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カテゴリー: column

  • ビカネール7  Royal Cenotaphs

    ビカネール7 Royal Cenotaphs

    बीकानेर राज परिवार का विश्राम-स्थल つまりResting Place of Bikaner’s Royal Family

    ホテルになっている宮殿の前をぶらりと歩いてから、オートに乗ってRoyal cenotaphsに行く。Sagar Chhatriという名前で知られている。ここはビカネールの王家の人々の火葬場であり、歴代の主要な人々を記念するチャトリが沢山建ててある。ヒンドゥーは通常、墓は作らないため、ここは亡骸や遺灰は格納されていないものの、事実上の墓所のようなものであるともいえる。

    天井に描かれた模様も見応えがある。









    当然のことながら、藩王国の当主であった人物やその正妻の記念碑はどれも大きく、それ以外のものとは規模が著しく異なる。また若くして亡くなった王女の記念碑はそれらに較べて気の毒なほど小さかったりする。男性のチャトリの内部中央には石碑が立てられており、女性の場合はこれが地面と平行に埋め込んである。
    1972年生まれで2000年に28歳で亡くなったディクシャー・クマーリーという王女のチャトリ

    また時代が下ってからのものには、大理石ではなくコンクリート造りのものもあるなど、時代とともに変遷していく様子がうかがえるのも興味深い。
    こちらはコンクリート造り

    2009年に亡くなった人物のチャトリもあり、今後も王族の直系の人たちについてはこのような措置がなされていくのだろう。
    だが歴代の王は、インド独立前には複数の妻があり、中には19人も抱えていた王もあったが、側室は対象外であるらしい。

    〈続く〉

  • VIPの皆さま、12月14日から1月8日まではミゾラム州訪問はお控えください

    ミゾラム州政府が中央政府、各州政府等関係各署に、VIP、政府高官等要人の訪問を自粛するよう要請したとのこと。
    12月25日は中央政府が定めた祝日(これらに加えて各州政府が決めた祝日がある)ではあるものの、この時期に子供たちが冬休みに入ることに合わせて、休暇を取る人々が多いことを除けば、「ごく普通のカレンダー通りの時期」であるのだが、クリスチャンがマジョリティを占める同州では、祝祭ならびに休暇の時期に当たることから、「充分な対応を出来ない可能性が高い」ためであるとしている。

    ちなみにミゾラム州の祝日を見てみると、確かに公休日となっている日付がこの時期にかなり多く、有給休暇と合わせて連休が取りやすい時期になっているのだろう。

    民族が違えば、文化や習慣も異なる共和国、インドにおいては、こうした部分についても注意を払う必要があるのだが、とりわけマイノリティーの人々から成る最果ての地においては、政府自らがこうして発言しておく必要があるのだろう。これは他地域に対するアピールであるとともに、「中央その他にこのように主張していますよ」と、政府の「働きかけ」を州内の人々に対して示すポーズであるとも言えるだろう。

    Don’t Visit Mizoram During Christmas, New Year (Northeast Today)

    ※ビカネール7は後日掲載します。

  • 2016年元旦からデリーで交通規制

    深刻な大気汚染と交通渋滞への対策からデリー準州では、来年元旦からナンバープレートの偶数・奇数による交通規制を始めるとの発表があったのは先週末。
    政府内からは、規制対象となる車両について不協和音が聞こえてきている(警察による充分な対応が可能なのか、二輪車は含むのか等々)が、各種メディアが聴取した市民の反応は、当然のことながら日常的にマイカーを利用している層からは不満が噴出しているようだ。今後、この規制を巡って喧々諤々の議論がなされることだろう。
    確かに何とか手を打たなくてはならないのだが、なかなか一筋縄ではいかない問題であるように思われる。様々な例外規定を設けることになり、結局は骨抜きになって試行・・・ということになるのかもしれない。
    今後の動向に注目したい。

    Delhi govt’s odd-even formula for traffic: Mondays, Wednesdays and Fridays for odd numbers only (delhideilynews.com)

    ※ビカネール7は後日掲載します

  • ビカネール6 Lalgarh Palace

    ビカネール6 Lalgarh Palace

    LALGARH PALACEを訪れる。宮殿なのになぜかガイドブックに掲載されていないと不思議であったが、その理由は着いてみて理解できた。現在、ホテルになっているのである。

