モーティハーリーへ

パトナーの宿で、朝5時あたりで腹具合が良くなくて目覚めた。嫌だなと思ったら、やはり腹を下しており、再び寝てから7時くらいに起きるともう大変なことになっている。今日はバス移動なので思いやられる。

こういうときにはてきめんに効いてくれるインド製の黄色い大きめの下痢止めがいい。Nflox-TZという商品名で、どこの薬局にも置いてあるが、これまでもしばしばこの薬に救われてきた。私はこれを「救世主」と呼んでいる。これで少し落ち着いてから、食事を抜けば、バス乗車中に窮地に陥ることはないだろう。

9時くらいまで部屋で様子を見てから、ホテルから徒歩でバトナ―駅の反対側に出る。そこから乗合オートでバススタンドへ。バススタンドはやたらと広大なのだが、建物はなく、バスも無数に滅茶苦茶に停車しているので、一見するとどこに行けばいいやらよくわからない。それでも当事者たちにとってはちゃんと整理されている?ようで、モーティハーリー行きのバスはすぐに見つかった。

モーティハーリー行きバスに乗車

モーティハーリーは、これといって見どころがありそうな町ではないのだが、「1984」や「ビルマの日々」等で知られる英国人作家、ジョージ・オーウェルの生家があるところだ。植民地官僚の父親の元に生まれた彼は、長じてからは同じく英領であったビルマ(現ミャンマー)の警察官となった。父親は、オピウムを取り扱う政府機関で働いていた。当時はインドにおける合法的な作物で、主に中国(および東南アジア方面)へ輸出されていた。これを背景としてアヘン戦争が勃発することとなったのは、よく知られているところだ。その生家が現存していること、これが博物館となっっていることを最近知ったため、せっかくビハールに来たので、ついでに立ち寄ってみようと思った次第である。

モーティハーリーまでの距離は160kmほどだが、到着したのは2時半くらい、いや3時近くなっていた。サイクルリクシャーで、ロンリープラネットに書かれているゲストハウスに向かう。部屋を見せてもらい、荷物を置いて早速ジョージ・オーウェル博物館に行くつもりであった。しかし、チェックインでIDを提示するように言われて、パスポートを出すと、なんと外国人は泊めることができないとのこと。

ガイドブック(2015年後半に出たLonely Planetの最新版)に掲載されているではないか、というと、「それが、2カ月くらい前から許可を更新できなくなっていて・・・」などと言う。とにかく泊めればお金になるので、これは本当のことなのだろう。その「許可」とやらをどうやって取得するシステムになっているのか知らないが。

そんなわけで、宿も手あたり次第当たってみた、なるべく高そうなところ、といってもせいぜい800Rsくらいまでしかないようだが、どれもダメ。安い割には感じのいい宿もあったので残念である。以前、アッサム州都グワーハーティーなどでもこんなケースはあったが、こういうケースは少し上のクラスの宿ならば問題なく宿泊できるものなのだが、特に見どころもない田舎町なので、これよりも下はあっても、よりアップマーケットのところは無いようだった。

宿探しでそうこうしているうちに、通常の博物館が閉まる時間になってしまった。これはいけない。明日の朝に見学するという手もあるが、そもそも宿泊できるところがなければ、明日の見学はあり得ない。するとここに居る理由はないし、宿泊できなくて困るので、鉄道駅に行ってこの町を出ることにした。あるいは役人が出張等で利用するサーキットハウス(もしあれば・・・) を当たってみるとか、「民泊」を画策するとかいうことも考えられるのだが、ここでの見学を本日中に済ませることができないと、今後予定している訪問先がいろいろある。せっかくモーティハーリーまで来たのに、という思いもあるが、スキップしてしまうことにした。

ゴーラクプル方面には直行するバスはなく、ベーティヤーという州境に比較的近い交通の要衝と思われる町で乗り換えると行けるようなことを聞いた。もう夜になることだし、下痢は止まっているものの腹具合の不安もあるので、乗り換えなしで、トイレも心配もいらない鉄道がいい。ネットで参照してみると、ちょうどこの時間帯にゴーラクプル行きの各駅停車がある。急行は夜9時頃まで待つことになるので、乗車時間は長くなるのだが各駅停車で行くことにした。

鉄道駅に行く。列車は遅れているとのことで、想定していた列車よりも一本前のものに間に合うらしい。

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