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カテゴリー: column

  • デリー到着

    デリー到着

    列車の終着駅はデリーではないので、朝5時20分にセットしていた目覚ましが鳴る前に目が覚めた。 スマホで、しばらくメールのチェックをしてから現在地を調べてみると、もうデリーはすぐそこだ。ヤムナ河の東側を走行しており、じきにこれを越えるところまで来ている。

    車両のアテンダントが「デリーに着くよ」と声をかけにくると、他の人々は起き出して荷物をまとめたりしている。ほぼ定刻の午前6時にニューデリー駅到着。

    ニューデリー駅到着

    あまり早く (午前4時とか) に宿に着くと、まだ部屋がなかったり、前日分まで払えなどと言われたりするが、もうこの時間ならば大丈夫だろう。腹が減ったので食堂開いているところはないかと思って探すが、駅前に面したところに以外ではまだ開いていない。

    歩いて宿のほうに進んでいくと、宿の斜向かいのチャーイ屋は開いていたので、ここで温かいコーヒーを頼む。最近のインドでは都会でも田舎でも、「砂糖少な目で」と注文する中高年をしばしば見かける。そういう時代なのだろう。

  • ゴーラクプルからデリーへ

    ゴーラクプルからデリーへ

    ゴーラクプル始発の列車は、午後4時半に出発だが、少し早めに駅に着いてみると、すでにプラットフォームに停車していた。

    この列車でデリーへ向かう

    本日は奮発して1Aクラスの寝台を取っているが、2Aの車両に併設されている形。2Aとの間にドアがあって仕切られている。そことの間は通行が出来るようになっている。1Aクラスはドアの付いたキャビンになっており、定員は4名。1Aクラスのコンパートメントのためか、客室内にネズミ捕器が設置されている。気が利いているのだかそうではないのだか…?

    1Aクラスの車内。左シート下の灰色の箱みたいに見えるのはネズミ捕り

    出発までしばらくの間、外を眺める。ときおり他の列車が入ってきては通過していく。

    夕食を頼んだが質素な野菜ビリヤーニーだった。

    この列車のGeneral Coachについては、列車到着時から物凄く沢山の人々が乗り込んでいてびっくりした。同じ列車ではあるが、この快適な空間とは正反対のぎゅうぎゅう詰めで苦しい空間がそこにある。この車両のひとつ後ろからもまたジェネラルコーチになっているので、そこでも大変だろう。

    1Aコンパートメントは快適で、同室の人たち(結局四人の定員いっぱいになった)も午後9時くらいには寝たので、こちらも充分眠ることができた。室温もちょうど良い具合。

  • スーチー氏とNLD

    先のミャンマー総選挙で勝利し、平和裏な政権交代により、与党となるNLD (National League for Democracy)。本来ならば党首のアウンサンスーチー氏が大統領に就任すべきところ、ご存知のとおり不条理な憲法規定により、子息が英国籍であるため資格がないことになるため、「代役」として腹心が大統領候補となった。

    ミャンマー スー・チー氏側近が大統領就任か (NHK)

    期待値があまりに大きいこと、同様に国外からのそれもまた過大であることから、スタートからかなり厳しいものがあるように思われる。軍政を継いだ前政権が経済、外交、民生の各分野で、予想外にいい仕事をしてしまったことも更にハードルを上げている。

    政権への批判者として高い支持を集めた人物が必ずしも為政者として有能なのかいえば、必ずしもそうではない例が多い。また、現在の彼女の年齢も気にかかる。

    加えて、私たちを含めて、およそ大衆というものは、短期間で目に見える効果を期待しがちであり、野党もそのあたりを攻撃してくることはもちろんのことで、大衆はそれにうまく乗せられてしまうのが世の常。

    「スーチー氏」という「ブランド」には、なかば神格化されたといってよいほどのイメージがあり、政治の世界の泥仕合や合従連衡のかじ取りが求められる政権党のリーダーとして、これまでの批判者という立場から為政者にスイッチした瞬間から、内外からのブーイングや痛烈な批判を受け止めなくてはならない。

    当然のことながら、華々しい実績もあり、キレ者が多い前政権、つまり軍服を脱いだ新世代(旧軍政期から見ての)実力者たちは、強烈なカウンターパンチを用意していることだろう。

