反政府もネット活用へ?

 10月2日、3日とたて続けにインド東北地方のナガランド、アッサム両州で大きなテロ事件が起きて、これまでに46人もの人命が失われるという事態になっている。2日はマハートマー・ガーンディーの誕生日であったことが、爆破事件等に関与したグループにとっては象徴的な意味あいがあったことだろう。
 文化的にも人種的にも南アジアと東南アジアの境目にあるこの地域は、イギリス支配前にインドの在地勢力によって支配された歴史がなく、どこをとっても「中央」と大きくかけ離れていることから、やはり統治する側にもされる側にもとても難しいことが多いのだと思う。
 地図を開いてみれば、西ベンガル州の北に細く回廊状に張り出している部分でかろうじて「本土」とつながっているのは、いかにも「インド」であることの根拠の薄さ、「インド人」としてのアイデンティティの希薄さを象徴しているような気もする。同時に中央の人々も物理的な距離以上のものを感じるのではないだろうか。今回鉄道駅が爆破されたナガランドのディマプルは、デリーからラージダーニーが週三本、ブラフマプトラ・メールという急行列車が毎日運行されているくらいだから、全くの「辺境」というわけでは決してないはずなのだが。
 また歴史的な経緯や民族の違いに加えて、東北地方は四方をほぼ外国(中国、ミャンマー、バングラデシュ)といった国ぐにに囲まれているため、政府と反政府勢力の力関係には周辺の第三国の意向も働きやすくなっていることも見逃せないだろう。
 BBC NEWS South Asia には、ナガランドの反政府勢力National Socialist Council of Nagaland (NSCN)のウェブサイトが紹介されている。(この組織は今回の爆破事件等への関与は否定)
 NSCNに限ったことではないが、反政府武装勢力といえば何か事件が起きたときに声明がメディアを通じて伝えられるだけで、一般の人々にはそれらの思想や動向はよくわからなかったが、近ごろは自ら情報を発信するところが増えてきた。
 サイトではメールアドレスも公開されているので、返事をくれるかどうかはともかくこちらからメッセージを送信することはできる。 もちろんこんなサイトがあったところで、どれほどのアクセスがあるのかよくわからないのだが。
 それでも「情報化」の効果は何かしらあるのではなかろうか。1989年に中国北京で起きた天安門事件へといたった民主化要求運動の際、市民の主要な情報源は国外在住の協力者から届くファックスが中心だったというし、 天安門広場で6月4日に起きた大弾圧の様子は首都にいてもテレビ映像に流れることはなく、たまたま滞在中だった私はもちろん地元の人々も一体何が起きているのかよくわからなかったことだろう。
 91年にモスクワで政変が起きてゴルバチョフが一時失脚したとき、中国国内のテレビでは「ゴルバチョフ氏が病気のため辞任」と報じていたのには仰天した。BBCやVOA等の外国ラジオ放送によるものとまったく違うことが平然と伝えられていたのだから。
 
 これまで一般の人々にとっては闇の存在でしかなかった人々と一般市民が直接双方向にアクセスできるようになった。これまで武力に頼らざるを得ず、国境の外側から資金その他の庇護を与えてくれる存在なしには続けることがむずかしかった反政府運動の質的変化をもたらすことも考えられるのではないだろうか。
 それがやがて平和という果実を人々にもたらすことになるのかどうかは、まだよくわからないのだが・・・。

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