次に訪れたのはファテープル。
こちらはハヌマーン・プラサード・ネーヴティヤー・ハヴェリー。外に面したバルコニーに鉄の欄干を持つという珍しい形だが、その欄干に人の顔が刻まれている。ファテープルでは、こういう鉄の欄干、そしてそこに人の顔あるいは神の姿をあしらうといったものがしばしば見られる。
ちょうど管理人がどこかから帰ってきたところで、見学してみたがとても良かった。保存状態は良好。出来ることならば、この屋敷をひと月くらい借りて生活してみたいものだ。


以前、じっくりと見学したことがある。
シェーカーワティー地方へ 2 〈Hotel Mandawa Haveli〉(indo.to)
シェーカーワティー地方へ 3 〈映画をこよなく愛する人々〉
シェーカーワティー地方へ 4 〈タークルの屋敷〉
そのため、今回は昼食のためのみにマンダーワーで小休止。

タークルの屋敷で現在ホテルになっているものがあるが、数日後にシェカワティー地域の町、アルスィーサルで宿泊する予定のところは、ここと経営母体が同じ。同じグループのホテルがジャイプルにもある。有力なタークルの一族が所有する会社によるホテルグループである。せっかくの機会なので観光・・・といっても、2年半前に来ているので、特に限られた時間で見るというほどのことはなく、まだ昼も食べていないため、前回ここに来たときに利用したホテルのレストランで昼食。

ここマンダーワーでは、ハヴェリーの転用の面白い例があった。屋敷がまるごと、銀行の支店となっている。










シェカワティのフレスコ画のハヴェリーは、ヒンドゥー教徒のマールワーリー商人コミュニティ独自のもの(及び一部のジャイナ教徒)というセオリーがあるのだが、ジュンジュヌーには稀な例外が存在している。
ジュンジュヌーのイスラーム地区にあるムスリムのフレスコ画ハヴェリーだ。場所がどのあたりかよくわからなかったので、ムスリム地区にあるDargah of Kamaruddin Shahを目標に移動してみる。ダルガー自体にも、シェカワティらしいフレスコ画があしらわれており、なかなか見応えがある。
このダルガー参拝後、通りがかりのムスリム男性に道筋を質問すると、そのハヴェリーの界隈の住人であるとのこと。ヌール・マスジッドというモスクの隣にあるとのことが判った。
訪れてみると、ここに暮らす家族はこれを建てた人物の子孫で、その中の一人から話を聞くことが出来た。このハヴェリーを建てたご先祖は、ムスリムの商業コミュニティの人ではなく、このあたりの地主だったそうだ。神々や人物の絵の無いハヴェリーは、かなり印象が違って見える。
彼は、フレスコ画のあるムスリムのハヴェリーは他にほとんど例のない貴重なものだと言うものの、このハヴェリーはあと10年もすれば取り壊す予定であるとのこと。維持に手間も費用がかかるため、フレスコ画を修復したりする意志もないそうだ。もう一軒、こうした屋敷を所有していたが、そうした経済的な理由からだいぶ前に取り壊してしまったそうだ。
貴重な文化遺産とはいえ、私有財産なので、持っている人自身の都合もあるわけだ。
そんな事情もあるため、最近は博物館や宿泊施設として用いる目的で修復の手が入るハヴェリーも増えているが、その他はやはり存続が危ぶまれることには変わらない。
残念ながらあまり保存の状態は良くないのだが、取り壊す前に訪問できたのは幸いである。

ラーニー・サティー寺院をあとにして、モーハンラール・イーシュワルダース・モーディー・ハヴェリー(通称モーディー・ハヴェリー)へ。
ここはダイヤモンド等の宝石類を扱うことによって大きな財を成したモーディー一族の屋敷である。最近、銀行を巻き込んだ金融スキャンダルで逮捕された同じくダイヤモンドを扱ってきたビジネスマン、ニーラヴ・モーディーは、この血筋かと思っていたが、関係はないらしい。
このハヴェリーは、ロンリープラネットのガイドブックにも紹介されているため、記帳用の帳簿が用意されており、管理人が100Rsなどと吹っ掛けてくる。通常は10~20Rs程度で良いようだが、最後に30Rs渡してそこを後にした。がめつい男だったが、がなかなか根は良い人のようで、尋ねるといろいろ詳しく説明してくれる。
シェカワティ地方の中心地の繁華街に面していることから、訪問客がとても多いため、そこそこの収入を上げていることが伺える。ゆえにきちんとメンテナンスもされているのだろう。
こうした古い屋敷の管理人としては非常に珍しいことに、彼専用のAC付でバスルームも完備した居室が用意されているのには驚かされた。

