ポーカラーの日本語教室

H学院
半日歩き回って、レイクサイドに戻るとかなり暑くなっていた。この時期、ポーカラーの午前中早い時間帯は涼しくて快適なのだが、昼前くらいからずいぶん気温が上がってきて、午後になると汗だくになる。WiFi付きのレストランでしばし休憩する。
ここの上階は、H学院という日本語教室になっている。レストランの従業員の中の1人もここで学んでいるとのこと。彼が言うには、教え方が非常に上手くて理解しやすいとのこと。しばらくすると、その教室で学んでいるという人たちがポツリ、ポツリと集まってきた。午後4時半からレッスンが始まるそうだ。こうした彼らからヒンディーで話を聞けるのだから、隣の大国インドの言葉は重宝する。
ネパールでは広くヒンディーが通じる。これを母語とする人は総人口のわずか1%程度でしかないというし、この言葉による出版活動はほとんど無に等しいようだが。もともとネパール語がヒンディー語圏の外縁部にあり、文法や語彙の点で近似する部分が多いこと、インドに出稼ぎに行く人がとても多いことに加えて、テレビ番組や映画などを通じ、ヒンディー語に触れる機会が非常に豊富だ。ゆえに人によって置かれた環境により差はあれども、自然と素養が身につくものらしい。
広く通じるからといって、またエンターテインメント等で馴染んでいるからといって、諸手を挙げてこの言語に親しみを感じているかどうかはわからない。最近、このヒンディー語に関して大きな問題が生じている。昨年ネパールの初代副大統領となったパルマーナンド・ジャー氏が就任式の宣誓をヒンディーで行なったことは違憲であるという議論について、司法判断を仰ぐ事件にまで発展しているのだ。
SC orders VP oath in 7 days (Himalayan Times)
パルマーナンド・ジャー氏は、テライ地方のマデースィーと呼ばれる民族の出身。インド側では主にビハール州北部に、ヒンディーの方言であるマイティリーを話す同族が住んでいるわけだが、これまでネパールで政治的に不利な待遇を受けていた彼らの地位向上を目指すマデースィー人権フォーラムのリーダーである。
事の本質はもちろん、ヒンディー語に対する感情論などではなく、ネパールの国政をあずかる副大統領という地位に就く者が、憲法によれば当然ネパール語により宣誓を行なうべきであると解釈されるところを、他の言語で行なうことがふさわしいものであるかどうかということであるのだが。
話はH学院に戻る。しばらく生徒たちと話をしていると、ここで教えているという男性が姿を現した。ここの経営者であり、教員でもあるL氏は、10年ほど前に始めて日本語に触れ、その後は研修生として日本で暮らした経験があるのだということで、しばし日本語で話をうかがう。
彼は毎日午前6時、正午、午後4時からと、それぞれ2時間ずつ教えている。『もしよかったら授業を見ていってください』とのことなので、生徒たちと階段を上り、教室にお邪魔する。
生徒たちは、ほぼ全員が商売で日本語を使おうとしている人たちで、年齢は20代前半から40代までと幅広い。授業開始後が始まったが、しばしば生徒たちの携帯電話が鳴り、教室の外に出て話などしている。
教えている内容は特にどうということはなく、先生が教える文法には怪しげなところが少なくないし、語彙の面でも不足している部分が多い。また漢字にいたっては、ごく基本的な文字以外は知らないようだ。正式な日本語教育を受けたことがないらしく、こればかりは仕方ない。
それでも、ゆったりと自信に満ちた余裕ある態度で、また先生らしい威厳を保って教壇に立つ姿は、ここで学ぶ人たちに信頼感を与えるのだろう。持てる日本語知識は決して高いとは言えないものの、持てる力をフルに活用して創意工夫を加え、日本語とネパール語を交えて、豊富な実例を挙げながら生徒たちに教えている。教授能力はかなり高い人物であるようだ。
基本的に板書はしないし、それに重きを置いていないので授業にスピード感があるが、生徒たちは積極的に反応しており、見ていて気持ちがいい。生徒たちは、先生の問いに対して競うように答え、新たな言い回しが出てくると級友同志ですぐに実践してみたりと、早く日本語を身につけたいという旺盛な意欲が感じられる。
一応、教科書らしきものはある。しかし会話が中心で、あまり読み書きは重んじていない。教える側の日本語能力の関係もあるのだが、生徒たちの目的である『商売人として日本人とある程度の会話ができるようになる』というニーズに適うものとなっている。
教室に集まる生徒たちは、基本的に仕事を持っている人たちであるため、授業開始からだいぶ経ってから教室にノッソリと入ってくる人たちもあるが、それでも着席してから熱心に学ぶ姿勢は同じだ。
授業がある程度進んでから、L先生に『日本の文化について話してください』と言われた。突然のことで、何を話そうかと思ったが『日本の時間感覚』について話すことにした。
日本では時間に対して厳格であること。通勤電車がトラブルで10分遅れただけで新聞記事になるほどである。仕事のスケジュール等も同様で、個人的にはもうちょっと応用でもいいのではないかと思うのだが、まあそういう風土なので仕方ない。日本に住んでいる南アジア系の人々が、日本人も交えて何かを行なう場合、『時間はJSTで!』という言い方をすることがある。これはJapanese Standard Timeの略だが、ネパールよりも3時間15分進んでいるということではなく『日本式の時間感覚で』という意味である・・・などといったことを話してみた。
この後、先生は私が話した『日本の時間感覚』をテーマにして授業を進めていく。その中で、『日本では出勤に10分遅れるとその日の給料はパーになる』と話しており、彼が研修生として働いていた場所では、そうした慣習がまかり通っていたことがうかがわれ、気の毒になった。
そうした話の中で、ある生徒は『ネパールの時間の感覚は、私たちの大切な文化でーす』と答えて皆の笑いを誘っている。眺めている私には、この気取らなさが楽しい。
言葉を習うには人それぞれの動機や目的がある。学術目的で学ぶ者があれば、仕事や生活その他必要に迫られて習う者もある。今回訪れたのは後者だが『新たな言葉を身に付けたい』という意欲に満ちた教える側の熱意と教わる側の意欲がぶつかり合う現場に身を置くのは久々で、なかなか新鮮な体験であった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください