うつむき加減で携帯電話

近ごろどこの国でも、人々が手元に目をやってチクチクと何やらいじっている姿を常に目にする。彼らが手にしているのは携帯電話で、自分もそうした風景に出てくる中のひとりである。
単にスケジュールを確認していたり、メールの送受信やネットの情報を閲覧しているだけなので、手帳を広げていたり、読書をしているのとあまり変わらないはずなのに、なぜか視覚的には内向きの印象を与える。
そんな携帯電話だが、インド北東部のミゾラム州でも広く普及しており、人口の半数以上が所有しているとの記事を目にした。
Remote state in vanguard of Indian mobile phone craze (BBC NEWS South Asia)
同記事によれば、中国と並びインドは世界でただふたつ『5億人を越える』携帯電話契約数を記録(5億人超の人口を持つ国自体がこの2か国のみ)している国であるとのことだ。
なぜミゾラム州の携帯電話契約数が取り上げられているのかといえば、つまるところ『見るべき産業はほとんどなく、政府やその関連機関が最大の雇用を創出している北東州の一角が携帯電話普及のホットな市場である』といったところのようだ。
多くの途上国に共通することだが、携帯電話所有者急増の背景には、それ以前の時代に固定電話の普及が遅れていたということがあるが、加えて従前は世界の多くの国々で電話通信の分野は往々にして政府や政府系機関が掌握しており、あまり大きな変化のない『静かな市場』であったものが、この分野の民営化により他の多くの企業の参入により『競争の激しいダイナミックな市場』へと変わったことによる影響も大きい。
同記事では、ミゾラム州はインドで最も高い95%以上の識字率を誇り、人口の大部分を占めるクリスチャンの人々のほとんどは英語を理解するとも書かれている。識字率については、何のデータを根拠にしているのかよくわからない。
もっとも最近に実施された国勢調査(2001年)の結果によると、ミゾラム州の識字率は89.0%でケララ州の91.0%に次ぐものであると理解されているはずだが、その後9年間でこれを超えるレベルに達したということなのだろうか。これが事実ならば2000年代において、すでに高い識字率を更に6%も引き上げたことになり、同州の教育分野における快挙といえる。
ミゾラムをはじめとするナガランド、メガーラヤ、アッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、トリプラー、マニプルといった北東7州ならびにそれらの西方向にあるスィッキム州は、アッサムで採掘される石油、スィッキムの観光業といった分野を除けば特に目立った産業はなく、インド国内でも『主流』から大きく外れた地域であるがゆえに、国内の他の地域からの投資や資本の移転も少ない。
また州により程度や事情は違うものの、スィッキムやアルナーチャル・プラデーシュのようにインドによる主権を認めない中国が領有権を主張していたり、アッサムやナガランドのように反政府勢力による騒擾が続いていたりする地域もある。
そうした背景から、例えとしては適切ではないかもしれないが、それ以外の州を『親藩』とすれば、これらの地域は『外様』的なエリアであることから、インド政府は民心を繋ぎ留めるために努力しているようである。そのため産業面では大きく遅れをとっていても、初等・中等教育や地域医療の分野などでは、全国レベルで比較してひどく低水準に甘んじているわけではない。
ちょうど冷戦時代の西ヨーロッパで、とりわけ東側ブロックに隣接していた地域で国民の福利厚生の分野が高いレベルで実現されたのと似た現象であるといえるだろうか。
話は識字率に戻るが、そうした北東地域の中でミゾラム州の89%(2001年国勢調査)という水準は、この地域で2番目にあるトリプラー州が73パーセントであるのを除けば、どこも60パーセント台であることを踏まえれば、ずいぶん突出した数字であることがわかる。参考までに識字率の州別ランキングはこちらである。
ミゾラム州といえば、ミャンマーとバーングラーデーシュという隣国、どちらも低開発途上国とされる国々と隣接するところに位置している。同時に地理的には今後結びつきをいっそう密にすることであろう南アジアと東南アジアというふたつの世界を繋ぐべき位置にある。
ミャンマーもバーングラーデーシュも現状では経済的に非常に低水準にある。だがかつてのインドもそうであったように、スタート地点が低いということは、条件が揃い成長の歯車が回りだした場合の伸びしろもまた大きいということにもなる。
まだまだ内政的に困難な部分、ふたつの隣国との外交面においても難しい事柄は多いが、『本土から回廊状に張り出した陸の孤島』のようになっている北東地域の開発や発展を目指すうえで、これらの国々との関係の強化以外考えにくい。そうした中で、とりわけミゾラム州は地理的にも識字率の高さから推測される潜在的な可能性は大きい。
また携帯電話に代表される個人の通信手段の普及が地元社会や政治シーンに与える影響も無視できないだろう。
携帯電話は仕事の上でも生活の中でも、私たちにとって必要不可欠な通信手段となっている。社会の隅々まで浸透しているがゆえに、近年はどこの国でも、騒擾やテロ事件等の発生の際、指導層から実行者たちへ、また実行者たちの間でも携帯電話というツールを通じての連絡や通達等が頻繁になされるようにもなっている。
インドから東に目を移すと、タイの首都バンコクで続いているタークシン元首相を支持する赤シャツを着た『反独裁民主統一戦線(UDD)』の行動に関するニュースを各メディアで目にする。
指導層の指揮下に統率の取れた(抗議活動そのもののありかたについての道義的な面は別として)デモ活動を展開していることの背景には、農村部を中心とするタークシン派の支持基盤が強固であることや豊富な資金力などがあるとはいえ、これだけ多くの人々を長期間に渡って動員して意のままに操るには、多くの人々が自前の携帯電話等を所持して通話やSMSの送受信などが可能であるという『通信インフラ』が不可欠であることは言うまでもない。
世界は確実に小さくなってきているとはよく言われるところだが、このところの通信手段の発達はそれに拍車をかけているようだ。これまで連絡を取るといえば肉声の届く範囲の人々と話すか、ときどき電話屋に出かけて遠くに住む友人や身内と会話する程度であったものが、ここ十数年で自前の携帯電話でひっきりなしにいろんな人たちと話したりメッセージを送りあったりするのが当たり前になった。
各世帯でのパソコンの普及率はまださほどではないにしても、ネットカフェでウェブを閲覧したり、メールのやりとりをしたりするのは日常的なことなので、一定の年齢層の人々、ようやくパソコンを扱うことができるようになった年頃の人たちから、なんとかそれに対応できる年配者まで、多くの人々がヤフーなりグーグルなりのアカウントを持っている。
そうした中で、民族や国境が入り組んだインド北東部の北東州を含めた地域、同時に南アジアと東南アジアの境目にあるエリアでもあるわけだが、伝統的な民族意識、地元意識、仲間意識、市民意識といったものに与える影響もあるはず。
異なるコミュニティや地域の住む人々の意識をまとめあげることができるような、強いリーダーシップを持つリーダーが登場するようなことがあれば、従来ならばあり得なかった形での連帯も可能になる。
ここ5年、10年でどうということはなくても、遠い将来には州境や国境等、複雑に構成された『境』で分けられた行政による非効率や不公平等などに対して、民族や国家の枠を超えて、これまでとは違った視点から、地域の再編を求めて声を上げる例も出てくる、といったことも考えられなくはない。
うつむき加減で携帯電話を操作しながらも、人々が頭の中で思っているのは日常のことばかりではないような気がする。

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