シブサーガル観光

Tai Ahom Museum
アッサムの朝は早いインドの極東部に位置しているので、日の出も日没もデリーあたりに比べて1時間以上早いようだ。 同じ宿に滞在中でディブルーガルから自家用車で来ているムスリムの中年男性が話しかけてきた。日本のことに興味を持っているらしいが、一方的に日本の製品が素晴らしいだのトヨタのカイゼンだのとよくしゃべることしゃべること。身なりからしても自家用車を持っていることからしてもこのあたりの中産階級に属するらしい。田舎だが工場かビジネスか何かしているのだろうか。
ホテルの近くに大きくて赤い建物がある。最初それがこのツーリストロッジかと勘違いしたのだが、実はタイ・アホム博物館であった。地元の歴史や文化に関する展示がなされているので是非見学したかったのだが、残念なことに改装工事のために閉鎖中であった。
同じ並びでそこから少しこのホテル寄りのところにテニスクラブがある。早朝からコーチから特訓を受けている初心者男性がいた。壁には1902年だか 1912年だかに始まったクラブだと書かれている。植民地時代にイギリス人や当局側のインド人のために造られたものなのだろうか。
Tennis Club,  Sibsagar


長距離バススタンド脇のタクシースタンドがあり、ここからシャラエダオ、ガルガーオン・パレス、ラング・ガル、タラータル・ガルを見て戻ってくることにした。地図が手元にないのでよく見当がつかなかったが400で折り合う。実際にすべて訪れてみると、まあそんなものではないかと思った。
運転手はアホミヤーだというから生粋のアッサム人である。なかなか話好きな人で家族のことやら子供のことやらよく話す。おかげでなかなか楽しい車内であった。
本日訪れた遺跡は、歴史的には非常に価値のあるものなのだろうが、造形的にも保存コンディションの点からも見ても私にとってはあまり面白いものではなかった。かなりイマジネーションが豊かな人か、地元の歴史に関する造詣が深い『玄人』向けなのではないかと思う。
シャラエダオ
ガル・ガーオン
ラング・ガル
タラータル・ガル
四箇所ばかり見ただけで『アホム王国の遺跡は魅力に欠ける』などと言うつもりは全くないのだが、最も強い関心を抱いたのはラング・ガルである。何しろ1979年4月7日、まさにこの場所でULFA(United Liberation Front of Asom)が結成されたのだから。別に革命やら武装闘争に憧れているわけではないのだが、個人的には遠い昔のことよりも現在目に見える世の中の動きのほうにより興味がある。自分が近眼でメガネをかけていることとはあまり関係がないと思うが、あまり遠く離れた物事はどちらかというと苦手なのだ。
ただし観光名所としての将来的な発展の可能性としてはタラータル・ガルが一番ではないだろうか。敷地内にはまだ発掘中の現場もいくつかあり、訪れたときは作業はなされていなかったが今後まだ新しい発見がなされることだろう。
どこも近隣の学校やカレッジの生徒や学生たち、カップルや家族連れが多かった。インドも近年どこに行っても地元の訪問者たちがとても多くなっている。自国内の観光地をそこに住む人々が盛んに訪れるということは良いことだ。ゆとりが出てきて観光ブームが起きているがゆえだが、こうして自国のとりわけ地元の歴史や伝統に関心が高まっていくことは素晴らしい。こうした動きの中で、従来さほど顧みられることのなかった史跡にも修復や保存の手が入り、人々の手によって守られていくことになるのだろう。
そうした動きの中、これらを管理する立場にあるインド考古学局により、遺跡自体の調査研究や保守に加え、収益にかかる部分についても整備がなされていくことになる。すると従来入場料を取らなかったところが有料になったり、外国人料金を設定したりということになってくるのだが、まあそれは仕方ないのだろう。収益を有効に活用して欲しいと思う。
このシブサーガルについても、ガイドブックに紹介されている各々の遺跡の入場料はどれも外国人の場合100ルピーと書かれている。だが地元の方々には申し訳ないのだが、いくつか見学してみた正直な感想としては、共通チケットとして100ルピー払えばすべて入場できる・・・くらいの設定で充分なように感じた。でも実際は幸いどこも5ルピーで入ることができたのだが。
別にインド人であるフリをしたわけではないが、窓口で『チケット一枚くれ』と言ったら『5ルピー』という返事が返ってきたのでそのまま支払っただけのことである。ヒンディー語ではなく英語で話すと違った答えが返ってくるのかもしれないが、特に『どこから来た?』などと質問されることもなかったため、ひょっとすると外国人料金はすでに廃止となっているのかもしれない。一応、チケットブースには小さな文字で書かれた『インド人5ルピー、外国人100ルピー』という表示は残っていた(?)のだが。
遺跡はともかくとしてシブサーガルの町中の様子は他のインドの町と変わらないようだ。丸っこい茅葺屋根の農家はないが、人々の風貌についてもおおむねインド東部のベンガルやオリッサと大差ない感じがする。ひょっとするとそれだけベンガル系の住民が多いということなのかもしれない。ただモンゴロイドの顔立ちやそれが混じっているらしい風貌の人はしばしば見かける。西ベンガルやバングラーデーシュ同様、この地域でもあちこちに貯水池が多く、日差しを照り返し美しく輝いている。
遺跡観光を終えてバススタンド前に戻ってきた。すぐ脇にあるホテルでかなり遅めの昼食。フィッシュカレーと野菜フライドライスにした。カレーの汁はなかなかダシが出ていておいしかった。ところで魚といえば、滔々と流れるブラフマプトラ河が縦断するアッサム州は川魚の一大産地であるとばかり思っていたのだが、アッサム州について書かれたある本によれば、同州は隣州ベンガルだけでなく、遠くアーンドラ・プラデーシュ州からも大量に買い付けている魚の輸入州なのだそうだ。
大河に恵まれ低地や湿地帯が広く、地理的には好条件であるにもかかわらず漁業はそれほど発達していないため生産性は低いらしい。10年ほど前のやや古いデータによれば、決して水量豊かとはいえないハリヤナー州の養魚場では1ヘクタールあたり2600キロもの漁獲があるのに対し、アッサムではわずか650キロなのだとか。もっとも見方を変えれば、アッサムの漁業関係は今後もっと伸びるポテンシャルを秘めているということにもなるのだろう。

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