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カテゴリー: column

  • インド北東部周辺の地震

    現在、日本では4月14日に発生した熊本地震の関係で、九州地方を中心に心配な状況が続いている。現在も余震が断続的に続いているとともに、16日未明に発生した大きな揺れが「本震」で、14日のものはその前触れに過ぎなかったというニュースや、熊本、阿蘇、大分の3地域で同時多発的に地震が発生しているという分析が報じられるなど、今後どのように推移していくのか、目が離せない。

    熊本地震 熊本、阿蘇、大分…3つ別々の地震が同時に発生(毎日新聞)

    熊本における最初の大きな揺れの発生の前日、4月13日にミャンマーで発生した強い地震の震源地。はアラカン山脈の南側。やはりヒマラヤやその支脈(アラカン山脈もそのひとつ)の南側は地震が少なくない。

    Myanmar shaken by 6.9 magnitude earthquake (BBC)

    地震の揺れ自体は巨大というほどではなかったため、甚大な被害には至らなかったようであるのは幸いだ。
    近年は、インド北東部を中心とする地震の可能性について云々されている。アッサム州は過去に周期的に巨大地震が発生しているところでもあり、南アジアと東南アジアの境目周辺の地域は今後、気をつけて見ていく必要がある。

    スィッキム州を含めて、この地域で大きな地震が起きたら、もともと地震に対して脆弱な建物はもちろんのこと、水利や発電などのために造られたダムや人造湖などがどうなるか?と想像すると大変恐ろしいものがある。

  • スリナガル・レーを結ぶ道路は今季4月20日前後に開通予定

    スリナガルとレーを結ぶ道路は、今シーズンは4月第1週にオープンする予定であったが、積雪とこれに起因する雪崩の発生により、4月20日前後に延期となったとのこと。

    これもただ座して待つのではなく、この戦略上重要な地域の道路を管理するBRO (Border Roads Organization)の作業員たちによる懸命の努力が継続されている結果、なんとかそのあたりには開通に持ち込むことができるであろうと見込まれている。積雪地帯では、しばらくの間、片側通行となるようだ。

    Srinagar-Leh highway to reopen in last week of April (India Today)

    ラダックの観光シーズンといえば、6月~9月くらいまでで、他は閑散とした状態になるが、道路開通して間もないこの時期に訪れたならば、ピークのシーズンからは想像もつかない眺めを体験できることだろう。

    西にパーキスターン、北に中国が控える軍事的な要衝だが、雪に閉ざされた状態が解消するのは、インドを含めた三国がせめぎ合うこの地域ではいずこも同じであり、陸上大量輸送が可能になるこの時期から、隣国への侵入や小競り合いなどが始まることにより、緊張が高まる。インド北部の要を守るために配置されている軍人たちにとっても、忙しいシーズンの到来だ。

  • 鉄道でデリーからレーに移動することできる時代がやってくる?

    これまでに幾度かメディアで話題になっているヒマーチャル・プラデーシュからラダックのレーへの鉄道建設。かなり本気の計画のようだ。2年近く前のものになるが、下記の記事を見る限りでは、軍事的な要素が強いようだ。つまり中国との有事を視野に入れた高速大量輸送を可能にするという点だ。

    ヒマラヤの急峻で険しい地形のもとで、技術的にも費用面でも本当に可能なのか。実現できるとしても何年かかるのだろうか。そして建設工事や維持にかかる環境負荷も相当大きいのではないかと思われる。この地域を訪れて雄大な山々を目にしたことがある人ならば、このようなプランを耳にしても、とうてい信じられないだろう。

    Nod for Bilaspur-Manali-Leh rail line heartens Himachalis (THE TIMES OF INDIA)

    Leh to be connected with rail line with Delhi via Bilaspur (DAILYEXCELSIOR.COM)

    パンジャーブ州境に近いヒマーチャル・プラデーシュ州のビラースプルから同州のマナーリー、ケイロンを経て、さらにはタグラン・ラを越えてラダックに至るというルート。

    さらにはこれに留まらず、レーからカルギルを経てスリナガルへと鉄道を繋ぐ計画もあり、現在カシミールにて建設中で、すでにバーラームッラーからバーニハール間で走行しているカシミール鉄道と接続するという壮大なプラン。

