21世紀のタグたち

まだ鉄道や現在のように整備された国道網もない時代、中世のインドで陸路旅する人々を震え上がらせた盗賊たちがいた。ダークーとタグである。前者はどこからともなく現れて強盗を働く武装集団で今もしばしば地方で列車やバスなどを襲撃する事件が新聞等に報じられているが、後者は当時のインド独特のものだろう。獲物となる旅の一座にしばらく同行して相手が信用しきったあたりで場所とタイミングを見計らい一気に全員を殺めて金品を奪う。多くの場合、大掛かりな武器はあまり持たずハンカチ一枚で相手の首を絞め上げて葬り去るというのが典型的な手口であったようで実に大胆不敵なものである。
まがりなりにも警察機構が国の隅々にまで行き渡っており、交通機関も整備されて切符を買って列車なりバスなりに乗り込めばどこでも好きなところに安全に移動することができる現代と違い、どこにどのような危険が潜んでいるかわからず自分たちの力だけが頼りの時代だ。ゆえにより多くの人数で移動したほうが安心感は大きかったであろうことは言うまでもない。まさに「旅は道連れ」である。自分たちと同じ方向に行くという相手がそれなりの身なりできちんとした印象の人であれば、喜んで迎え入れられたことは想像に難くない。裕福で地位もある人も多数被害に遭っているようなので、盗賊とはいえ気品、教養、風格などを持ち合わせた騙しのエキスパートたちであったのだろう。植民地時代のイギリス当局も彼らへの対応には手を焼いていたようだが、1830年代には彼らの活動をほぼ根絶することに成功する。
ちょっと古い記事になるが、インディア・トゥデイの7月25日号に「現在のタグ」と題した記事が掲載されていた。「鉄道内で知り合った相手に飲食物を勧められ、それを口にしたら意識が無くなり金品すべてを盗られていた」というものだ。昔からインド各地はもちろん他国でもしばしば耳にする古典的な手口であるが、パンジャーブのアンバーラーから西ベンガルのマールダーまで、つまり北インドを横断する鉄道ルート上において、近年この種の事件が急増しているのだという。
記事中には複数の実例が挙げられているが、そこには日本人とされる被害者ことも書かれていた。「ゴーギーマー(小嶋?)」という名前のその人はバナーラス近くのムガルサライから乗車し、ダージリンへ向かうルートへの入口となるニュージャルパイグリーが目的地であったが、彼が気がついたときは下車する予定であったその町の病院のベッドの上であったという。
睡眠薬類の錠剤を水に溶いたもの、あるいは最初から液状になっている薬物を注射器でパック入り清涼飲料水なり、包装されたビスケットなりに注入したものを犯行に使う。とこういう事件を起こす輩は、単身あるいは二、三人連れの男性かと思えば、そうとも限らないらしい。家族連れを装った仕込みかもしれないが幼い子を連れた夫婦であったり、一人で乗車している女性であったりこともあるようだ。もっとも実行犯はかならずしも薬物入りの飲み物や菓子類などを被害者に食べさせる者ばかりではなく、一味の者たちが複数、素知らぬ顔をして近くに座っているのかもしれない。
ビハールの鉄道警察関係者によれば、こうした薬物を使った昏睡強盗の手口を伝授するところが同州内にいくつかあるとのことだ。犯人たちは個々に単独で行動しているものとは限らず、かなり組織的なものが背後にあるのかもしれない。
現代の鉄道車内に跋扈する彼らが中世のタグたちと違い、被害者たちの命までは奪うことを意図していないとはいえ、出先で身ぐるみ剥がされたりしたらそれこそ大変なことになる。またこの類の事件で昏睡状態からそのまま死亡してしまったり、後遺症が残ったりというケースはときに耳にするところだ。
今のところこうした「現代のタグ」たちが暗躍するといえば、前述の北インドの鉄道路線上を走る列車の中でも、特に庶民たちが利用する下のクラスの車両が主たるものだとされるが、今後いろいろ広がりが出てくるかもしれない。多くの場合、土地に縁もゆかりもなく、地元の事情にも疎い外国人旅行者ばかりを立て続けに狙うようなケースも充分想像できるだろう。
停車駅から列車がガタン動き出すあたり、車内を人々がワサワサ行き交う時間帯には荷物の置き引きなどが多いが、これとあわせて「現代のタグ」にも充分注意したいものである。

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