第二次タリバーン政権樹立間近

アフガニスタンで米国の傀儡政権が陥落しようとしている。現政権と懇意にしてきたデリーの外務省は慌ただしくなっていることだろう。民間人たちも市内のラージパトナガルあたりのアフガンコミュニティでは、身内などの脱出のために手を尽くしている在印アフガニスタン人たちも多いだろう。

またタリバーンの生みの親であるパキスタンの軍統合情報部(ISI)も逆の意味で忙しくなっているはず。パキスタンにとってはアフガニスタンに親パ政権を樹立させることは対インドの安全保障上の重要課題。地理的な「戦略的深み」のためである。インドに対して平べったく接する形のパキスタンにとって、有事の際にインドによる攻撃圏外に要人、司令部、戦闘能力その他を退避させることが可能な場所を確保することは、いつの時代も最優先課題。

アフガニスタンの社会主義政権時の内戦時代に様々なムジャヒディーン勢力がそれぞれ米国、サウジアラビア、パキスタンなどの支援をうけてカーブル政権打倒のために活躍したが、この時期にパキスタンが最も強く支援していたのはグルブッディーン・ヘクマティヤル。ただし彼が繰り返す合従連衡、周辺勢力との協調性の無さと配下の組織の狼藉ぶり等々に愛想を尽かしたパキスタン軍が目をつけたのがアフガニスタン出身の神学生たちであったとされ、これを同軍が育て上げて当時混乱を極めていたカーブルの政権を陥落させたのは90年代半ば。当時はなぜ若者たちの徒党が雪崩を打って拡大して首都まで落とすようになったのかミステリーであったが、「パキスタン軍からの出向者」も要所に配置されたパキスタン軍の子会社みたいな組織であったため統率は取れていたのだろう。

タリバーンという組織は、ムジャヒディーンを名乗りながらも実質は野党集団が牛耳る政権、政権の勢力圏外では各地軍閥が支配する無秩序で危険な国土に安定と良好な治安を回復させることを目的に旗揚げした集団であったため、各地で好意をもって迎えられたことをすっかり忘れている人たちも多いようだ。タリバーンは平和をもたらしたのだ。

その後、行き過ぎたイスラーム主義の暴走による人権侵害、女子教育の否定、映画や音楽そして舞踊などの娯楽の禁止、バーミヤン遺跡の破壊などにより評判を落とすとともに、1999年12月に起きたカトマンズ発デリー行きのインディアンエアラインスのハイジャック事件で実行犯たちが飛行機をアムリトサル、ドバイその他へ着陸させるなど混乱を極めた後、最後に交渉の場をカンダハル空港に定め、ここでタリバーン政権仲介のもとで、現地に駆けつけた当時のインドの外務大臣、ジャスワント・スィンが交渉を続けた。この際に人質との交換でインドの刑務所に服役中であったパキスタン人テロリストを釈放させ、犯人たちはタリバーン政権が用意したクルマで悠々とパキスタン国境へと消えて行った。このあたりから「タリバーン=テロ組織支援勢力」という評判がついてまわるようになったようだ。そして2001年の米国での同時多発テロ以降、黒幕のオサマ・ビン・ラーデンを匿っているとして米国に名指しされたことにより、日本でも「テロ組織」ということになったように記憶している。その後、ご存知のとおり米国主導の戦争により、タリバーン政権は崩壊。

パキスタンの文民政権の関与できない工作活動なども軍主導で進んでいることだろう。政権と並立する形で軍の権力が存在するパキスタンの危険な二重構造は長年の問題だ。現在のイムラーン政権は軍寄りではあるものの。

日本のメディアでは、米国との関係性で語られることはがりが多いアフガニスタン情勢。視野をアフガニスタン周辺国にひろげてみるともっといろいろなものが見えてくる。

「第一次タリバーン政権」では、同政権を承認したのは、たしかパキスタン、UAE、サウジアラビアなどの数少ない国々。孤立した政権は資金等などをチラつかせた国際テロ組織(アルカイダだけではない。ムンバイでの同時多発テロを実行したパキスタンのあの組織とも)などにも利用され、これらに隠れ場所を提供することにさえなった。

第二次タリバーン政権樹立にあたって、国際社会はこのアフガニスタンの新しい記事政権に積極的に関与して、国際社会と互恵的な関係を結ぶよう務めるべきだろう。こういう事態を見越してか、中国などがタリバーンとの関係性を深めていることは、ある意味朗報とも言える。

ただパシュトゥーン人主導のタリバーン政権再樹立となった場合に懸念されるのは、その他の勢力つまり現政権側の民族への報復行為と、あまりに偏ったイスラーム主義の強制。西欧その他の「民主主義」の手法が、なかなか実現しにくい土壌ということもあり、数多くの人権侵害の事案発生が心配だ。

それでも遠からず傀儡政権は倒れるだろう。タリバーン新政権は周辺国その他と、どのような関係性を築いていくのだろうか。あるいは前回同様に孤立した政権となるのか?タリバーンそのものの姿勢がどうかということもあるが、かつて「テロとの戦い」と銘打った戦争で追い出した政権であるとともに、人権侵害や性差別といったイメージもあり、欧米をはじめとする先進国が自国世論を前に、彼らの政権を承認しにくいこともある。

これが今後の政権の性格を左右し、アフガニスタンの運命を決めるカギになることは間違いないだろう。

タリバーン、アフガン第2の都市も制圧 州都陥落13に (朝日新聞DIGITAL)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください