「インドの言葉」としての英語

ごく当たり前のことだが、日本では英語を「外国語」として学ぶいっぽう、インドでは英語を身につける目的はドメスティックな用途だ。

日本人で英語が上手な人で、なぜかアメリカ人的なリアクションや仕草が出たり、日本語で話すときと違って「外国人を真似」している風だったりして「借り物」的な感じがすることがある。何か意見を言うときも、そこに引きずられてしまい、日本語で言うときとちょっとニュアンスが違ってしまうこともあるのではないかとも思うことがある。

インドで英語は「インドの言葉」として学ぶため、そのあたりのブレはない。外国語ではなくインドの言葉なので外国の英語のアクセントを真似る必要はなく、必要があってインドの国外に行くときも「通じる言葉」なので、なおさらのこと卑屈になる必要はないのだ。

英語がインドに定着したのは、言うまでもなく英国による統治があったがゆえだが、英語とともに「Vernacular Language」つまり「現地語、土着語」が用いられていたのだが、これが19世紀前半あたりまではペルシャ語であった。英国で採用されてインドに赴任する若い人たちは、みっちりとペルシャ語を仕込まれてから船に乗っていたわけだ。

ペルシャ語が行政の言語であった背景には、ムガル帝国による支配及び西方からの文化的政治的な強い影響があったため、ヒンドゥー教徒をマジョリティとする社会上層部でペルシャ語の知識は共有されており、ムガル帝国で政府に仕えるヒンドゥー教徒知識階層もペルシャ語には造詣が深かった。その時代には、ペルシャ語がちょうど今の英語の役割をしていたと言えるため、英国にとってもこれをそのまま流用してしまうのは理にかなうことであった。

19世紀にペルシャ語が英語に取って代わられる際に、現地の言語も行政言語として採用されることになるにあたり、当時北インドで広く通じる言語として共有されていた「ヒンドゥスターニー語」をめぐり、大きな文化的闘争が始まる。これをペルシャ文字で表記し、ペルシャ語、アラビア語起源の語彙を積極的に用いる「ウルドゥー語」とするか、デーウァナーグリー文字で表記し、サンスクリット語などの古典語の語彙をふんだんに用いる「ヒンディー語」とするか、である。

これがやがてムスリム=ウルドゥー語、ヒンドゥー=ヒンディー語という形で、それぞれのアイデンティティ、ナショナリズム形成へ至るうねりの源流のひとつともなった。

当時のペルシャ語だが、もちろんペルシャとの通商や往来のためにインド社会上層部で共有されていたわけではなく、こちらもムガル帝国や周辺地域等の政治圏、文化圏におけるドメスティックな用途であり、「インドの言葉」であったわけだ。

現在のインドで英語が「自分たちの言葉」であるがゆえに、自信をもってよどみなく喋り、表現し、主張する。(全人口に対して、英語を母語同様に自在に扱える人の割合はさほど高くはないとはいえ、都市部中産階級以上にはこれが集中しているし、相当な人口規模になる)

オーストリア人が、ニュージーランド人がそうであって当たり前であるのと同じで、この記事にあるような形で「英語上達の極意」とするのでは、捉え方が違うと思う。

インドにおける英語は「foreign language(外国語)」ではなく「vernacular language(現地語)」であるからだ。

 

世界のどこでも「インド英語」を堂々と インド人に学ぶ英語上達の極意(The Asahi Shimbun GLOBE+)

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