待ち合わせが苦にならなくなったのはいつごろからだろうか。幾人かと待ち合わせすると特にこれといった理由もないのに必ず遅れてくる人がいるものだ。それは往々にして同じ人物であったりする。時間にルーズな人間というのはそういうものだ。一緒に待ち合わせしている誰かが自宅に電話して本人の家族に『何時ごろ出ましたか?』とたずねてみたり、一人暮らしの場合はムダだとは知りつつも留守番電話にメッセージを吹き込んだりなどした。そんなとき、待ち合わせに最大どのくらい待つことができるかということが話題になることもあった。
さすがに待ちくたびれて『そろそろ置いて行こうか?』ということになったあたりで、くだんの遅刻魔は現れるものだ。みんながどのくらい自分を待っているかということをあらかじめ読んだうえで自分の到着時間を決めている確信犯だと思う。
話は戻る。どのくらい待てるかという問いに対して『相手によるがせいぜい20分くらいかな?』という答えが最も多かったように記憶している。『記憶している』というのは、近ごろでは駅前その他の炎天下や吹きさらしなどで人と待ち合わせることがあまりないからだ。
誰も彼もが携帯を持つようになったあたりから、待ち合わせといえば『じゃ××時ごろに××のあたりで』とアバウトになった。当日その場所に着いて見当たらなかったら携帯に電話する。あるいは相手からこちらにかかってくる。何かあってどちらかが遅れる場合も途中で連絡できるので、いつ来るかわからない相手を延々と待つ、あるいは反対に待たせてしまう心配もない。家や職場を出てしまうと連絡の手段がなかった時代と違って、お互いに目的地に行ったものの何かの行き違いで結局会えなかったなんていう失敗もなくなった。
時間に間に合わない人については行き先を伝えて後から来てもらえばよいので、結果として遅刻魔の存在が目立たなくなっている。携帯電話の普及で待ち合わせのありかたもずいぶん変わったものだと思う。テレビ、白物家電、自家用車といったモノの普及時期は日印間でかなりの差があったものだが、携帯電話の行き渡る速度は両国で同時進行しているのが今の時代の面白いところかもしれない。