    もしこれが完成すると、このようなルートとなる。

    このカシミール鉄道は今後ジャンムー・ターウィー駅まで延伸されるため、デリーから時計回り、反時計回りでこれらの地域へ鉄道でアクセスすることが可能になるとされる。

    ラダック地方やその周辺地域の文化的特殊性は、夏季の限られた期間にしか外部からアクセスできないという地理的な閉鎖性による部分も少なくないと思われるので、こうした鉄道敷設により、これが年中可能となると、このエリアにおける文化的な影響も相当大きなものとなることだろう。

    その反面、ラダック地方においては、ほぼ夏季に限られる観光業の収入以外にも現金収入の機会が増えること、季節を問わずに陸路でインド各地と往来できるようになることから、他の産業の育成にも繋がることになるのかもしれない。

    ただしそれがラダックの人々を利することになるのか、そうではなく外の人たちがラダックで稼ぐ機会だけを増大させることになるのかは、まだ建設が始まってもいない現時点では何とも言えないだろう。少なくともラダックの美しい景観を損なうことになるのは間違いないように思われる。

  • 第17回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ

    どんなイベントであっても、毎年継続して行われていると、「恒例」となり、広く知れ渡るようになってくる。

    野山を切り拓いて住宅地が造成されたとする。新聞の広告や電車内の吊り広告などで目にしたことをきっかけに、現地を見に行ったら気に入って購入した人たちが順次引っ越してくる。土地に何のゆかりもない人たちが集住することになるが、そんな中でも○○町内会、××商店会といったものが構成されていく。最初はよそよそしい間柄であっても、やがて見様見真似で盆踊りや秋祭りといった行事を始めるようになってくる。

    はじめのうちはすべてがぎこちなかった運営側も、勝手わからずというムードだった参加者側も、回数を重ねるごとにこなれてくる。日常でも、両隣から同じ通りの人たち、さらには商売や子供幼稚園、保育園や学校の繋がりといったチャンネルが増えていくとともに、人付き合いは広がっていく。

    始まりはまったくの「無縁社会」であった新興住宅地に「地元感」が溢れるようになってきて、そこで育った二代目以降の世代にとっては、紛れもない地域社会そのものとなる。

    ただ、新興住宅地が、昔ながらの土地と大きく違うのは、一気呵成で開発・売り出しがなされた地域に移ってくるのは、たいてい子育て世代が中心の似たり寄ったりの年齢層から構成されることだ。時間の経過とともに年齢層に幅が出てくるものだが、それにしても移り住んできた親世代が老境に差し掛かり、子供世代が結婚して子供をもうけてという具合に、地域の住民全体がひと回り、ふた回り年齢が上がっていくという特徴がある。

    同様のことが日本に定住した南アジア系の人たちの社会についても言えるだろう。バブルの頃に出稼ぎでやってきたバングラデシュやパキスタンの人々だ。彼らの子供たちが成人する時期に差し掛かっているとともに、すでに長年日本に定住しているおじやおばをツテに日本を留学先に選んだ若者たちがやってくる。

    これとは異なる流れとして、2,000年以降、中国や韓国からの留学生数が頭打ちとなったことにより、危機感を抱いた日本語学校の多くが、生き残りをかけて他の国々を模索した。現在もその努力は続いている。関係者の開拓により、スリランカやネパールから日本語を学ぶために来日する若者が急増している。

    バブルの頃から現在に至るまで、四半世紀ほどの時間が経過したが、いつの時代も様々な志を抱いて日本に渡ってくる南アジアの人々がいた。もちろんそうした人たちの間では一時的な滞在先でしかないというケースも多かったし、日本に腰を据えて住み着いた後に第三国に渡ったり、帰国したりする人もまた少なくない。とかく人の出入りは盛んではあるものの、決して少なくない数の人たちが日本に根を下ろして定住している。

    そうした中で、とりわけバングラデシュの人々については、日本での定住志向がかなり強いケースが多いようだ。子供たちを日本の公立学校に通わせて、家庭内での会話も日本語になっているということはまったく珍しくない。

    今年で17回目となる「カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」に参加するバングラデシュの人たちには、家族連れの常連客の姿が大変多いが、その子供たちもすでに成人していたり、そういう年齢に達しようとしている人たちが少なくない。こうした「日本生まれのベンガル人」にとっては、物心ついたころからすでにあった年中行事となっている。あと数年すると、バブルの頃に移住した世代に孫が生まれたりもする時期に差し掛かっている。

