ラージャスターンからスィンドへ

 インド・パキスタン両政府が、ラージャスターン州のムナーバーウ駅からスィンド州のコークラーパール間の列車運行を再開することで合意した。
 もともとはインドのジョードプルからバールメールを経て越境、パキスタンに入ってからはミールプル・カースを経てハイデラーバードへと続いていたこの砂漠越えルートは、英領時代の地図を開けば明らかなとおり、かつては首都デリーと貿易港カラチを結ぶ幹線ルートの一部であった。
 ちなみに現在ラージャスターン州とスィンド州を分けるインド・パキスタン国境は、植民地時代にはいくつもの藩王国による自治領ラージプータナと植民地政府が直接支配するボンベイ管区北西部との境界でもあった。イギリスからの分離独立後も1965年までこの路線が存続していたものの、両国間の関係悪化により廃線となっている。
 突如注目を浴びることになったムナーバーウ駅だが、現在ここへはバールメール駅から鈍行列車が毎日一往復するのみだ。
 カシミールからグジャラートまで、ずいぶん長い国境線を共有していながら、今のところ陸路ではパンジャーブ州のアタリー・ワガー国境しか開いていないことを思えば、新たにこのルートが開かれることの意味は大きい。
 ただこの鉄道再開が話題になったのはこれが初めてではない。80年代後半もまさにこの路線についての検討が進められていたようだが、やはり浮き沈みの多い両国関係の中で立ち消えになったという経緯があるのだから今回もどうなるかわからない。


 ともあれインド側は来年9月あるいは10月開通を主張、パキスタン側はインフラ整備等を理由に2年後の実現を提示しているという。
 治安に問題があるとはいえ、見どころの多いパキスタンのスィンド州。週何本かの越境列車だけではなく、やがて道路の行き来もオープンするようなことになれば、人気の高いインドのラージャスターン州と組み合わせて訪れる外国人客が増えることになるだろう。パキスタン南部の地域振興、ひいてはインドに比べると知名度も集客力もかなり見劣りする同国の観光開発といった点からも利するところは大きいのではないだろうか。
 分離独立前まではひと続きの土地であったにもかかわらず、今では両国にとってまさに「地の果て」となってしまっているこの国境地帯。相互の交流が復活することにより物流ルートとしてこの地域の経済的価値が出てくる可能性もあるだろう。国境両側が急速にひとつの経済圏として統合されるようなことはないにしても、政治主導ではなく民間の商業活動を中心に、相互に欠かせないパートナーとして抜き差しならぬ関係を築くことが平和への道ではないかと思う。
 すべては今後の両国の努力次第だが、対立から対話へと転換しつつあるインド・パキスタン関係、天気にたとえれば「晴れときどき曇り」といったまずまずの具合だろう。  
 今のところ嵐の前触れは特に見当たらないのは幸いである。
India, Pak to reopen second rail link(BBC News)

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