ついにゴアでも「復興運動」を展開へ

ヒンドゥー右翼たちにより、デリー、アーグラー、マトゥラー、バナーラス等において、イスラーム教関係の施設や遺跡などに対して、「元はヒンドゥー教の寺であったものを、イスラーム教徒侵略者たちが破壊してモスクその他のムスリムの施設などに変えた」として、いろいろな運動が展開されているのはご存知のとおり。

そうした中で同時多発的に裁判も進行中で、「ヒンドゥー教徒による礼拝を認めろ」だの「ヒンドゥー教寺院であった証拠はこのリンガム状の物体だ」などとして、専門の学者ではなく、裁判所に認定を迫るかのような姿勢で、既成事実化して、しまいにはそれらの施設や遺跡を乗っ取りそうなムードだ。

これらは少なくとも表向きはBJPその他のサングパリワールと呼ばれる一連の関係団体によるものではなく、ごく普通の市民が縦横の連帯すらなく、自発的に始めた運動のようになっている。しかしたとえばバナーラスやデリーの事例のように、普通の主婦たちがわざわざそんなことに血道を上げるだろうか。いかにも怪しい。

こうした上げ潮の勢いが先日のBJPの広報担当者による預言者モハンマドを侮辱したとされる発言が出るまでに至ったのだろう。こうした動きはこれまで北部が中心であったが、イスラーム教徒ではなく「クリスチャンに侵略されたゴア」でも始まった。かつて存在したヒンドゥー教寺院、ポルトガル当局に破壊されたお寺を復興しようという動きだ。

ポルトガル時代に9割を越えたクリスチャン人口は、ポルトガル当局による苛烈なヒンドゥー教への弾圧に加えて、改宗すれば人種の違いに寛容なポルトガル植民地社会というインセンティブもあり、多くの人々がヒンドゥー教から離れてカトリックを受け入れたことが背景にある。

そんなゴアだが1961年のインドによる軍事侵攻により陥落し、強制的にインドに併合された後、当然のことながら相互で人口の大きな移動があり、現在はゴア人口の7割近くがヒンドゥー教徒となり、カトリックはマイノリティーに転落して久しい。

インドによる脅しと侵略への恐怖が現実化していた1950年代後半には、ゴア市民はこうなる事態、すでに「ゴアン」としてのアイデンティティーを確立していた人々は、インド人の大海に呑み込まれてしまうことを危惧していたのだ。当時のゴアはインドに対して比較的裕福で、インドはとても貧しかったこともそうした嫌インドの背景にあった。

インドがポルトガル領ゴアに経済封鎖を実施していた頃は、ポルトガルが支配するところのゴアとパキスタンは蜜月状態にあり、生活物資、食料その他の必需品がカラーチーの港からパナジの港へと大量に運ばれたという。

これまでゴアでクリスチャンとヒンドゥーの関係は悪くなかったが、こうした右翼の動きが浸透していくようなことがあれば、すでに多数派となっているヒンドゥー社会からクリスチャンが次第に排除されていく未来もあるのかもしれないし、今の時代を生きるカトリックのゴアンの人々の間から嫌インドという動きも出てくるかもしれない。

今後の推移を見守っていきたい。

Goa’s Own Gyanvapis: Govt To Reconstruct Temples Destroyed During Portuguese Regime? (Outlook)

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