非喫煙者 でもときどき喫煙

ふと思えば、周囲で喫煙者が減っている。禁煙・分煙化の動きはどこも同じで、国は違えども公共の場で喫煙できる場所はどんどん減っていき、これと歩みを同じくしてタバコを吸う人も減っていった。もちろん自然にこうした流れが出来たわけではない。
非喫煙者による禁煙・分煙化を求める意識の高まりは、タバコの害に関する広範な啓蒙活動の果実であるといえよう。それが市民の紫煙に対するスタンスに変化を生じさせ、行政に対しては、非喫煙者の健康を守るために、様々な対策を取ることを促した。
かつては『禁煙』と表示することにより、そのエリアが限定されたスモークフリー空間となり、非喫煙者が喫煙者に対して『吸わないでくれ』と要求できる根拠ができた。だが時代が下るとともに禁煙指定の場所が拡大し、やがて基本的に公共の場ではタバコを吸うことができなくなり、『喫煙エリア』『喫煙所』と指定された場所でのみ、これが許させるようになった。
その喫煙可能な場所にしてみても、日本では今年4月からJRの駅から取り除かれることとなり、いまや喫煙者に残された『聖域』とは、パチンコのような遊戯施設と酒場くらいのものではないだろうか。
世界的にタバコの価格もずいぶん上がっている。もちろん物価上昇によるものではなく、各国政府が政策的にタバコにかかる増税を実施しているからだ。インドで20本入りパッケージを買うと、日本での一昔前に販売価格と変わらない。市井の人々の収入を考えると、ずいぶんな贅沢かもしれない。
購買力という点から見れば、一箱600円から1000円くらいする欧米に比べてずいぶん安い。日本におけるタバコの値段は300円程度と手頃である。タバコに起因する医療にかかる社会的なコストを勘案したうえで、タバコの価格を大幅に引き上げようという動きは常にあるらしいが、おそらく喫煙者自身とは別のところに強力な抵抗勢力があるようで、なかなか実現しそうにはないようだ。
私自身は『非喫煙者』ということになっている。喫煙者ではない、と言い切れないのは、ときどき吸っているからだ。毎日数本だけ吸うという意味ではない。外に飲みに行ったときに、一箱買って席で吸い、店を出るときに捨てている。また仕事やプライベートな旅行などで、自宅を離れる際も例外的に吸うことを自分自身に許している。その際、自分の生活圏に戻る前にタバコを放棄し、これを日常生活に持ち込まないようにしている。
『また吸い始めたら、やめられなくならないか?』と聞かれることもあるが、案外そうでもないので、『要はケジメなのさ』と答えたりしている。飲み屋や旅行から戻ってから、どうにも吸いたくてたまらなくなることはまずないので、私なりにうまく気持ちを切り替えている・・・と思う。
でもよくよく考えてみると、スパッとやめることができないから、そうした例外規定を設けて、ときどき喫煙しているということにもなるかもしれない。『だから本当はやめてないじゃないか』?と指摘されれば、そうだと認めないわけにはいかない。
前置きが長くなったが、そんなわけで私は非喫煙者の立場と喫煙者の気持ちもわかると思う。喫煙しない日常では、タバコの副流煙は臭くて迷惑だなと思うし、たまに喫煙しているときには、それなりにマナーに気をつけているつもりだ。
たまに喫煙者の視点から眺めてみると、各国の空港も喫煙所スペースが非常に劣悪な環境であったり、そもそもタバコを吸う場所がまったくないところも少なくない。その他交通機関や駅など発着場所においても、こっそり吸っている人はあっても、通常は禁止されている。屋内の飲食店もたいてい禁煙だ。『おお、スモークフリー化が進んだなあ』と感じ入る次第である。これは非喫煙者の視点からはなかなか気が付かない変化だと思う。
そんな中、ネット上でこんな記事が目に付いた。
ここでは堂々と、「喫煙カフェ」盛況 (asahi.com)
『すべて喫煙席』が売りとのことで、他から締め出された肩身の狭い喫煙者たちが、心ゆくまで紫煙を愉しむことができる限られた空間だ。しかし今なお喫煙率が相対的に高い水準にあり、『健康増進法
における受動喫煙防止の施策も緩い日本
で、喫煙者を囲い込むことがひとつの大きな商機となりえるならば、喫煙者が大手を振ってタバコを吸える『解放区』が、雨後のタケノコのように各地に出現するのではないだろうか。
非喫煙者がそうした場所に足を踏み入れなければ済むこととはいえ、これまで嫌煙権が強化されてきたのに対して、『喫煙権』を保護する形となる。これによって禁煙化の動きが部分的に骨抜きになる可能性もあるのではないかとも思う。『非喫煙者ときどき喫煙』の私はどちらに肩入れするつもりもないのだが。

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