ムクンドガルを後にして、ジュンジュヌーに向かう。ここで最初に訪れたのはラーニー・サティー寺院。サティー寺院としてはインド最大。
未亡人が亡くなった夫に殉じて火葬の燃え盛る日の中に見を投げるサティーの因習に繋がる寺院である。
比較的最近では、1987年にシェカワティ地方のスィーカル地区でサティーを実行した例があり、痛ましい事件として大きなニュースになったようだ。
Roop Kanwar’s sati greeted with shock across India, Deorala became a place of worship (India Today)
寺院内のカンティーンの食事は、メニュー毎に価格は決まっているが、寄進とプラサードという建前になっている。

ドゥンドロドのゴーエンカー一族のハヴェリーでは「入場券」が用意されていた。外部の人に見せているハヴェリーでも、実はこういうチケットを用意するところは珍しい。
チケット制になっているのは、ホテルに転用されたタークルの城の隣にあるため、訪問客が多かったがゆえなのかもしれない。城が常時ホテルとして運用されていたのは90年代後半から10年間ほどであったらしい。現在の当主はサファリの営業に凝っていて、ホテルは冬場のみの営業となっているようだ。




ナワルガルにある博物館として運用されているハヴェリーを除けば、通常は管理人が外からの訪問者に対して、個人的に門を開けるのであって、現地には不在のオーナーが預かり知るところではないからだ。知っていても見て見ぬふりをしてやっているのだろう。訪問者の多いハヴェリーになると、休眠資産なのに、余計なことで税務署に目をつけられると面倒ということもあるかもしれない。こうしたチケットを発行しているからには、売上の中から歩合で管理人に与えているのだろう。
隣はおなじくゴーエンカーが建てた寺院。シェカワティ地方にゴーエンカー姓の人は沢山いるが、このドゥンドロドのゴーエンカーの一族は、カルカッタに移住してRPG Gropを形成するに至った。創業者ラーム・プラサード・ゴーエンカーの父、ケーシャヴ・プラサード・ゴエンカーも手広く商売で稼いだビジネスマンとして知られているが、そのまた父であり、ラーム・プラサードの祖父、銀行家としても知られたバドリーダース・ゴーエンカーは、まさにこのドゥンドロドの出身である。




人口24万人弱とシェカワティの中ではかなり大きな町だ。経済活動も盛んなようだが、当然の帰結として、古いタウンシップがかなりの部分が失われており、シェカワティのいわゆる「屋敷町」がすでに体裁を成していない。
新しく建て直した建築物の中に、ところどころハヴェリーが点在しているという感じだ。きちんと保存活動がなされる前に経済活動が盛んになるとこうなってしまう。その意味で、ファテープル、ラームガルなどのように時間がそのまま凍結したような町は貴重であるという思いを新たにした。
古いものがきちんと保存されているわけではないので、これからシェカワティ訪問を考えている人は、ここをスキップしてしまってよいだろう。






背後が禿山であることを除けば、あたかもヒマラヤの山中にあるかのようなたたずまい。ちょっと涼しげな眺めではあるものの、ラージャスターンの丘陵地にあるため気温は高い。沐浴はしていないが、湧き水は冷たくて心地よいのか、それとも熱せられた大地から出てくる水は、まるで温泉状態なのかは確認していない。

しかしながら、雨季乾季を問わずこんこんと湧き出て、霊験あらたかとされる泉、スーリヤクンドを囲むガート、それをさらにぐるりと取り囲む寺院の雰囲気は良好。周囲は門前町になっており、ダラムサラ(巡礼宿)などもいくつかあるようだ。
たしかこのあたりはアラーワリー山脈の支脈ではなかっただろうか。北デリーのリッジあたりからハリヤーナー州を通ってラージャスターンを縦に抜ける山脈。一番高い頂はヒルステーションとして知られるマウント・アーブー。
このあたりの山々(連なる丘陵と言うべきか?)は、かつて深い森であった時代もあるという。近代以降の森林伐採が大きな理由のようなので、そのあたりまでは、今とは異なる風景が広がっていたようだ。





ナワルガルは方面によってバススタンドが異なり、これまたバススタンドに見えないバススタンドもあるので、慣れないとよくわからない。マーケットで人に尋ねてわかったのは、ローハルガル(Lohargal)へは「ウダイプルワーティー」(ウダイプルとは無関係)という町に行くバスに乗り、途中でゴリャーナー(Golyana)というところで降りて乗り換えるということだ。
距離は大したことないのだが、道路が良くないため思いのほか時間はかかるらしい。

