ズィンチェンからチリンへ 3

ユルツェの村のホームステイ先に到着したのはちょうど昼食の時間帯であった。このタイミングで午後はもうすることがないというのはもったいない気がするので、できればもっと先まで歩きたかったのだが、ルート上の宿泊可能な場所と時間配分の関係でこうなるらしい。

家の上階の広間に宿泊客たちが集まって食事をしているのだが、あまりに大勢であるためびっくりした。ここに来るまでに見かけた同方向に歩いている人たちは、チェンナイから来たインド人の若者4人連れのみであったのだが。

伝統的な造りの居間にはラダック式の小さなテーブルと座布団が窓際に並んでいる。そして金属製の食器類が棚に「これでもか!」と飾られており、いかにもチベット文化圏に来たという感じがする。こうした佇まいを自宅に欲しいと思ったことがあるのだが、今もその気持ちは変わらない。

とりあえず昼食にはありつくことができたが、部屋はすでに満室であるとのこと。居間で寝ることになったので、夜は寒いからキッチン(伝統的なラダック式のキッチン)脇のスペースを陣取っておくといいよ、というガイドのS君のアドバイスに従う。

ホームステイ先の家の屋上

まだ、午後の早い時間帯であるのだが、海抜3,900mにあり、谷間であるため高山からの冷たい風が吹き下ろしてくるため非常に寒い。家屋から見た川の対岸部分には雪が残っていたりもする。少し散歩に出てから戻り、ラダック式の座席、つまり横長の座布団の上でしばらく昼寝。窓は閉まっており、半袖シャツの上に長袖シャツ、そしてライトダウンまで着込んでいるものの、寒くて仕方ない。本日の天気は曇りがちだ。時々雨がぱらつくと非常に冷え込む。

かなり大きな家で、遠目にはゴンパかと思ったくらいなのだが、もともとはかなり裕福であつたのかもしれない。ここで暮らす家族は4、5人くらいしかいないようだ。ここの家の子供たちは皆、レーやチャンディーガルなどの学校に出ており、両親が切り盛りして仕送りしているという。だがシーズンには泊められるだけ泊めているので、相当な収入が上がるらしい。

夕方5時過ぎくらいからは夕食の準備が始まる。実に手慣れた様子で大量の食材を調理していく。夕食が始まるのは午後7時からで、宿泊客たちに供されたのはダールとサブズィーとご飯。宿泊客たちがどんどん集まってきて、どかどかとお代わりしながら腹いっぱい食べる。トレッカーたちを連れてきたガイドの人たちは給仕の手伝いをしている。ゆえに宿泊客たちは往々にして誰がここの家の人で、誰がガイドなのかわからなかったりもする。

同宿の人たちの中に、若いアメリカ人カップルがいるが、この人たちはイラクのクルディスターンにある大学で英語を教えているという。ISISの侵攻により戦火が迫っている地域を除けば、クルド人自治区内の治安は保たれているそうだ。大学では学生はアラブ人は少数派で、大半がクルド人であるとのこと。私のような外国人にとって、ラダックの村での滞在自体がとても貴重なものであるが、そうした空間が実に国際色豊かな場であるというのも面白い。

賑やかに食事をしていると、欧州系の若い人たちのグループが到着した。チェコからの人たちであった。本日、私が同行するはずであったポーランドの人といい、チェコの人たちといい、以前は旅行者としてこのあたりを訪れている姿を見かけることのなかった国の人たちも多くやってくるようになっている。より多くの人たちが、インドの魅力、そしてラダックの素晴らしいところを体験できるようになっていることは喜ばしい。

電気は来ていないが、家の屋上に設置されている太陽電池で室内のぼんやりした照明程度をまかなうことができている。腹一杯になると眠くなってきた。ちょっと横になってしまうとそのまま深い眠りに落ちてしまった。

<続く>

 

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