
今日もバスツアーに参加した。宿泊しているホテルがツアーの出る州政府観光局と目と鼻の先なので、バスに乗り込んだのは私が一番であった。しかし驚いたことに、乗ってくる人乗ってくる人、昨日チェラプンジー行きのバスツアー参加者ばかりであったのにはとてもびっくりした。そんなわけで今日は最初からみんなおしゃべりで、とても和やかな車内である。
ただ一人不満そうなのは、今日のツアー客たちに注意事項を伝えようとしても、車内は人々のざわめきと笑い声で誰も耳を傾けてもらえない女性ガイドである。
『話を聞いてくれないんだったら出発しませんよ!』とオカンムリの彼女にお構いなく人々はワハハ、ガハハと楽しそうにしゃべり続けている。
とかく小柄な人たちが多いカーシー族だが今日の女性ガイドさんもまたしかり。仕草や声も優しく穏やかな人のようだが、それだけに騒々しいインド人たちをリードしていくのはなかなか大変そうだ。
そんな中で一人の青年がすっくと立ち上がり、他の乗客たちに注意を促してようやくガイドは『おはようございます。本日は市内ツアーに参加いただきありがとうございます〜』と挨拶を始めることができた。
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チェラプンジー行きバスツアー
朝7時45分にメガーラヤ政府観光局前に行く。前日夕方に申し込んでおいたチェラプンジーへのバスツアーに参加するのだ。料金は200ルピーで、朝8時から夕方4時半までの行程である。
シローンを出て進むとともに少しずつ高度が上がってきている。市街地を抜けてしばらく行ったあたりに空軍駐屯地があった。ここには『空軍博物館』という看板もあった。ちょっと興味があったが、今回のメガーラヤ訪問で訪れる時間はなかった。

チェラプンジーは世界で最も多雨な地域だという。つまりベンガル湾から上がってくる雨雲がこの北東インドの山岳地帯、つまり外に大きく広がったベンガル湾からこの狭い地域に押し込まれて、山脈によって雨雲がつっかえてしまうのため大雨が降るらしい。津波が狭い入り江に入ると力を集中させて大きな力を発揮するのと同じ理屈だろうか。また磯に押し寄せる波が狭い岩場に入り込むと力を集中させてザップーンと大きく跳ね上がるのとも似た効果かな?と想像してみた。
今は乾季なので行けども茶色い風景が続いているが、雨季に来るとおそらく緑に覆われていて今とは全然違った印象になるのだろう。しかし年間降雨量がケタ違いに多く、モンスーンの最中に来る気はしないのだが。途中経由する西ベンガルにしてもアッサムにしても洪水地帯なので、短い時間で訪れようとして足止め食ったら困る。それに洗濯物が乾かないと嫌だ・・・などと変に所帯じみたことを思ってしまう。
シローンのバラー・バーザール

中華料理屋での食事後は市内最大のマーケット、バラー・バーザールに出かけてみた。市街地の斜面に貼りつく形で広がる商業地だ。私は広場に茅葺きの長屋みたいなものが続いている光景を想像していたのだが、そうではなく間口がとても狭い店がひしめき合う、細い道の両側にも行商人たちが台車やゴザなどをびっしり並べて商う商店街であった。ネパールのカトマンドゥ盆地内の旧市街地をやや思わせるものがある。
シローンの新市街地の商業地域では、比較的高級な品物、贅沢品、外国や他州からの輸入品などを中心に扱う地域にはインドの他地域からやってきた商売人たちが多いコスモポリタンだ。そのため雰囲気は他のインドの町とあまり変わらなかったり、飛び交う様々な言葉の中にヒンディー語が占める割合が非常に高かったりする。
だがこのバラー・バーザールでは、農産物、水産物、畜産物といった食材その他が主体で、地産地消のバーザールという感じがする。路地を奥へと入っていくと、地元の言葉ばかりが飛び交うようになってくる。そこでは地元の少数民族たちの店がごちゃごちゃと並ぶ中にときたま『インド人の店』が見られる状態なので、同じ市内のポリス・バーザールのように『インド人主体』の地域からずいぶん遠いところに来たかのような気がする。もちろんそれでも人々は『インドというシステム』の中で暮らしているがゆえに、ヒンディー語は広く通じる。