    イベントを立ち上げて、長年に渡りこれを育て上げてきたバングラデシュの人たちに敬意を表するとともに、今後ますますの発展をお祈りしたい。

    今年は4月17日(日)に開催される。時間は午前10時から午後6時まで。場所は例年どおり東京都豊島区の池袋西口公園だ。


    カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ (JAPAN BANGLADESH SOCIETY)

  • ビハールが禁酒州に

    昨日からビハールは禁酒州に移行。しかしU.P.州では酒税率の削減により、酒類が安くなる。生活習慣が大きく異なるわけではなく、隣り合う州なのに。アルコールに起因する社会や生活の問題、酒という個人の楽しみと製造・販売の利権、どちらも票になるので、政権が社会のどのあたりの歓心を買おうとしているかによって転ぶ方向が違う。州ごとの自治性の高さからこうしたコントラストが生まれてくる。

    Complete ban on alcohol in Bihar from today (The Indian Express)

    Liquor prices come down in UP after state govt slashes excise duty on alcohol (India Today)

    禁酒となっても、闇であちこち流通していることだろう。インドでは、他にも禁酒州はいくつかあるが、ブラックマーケットではかなり高い値段で取引されているかといえば、そうとも限らないようで、政府に税を払わずに売りさばくので、酒が合法な州よりも安く手に入るということもなきにしもあらず、のようだ。

    こちらは2007年にindo.toにアップした記事だが、これはグジャラート州の酒に関するもの。当時、禁酒を見直す動きがあったものの、現在までのところ、この情勢には変化なし。

    グジャラート州 酒類解禁への道 (indo.to) ※2007年2月の記事

  • Gatimaan Express

    現在のインド国鉄で最速(最高時速150km)となるガティマーン・エクスプレスが、本日4月5日から運行開始される。デリーのハズラト・ニザームッディーン駅からアーグラー・カント駅までの185kmを100分で走行するというもの。ハズラト・ニザームッディーン駅からの下りは午前8時10分発、アーグラー・カント駅からの上りは午後5時50分発。
    実質、タージマハル観光専用の列車のようで、タージマハルが閉まっている金曜日は運行されず、週に6往復となる。運行にはモダンな客車が導入され、飛行機のシートのように、前座席背面には液晶モニターが設置されるようだ。
    インド国鉄における「最速」については、革新的な技術が導入されるわけではないようで、シャターブディー急行がこの区間で途中停車駅ひとつ(マトゥラー・ジャンクション駅)で2時間から2時間15分程度で走行するのに対して、ガティマーン・エクスプレスはノンストップで走破することと、ダイヤの調整の結果であると思われる。

    India’s fastest train to debut on Tuesday (THE TIMES OF INDIA)

  • 手書き文字の訛り

    手書き文字の訛り

    東京都内のインド料理レストランにて。日替わりカレーのメニューを書いたのは、注文とレジ担当のAさん(ネパールの方)だな、と判ってしまうのは、やはり手書き文字の調子から。

    人によって程度の差こそあれ、外国語を話すときにアクセント等で母語の影響が見られるのは当然のこと。日本語が大変流暢でも、少し会話するだけで出身国が中国だな、とかミャンマーの人だろうなどと判るものだし、在住歴20年を越える日本生活ベテランの韓国人でも、ひょっとしたところで韓国人らしいアクセントが出たりすることが少なくない。

    幼い頃から日常に用いているのではなく、大人になってから習得した言語の場合はたいていそういうものだ。そこで生まれ育った人と違うアクセントであることは決して恥じるようなものではなく、自身の文化背景のひとつでもあるので、わざわざネイティヴのアクセントを真似る必要もないと私は思う。

    実は手書き文字でも書き慣れた母語の痕跡が見られるということはしばしばある。タイの人が書いたもの、アラビアの人が書いたものなど、一目でそうと判ることは決して少なくないし、英文などでもそうした傾向が見られるもので、バングラデシュの人が書くローマ字には、なんだかベンガル文字風の重厚な雰囲気が醸し出されていたりすることもある。そうした「手書き文字の訛り」例のひとつが、この画像にある黒板上のデーヴァナーガリー文字風手書きメニュー。

    また母語の文字の影響とはまた別の部分で、表記の慣習の違いなどもあったりする。通常、私たちが、数字の7を書く際に、縦棒の真ん中あたりに短い横棒を入れないのは、日本語の表記慣習のためであろう。日本人が「和式」で手書きした「7」を何の疑いもなく「なな」と認識できるようになると、かなりの「日本通」ということになるかもしれない。