    ラールガル・パレスはホテルになっている。






    それでも博物館が併設されており、小さいながらも写真等がなかなか見応えがあった。ビカネール流派の細密画も展示されていて、その解説も良かった。最初はムガルの影響で導入されたそうだが、やがてムガルが凋落していくことから、技術を習得する対象ではなくなり、独自の技法が発達することになったわけだが、具体的な違いについても例示を挙げて解説してある。

    また、アウラングゼーブがラージャスターンの王たちのイスラームへの改宗をもくろんでいたこと、彼によるアフガン方面の出征に他の王国の王たちと参戦したビカネールの王はその策略に気が付き、ヒンドゥーは外地にいかないことをタテマエに船を破壊したという故事。ここではビカネールの王がそれをリードしたとある。

    また第一次世界大戦に、ビカネール藩王国も参戦したとは知らなかった。スエズの防衛のためにラクダ部隊を送ったとのことで、船からクレーンで降ろされるラクダの姿やこの部隊を率いた王族のことも紹介されている。

    ここはホテルとともに今もラージャーの家族の所有。Princess Rajyashree Kumariという王女、もうかなり年配の人物だが、このパレスのことについて書いた本、ビカネールの歴代の王について著した本などがある。これは広く市販されているものらしい。博物館では王たちの偉業を伝える内容に終始しているが、これが政府の所有であったならばもっとニュートラルな内容になっていたことだろう。博物館内には王家が利用した鉄道専用車両も展示されている。

    〈続く〉

  • ビカネール5 近郊の町デーシュノークのネズミ寺

    ビカネール5 近郊の町デーシュノークのネズミ寺

    昨日の夕食の際もそうであったが、Hotel Jaswant Bhawanの宿泊者たちは母屋にて食べることになっている。オーナー家族の生活空間なので、ホームステイ風でいい感じ。朝食で同席となったのはアメリカ人カップルとフランス人カップル。食事の際に話し相手がいると大変うれしい。しばらく楽しい会話を楽しんでから、ビカネールから30kmほど離れたデーシュノークという町にあるカルニー・マーター寺院へ向かう。バスで1時間程度の道のりだ。

    カルニーは14世紀に実在した人物であるといい、後にドゥルガー女神の化身であるとして神格化された。主要な神格と結び付けたローカルな神格を目にすることは珍しくないため、インド全国規模で眺めると、まさに「やおよろずの神」状態となる。

    さて、カルニーは、息子のラカンが溺死したことを受け入れられず、彼をこの世に生き返らせることに成功。以降、この一族は亡くなるとネズミに生まれ変わり、永遠の生命を享受するとされる。現在もこの寺院が位置するデーシュノークの町には、カルニーの子孫を自称する人たちが少なからず暮らしているとのことだ。

    寺院の入口の上にはシヴァのシンボルである三又の槍、そして周囲をムガル城壁風の壁で囲んで、白亜の門がある奇妙な寺院だ。何かの通過儀礼で参拝に来たらしい着飾った子供たちがいた。



    堂内に参拝する人たちの行列

    境内に入るとバジャンの演奏が奉納されている。和やかな雰囲気だ。小さな窓の前に人々が集まっているので何かと思えば、そこにネズミたちか沢山。足元には水たまりがあり、おそらくそこにはネズミの糞尿がたまっているに違いない。これは気持ち悪い。

    境内でバジャンの演奏



    お堂に参拝してみたが、どこもかしこもネズミたちがたくさん。あちこちに配置されていたり、参拝客が与えたりする餌をモグモグと食べ続けている。生まれたときからこのように大切にされているため、目の前まで近づいてもまったく逃げることはない。ネズミらしくないとてもくつろいだムードである。

    フワフワした姿は見た目可愛いのだが、ネズミの糞尿が散らばっているであるはずのお寺の床を裸足で歩くのはあまり気持ちが良いものではない。かなりユニークなお寺であるが、聖性と衛生の観念は異なるので、ビカネールに戻ってから、食事前には手を入念に洗おうと思う。

    寺院前にいくつかある売店では、この寺のシンボルでもあるネズミのマスコットが売られていた。

    ネズミにちなんでドラえもんなのか?

