シローンのバラー・バーザール

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中華料理屋での食事後は市内最大のマーケット、バラー・バーザールに出かけてみた。市街地の斜面に貼りつく形で広がる商業地だ。私は広場に茅葺きの長屋みたいなものが続いている光景を想像していたのだが、そうではなく間口がとても狭い店がひしめき合う、細い道の両側にも行商人たちが台車やゴザなどをびっしり並べて商う商店街であった。ネパールのカトマンドゥ盆地内の旧市街地をやや思わせるものがある。
シローンの新市街地の商業地域では、比較的高級な品物、贅沢品、外国や他州からの輸入品などを中心に扱う地域にはインドの他地域からやってきた商売人たちが多いコスモポリタンだ。そのため雰囲気は他のインドの町とあまり変わらなかったり、飛び交う様々な言葉の中にヒンディー語が占める割合が非常に高かったりする。
だがこのバラー・バーザールでは、農産物、水産物、畜産物といった食材その他が主体で、地産地消のバーザールという感じがする。路地を奥へと入っていくと、地元の言葉ばかりが飛び交うようになってくる。そこでは地元の少数民族たちの店がごちゃごちゃと並ぶ中にときたま『インド人の店』が見られる状態なので、同じ市内のポリス・バーザールのように『インド人主体』の地域からずいぶん遠いところに来たかのような気がする。もちろんそれでも人々は『インドというシステム』の中で暮らしているがゆえに、ヒンディー語は広く通じる。
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それにしても国内話者人口最大の言語がそれを母語とする地域外でもよく通じたり、あまり通じなかったりという差については、各地で母語として話されている言葉とヒンディー語の間の近似性や類似性といった、言葉として習得しやすいか否かという部分だけではなく、地元州政府の政治的なスタンスに由来する要素もまた大きい。教育について州ごとの裁量が大きいがゆえに、タミルナードゥ州のような特定の地域では一般的にこの大言語を習得する機会をほとんど失することになってしまう。
州議会を構成するメンバーたちは地元住民たちの民意により選出されたものであり、多数派の意志としての民族主義路線ではある。しかし単純化していえば多数決がそのまま住民たちの総意であるわけではないため、どうしても抜け落ちてしまう意見も多いものだ。そのため得るものも多いのかもしれないが、失うものも決して少なくないのではないだろうか。コトバについても同様で、進学、就職、転勤等で州外に移住することがあれば、ヒンディー語を身につけなかったことからくる不利益や苦労などもいろいろあることだろう。
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それはともかくバーザールにはいろいろな店がある。魚を販売する店が固まっている地区では大きなものから小さなものまで、名前は知らないがいろんなものが揃っている。乾物屋ばかりが集まる角ではどこか懐かしい匂いがする。煮干のような干し魚も多く目にするが、川魚であるこれらをダシにして和食もどきを作ることはできない。恐ろしく臭い味噌汁や澄まし汁が出来上がることになるからだ。地元でどう料理しているのか知らないが、おそらく煮付けたりするのではないかと思う。肉屋の集まるエリアは壮観だ。地元カースィー族がよく食べる豚肉が大量に扱われており、吊るされた巨大な塊から包丁で切り取って量り売りしている。ボウルに盛られた挽肉も飛ぶように売れていく。
他の地域の『インド人』たちとは違った文化伝統を持つ人々なので、どの店でも働く女性の姿がとても多いのだが、ちょっと特異に見えたのは野菜や果物類を売っている地域だ。動物性の生鮮商品を売るのに較べて肉体的にも負担が少ないためか販売者のほとんどが女性である。
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どこに行っても人いきれや山と積まれた商品がぎっしりでとても密度が高い。しかし民族性なのだろうか、人々が肩をぶつけ合わんばかりに込み合っていながらもちっとも騒々しくないのが不思議だ。スピーカー等で大音響を張り上げて客寄せをするわけでもなく、喧々諤々と大声で売り手と客が駆け引きをするわけでもなく、売り手も買い手も黙々と静かに自分がなすべきことをこなしているのが印象的であった。
この地に暮らしていればただの大きな市場に過ぎないのかもしれないが、ヨソ者の私にとってこのバラー・バーザールはローカル色豊かで興味深く、とても楽しく散歩することができた。インドは広いなぁ・・・と改めて感じ入った次第である。

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