    「スーチー氏に任せれば大丈夫」というムードと期待感こそが、スーチー氏にとってウィークポイントなのではないかと思う。

    また、ビルマ族以外の少数民族が暮らす「州」(概ねビルマ族がマジョリティの地域は「管区」、少数民族の占める割合が高い地域は「州」という区分になっている。概ね前者は英国時代に直接統治した地域、後者は割拠していた藩王国を通じて間接統治していた地域ということになる)については、今後「民主化」の中で、州の自治権強化を求めることになるのが筋だが、大胆な行政改革が求められる。

    軍政時代には民族運動を武力で押さえつけていたが、これに対してスーチー政権はどのような対応に出るのか?というところで、注目していきたい。インドやネパールのように、「民族のモザイク」の土壌だけに、叡智が試されるところである。彼女がこれまで選挙戦での協力関係以外に経験のないこの部分は、NLD政権にとって相当な危険を秘めているということになるだろう。

  • ゴーラクプル2

    ゴーラクプル2

    鉄道駅のクロークルームに荷物預けてから駅を出る。サイクルリクシャーで向かう先は、ゴーラクナート寺院である。おそらくこれがこの街の名前の由来となっているのだろう。⒒世紀のシヴァ派の聖者を祀る寺院だ。ゴーラクプルはやはりかなり貧しい街という気がする。駅前は中心でありながらも、かなり空き地が多く、隙間だらけという感じがする。また高い大きな建物が少なく、フラットな印象。昔のインドという感じだ。途中で踏切を越えるが、遮断機が下りていてもズンズンくぐって進んでいくのがインド流だ。また列車が来てもすぐ目前まで進んでいく。どうしてそんなに急ぐのか。

    ゴーラクナート寺院到着。なかなか見応えのある寺で、本殿以外に複数の参拝できる施設があり、そのひとつの大きなホールには、様々な神々の像がならぶ、いわば神々の博物館のようになっていた。

    ゴーラクナート寺院

    寺院の聖池
    寺院敷地のすぐ外で見かけた露店の食べ物。旨そうなんだか、まったくそうではないんだか・・・。

    その後向かったのは鉄道博物館。ジャンクション駅よりも少し先にあり、19世紀終わりごろに建てられて、鉄道幹部の住居として使用されていた建物の中に入っている。建物もさることながら、中には鉄道導入期の装備や備品なども展示されており、これらはたいていイングランド製。鉄道敷設のころの写真、まだ橋梁が出来る前で、河を鉄道スチーマー(Railway Steamer)という外輪船が結んでいた時期などの写真などもある。またこの時期から独立後あたりまでの写真も飾られている。

    開館は正午と遅いが、夕方7時半まで開いているのはちょっと意外

    客車を改造した食堂

    その中には詩会に出席して何か話をしているハリヴァンシュ・ラーイ・バッチャンの写真もあり、これまた興味深かった。敷地内には、子供たちのためのトイトレイン、使わなくなった客車を利用したカフェテリアなどもあり、これまたいい感じである。どこも手入れが行き届いているのも好印象。田舎の博物館では、どのような分野のものであったとしても、荒れ果てた中にゴミのように打ち捨てられているということが大変多いからだ。屋内展示部分は撮影禁止となっているため、それらについてここで画像で紹介できないのは少々残念である。

    この鉄道博物館の後にはCity Mallモールへ。近年のインドでは、この程度の規模の街にも当たり前のようにモールがある。出来た当初はかなり良かったのではないかと思うが、エスカレーターは片側しか動作しないし、まだ比較的新しいと思われるにも限らず、かなり煤けている。それでも最上階にはシネコンが入っており、グラウンドフロアー外の券売所が混雑していたところを見ると、それなりに繁盛してはいるのだろう。すくなくともシネコンについては。

    モールで昼食

    食事を終えてから、サイクルリクシャーで鉄道駅に向かう。

  • スイス 最低収入保障制度導入なるか?

