レーワーリー駅の東口と西口

レーワーリーはロコ・シェッド(機関車整備場)を訪れたのみだが、駅の東西がまったく違う街になっているのが興味深かった。

インドに限らず日本その他でも鉄道駅のこちらと向こうで雰囲気がずいぶん異なることはあるが、レーワーリーほどの極端な例はそう多くない。

鉄道駅の東側には駅前スペースはほとんど無く、いきなり密度の高い商業地になっている。主要駅のひとつであるこの駅を乗り降りする人たちは24時間絶えないため、駅前ではデリーやカーンプルなどと同様に終夜営業をしている店もかなりある。オートはリザーブ(貸し切り)と乗り合いのいずれも客の取り合いだ。とにかく賑わっている。

こちらはレーワーリー駅東口

一方で西口に出ると、商店は一軒もないし、客待ちのオートもゼロ。とても静かなのだ。これには驚いた。よく見るまでもなく、建物は古ぼけているものの、鉄道病院があったり、鉄道関係者の住宅が立ち並んでいたり、簡素だが趣のある教会があったりする。ここはいわゆる「レイルウェイ・コロニー」なのであった。

レーワーリー駅西口は閑静な住宅地

つまり鉄道関係用地という、きちんと管理された政府所有地が西口側に広がっているため、民間企業等が開発したり、一般の商店や住宅が建てられたりすることもなければ、スクウォッターたちが勝手に住み着くことも出来ないわけである。

本日、ロコ・シェッドに出勤してくる人たちはみんな同じ方向から歩いて来ていたので、おそらく整備士たちの宿舎に住んでいるのではないかと推測できる。

英領時代、ロコ・シェッド自体が造られた頃は当時のハイテクの粋を集めた先進的な機関であったはずなので、英国人のメカニックがネイティブ(当時は「インド人」をそう呼んでいた)に技を伝えるべく頑張っていたはず。

在インドの英国人にも当然、階級というものはあり、鉄道、自動車、電信電話その他のいわゆる現業部門の英国人たちは、社会の指導的立場にはなく、彼らがフィールドとする仕事場における「親方」に過ぎなかった。

そんなわけで、現在のレーワーリーのレイルウェイ・コロニーの古ぼけた庭付き戸建ての官舎には、比較的良さげな給与待遇に惹かれて渡印したものの、配属先で大きなタスクを負わされつつも、ホワイトカラーの同国の上役からはやいやいのと言われたり、部下のインド人たちへのリーダーシップがうまく取れなかったりと、追込まれて気の毒千万な英国人も多かったはず。

植民地時代の研究や考察などで、そうした現業部門に従事した英国人に関するものは例外的と思われるが、何かカチッとまとめられたものがあれば、是非読んでみたい。

ロコ・シェッドの入口

それはそうと、オープンと同時に入場しようとゲートには早めに着いてみたが、見学時間は午前9時からとのことであった。(8時からと思い込んでいた)

ちゃんとゲートに掲げられた案内板に書いてある。ちなみに月曜日と国の祝日は休館とのこと。

公開時間が記されている。開くのは朝9時からとのこと。閉まるのは夕方4時。

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