ご神木と祠

ご神木がそこらにたくさんある。当然、それらには待遇の差あり、若干の神性を帯びてそのまんまという木もあれば、このように立派な祠が寄進される場合もある。

その祠も大小様々で、ちゃんと壁や屋根まで揃えて、中に祭司が常駐するまで出世するものもある。

もはやそうなると祠ではなくお寺である。もっともただの祭壇であっても「マンディル(寺)はマンディル」なので、本質的な違いはないのかもしれない。

それでもやはり「霊験あらたか」であればこそ、大きく成長するのであろうし、お参りする人々と神様なるものを繋ぐブローカー(祭司)の口先三寸で、さらに収入を伸ばすこともあるだろう。

神様の側にこうした仲介者が関わることで、その神様は純粋な信仰の対象としての役割だけではなく、仲介者に富と恵みをもたらす商品としての役割をも担うことになる。

当然、仲介者は収入を得る手段として、その仕事を遂行しているわけである。その人の能力や喋りの巧みさにと釣り合いの合わないものであれば、収益のために他の手段を講じるだろうし、順調に富をもたらしていれば、得たものの中からそのお寺の見栄えをさらに良くして、さらなる支持を広げるためだ。

宗教活動の背景にはそれを支持する経済的動機と所属意識があるものなので、プロスポーツのチームやクラブの運営などとかなり共通する部分があるように思っている。

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