    本日は、インドとはまったく関係のない話題で恐縮である。

    今年、スイスで導入されようかというBasic Incomeと呼ばれる最低収入保証制度。このBasic Incomeというアイデアはかなり古くからあるようで、それ歴史についてはこちらをご参照願いたい。

    さて、仕事の有無に関係なく支給されるBasic Incomeだが、スイスにおいて給付されようとしている金額は、毎月成人には2500米ドル相当、子供には625米ドル相当のものなので、これは大きな金額だ。

    Switzerland Will Hold The World’s First Universal Basic Income Referendum (fastcoexist.com)

    右派は労働意欲の減退、左派は福祉政策の後退を懸念しているのだとか。最終的には国民投票で成否が決まる。

    財源大丈夫なのか?と不思議ではあるものの、夫婦と子供二人で、毎月6250米ドル相当が支給されるとなると、あまりに魅力的だ。

    だが、もし導入されたらさっさと仕事を辞める人が激増・・・ということにはならないようで、そういう人たちはわずか約2%という予測が出ている。

    SWITZERLAND: Only 2% of people would stop working if they had a basic income (BIEN)

    日本円で30万円の月収が保障されたとしても、日本よりもかなり物価が高く生活費(ただし教育にかかる費用は政府が手厚く支出しているので個人の負担はとても小さい)がかかること、導入されても、いつまで続くかわからないし、みんなが仕事をやめてしまうと、維持出来ないシステムなので、大半の人々はこれまで通りに仕事を続けるらしい。それでこそこのシステムが維持できるという訳でもある。

    よく、「欧米では・・・」などという下りを見かけるが、言うまでもなく、「欧」と「米」とでは、社会制度、とりわけ福祉や社会保障のありかた、労働者の権利擁護といった部分が大きく違う。両者が似ているのは「人の顔」くらいのものだろう。

    収入保証の考え方はともかく、欧州では手厚く、取得率も非常に高い勤労者への有給休暇制度も、なんと米国では法定ではなく、各事業所の判断。民業への政府による介入を極端に嫌うのは、市場の見えざる手により、適切に調整されるという思想というか幻想によるものだ。

    わずか800万人強という少ない人口の割には、旅行先で見かけるスイス人は多く、インドでもよく出会うのだが、とりわけ若いバックパッカーたちにとっては、このBasic Incomeという制度は大変魅力的かもしれない。

    これを頼りに旅を続ける?ということが可能であるかどうか(自国に居住していなくても受給出来るのかどうかは不明)はさておき、長旅を終えてから帰国後に直面することになる暮らしについて、経済的な不安を抱えることなく再スタートを切ることができる。

    人口が少ないながらも勤勉かつ着実に経済成長を続けている富裕な国であるがゆえに可能なことではあるが、貧富の格差拡大が社会問題になっている日本においては実現可能ではなくても、Basic Incomeという考え方については、私たちも学ぶべきではないかと思う。

    ※ゴーラクプル2ば後日掲載します。

  • インドでテロ警戒・・・の背後にあるもの

    インド発の ニュースでいろいろ流れているが、今回はこれまでのそれとは情報のソースがまったく異なるので、首をかしげている人は多いことと思う。

    内容としては「グジャラート州地域で、パキスタンから10名のテロリストが越境。Lashkar-E-Taiba および Jaish-eMuhammed (どちらも原理主義過激派武装組織)の戦闘員で、自爆テロを含む攻撃を仕掛ける可能性が高い」といったもの。
    ソースが異なるというのは、それをインド側に通報したのが、パキスタンのNational Security Advisorという機関であること。

    パキスタンの首相府の指揮直下にある組織だが、昨年末以来、テロ防止と過去の事件の解決のため最大限の協力を約束したナワーズ・シャリーフ首相がこれを実行したものと見ることも出来るものの、実際にこれまでテロ組織の援助や攻撃計画実行などに関わっているのは、首相府-国家安全保障組織のラインではなく、軍-軍直下のインテリジェンス機関。

    パキスタンでは「伝統的に」軍政が敷かれているとき以外は、前者文民政権と軍は対立・並立する関係にあり、こと隣国インドに対しては、せっかく文民政府が友好的なシグナルを送りつつも、これを後者が無きものとするような行為を繰り返してきた。先述のふたつの組織、どちらもパキスタン軍との協力・協働関係は深く、軍のインテリジェンス機関(ISI=Inter Services Intelligence 軍統合情報局)の預かり知らないところで、大型行動を起こすということは考えにくい。とりわけ軍が警備する国境地帯を抜けてということでもある。

