ブータン寺院
    ブータン寺院
    トラ??

    ブータン寺の隣は日本山妙法寺。日蓮系の教団だが、日本ではあまりその名前さえも聞かないのに、海外ではやたらと存在感がある。海外での活動は、どこも現地での自力更生型であるため、ここの僧侶たちには大きなビジネス感覚、政治感覚が求められる。物凄く仕事が出来るバリバリのデキる男たちの集団というイメージがある。境内は日本の飛び地のような雰囲気だが、プレスクールの施設が出来ていて、幼稚園くらいの子供たちが授業を受けている。先生や子供たちの声が聞こえてくる。このお寺の正面には何もない空間が広がっていたと記憶しているが、今はいろいろと建て込んでいる。

    日本山妙法寺
    日本山妙法寺境内の日本的な空間
    日本山妙法寺が運営する学校

    妙法寺の向かいには、太生山一心寺という教団が構えていた。中に入ってみると、岡山から来て11月から駐在しているという若い尼さんがいて、いろいろ話を聞くことが出来た。
    この人はデリーとプネーに留学したことがあり、サンスクリットを専攻していたとのこと。※ネットでこの教団のホームページにアクセスしてみたが、ずいぶん小さな教団らしい。また尼寺らしく、代表者も女性のようだ。このお寺も日蓮系とのことだが、いわゆる新宗教に相当するような教団なのかもしれないがよくわからない。日本山妙法寺もそういう括りになるようだ。

    一心寺

    一心寺はNGOのAMDAとボダガヤーで共同しているそうだ。宗教団体が海外で活動する際には、こうした民生型のNGOと協力して事業を進めていくことが多いと尼さんは言っていた。どちらも単体ではなかなか入っていくのが難しいことがあるが、布教と援助事業を掛け合わせるとうまく行くことが多いのだという。ボダガヤーではもう、新しい寺院の建築は出来ないことになっているとのことだ。政府が制限しているとのこと。

    寺を辞して、大仏に行く途中で、仏心寺というお寺があった。こちらも日蓮系だそうだ。本堂でお参りさせていただく。ここには宿坊があり、こういうところに宿泊しても良かったなと思う。そこから大仏へ。バブルの頃に建築が始まり、円高の時代で日本経済も好調だったころだからこそ出来た事業だろう。今後はこうした規模での建築は日本の教団にはできないように思える。

    大仏

    そこからさらに先に進むと、中国系の寺院があったが、門が閉まっていて入ることはできなかった。その近くにはカンボジア寺院がある。実にいろいろな国がお寺を建立しているものだ。最後にカルマ寺院へ。ここではチベット仏教系の寺が実に多い。お堂は扉が閉まっていて、拝観することはできなかった。

    中国系の寺院だが台湾の教団と思われる。
    カルマ寺院

    ここを最後に、ボドガヤーを出てパトナーに向かうことにした。

  • ボドガヤー 1

    ボドガヤー 1

    仏陀が悟りを開いた地、ボドガヤーを初めて訪れたのは1989年であった。外国の仏教教団がそれぞれのスタイルで建てた大きな寺院が沢山あり、さながら「世界仏教寺院博覧会」のような様相を呈していたことに驚いた記憶がある。

    しかしながら地元の人々が暮らす地域は、まだ村であり、ボドガヤーを縦断する道路沿いに小さな食堂や簡素な宿が点在していた。各国が建てた大きな仏教寺院を除けば、特に視界を遮るものはほとんどなく、どこからでも周囲が広く見渡せる素朴な環境であった。

    「素朴な」といっても、それは視覚的な部分だけで、やたらと日本語が巧くて、日本人旅行者をカモにしていると思しき輩は出没していたし、重要な仏跡であることを除けば何もない寒村に、世界各国から幾多の観光客が日々訪れるだけあって、私たち一時滞在の外国人が接することになる相手は、あまりのんびりしたムードの人たちではなかったようにも思う。

    現在のボドガヤーは見違えるように建て込んでいて、かつて村であった面影はなくなり、すっかり町になっている。おそらく季節ものかと思うが、仮設の遊園地が出来ていることから、観光客ではなく、地元に暮らす人たちを相手にしても、それなりの商売が成り立つようになってきているようにも思われる。

    2013年にオープンしたという新しいゲストハウスに宿泊。NGOが運営するもので、子供たちの学校も運営しているという。現在35人の面倒を見ており、その半数くらいはホームレスであるとのこと。ここのオーナーはまだ若い人だが、フランスの人たちからの援助も受けてのプロジェクトを進めており、手の届く範囲と規模でやっているそうだ。

    ゴータマ・シッダールタが悟りを開いたとされる場所にあるマハーボディー寺院へ行く。入口手前にある履物預かり所に靴を置いてきたが、預けてある靴がずいぶん少ないことを不思議に思ったが、寺院のお堂の中に入るまでは土足でいいらしい。

    裸足で進んでいくと、さすがにこの時間帯はずいぶん寒いし足元が冷たい。暑季には、足が焼けるほどに熱いことだろう。建物中までは靴を履いていてよいというのは、結局ここではチベット仏教の影響力が強いということがあるがゆえのことかもしれない。

    参拝者の中にはインド在住のチベット仏教徒たちが多いが、その中にはブータン人たちの姿も多い。洋服を来ているとどこの人だかわからなかったりするのだが、聖地を訪れるということもあって、民族衣装で正装してくる人が多い。とりわけ男性のそれは実に凛々しくていい感じだ。

    他にもベトナム人のグループが自国の僧侶とともにベトナム語の経典を読んでいたり、ミャンマーの仏教徒グループが自国の僧侶に率いられて訪れていたり、タイ仏教徒の集団も見かけた。また中国系の人たちの姿もある。ベトナムの訪問客はかなり多くなっているのか、町中でベトナム語で書かれた看板も見かけた。限られた時間の滞在の中で、案外見かけなかったのが日本人のそうした団体で、特にそれらしき人は見かけていない。円安のためもあるかもしれない。

    ミャンマー人団体
    ボダガヤーの町中で見かけたベトナム語の看板

    境内の敷地内では、チベット仏教徒たちが五体投地の礼拝をしている。中央の本堂の外側では、チベット仏教のバターと小麦粉で作った細工物が飾られており美しい。ゴータマ・シッダールタが悟りを得たとされるボディー・ツリーの周辺では、とりわけ多くの人たちが読経をしている。この木はやはり大変なパワースポットのようで、身体の隅々にまで、そして鼓膜にまでビンビン感じるものがある。スピーカーを通した読経の声があまりに大きいため、そのくらいビンビンと響くのである。

    五体投地して礼拝するチベット仏教徒たち
    バターと小麦粉を練ったものから出来ている。
    ゴータマ・シッダールタはこの菩提樹の下で悟りを得たとされる。
    ゴータマ・シッダールタがここで悟りを得たとされる菩提樹のたもとで読経する人たち
    様々な言葉による読経
    様々な言葉による読経
    様々な言葉による読経
    様々な言葉による読経

    インド式の塔からなる本堂に入ってみた。中に行くまで行列がずいぶん時間がかかるが、私の前にいる親子はムスタンから来た母子である。子供は大変利発そうな感じで、警備しているインド人女性警官といろいろ話をしている。ずいぶんヒンディーが上手いのだが、ムスタンから来たことがその会話の中からわかった。

    後からハタと思ったのだが、ムスタンのような閉ざされた地域の人たち、しかも幼い子供がヒンディーを流暢に話すというのはおかしい。ネパール語さえおぼつかなくてもおかしくないような気がする。するとインド在住なのかもしれない。聞いておけば良かった。ムスタンは外国人の入域が厳しく制限されているが、もしかするとそれとは裏腹に、ムスタンの人たちは活発に外界と行き来しているかもしれない。ちょうどブータンの人々がそうであるように。なかなか普段接点のない人たちだが、案外デリーでそういうムスタンの人たちを見かけてはいるのかもしれない。ただ、こちらが彼らをムスタン人と認識できないだけなのだ。