    ネズミのぬいぐるみもある。

    バスでビカネールに戻る。帰りは少し早くて40分程度で到着。こうした移動でもそうだが、かつては州公社によるバスがほとんどであったものの、今ではプライベートのバスが非常に多い。どちらが良いかについては何とも言えないが、州営のほうがまだ良かった部分もある。満員になるまで発車しないということはなく、ダイヤに従って運行していた。

    路線を民営化することにより、とりわけ採算路線では便数が増えるのではないかという仮説もなりたつ。いっぽうでそうではない地域では反対の流れになるということも言える。

    バスの民営化は、どのような観点からどういう路線を民営化していったのだろうか。これもまた興味深い研究対象となり得る。また州による政策の違い(州によって右から左まで、様々な政権がある)や地域的な特異性(山岳地等)といった部分も合わせると、インドのバス事業民営化について書かれた本があるならば、ぜひ読んでみたい。

    〈続く〉

  • ビカネール4 Junagarh Palace

    ビカネール4 Junagarh Palace

    同じオートでビカネール市内に戻り、ジュナーガル宮殿を訪れる。ラージャスターン州各地でそうだが、最近は訪問者たちをまとめてガイドツアーをするようなところが増えているが、ここもまた同様。そのぶんキレイに展示されているし、落書きなど悪質ないたずらをするようなケースも少なくなっているはずだ。良い状態で見学できるし、いろいろ質問も出来るため、こういう措置は賛成したい。














    その後、併設されている博物館を見物してから、市内を散策。裁判所、その他の役所などが藩王国時代の勇壮な建物を利用しており、いかにも旧藩王国の都といった面影があって良い。シュリー・ガンガー・シアターという、今はどうやら閉鎖されているらしい映画館が裁判所のすぐ近くにあるのだが、これもまたラージプート建築で見事だ。ラージャスターンの他の主要な街に較べると、交通量は多くなく、歩きやすいのもありがたい。

    〈続く〉

  • ビカネール3  National Research Centre on Camels

    ビカネール3 National Research Centre on Camels

    食事を終えてから、オートでNational Research Center on Camelに向かう。市街地からかなり離れたところにある。午後2時から午後6時までという短い公開時間。うっかり午前中に出向いたらアウトである。着いたときにはまだ10分ほど早かったので少し待たされた。

    広い敷地内は、大きく分けてみっつのエリア、事務棟、研究施設、飼育施設で構成されており、私たち外部の人間が見学することができるのは、事務棟の脇にある小さな博物館を除けば、当然のことながら飼育施設のみである。

    小さな博物館、餌場、えさの時間以外に入れておく柵などがある。また餌置き場、そして餌のペレットの工場などもあるようだが、後者については公開されていない。博物館内の表示から、ラクダには4種類あることがわかるが、実物を眺めてもどれがどれなのかさっぱりわからない。

    せっかく来たのだが、正直なところあまり面白くなかった。内容はさておき、農業省の関連施設なのに、外国人料金があるのも癪である。

    入口
    券バイカウンターの横でラクダミルク製品を販売
    事務棟
    研修施設
    飼育施設

    ラクダの診療所
    ラクダの寄生虫に関する説明
    この地域のラクダはどれも同じに見えるが、実はいろいろ種類があるらしい。

  • アミターブ・バッチャンの告白

    インドのヒンディー語映画界の重鎮、ビッグBことアミターブ・バッチャンが、彼自身の深刻な健康状態について発表した。
    1982年に映画「Coolie」の撮影中に起きた事故(アクションシーン撮影中に受けたパンチにより体内で出血、ムンバイー市内の病院に入院)の治療で大量の輸血を受けたのだが、血液のドナーの中に感染者がいたらしい。2000年になってから、B型肝炎に罹っていることが判り、その後現在に至るまで治療中であるとのこと。すでに肝硬変に進行しており、肝臓が25%程度しか機能していないという。
    罹患していることが判ってから15年経過した今になってから発表することについては、おそらく当時はまだ出演作も多くて忙しかったことなどもあったのではないだろうか。B型肝炎の危険や予防について社会の関心を高めるという目的もあるそうだが、アミターブ・バッチャン自身の健康状態も大変気になるところだ。

    I have liver cirrhosis and am surviving on just 25 per cent of my liver: Amitabh Bachchan (INDIA TODAY)

    BACHCHAN BOL (Amitabh Bachchan’s Official Blog)

    ※ビカネール3は後日掲載します。

  • ビカネール2 旧藩営鉄道

    ビカネール2 旧藩営鉄道

    宿から見て、鉄道駅がすぐ裏手なので、列車の汽笛がよく聞こえてきて風情がある。英領期には旧藩王国でも藩王国立の鉄道が敷設されたりなどしていた。開明的な君主が先端技術を導入したということもあろうが、これらの路線がイギリス当局により、藩王国の大きな負担により建設させたという部分も多いにあると思う。