    仮に、この情報が本当に事実に基づいたものであるとするならば、インドにテロリストが侵入してきたという事実以上に、「この情報をインド側にリークした」ということの背後に、もしかするとパキスタンの軍部で勢力を二分する大変なパワーゲームが展開されているのではないか?ということも想像できないことではない。ちなみにNational Security Advisorのトップもまた軍人のポストである。

    この一連の動きの中で、インドに侵入してきたテロリストたちが起こしうる事件と同様、あるいはそれ以上に危険なのは、パキスタン側の政府と軍の対立、加えてひょっとしたら生じているかもしれない軍の深刻な亀裂のほうであるかもしれない。

    ナワーズ・シャリーフ氏は90年代にも首相を務めたことがあり、1999年にパルヴェーズ・ムシャッラフ将軍によるクーデターで拘束され、軍事法廷により死刑を宣告されたものの、アメリカとサウジアラビアの介入により、サウジアラビアに脱出した後、亡命生活を余儀なくされた過去がある。同氏にとっては、かつて政敵であった故ベーナズィール・ブットー氏以上に、同国国軍は不倶戴天の敵。 今後のパキスタン国内政情が気にかかるところだ。

    Gujarat on high alert, 4 NSG teams rushed (THE HINDU)

    ※「ゴーラクプル2」は後日掲載します。

  • ゴーラクプル1

    ゴーラクプル1

    ベトナム寺院の宿坊で出発の準備。このお寺に起居する尼さん、坊さん、スタッフたちに挨拶をして、少し離れたところにあるメインストリートに出てバスを待つ。

    ほどなくゴーラクプル行きがやってきた。空席はなかったが、それでも押し合いへし合いするほどの混雑ではなかったのは幸いだ。クシーナガルから1時間15分ほどでゴーラクプルに到着。

    サイクルリクシャーでゴーラクプル駅へ。予約してある列車が夕方出発するまでしばらく時間がある。Eチケットに車両番号と座席番号が印字されていなくて、ただconfirmedと書かれているのみなので、念のため確認しておきたかった。駅長室隣にある事務所で尋ねてみると、午後1時くらいにチャートが作成されるまではコーチ番号も座席番号も出てこないとのこと。

    Gorakhpur Junction Station

    この人の名前からしてクリスチャンらしいというだけではなく、なかなか重厚で厳めしい英国風なので、ひょっとして?と思って尋ねてみると、やはりアングロインディアンであった。家の中では英語だけの環境で育ち、学校もイングリッシュ・ミディアムのところであったため、ちゃんとヒンディーを習ったことはないのだという。「もちろん土地の言葉なので、当然毎日しゃべっていますが、ヒンディーの読み書きは苦手です。」と言う。

    イギリスから渡ってきた曽祖父も鉄道員で、技術職であったとのことだ。軍と鉄道はいかにもアングロインディアン的な仕事だが、今でも就職の際の留保があるとのこと。同様に、国会に2議席留保されているよく知られた話だ。

    自宅で奥さんが作ったというブラウニーケーキを分けてくれたが、洋酒がしっかり効いている味は、いかにもアングロイディアン的である。通常、インド人のケーキならば洋酒は入らないのが普通だ。

    家の中では今でも「英国風」の暮らしをしていると言い、スマホに入っている写真をいろいろと見せてくれたが、家屋はインドの庶民そのものという感じで、裕福というわけではないようだ。身内には豪州その他に渡った人もいるというが、まだこのあたりにはかなり多くのアングロインディアンたちが暮らしているという。機会があれば、アングロインディアンの人たちのコミュニティの中で、彼らがどうやって生活しているのか、どういう仕事に就いているのかなどについて知りたいものだ。

    フェイスブックをやっているとのことで、その場でFB友達となった。これで何か質問があったらいつでも連絡できる。便利な時代になったものだ。

  • 建設後使われていない空港 74億円のムダ

    438.4 Crore Rs (約74億円)もかけて建設した15の地方空港が、完成から10年経過しても民間航空機の定期便が就航していないという事態になっているという。

    10 years and Rs 438.4 crore later, 15 airports yet to be on flight map (Aviation India)

