メディアって・・・

zee news
昨年7月、ハリヤナー州のクルクシェートラ近くで、プリンスという子供が深い穴に落ち込んでしまったとき、軍までもが出動して大掛かりな救助活動が行なわれた。
A nation’s prayers save Prince』(Rediff.com)
多くのテレビチャンネルがインド全国にその進捗状況をつぶさにライヴでリポートしていたので記憶している方も多いだろう。
関係者の努力と親族の祈りの甲斐あって、プリンス・クマール少年は無事保護された。
蓋が外れてポッカリと口を開けたマンホール、工事のため深い穴が開いたままで放置されている道路、カバー無しの深い側溝等々、子供たちにとって危険な状況がいかに多く放置されているかということについてもテレビで大いに議論されていた。結局、非難されるべきはこうした状況を許している行政当局だ!というスタンスで様々な事例が取り上げられていた。少年やその家族たちにとっては大変な災難だったわけだが、こういう機会にこうした問題点をみんなで認識すること、行政当局に猛省を促すことは大いに意義あることだろう。
私自身も洪水の際、蓋無しのマンホールに落ち込んで危うく死にかけたことがある。たまたま非常に運が悪かった人間がこういう目に遭うというわけではなく、前触れもなく突然誰にでも降りかかってもおかしくない災厄だ。
あんなに大騒ぎしたにもかかわらず同様の事件で命を落とす例は続く。今日の午後はこんなZEEニュースでこんな報道がなされているのを目にした。
『ガーズィヤーバードのムスリムが多数派を占める地区、公衆便所を作る工事が進んでいた場所でモハンマド少年が穴に落ち込み救助活動が進行中』
13歳の男の子が落ちてから軍が出動して救助活動が始まるまで4時間以上もの時間が経過していること、少なくとも私がニュースを点けた時点では酸素ボンベその他、この類の事故の救助活動に提供されるべき装備が何も用意されていないとのことである。
またこの穴については、数ヶ月前から住民たちにより『このままではいつ事故が起きてもおかしくない』と当局に対する苦情が寄せられていたということだ。
同ニュースは、視聴者に『同様の危険な箇所が身近にあればぜひご連絡を!』と電話による情報提供を呼びかけている。
画面にモハンマドの父親の姿が映った。やせて小柄な男性である。向けられたマイクに対して不安で緊張した様子で訥々と語り始める。
ひとしきり彼が話した後、リポーターが彼に放った質問に耳を疑った。
『子供が穴に落ちたのは朝9時。やっと救助活動が始まったのは午後1時。そして今や午後4時半になりました。それでもモハンマドはあなたの元に戻ってくると思いますか?』
父親の表情は急変、見る見るうちに涙があふれ言葉にもならない状態になってしまう。号泣する男の様子をライヴカメラは映し続ける。
行政当局によるこれらの危険な箇所の放置と事故発生後のお粗末な対応を声高に非難するのは社会の公器としてのメディアの役目であるとしても、親族の不安をいたずらに煽りたてて悲嘆に暮れる様を映像までをも作り出す姿勢には大いに疑問を抱かずにはいられない。不幸にして事故にあった少年とその家族こそが被害者であり、ニュース映像演出の具などであってはならないはずだ。たとえその涙が視聴者の間に問題提起する内容のものであったとしても、事故当事者の心情を察するに忍びない。当事者の苦悩に追い討ちをかける取材方法は報道を口実にした暴力である。もちろんこうした事例はインドのメディアに限ったことではなく、他国でも大きな事件、事故、災害時などで同様の報道を目にする機会は少なくない。現場に急行したリポーターたちが、被害者たちに遠慮会釈のない質問を浴びせるのは当然の権利だと言わんばかりに。
こうして書いている今も、ポンプで溝内の水を抜き、救出作業が進行中だ。事故が起きたマンホール下の溝の中では酸素が不足しており、ガス(メタンガス?)濃度が高い危険な状態にあることが伝えられている。
少年が無事救出されることを祈るしかない。現場からリポートを続ける商業メディアについては、公権力を批判するとともに自らの報道の姿勢について自省と自制が必要なことを認識したうえで、思慮深く質の高い報道を心がけて欲しいものだと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください