遠きに想い ポルトガル 1

ポルトガル時代からの町並み / photo by AKIHIKO OGATA

 2003年夏、ゴアを再訪した。前回来たのは89年だったので、実に14年ぶりということになる。同じインドながら旧英領や藩王国だった他地域とは、ずいぶん違う。建物、人びとの装い、街並みが醸し出す独特の空気があった。当時、宿で一緒になったブラジル人が、「パナジはすべてがポルトガル風で、まるで故郷にいるような気になる」とはしゃいでいたのを思い出す。
 だが久々のゴアは、その印象がずいぶん薄らいでいる気がした。なぜだろうか。

 89年といえば、1961年12月のインド軍による「オペレーション・ヴィジャイ」と呼ばれた軍事作戦による「ゴア解放」から28年。今回はそれからさらに14年経過、ポルトガル時代が1.5倍遠くなっているのである。

 以前は植民地政府による教育を受けた世代はまだ働き盛りで、社会のそれぞれの分野で活躍していた。今ではそういう人びとはすでに引退してしまっているはずである。
 ゴア解放時、高校卒業した人が17〜19歳くらいと見積もって、それから42年…ポルトガル語世代で一番若い人たちはすでに60歳くらいになっているのだ。インドでは公務員の定年は55才。民間でも50代に入れば、老後は目前という時期である。

 インドへの返還は、英語時代の始まりでもある。連邦直轄地(1987年に州)になったゴアは、中央政府のコントロールの元、インド式ひいては英国から受け継いだ流れの上に立った社会制度を導入した。
 教育やビジネスの公言語がポルトガル語から英語へ、法体系がポルトガル式から英国式へ移行。当然のことながら、メディアや出版活動を含めたインテレクチュアルな部分もがポルトガル式から英国式に移行してしまうため、ポルトガル文化やカトリック文化がそれまで維持してきた権威が一気に吹き飛んでしまったことになる。他の地域が独立を境に英国から統治システムを「引き継いだ」のとはかなり事情が違うように思う。

 もちろん、ある日突然、言語を切り替えることはできない。ポルトガル語新聞の発行は、インドへの復帰後もしばらく続いていたことだろう。ポルトガル本国から送られてくる書籍、ゴアで出版されたものなど、ポルトガル語の本が書店に並んでいたはずだ。
 ただ、言葉は単に意思伝達手段ではなく、言語の背景にある固有の文化をも伴うものである。1961年以降、ポルトガル語時代から英語時代へ移ったことは、それ自体が一種の文化革命であったはずだ。

 ボルトガル語世代と英語世代の間で、価値観のギャップもあったことだろう。ポルトガルに親族が移住したという上層階級の人びと、ポルトガルとゴアを行き来していたビジネスマンも相当数あり、留学する者も少なくなかった。インド復帰まで「ポルトガル」の名は高い文化と良質な品物、高尚な学問と富と権力の象徴であったはずだ。

 ポルトガル語世代は独自の生活文化を持ちつづけていた。しかし今、彼らは社会に影響を与えるべき表舞台からは去っているのだ。
<つづく>

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