ヤンゴンのインドなエリア 3

バンコクのインド人街およびその他インド系の人々が多く暮らしている地域の場合、インド本国はもちろん、パーキスターンやバングラーデーシュとの間で人々の行き来は現在でも少なくなく、仕事や結婚その他で新たに定住する人のほか一時滞在者も多い。そのため古くからの居住者や数世代現地で生活しているインド系の人々が次第に現地化していっても、あとから続く新規移民たちによりコミュニティの中にインド(およびその隣国)の言葉、文化、生活習慣その他『現在進行形のインドらしさ』が新たに注入されていくことになる。
1960年代に入るあたりまでは『タイより豊か』とまで言われていたというミャンマーだが、現在は周辺国に幾重もの周回遅れのトラックをヨロヨロと進むような有様。商業的にも生活水準においても、どこの国から見てもメリットを感じさせるものは何もない。軍政下であることもさることながら(主要民族であるビルマ族による)民族主義的色合いが濃い政権下にあり、外来民族であることの懸念もあるだろう。この国に住む人々には失礼だが、今の時代に南アジアの国からわざわざこの国に移住しようなどという考えを持つ人はまずいないだろう。
そのため、常に新しい移民が後から続いてくるバンコクとの最も大きな違いは、ヤンゴンにはごくわずかな商用や観光等で訪れるインド(およびその周辺国)の人々はいても、ここに定住するため流入するインド系人口はまずないと思われることだ。ここでは父祖から代を継いで語り継がれてきた『旧い時代のインド』の記憶がコンスタントに風化していき、やがてそれらが自ら生まれ育った現地のものと入れ替わっていくのではないだろうか。
ヤンゴンのインド人地区で文語としてはすでに機能していないように見えるヒンディー/ウルドゥー語ではあるが、この地域で保守的なムスリム、知識人、富裕層といった条件が加わると、とても流暢かつ語彙豊かにして本場風(!)アクセントで話す人もいるようだ。
ヤンゴンの場合外は数は多くないもののインド(およびその周辺国)から商用や観光で訪れる人々以外に、新たに現地に定着するインド系人口はほとんどないものと思われる。
地域に数多いモスクはそれぞれ先祖の地域ごとのトラストに属しており、信仰の場であるとともに同郷組織的な役割も果たしているのではないかと思われる。例えば『ベンガル人スンニー派モスク』といった具合である。
祈りの場が父祖の地域性に直結するため、信仰心厚く知的にも経済的にもゆとりのある人が言葉の上での『インド人らしさ』をより強く保つことになるのは当然のことかもしれない。
『ウルドゥーを理解すること』が彼らの信仰に結びついているがゆえではないだろうか、この地域のインド系ムスリムの人にしばしば『じゃああなたもムサルマーンなんだ!』(ヒンディー/ウルドゥーを理解することについて)と言われた。
もとより地区では人口規模からヒンドゥー、ジェィンなどよりもはるかにムスリムの存在感が大きい。インド系以外にもペルシャ系、ごく少数ながらアラブ系の子孫も住んでいるそうだ。英領時代、繁栄した港町であったヤンゴンに希望を見出して移住してきた人たちの末裔なのだろう。
外国人が利用できる宿が集まるエリアではあること以外、ここを訪れる旅行者の多くは特に興味を示すことはないようだが、意外にもかなり興味深い地域であるようだ。
〈続く〉

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