コールカーターの「魯迅路」と「中山路」3

 

情勢としては大量流出が続くコールカーターの華人社会。最盛期には1万5千人とも2万人とも言われた人口は今や5千人を割り込んでいるということだが、ごくわずかながら現在もごく少数の大陸からの「流入者」があるのだという。 

もちろんその中には今の中国の強大な資本力を引っ提げてインドにやってくる大陸のビジネスマンは含まず、この土地に根を下ろして長らく暮らしてきた「加城華人」コミュニティに加わる人々のことだ。 

それらの人々は具体的には客家系、広東系を中心とする、コールカーター華人たちの父祖の故郷との縁が関係しているのだという。もちろんあまり一般的ではなく、ごく少数の例に限られるが、そんな遠い繋がりを頼りに中国の田舎からインドのコールカーターまで嫁入りしにくる女性たちがいるだという。すでに長きに渡って華人社会が確立されてきた街ではあるものの、出身地の環境とのあまりの違いに馴染めず実家に逃げ帰ってそれっきり、という例も少なくないと聞くのだが。 

いっぽう、北米、オセアニア、欧州、東南アジア等へと流出した人々の中で、圧倒的に多い移民先がカナダである。なぜカナダか?という点についてはまだよく知らないのだが、資産や生産手段を持つ人の移住に対して寛容で、すでに出来上がった華人社会があり、かつ生活水準や期待できる収入レベルなど、好条件が揃っているのだろう。加えて、先行して移民していった人々の中に、移民ネットワークを取りまとめる成功者や有力者などが複数あることなどが推測できるが、後に機会があればこれについても調べてみたい。 

そんなわけで、多くのコールカーター華僑にとってカナダといえば「身内や知人」がいるという身近な国ということになるらしいが、いっぽうコールカーター等からカナダに移民した人々にとってコールカーターひいてはインドへの「故郷」としての意識も強いようで、「インド華人」のコミュニティ内での様々な活動がなされているようだ。 

ネット上にもこうしたコールカーター華人の移民たちによる印華文化發展協會 (The Indian Chinese Association)というものがある。過去の記事に遡って読んでいくと、ところどころにインドやコールカーターにまつわる記事が散見される。「インド出身客家人」「コールカーター生まれの広東人」などといった、グローバルな華人社会の中ではちょっと異色なアイデンティティを維持していることがうかがわれるようだ。 

<続く>

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