泰緬鉄道

ミャンマーからバンコクに戻った翌日、旧泰緬鉄道に乗ってみることにした。ご存知のとおり、旧日本軍がビルマ戦線における物資輸送等のため、連合軍捕虜やアジア各地から徴用された人々に大きな犠牲を強いて作らせた鉄路である。
当時のビルマ(現ミャンマー)は、インパール経由でインドに侵入するための、いわばベースキャンプのようなロケーションであったがゆえに、旧日本軍はこの路線の建設を強行させたものである。バンコクから北西に進んでビルマ国境を越え、モールメイン(現モウラミャイン)、マルターバン(現モッタマー)を経て、ヤンゴンへの移動を可能とするものであった。
インド亜大陸に続いてビルマでも鉄道ネットワークを拡大させていたイギリスも統治下にあったビルマからタイへと至るこのルートの構想は抱いていた。しかし土地の起伏が大きく、ジャングルに覆われたこの地域で鉄路の敷設は困難でコストに見合わないとして、これを実行に移すことはなかった。
現在、ミャンマー側ではこの路線は廃線となっている。タイ側は、映画『戦場に架ける橋』のモデルであるとして広く知られるクワイ河鉄橋からしばらく先に進んだナムトーク駅が終点となっている。
思い切り早起きしてタクシーを拾い、ホアランポーン駅へと向かう。土曜日と日曜日にはナムトクまでのツーリスト列車が朝6時半に出ているとのことで、これをアテにしていたのだが、残念なことにすでに満席とのことだ。
再びタクシーに乗り、毎日ナムトクまでのローカル列車が上り下りとも2本ずつ出ているトンブリー駅に行く。出発時間は7時45分とのことで、まだずいぶん時間があるため、駅外に広がるマーケットを物色。ここで朝食用に弁当とスナックを買い、駅のベンチで国鉄労働組合による『民営化反対』というポスターを眺めながら食べる。
トンブリー駅を出発
週末のためか人が多く混雑しているが、なんとか席を確保することができた。しかし陽が照りつけてくる側の窓際になってしまったので、走り出すなり暑さで消耗する。タイはどこでもそうだが、ヴィックス・インヘラーの安価な類似品をひっきりなしに鼻に当てている人が今多い。確かにクールな刺激で、涼しく感じる効果はあるようだ。
路線は単線だが、そもそも本数がとても少ないので、擦れ違う列車はほとんどない。それでも週末のみのツーリスト列車の運行を最優先にしている(?)のか、特に遅れる理由は見当たらないのに、着く駅ごとに遅れが蓄積していく。
途中駅
トンブリー駅を出てか市街地を抜けると、水と緑豊かな光景が続く。ときおり町に入るが、やがてまた田畑の続く単調な風景。カンチャナブリーまではこうしたどうということのない眺めが続いた。
国際列車の車両
途中駅で、バンコクからシンガポールまでマレー半島を縦断して往復する国際列車の車両が停まっており、制服のスタッフらしき人々の姿も見えた。この列車のルート上ではないため、おそらく職員の研修を行なっているのではないだろうか。
クワイ河鉄橋
カンチャナブリーで大半の乗客が降車。ようやくゆったりと腰掛けることができるようになった。ここからの景色はそれまでとだいぶ様子が変わり、大きな町らしきものはほとんどなく、起伏の多い地形が随所に見られる。
20090604-view.jpg
ダイナマイトで爆破したと思われる切通しや崖には、荒々しく掘削した跡も残っており、そういうところに架かる危なっかしい橋梁では、列車は徐行して進む。しかし暑さで感激するココロも緩んでしまっているようで、いまひとつ気が乗らない。
20090604-bridge2.jpg
ナムトークまであと一駅
これが遠くビルマまで通じていたころ、モールメインまで何時間かかったのか知らないが、今日トンブリーからナムトークまで7時間かかった。トンブリーに折り返し出発するまでの停車時間に、あたりを多少散歩でもするつもりだったが、駅員によると『かなり遅れたので、今すぐに出ます』とのこと。
その帰りの列車も途中さらに遅れ気味で、蒸し風呂状態の車内で疲れ果ててしまい、カンチャナブリーに着いた時点でリタイヤし、バンコク行きのエアコンバスを捕まえるために、サムローでバスターミナルに向かう。
一部を除いて景色が単調なことに加えて、耐え難いくらい暑い車内には参った。もうちょっと涼しいときにくれば良かったかな?と少々反省である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください