寛容な国の不寛容

2012年の最高裁判決で「2022年までに廃止」が命じられていたムスリムの「ハッジ巡礼補助制度」がずいぶん前倒しで「2018年から廃止」となった。
植民地時代にルーツを持つものだが、国民会議派時代に最大マイノリティのムスリムの支持を取り付けるために利用されてきた。本来世俗主義のインドで個人の信仰のためにこういう補助がなされるのはおかしい。政教分離とはいいながらも、私たちの感覚からすると「いかがなものか?」と思われることは少なくない。

ともあれ、こうしたことがまかり通ってきた背景には、国民会議派の遺産ということもあるし、マジョリティであるヒンドゥーがマイノリティのムスリムへの寛容さというか、度量の大きさがあったからとも言える。
そこにくると、「あと4年の猶予」がありながらも、ずいぶん前倒しで今年から制度を取りやめるのは、やはりそのあたりの懐の狭さというか、不寛容さというかを感じさせるものである。

それでもまだ、1992年のバーブリー・マスジッド破壊事件とそれに続いた各地でのコミュナルな流血を主導していた彼らの行ないよりはよほどマシかもしれない。
当時、マスジッド破壊へと導いた「ラームジャナムブーミーでの寺院再建計画」を指揮したVHP幹部アーショーク・スィンガル、アーチャーリャー・ギリラージ・キショール(両者ともに今は故人)とともに現在中央政府与党のBJPで現在首相のモーディーが台頭する前の大幹部L.K.アドヴァニー、ムルリー・マノーハル・ジョーシー、当時過激な言動で勢力を急進させたウマー・バーラティー女史が文化財破壊(バーブリー・マスジッド)のかどで起訴されていた。

これに続いた一連のコミュナルな衝突で亡くなった何千もの人命に責任がある彼らだったが、アドヴァニーはヴァジパイー政権下で首相に次ぐナンバー2である内務大臣職に就く。2014年の総選挙を迎えるに先立ち、首相職に大いに意欲を見せていたアドヴァニーは当時86歳という高齢ながらも健康で頭脳の回転も相変わらずシャープ。グジャラート州で活躍していたモーディーがデリーの党中央で台頭することにより、隅に追いやられることとなった。このときの党内での政争に敗れることがなければ、現在インドの首相になっていたはず。マノーハル・ジョーシーは人材開発省、科学技術省などの大臣職を歴任、ウマー・バーラティーは、MP州首相、のちに中央政府でもやはり大臣職を歴任している。

台頭したモーディーにしてみても、彼が州首相になって間もない2002年にグジャラートのゴードラーで発生した列車焼き討ち事件をきっかけに州全土に広がった反ムスリム暴動の黒幕であったという疑義等から、中央政府首相になる直前まで、米国が入国禁止していた「危険人物」だ。
こうした人物たちが監獄に送られることなく、陽のあたる場所を歩んでいった背後には、やはり国民会議派の勢力の著しい退潮と有権者の意識の変化がある。

やはり1990年代初頭のインドでは、まさに「そのとき歴史は動いた」のである。

Centre ends Haj subsidy as part of policy to ‘empower minorities without appeasement’ (THE TIMES OF INDIA)

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