  • 80年代イランの切手

    80年代イランの切手

    初めてイランを訪れたのは、ホメイニー師が亡くなってからすぐあたりであった。別に切手を集める趣味があるわけではなく、旅先で記念切手?を購入するということは、後にも先にもなかったのだが、この類の切手だけは有名であったので手にしてみたかった。

    1979年に発生したアメリカ大使館占拠記念

    1988年に起きた米軍によるイラン民間航空機撃墜事故に対する糾弾
    交戦状態にあったイラクによる学校への爆撃により子供たちが多数亡くなったことに対する非難

    当時のイランでは、大きな役所等の壁に「アメリカを打ち倒せ!」みたいなスローガンと勇ましいプロパガンダ画などが描いてあるのを目にした。

    最初の切手はアメリカ大使館占拠記念、次は米軍によるイラン民間航空機撃墜事故に対する糾弾、三番目は交戦状態にあったイラクによる学校への爆撃により子供たちが多数亡くなったことに対する非難。
    ・・・といっても、イラン政府による「官製反米姿勢」とは裏腹に、イランの一般の人々の間で、こうした反米感情が渦巻いているわけではなく、極めて穏健かつゆったりとした人たち。

    急進的な近代化を推し進めたパフラヴィー朝に対する宗教勢力を中心とする保守勢力に、これとは異なる側面、つまり王朝による強権的な支配、利権構造、腐敗などを苦々しく思っていた市民たちが、変革を期待して肩入れした結果、革命が成就することとなった。

    しかしながら、王朝が倒れてからは、大多数の市民が期待したような方向に向かうわけではなく、今度は宗教勢力が大衆を強権支配するようになった。きちんと教育も受けていないならず者みたいな者たちが、政府の治安機構で用いられ、新しい政権が示したコードに従わない者をどんどん処罰していく。

    さらには「革命の輸出」を警戒する中東近隣国との関係も悪化し、「ペルシャ湾岸の衛兵」的な立場にあった王朝が倒れることにより、欧米からも強く懸念される存在となり、大産油国でありながらも経済は悪化していったのがこの時代。

    そのため、市民の多くは「王朝時代は悪かったが、今もまたひどいものだ」と呻吟する社会が当時のイランであったわけで、それなりの資産とツテのある人たちはアメリカその他に移住していくこととなった。

    東に隣接する南アジア社会に較べると格段に高い生活水準と立派な街並みなどから、当時の私なぞは、あたかも東ヨーロッパに来たかのような気分にさえなったものだ。イランの人々の風貌はもちろんのこと、当時の地味な装い、イスラーム革命により、1979年に王朝が倒されてからは、経済面では社会主義的政策を取っていたこともあり、そんな雰囲気があったともいえるかもしれない。

    当時は、観光目的で三カ月以内の滞在については、査証の相互免除協定があったので、日本人である私たちがイラン入国に際してヴィザは不要で、イランの人たちが日本に来る際にもそうであった。    
          
    つまりイラクとの戦争が終結したあたりから、イランから日本に出稼ぎに来る男性たちが急増したのは、ちょうどこのあたり。東京都内では、ヤクザみたいな恰好?したイラン男性たちをしばしば見かけて、イラン旅行中にはいつでもどこでもお世話になった紳士的かつ親切な人々の姿とのギャップにちょっとビックリしたりもした。でも、当時日本に出稼ぎに来ていた人たちの大半は若者だったので、故郷の地域社会の縛りが解放されて、ちょっとツッパッてみたい年ごろだったんだろうな、と思う。

    当時のイランではNHK連続ドラマの「おしん」が吹き替えで放送されていたようで、各地でよくそのストーリーについて質問された。だが私はその「おしん」とやらをまったく見ておらずよく知らないので、逆にイランの人たちに尋ねる始末であった。(笑)人気ドラマにしても芸能人ネタにしても、自分の興味のない部分についてはまったく知識を吸収できないので、ときに困ることがある。この部分については、今になってもまったく治っていない。

    そんなイランがこれから大きな変化を迎えようとしている。これまで長く長く続いた冬みたいな時代であったのかもしれないが、ホカホカと暖かく素敵な春を迎えるようになることを願いたい。

  • ダッカの高架鉄道建設 東急建設が受注

    かつてはサイクルリクシャーの洪水となっていたバングラデシュのダッカの往来。その頃はエンジンの付いた乗り物といえば、市内バス、トラック、シェア乗りが主体のオートリクシャーくらいのものであったのは今や昔。世界有数の渋滞で知られるようになっている。
    こうした状態は途上国のいずこの大都市も避けては通れない道だ。