    その15の空港には、ジャイサルメール、シムラーなども含まれているとのこと。ジャイサルメールに空港建設というニュースをだいぶ前に耳にしたときには、「飛行機で行けるようになるのか」と思ったのだが、その後まだ就航していない。そのジャイサルメール空港の現在の様子は以下の記事に写真入りで取り上げられている。

    No passengers or flights: India splurged $50 million on eight ghost airports (firstpost.com)

    こうした中でも、特にひどいのがマハーラーシュトラ州のゴーンディヤー空港だろう。国民会議派を中心とする連立政権、UPA (United Progressive Alliance)時代に航空大臣を務めたプラフル・パテール氏の肝いりで建設されたものだが、ゴーンディヤーはまさに氏の地元であり、我田引水そのもののプランであった。前述の438.4 Crore Rs (約74億円)の半分近い、207.6 Crore Rs (約35億円)もの巨費が投じられている。

    建設後、使用されていない空港について、現在の航空大臣は「就航先を決めるのは航空会社であり、各社それぞれの都合によるものであり、政府が決定するものではない。それは国営エアインディアについても同様。」と答えているが、計画そのものがいかにずさんであったかということだ。

    これでは納税者はたまらない。

  • 中国大使館@劉暁波プラザ 米国大使館@スノーデン路・・・

    アメリカ政府がワシントンにある駐米中華人民共和国大使館のある通りの名前をLiu Xiaobo Plaza(劉暁波プラザ)と変更するゾとやれば、中国では在北京のアメリカ大使館の通りを「スノーデン路」と変えるゾ!と応酬。子供のケンカじゃあるまいし。


    US Senate passes bill to change Chinese Embassy’s address to 1 Liu Xiaobo Plaza, Beijing not pleased (shanghailist)

    ‘Snowden Street’ next? Beijing angered by US plan to name street outside embassy after dissident (rt.com)

    インドでもこのような事例はある。もう昔々のことで、中央政府が仕掛けたわけではないのだが、西ベンガル州政府でインド共産党マルクス主義派が政権党となって間もないころ、コールカーターの米国領事館があるストリートの名前をHo Chi Minh Sarani (ホーチミン・ストリート)と改称している。

    U.S. Consulate in Kolkata, India (U.S. Consulate in Kolkata, India)

    同党は、1977年から2011に至るまで、州政府与党として君臨し、インド州政府においてはこれまで最も長い年月に渡る政権党であった。

    ま、こんな程度の意地の張り合いなら、大いにやっていただきたい。

  • インドヴィザの新たなプログラム「VISA-ON-ARRIVAL FOR JAPANESE NATIONALS」が3月1日から運用開始

    事前にネットでの申請と支払いが必要な現行のe-tourist visaへの追加措置とのことで、こちらはアナログなので事前申請は要らないようだ。
    しかしながらインド大使館のウェブサイトにあるこの関係の記事、「申請書」をクリックしてみると、「Not Found」となってしまう。
    インドへのフライトの中でも申請書を入手できるとのことだが、ちょっと不安なのと空港でずいぶん待たされたりするかもしれないので、やはり事前に通常のヴィザなり、e-tourist visaなりを申請しておいたほうが安心だろうと思う。とりわけ導入直後においては。
    しかしながら、ヴィザ取得の選択肢が増えることについては大いに歓迎したい。

    VISA-ON-ARRIVAL FOR JAPANESE NATIONALS (駐日インド大使館)

  • インドとミャンマーの国境交流本格化へ

    もう2か月近く前のことになるが、こんな記事を目にした。

    Cabinet Nod for 69 Bridges in Myanmar Highway (Northeast Today)

    ミャンマー西部の国道建設にかかる援助プロジェクトで、マニプル州からの越境地点となるモレー/タムー国境から東進するルートになる。これは同州の州都インパールからマンダレー間で計画されている直通バスが通るコースでもあり、旅客のみならず二国間の物流面でも期待されている。

    このあたりは東南アジアと南アジアの境目であり、国境両側に様々な少数民族の豊かな生活文化が残されている地域でもあり、単なる通過点としてだけではなく、観光面からも期待されるものは決して少なくないことだろう。

    とりわけインドでは、近年になってから中央政府・北東各州政府ともに北東地域のツーリズム振興のために様々なキャンペーンを張っているものの、なかなかその効果は出ていないようだ。

