バスタル宮殿

バスタル王国最後の王、プラヴィール・チャンドラ・バーンジ・デーオ。現在の当主の祖父だが、独立後のインドで州議会議員となったが政治絡みで非業の死を遂げている。

バスタルは英領期に小さな藩王国であった。王はラージプートの家系だが、バーンジ王朝と呼ばれるオリッサ、チャッティースガルなど、東部にいくつかの小王国を築いた系譜に連なる。
現在の当主はまだ若いカマル・チャンドラ・バーンジ・デーオで、2013年の州議会選挙にBJPから出馬して見事当選している。
だが彼の家はそれまで40数年間も政治から遠ざかっていたこともあり、旧藩王国の主という知名度はあっても、地盤はとうの昔になくなってしまっていたため、相当な快挙だったようだ。
さて、この宮殿だが、入口の赤と白で彩られたゲートを入ってすぐのところにダンテーシュワーリー寺院という当地では有名な寺があるので参拝客は絶えないのだが、その少し奥に旧藩王家の宮殿がある。
「ラージプートの宮殿」と聞いて想像するようなきらびやかなものではなく、政府の役所みたいな感じの建物だ。
私のような外部の人間が見学できる部屋がひとつだけあり、そこに歴代の当主の肖像画や写真が飾られている。
一番下の画像がその部屋なのだが向かって右側奥に階段があり、その上は旧王家の住まいとなっており、彼らはここで今も日常生活を送っているとのこと。
藩王国が終わったとき、つまりインドが英国から独立してからだが、もちろん関係者にとっては生活を賭けた一大事であった。
藩王国から州政府に統治権限が委譲されるといっても、それまでの統治や記録、ノウハウ等々の一切を藩政府の役人たちが握っており、そうした背景を持たないまっさらの人たちが送り込まれても何も仕事ができないため、旧体制で実務を担ってきた人たちの多くが、そのまま横滑りしたケースが多かったことは想像に難くない。
各藩王国の主やその家族たちはインド政府から年金を保証されて共和国への併合を承認した。
その後、国会による決議を経て、1971年に旧藩王家への年金は廃止されている。ここに至る動きの中で、これを阻止すべく大勢の旧藩王家の人たちが中央政府の総選挙に出馬しているのだが、独立インドでしっかりと地盤を築いてきた一部の人たちを除き、ことごとく落選している。
独立以降のインドでは、旧王家という看板だけではまったく戦えないのである。あるのは他の政治家と同じで、地盤があるかどうかだ。
先述の旧藩王家の当主だが、今年11月に投票が実施された州議会選挙では再選できなかったようだ。
そんなわけで、もはや旧王家であることによる世俗の力は何もなく、あるのは共和国への移行に伴い手元に残すことができた私財をいかに運用できたか、つまりビジネス等の世界で増やすことができたかどうか、あるいは藩王国廃止時点で持っていた地盤と人脈を最大限に活用して、政界に地歩を築くことができたかどうかですべてが決まる。
そうして自ら築き上げた地位以外の部分で、今の時代に、王が王としての威厳を行使できる場があるとすれば、王家の時代からプライベートに仕えている執事、使用人(王家によっては、そうした人たちを同じ家から代々雇用しているケースがある)くらいのものだ。
小さなバスタルの王家でそういう関係にある人たちが今もいるのかどうかはよく知らないのだが。

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