    こうした鉄道の多くはメーターゲージであり、各地にあった鉄道会社が独立後に統合されてインド国鉄となった後、ブロードゲージの幹線と軌道幅の相違から直接乗り入れできない不便を長いこと甘受してきたわけだが、同時に着々と全国路線のブロードゲージ化の事業は進行していき、近年はほぼ完成したといえる。ジャイサルメール、ビカネール、シェーカーワティーなどにもデリーからブロードゲージの直通列車が走るようになっている。シェーカーワティー地域においては、デリーからメーターゲージでジュンジュヌー経由でジャイプルに走っていたものだが、この路線も近年ブロードゲージ化された。ジュンジュヌーはまだメーターゲージのため、路線から外れることとなり、各駅停車の路線のみが残っている。

    統合といえば国鉄だけではない。藩王国が割拠し、イギリスが間接統治を行なった旧ラージプータナ地域だが、インド独立後は行政組織も新生のインド共和国と統合させられることになったことから、旧藩王国により役人たちの明暗は分かれたのではないだろうか。有力な旧藩の役人たちはどんどん上のポストを占領して、そのラインで人事が進んでいく、あるいは冷や飯を食わされることになった旧藩の役人たちは不満たらたら・・・。そんな今の会社社会でもよくある悲喜こもごもが、ここでも展開されていったりしたのではなかろうか、と想像している。

    〈続く〉

  • ビカネール1  旧藩王国最後の宰相の屋敷

    ビカネール1 旧藩王国最後の宰相の屋敷

    バスはシェーカーワティーを出てしばらく細い道を進むと、やがて舗装が非常に良質で道幅が広い国道11号線に出た。スピードが出る分、運転席真後ろの狭いスペースにいると怖い。片側三車線区間が一部、あとは片側二車線が大半。ときどき一車線になったりもする。

    昔のように「道路に穴が空いているのか、穴が空いているところに道路が通っているのかわからない」と首相在職時(1998年3月~2004年5月)のヴァジぺーイー氏が発言したようにひどい時代があったが、もはやそれは遠い過去のことになっている。インド各地の主要幹線道路はとても良くなった。

    そのいっぽう、沿道の動物たちには危険なようで、30分に1回以上は、轢かれて死んでしまった野犬や牛などの哀れな姿を目にする。誰も処理しないのでそのままになっているのだが、ゾッとする光景だ。

    シェーカーワティー地方を出てしまったことは、ハヴェーリーや塔のついた井戸が風景からなくなることでよくわかる。デリーやハリヤーナーに近く、ラージャスターンの他の地域にも囲まれているのに、どうしてこういう独自の伝統がここに残ったのか、それでいてなぜ他の地域にも広がることはなかったのかと不思議に思う。それとは反対に、ごく狭いところから周辺部に伝播した範囲で、シェーカーワティーの文化が形成されたのかもしれない。

    やがてビカネール(正確に書くとビーカーネールだが、字面があまりに冗長になってしまうため、今後はビカネールと表記)までの距離表示が、すでに20キロを切った。道路の状態が良いので、もう目と鼻の先だ。

    プライベートのバスであったためか、本来のバススタンドではない空き地に停車して、「ここが終点」とのこと。鉄道駅近くの宿まではずいぶん遠かった。

    本日の宿は、Hotel Jaswant Bhawan。駅の北口近くとはわかっていたが、鉄道用地のゲート出たところであった。

    ビカネール藩王国最後の首相であったラオ・バハードゥル・ジャスワント・スィンが暮らした家がホテルとなっている。築200年というこの屋敷だが、現在もオーナーであるファミリーの居間に通されて食事が出来るのを待つ。

    ここは運営を外部に委託しているわけではなく、ここの家族、特に奥さんと主人の若夫婦が対応してくれる。アットホームな雰囲気で、食事の場所や居間スペースが家族のところなので、ホームステイに近い感覚だ。部屋もまずまずで、ちゃんと蛍光灯が入っているので日記を書いたりする際にとても助かる。

    料理のメニューは、同じ並びのすぐ隣にあるジャスワントという名のレストランのもの。中は薄暗く、バーと兼用なのであまり雰囲気の良い店ではなく、上品な家族の所有らしからぬ感じがするが、尋ねてみるとやはりそこも家族で所有しているとのこと。この宿で供される料理はレストランから運んでくるのではなく、ここの家のキッチンで作っていた。奥さんが使用人たちを指揮して、出来上がるとせっせと運ばせてくれる。