    ひとつは、州によってはまだ治安情勢に不穏なものがあり、マニプル州もそうしたカテゴリーに含まれること、そして大きな遺跡や見栄えのする名所旧跡が数多く存在するわけではなく、どちらかといえば、地域の生活文化そのものが魅力という地味な地域であることがその主な理由であろう。

    さらには、ここを訪れてからどうするのかといえば、グワーハーティー、コールカーター等の大都市まで引き返してから、インド国内の他のところに向かう、あるいは周辺国に向かうということになる「地の果ての行き止まり」であったため、なおさらのこと、観光客が足を向けにくかったということがある。

    そんな状況もインパールからミャンマーのマンダレーへの直行バスが運行されるようになり、私たち外国人もそれを利用できるようになれば、ずいぶん違った具合になってくることと思われる。

    「ヤンゴンから入り、ミャンマー西部を訪れてから、インド北東州をあちこち見学、そしてコールカーターから帰国」といったルートがポピュラーになる日もそう遠くはないのかもしれない。

  • クシーナガル滞在2

    クシーナガル滞在2

    サモーサーを片手に散歩を開始

    クシーナガル到着の翌朝、最初にマハーパリニルヴァーナ寺院へ。仏陀入滅の地として知られるきれいに整備された遺跡だ。中央にはお堂があり、5世紀の作と言われる涅槃仏が置かれている。私が訪れた時には、タイの仏教徒集団が僧侶に率いられてタイ語で読経。同じく堂内にはミャンマーの一団もあった。こうした中で私もお堂の中に腰を下ろしてしばし瞑想してみる。

    ここでもやはり、いくつものブータン人のグループが来ていた。本日出会ったこうした団体は年配者が多く、引率しているお坊さんによると、帰る日はまだ決めていないとのこと。すでに引退している年齢のようなので、時間はたっぷりあるのだろう。こうした年配者でもけっこうヒンディーが出来るのは、いかにもブータン人らしいところだ。

    ブータンからのご一行。グループには他に十数名の方々があった。

    ここからさらに進むと道路が左側に折れている。ちょうどその折れるところにマーター・クンアル寺院という遺跡がある。ここは、ブッダが亡くなる前に最後の説法をしたところであるとされる。

    マーター・クンアル寺院

    ここから向こうにはチベット寺、インド・スリランカ寺、韓国寺などがある。大韓寺という韓国寺には質実剛健そうな僧侶がいたが、なんとひとりで頑張っているとのこと。ここに来て2年だそうだ。これらの寺については、正直なところボドガヤーにははるか及ばないし、ルンビニーと比較してもかなり見劣りがする。

    チベット寺

    韓国寺

    さらに進んでいくとタイ寺がある。敷地がとこりわけ広く、建物も立派だ。ここにも宿坊があるのだが、タイ人しか泊めないらしい。それは残念。とても快適そうであるのだが。

    タイ寺

    このタイ寺の正面にも同様にタイ様式の建物があるが、それはクリニックであった。各国の寺は社会事業にも熱心なようだが、タイ寺はこのクリニック、そして私が宿泊しているベトナムの寺はタイのクリニックの少し先で、学校を運営している。

    タイ寺が運営するクリニック

    ベトナム寺が運営する学校

    もっと先に進んでいこう。右手にインペリアルホテルという高級ホテルがあり、立ち寄ってみる。昼にはバイキングがあるとのこと。600Rsだそうだ。

    さらに行くと右手に仏塔が見えたので集落の中に入っていくと入口があったが、忙しいのかお勤めの最終なのか、閉ざされたゲートには誰も出てこなかった。チベット仏教系の寺院ではあるようだ。仏跡では往々にしていくつものチベット仏教のお寺がある。インドで根を下ろして活動している様々な宗派が競うようにして、こうした場所にお寺を開のであろう。

    最後にラーマーバール・ストゥーパを訪れた。ここは仏陀が荼毘に付されたとされるところである。今回はいくつかの仏蹟を回ったが、昔はこうしたところに興味がなかったものの、今になってから来ると、なかなか味わいがあっていいのものだ。

    仏陀が荼毘に付されたとされる場所

    サトウキビジュース屋さんは子供たちの人気者