ダーラーヴィー 4

このツアーをオーガナイズしている旅行会社と対で運営されているNGOが設立した小学校を訪れる。授業が進行中であった。近ごろでは、スラムでも教育の大切さを理解する人たちが増えていて、かなり無理をしても子供を学校になんとか通わせよう、より高い学歴を与えようと頑張る傾向があるとのこと。
他のより恵まれた家庭の子供たちに較べてハードルは高いものの、ダーラーヴィー出身で苦学しながら高等教育を受けて、弁護士になった人、医者になった人は少なからずあるといい、公務員やその他のホワイトカラーの職を得ることは決して珍しいことではないとガイドは話す。
学校を後にしてしばらく歩いて通りに出ると、そこはタミル人地区になっていた。南インド式のヒンドゥー寺院があり、看板や貼紙等も大半がタミル語だ。往々にしてデーヴァナガリでも併記されているのは本場(?)と異なるものの、人々の装いも景観も、タミルナードゥの田舎町のバーザールに来たかのような感じがしなくもない。
この地区内のメインストリートのひとつであるようで、食堂も甘いもの屋もきちんとした構えの店が多く、大手銀行の支店も複数あるともに、マイクロクレジットの類の金融機関らしきものも見かけた。このあたりは居住地域にもなっているようで、裏手の路地を進むと、いくつもの開け放たれた扉から中の様子をチラリと目にするとができた。
テレビ番組の音、子供たちが遊ぶ声、母親が息子を叱り付けている様子、近所に暮らす主婦たちが戸口で井戸端会議を開いていたり。さきほど見学した作業場とは裏腹に、どこの世帯も家の中はずいぶんきれいにしているようだ。狭いスペースに多人数暮らしているためであろう、家財道具や衣類などが山と積まれている様子も見かけたが。 ガイドの話だと、スラムからコールセンター、会社、役所などに通勤している人、あるいは家庭の使用人として働きに出ている人たちも少なくないという。
そういう『住宅地』では、いったいどういう立場にある人なのかよくわからないが、パリッとした都会的な格好(そもそもダーラーヴィーは大都会の真っ只中に位置しているが・・・)で、ミドルクラス風のいでたちと雰囲気を漂わせる人の姿も見かけた。タミル人地区の端には、別の私立学校があった。立派な構えで、建物も新しい。イングリッシュ・ミディアムの学校だという。子供たちの制服姿を目にしていると、どこか裕福な家庭の子弟が通う学校であるかのような気がしてしまい、思わず目を疑う。
この学校が面する公道を渡ったところは、グジャラーティーの陶工コミュニティの地区。目に付く看板や貼紙の大部分はグジャラーティーで書かれている。女性たちは、いかにもグジャラート人らしく、カラフルな装いをしている。陶工という社会通念上は、地位的の低いコミュティであるが、彼らグジャラーティーたちの住環境は、それまでに見た他のエリアよりも少し良好であるように見えた。
グジャラート人陶工地区を後にしてしばらく歩くと、ツアー会社と運営母体を同じくするNGOによる幼稚園があった。インドの縮図であるかのように、様々なコミュニティの人々が混住ないしは集住するダーラーヴィーで、様々な異なる出自を持つ園児たちに対し、まずは英語とヒンディー語を自由に使いこなせるようにすることが狙いだそうだ。英語はもとより、ヒンディーについては、本人が住むコミュニティが非ヒンディー語圏のものであると、成長してからもうまくそれを使えないことが少なくないらしい。訪れたときには幼児たちの姿は目にしなかったが、スタッフたちが何やらミーティングを開いていた。
再び公道に出て、最後の目的地コミュニティー・センターは、たった今訪れた幼稚園や陶工コミュニティがある一角から見て道路反対側。そのすぐ手前には、6階建ての真新しい総ガラス張りの見事な商業ビルがそびえている。まだ出来たばかりで、テナントは入居していないようだった。ガイドによれば、規模のごく小さなモールのようなものになるようだ。
ここに買い物に来る人は、ダーラーヴィーの外からわざわざやってくることはないと思うので、スラムの住む『富裕層』が顧客となるのか?ボロボロの建物やバラックが延々と続いているものの、さきほどから時折こうした立派な建物を目にすると、本当にここがスラムなのか?と疑ってしまうくらいだ。
その新築物件の背後にあるコミュニティー・センターは、このツアー会社と同一の運営母体によるNGOが運営している。成人のための英語学習コースとパソコン教室を実施している様子をしばし見学してから、この日のツアー代金の支払いを済ませる。あとはコラバまでクルマで送ってもらい、今朝集合した地点で解散である。

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