    Traffic Jam at Dhaka in Bangladesh (Youtube)

    この解消策としてバイパスや立体交差の建設、車線の拡張などが実施されることになるのだが、同時に徒歩で移動する人たちの路上交通によらない運輸手段の整備が必要となってくる。それが地下鉄であったり高架鉄道であったりするわけだ。
    さて、このほど東急建設がダッカのMRT(Mass Rapid Transit)としての高架鉄道建設を受注。総延長20kmに及び市内を南北に縦断する形で敷設されるのだとか。
    工事が開始されると、完了時までは現在の渋滞に更に拍車がかかった状態になるかと思うが、2021年に予定されている全線開通以降は、今とはかなり違った様相となっていることを期待しよう。

    東急建設、バングラで鉄道工事受注 日本企業で初(日本経済新聞)

    ダッカ市に高速高架鉄道! 渋滞緩和へ向けて進む都市計画(JICA)

  • デリーの宿

    乗り換えのために必ず立ち寄らなければならない街というものがある。利用する国際線フライトが発着するようなところで、そこから旅行が開始されることになる。もちろんあちこち出歩いたりすることはあり、知己を訪れたり、グルメを楽しんだり、新しい注目スポットを訪れてみたりすることはあっても、すでに繰り返し訪問したことがあったり、かつて住んでいたことがある街となると、もはや好奇心を満たすよりも、旅行を始めるにあたって必要なものを調達する場所としての比重のほうが高くなる。

    するとなるべく短い時間で用事を済ますことができるようにするため、滞在するエリアへのアクセス、鉄道駅までの距離、ATMあるいは両替所、携帯電話のSIM購入に手間がかからず販売する店の営業時間も長いなどといった、効率よく立ち回ることができる環境が大切になってくる。当然、その環境の中に宿そのものの利便性も加わってくる。

    ロケーション、部屋の質に対して料金が財布に優しいかどうか、利用する時期に空室があり、予約も容易であるかどうかということがまず頭に浮かぶ。人気の宿で、混み合う時期にはなかなか空きがないとか、常に予約なしで宿泊希望者が次々にやってくるので、メールで問い合わせてもなかなか返信してくれないようなところはけっこうある。

    ここ数年、デリーで常宿にしているCottage Yes Pleaseは、特に部屋がキレイなわけではなく、料金が飛び切り安いわけでもなく、同程度の宿はいくらでもあるのだが、私はよく利用している。スタッフの入れ替わりはあまりなく、いつも同じ顔ぶれなのでこちらのことをよく覚えてくれている。

    まずはメールで問い合わせると、即時回答してくれること。夜にメールを出しておくと、翌日の午前中には回答してくれるし、予約の管理もしっかりしている。

    そしてどんな時間帯にチェックイン、チェックアウトするにしても、きちんとした対応をしてくれることだ。ちゃんとしたホテル並みに、どんな時間帯でもスタッフがカウンターで執務しており、日中と変わらない応対をしてくれるため、「アテにできる」という安心感がある。

    通常、エコノミーな宿の弱い部分として、深夜あたりから未明の時間帯に到着あるいは出発しようとする場合の対応がある。ロビーの床などでごろ寝しているスタッフを大声で起こすと、眠そうな目をこすりながら嫌々手続きをしたり、あるいは到着したこちらが予約客であることを確認もせずに「満室だ」と、追い返そうとしたりすることが往々にしてあるのが普通だ。

    さらには料金面での事柄もある。人を見て料金を変えるようなことはしない。タクシーなどを頼んだ場合も同様で、まともな金額による定額サービスを実施しており、明朗会計である点も好印象だ。

    加えて、ロビーには、客が自由に座って新聞を読んだり、Wifiでネット接続をしたりなどして過ごすことができるスペースがあり、他の宿泊客たちと気楽に会話を楽しめる環境であることだ。

    西洋人客も多く、閑散期には周囲の宿はガラガラでも、ここはいつもそれなりに宿泊客が出入りしているのだが、それとは逆に繁忙期でもエコノミーな宿の割には客室数が多いこと、周囲に同程度の料金の宿が数多いため、ピーク時期でも数日前にメールしておけば、深夜過ぎに到着する場合でも部屋を確保できることが多い。

