バーバー・ハルバジャン・スィン

Baba Mandir
 バーバーのお寺はスィッキム州の海抜4000mのチャングー湖畔にある。毎年多数の信者たちがお参りに訪れるという。バーバーはこの国境地帯とそこを警備する兵士たちの守護神として知られている。
 だが驚いたことに、そのバーバーことハルバジャン・スィンはなんと勇敢な兵士でもある。陸軍に1966年に入隊した彼は、スィク教徒たちから成るドーグラー連隊に所属し、今年12月1日にいよいよ除隊を迎える。そんな彼は例年と同じく2ヶ月の年休を過ごすべく、9月14日にパンジャーブ州カプルターラー地区にある故郷の村へと出発した。現在は軍人として最後の休暇を郷里の家族たちとともにゆっくりと過ごしているところだ。
 しかしこのバーバー・ハルバジャン・スィンは今晩もスィッキムの湖畔にある彼のお寺を制服姿でパトロールしているのだという。でも一体どうやって・・・?
 実はこのハルバジャン・スィンの肉体はとっくの昔にこの世から消え去ってしまっている。陸軍入りして2年後の1968年に(メディアによっては彼の死亡時期は1962年の中印紛争時とするものもある)ナトゥラ峠近くで物資運搬のためラバを誘導していた際に行方不明となった。遺体は後日発見されたが、死因は付近の氷河に滑落したためとされる。
 そんな不遇な彼は連隊の同僚たちの夢の中に出てきた。同じ夜に複数の兵士たちが安住の地が欲しいと懇願する彼の姿を見た結果、彼を祀る祠を建てたのが現在チャングー湖のほとりにある通称『バーバー・マンディル』の始まりである。


Harbhajan Singh
 生前、一兵卒ながらも規律に厳しく正義感あふれる軍人であったハルバジャン・スィンは祠に祀られてからも、国境地帯に勤務する同僚たちを叱咤激励し続けてきた。夜警の間うっかり眠り込んでしまい『バーバーに叩き起こされた』という兵士も少なくないのだという。
 連隊のキャンプでは今なお夕方には彼のベッドが整えられており、朝になるとあたかも誰かがそこで眠っていたかのようにシーツがしわくちゃになっているのだとか、前夜にピカピカに磨いておいた彼の軍靴が夕方になるとまるで訓練から戻ってきたかのように泥だらけになっている・・・なんていう話もあるらしい。
 だがそんな『伝説』はともかく、先述の年休については毎年9月14日に彼の遺影と遺品が兵士に伴われて勤務地から故郷の村まで里帰りを続けているのは興味深いことである。 
 ジープで西ベンガル州のニュー・ジャルパイグリまで送られ、そこから鉄道に乗り換える。休み明けには再び出迎えの兵士が故郷の村までやってきて、逆のルートで駐屯地へと戻るのだそうだ。この里帰りは亡くなってからすぐに始まったものではなく、1984年から開始されたものであるという。おそらくバーバー・ハルバジャン・スィンの神格化が進んだことによるものではないだろうか。
 同じく興味を引かれるのは、彼に今なお毎月給料が支給されていること、そしてことあるごとに昇進を続け、現在は『陸軍大尉』の地位にあるということだ。つまり兵力110万を抱える巨大なインド陸軍には何と『神様』までもが籍を置いているのだ。
 国土を防衛する軍隊は、同時にとってもオカタイ役所でもある。すでに死亡が確認されている人が軍籍にあるなんてことはまずないと思うのだが、環境の厳しい高地の国境地帯において展開していく中で、軍内部の人身掌握のために何かこうした人智を超越した存在を求める動機が何かあったのかもしれない。
 この地域に勤務する軍の幹部だけではなく、今では一部の市民の中にもここを訪れる人々が増えてきていることから、地元ではこの小さな寺を地域の観光化の呼び水にという期待もある。
 ナトゥラ峠付近で亡くなった後も、彼が長いこと守ってきた中国との国境地帯。まさにこの峠を経由する交易路が今年夏にオープンしたのは記憶に新しいところだ。これまで銃口を向け合ってきた相手国との雪解けを見届けたうえでその年の年末に引退するハルバジャン・スィン。ここにきてようやく彼の魂は安らかに眠ることができるのだろうか。
Indian Army
”Baba” Harbhajan Singh shows true soldiers are immortal (webindia123.com)

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