    居間には勲章なども飾ってあり、藩最後の宰相が受けたものであったり、この家から出た軍人が与えられたものであったりするようだ。最近はWi-Fiを用意している宿が多くなったが、ここのホテルも同様だ。宿泊先に必ずWi-Fiがあれば、インドの携帯電話がなくてもなんとかなる部分はあるのだが、やはり移動中に観光地を調べたり、観光中に検索したり、そして電話も使いたいので、やはり今の時代は旅行中でも地元のSIMは必需品である。

    〈続く〉

  • チャーイは世の中を変えた・・・かもしれない

    チャーイは世の中を変えた・・・かもしれない


    旅先で、食後にチャーイを啜りながら、この日はあと何をしようか?どこに行こうか?と考える。

    お茶やコーヒーがなかった時代、私たち人類は、何を手にして思考していたのだろうか。19世紀以降に急激に加速した社会の進展、技術の進化には、茶、コーヒーの普及と深い繋がりがあるにちがいない。 欧州の有産階級が、茶、コーヒー出現以前にランチで嗜むのはアルコール類だったそうではないか。それはそれでいい時代だったのかもしれないが。

    茶、コーヒーで思い出したのだが、茶葉の大産地インドで、喫茶の習慣が地元の人たちに普及し始めたのは1920年代末から1930年代にかけてのことらしい。かつて貴重で大変カネになる作物であった茶も、このあたりになるとインド・スリランカでの算出量増大、この地域外においてもマレーシア、ケニア等々の英領各国での生産が広がったことから、価格が下落していくとともに、在庫がだぶつくようになってくる。

    そこで当時のインド紅茶局が全国で喫茶習慣普及推進の旗振りを始めて、各地でデモンストレーションを始めたとのこと。それまではマーケットになっていなかった茶葉生産のお膝元での需要拡大を図ることになった。当初は英国式の飲み方を導入しようとしたらしいが、地元の人々の嗜好から現在のチャーイの形で広まることになって現在に至る。

    その背景には、欧州ではすでに値崩れして買い手が少ない低級品の大量処分という狙いがあったとともに、当時の庶民の購買力の関係もあったはず。お茶はお茶でも、本当に下のクラスのものは、カフェイン入りの色付きのお湯でしかないがゆえに、マサーラーで香りを付けるとともに、ミルクと砂糖で味付けする必要があったということにもなるのかもしれない。

    西欧では、カフェ文化の浸透により、様々な市民が集まり議論を交わすようになったことが、民主主義運動を拡大させるとともに、労働組合活動を盛んにしていったと言われているように、インドでもチャーイの文化が広がる中で、反英独立運動が勢いを増していったということもあるかもしれない。

    チャーイを啜りながら、そんなことをぼんやり想ったりする。

  • 田舎町の悩殺

    田舎町の悩殺

    ラージャスターン州の片田舎の町で、しばらく待っているとバスはやってきたが、すでに満員状態。なんとかぐいぐい押し込んで、ようやく乗車するとともに、運転手のキャビン内でなんとか居場所を確保できた。ちゃんとした席ではないため、実に苦しい体勢だ。

    キャビンのすぐ後ろにガラス窓、そのすぐ背後に立って窮屈そうにしている豊満な若い奥さんが、胸元からガラケーを取り出して通話を始めた。取り出すときにムニュムニュ、ボヨヨーンという、大きなバストの元気良い動きに胸が高鳴ってしまう。

    キャビンの中、私の隣に陣取っていた乗客がひとり下車していくと、私がそうしたのと同じく、彼女もまた無理矢理周囲の人たちを押しのけてこちらに入ってきて、私に密着して腰を下ろした。やがて車掌が乗車賃を集金に来ると、豊かな胸をプルプルと震わせて、深い谷間からお札を取り出すので、ちょっとドギマギしてしまう。「釣銭がない」と断られると、また同じ動きで胸の違う場所から小額紙幣を取り出す。別に見ようとは思わないのだが、とにかく狭い車内スペースで視界に入ってきてしまうのだ。

    一度そういう所作が目に付いてしまうと、また次に何か取り出すらしきときには、ついつい視線が泳いでしまったりする。田舎では今でも胸元にお金とかいろいろ入れている人が多いが、とりわけグラマラスな感じの人がこうしていると、もう大変な悩殺シーンである。もっとも、地元の男性たちにしてみると、田舎の女性の粗野な振る舞いに過ぎないようだが。

    しばらくすると、再び携帯電話が鳴り、彼女が乳房の左側から取り出す際に、引っ張られた豊かな部分がプルプル、ドサッと弾み、どうもいたたまれない。

    ※画像は文中に登場する人物とは無関係です。