    ここは、とりわけ日本人客の間で人気が高いようだが、ロビーで営業しているシゲタトラベルのおかげという部分もあるように思われる。日本語が流暢なラジェンドラ氏が切り盛りしている。彼の元には日本人スタッフも常駐しており、メールによる問い合わせにはこの方が対応されているらしい。

    ニューデリー駅前地域のワサワサした立地だが、個人的にはなかなか好印象な宿である。

  • さくらフェスティバル2016

    毎年インド大使館敷地内で開かれている恒例のさくらフェスティバルだが、今年は3
    月25日(金)から27日(日)にかけての3日間開催される。

    さくらフェスティバル2016 (駐日インド大使館)

    すでに桜が開花し始めている東京都内だが、ちょうどこのタイミングで満開を迎えることになりそうだ。

    天候の変化が激しい春先だが、どうか風雨にたたられることなく、ポカポカと暖かい日和に恵まれるよう期待したい。

  • GoAir ムンバイー・レー便、バンガロール・ポートブレア便就航  3月27日から

    GoAir ムンバイー・レー便、バンガロール・ポートブレア便就航 3月27日から

    このところ好調なGoAirがさらに新たな路線を追加する。今年の3月27日からムンバイーからレー(レーからムンバイーへのフライトはスリナガル経由)への便、そしてバンガロールからポートブレアへのフライトが就航する。いずれも毎日一往復となる。

    双方ともに観光需要に特化した便であるといえる。商用でのニーズが占める割合が高い都市間のフライトに較べて、休暇時期や季節によって需要が大きく変動するので、チケット価格の上げ下げの幅も相当広くなるはずだ。
    今後の運行スケジュールについては、座席の埋まり具合を見極めたうえで、ダイヤ改正の時期にシーズンによる増便・減便といった調整がなされていくことだろう。

    どちらにしても、これらの目的地への直行便がなかった都市からの就航となるため、新たな需要を掘り起こすことになる。それぞれの出発地である都市、その周辺地域に住んでいる人たちの場合、乗り換えなしで行くことができるという気楽さから、「行ってみようか!」という気になることは往々にしてあるだろう。

    費用面でも従前のようにムンバイーからデリーに飛び、デリーからレー行きのフライトに乗るとか、バンガロールからチャンナイ、コールカーターあるいはムンバイーまでの飛行機を利用して、さらにそこからポートブレアに向かうよりも安くなるであろうことから、こうした気分を後押しすることになりそうだ。「愉しみのための旅行」においては、「簡単で価格も安い」という要件が作用する部分は大きい。

    また、厳冬期のレーについては、デリーの濃霧によりダイヤの乱れが頻発したり、ときにはデリーの空港自体が閉鎖されてしまうこともある。とりわけレー行きの便のスケジュールは、たいてい早朝出発となっているので、テリー首都圏やその近くに住んでいる場合を除けば、デリーからよりも距離があり当然運賃も割高になるとはいえ、この時期の天候が安定しているムンバイーから出発したいと思うことだろう。

    冬季は陸路による外界への交通手段がなくなってしまうので、デリーの気象条件によりフライトがキャンセルとなってしまった場合の次善の策として、ムンバイーに出ることが可能となることはありがたい。とりあえずムンバイーに出てしまえば、インドのどの方面にも乗り換えてアクセスすることができる。

    もっともレーを中心とするラダック地方を訪れる観光客は夏季に極端に集中し、インドの他の地域とはケタ違いに寒さが厳しい冬季にわざわざ訪れる人はとても少ない。前述のとおり外界への陸路が閉ざされてしまうだけではなく、ラダック地域内でも道が閉ざされてアクセスできなくなるところが多いためでもある。そんな具合なので、ムンバイー便が就航しても冬季の観光客が増えることにはならないかもしれない。そもそもムンバイー・レー便は冬季も運行されるかどうかについては、今のところよくわからない。

    ラダック地方やアンダマン・ニコバール地域の人々にとっても、フライトで直接結ばれる都市が増えることにより、これらの土地における最大の産業である観光業のマーケットが拡大するという点からも好ましく、同時に自身が外界に出る際の選択肢が増えることにもなる。

    ただし、どちらにおいても、外からやってくる人々が増えるということが地元に与えるインパクトは大きい。土地の人々が先祖伝来の文化や美しい自然の保護に働きかけるとともに、そうした場所を訪れるよそ者である私たちも、こうした部分を尊重し、共存共栄していくことができるよう努めたいものだ。