シローンの中華料理屋
雑踏を歩いているとヘタな手書きの漢字の看板が目に入った。小さな中華料理屋である。入口には電話ブースが設置してあり人の出入りは多いようだ。
メニューを広げてみるとマンチュリアンやチョプスィーなどインドでおなじみのシンプルなメニューが並んでいる。しかしやたらと『本格的』に思えてしまうのは、肉料理の大半がポークであるためだろうか。メガーラヤの主要民族のひとつであり、この地域で人口が多いカースィー族は豚肉をよく消費するため、市中で流通する量も多い。ここの店の経営者はカースィー族ではなく中国系だという。壁に掲げられた先祖の祠も店内の装飾も、かなり粗末ながらもいかにも華人といった雰囲気を醸し出している。
経営者家族は何代もこの土地で商売しているのだそうだ。市内はいくつかこうした食堂を見かけるし、華人人口もいくばくかあるようだ。それでも父祖伝来の言葉や文化などを守り伝えることができるほどの規模ではないようで、店の看板に『中華』を掲げている以外は、ほとんど現地化しているような気がする。経営者家族の娘がレジに立っていたので尋ねてみたが、華語の読み書きはもちろん会話もできないというし、先祖が中国のどのあたりから来たのかということについてもあまりよく知らないらしい。
シローンに根付いた中華系移民には、そもそもこの土地とどういう縁があったのだろうか。ここは昔からそんな重要な土地ではなかったはずだし、それほど儲かる土地であったこともないだろう。近年、「これからは東北州だ」と国内各地から人々が集まってきているので、こうした波に乗って昔からインドにいる中国系住民がやって来るのならばまだ理解できなくもないのだが。
何を食べようかと迷った挙句、注文したのは『ポークカレー』だ。わざわざ中華料理屋に入ってカレーとはどんなものかと思ったが、予想したものとはずいぶん違ったものであった。運ばれてきたのは分厚い三枚肉をターメリックその他の香辛料でごく軽く色づけ香り付けした料理であった。インド風『東坡肉』とでも形容できようか、長時間調理してトロトロになった赤身と不要な脂肪分が落ちてゼラチン質の中に旨みを閉じ込めた絶品。まさにほっぺたが落ちるような美味しさを楽しむことができた。
他にもいくつかの中華レストランで食事をしてみたが、どこもこのように現地化(?)してハイブリッドな味がする料理は少なくないようだが、ポークという中華料理必須の食材がふんだんに出回る土地だけあり、何を食べても非常に満足度の高いものであった。
『1857』から150年 大反乱ツアーが旬

近ごろイギリス発のツアーで、植民地期のイギリス人たちの足跡をたどる企画モノが静かな人気を呼んでいるらしい。名付けてCemetery Tour、つまり墓地巡りである。もちろん墓場だけを次々と訪れるわけではなく、要は昔在住していたイギリス人たちゆかりの数々のスポットが見物の対象となっているのだろう。
当時のインド統治に何がしかの縁があった人たちの子孫が先祖にかかわりのあった土地を訪れるという心情は何となくわかるような気がする。また直接自分の家系とは関係なくとも、英印の歴史の深いつながりからそうした企画旅行に興味を持つ人は少なくないはずだ。
ただ闇雲に墓地を訪れて景色を眺めていてもあまり面白くないことだろうが、これらの墓について貴重な情報源となるソースもあるようだ。亜大陸に散在する外国人墓地に関する記録を管理する組織、BACSA (British Association for Cemeteries in South Asia)という団体がある。
BACSAの出版物紹介ページにアクセスしてみると、タイトルを目にしただけでちょっと手にとってみたくなる出版物が並ぶ。
1976年に設立された組織だが、こうした活動を可能としているのは、やはり几帳面に書き記すこと、物事の詳細を記録しておくことに長けたイギリスの偉大な遺産のひとつといっても良いかもしれない。
パッと眺めただけでは誰のものかもよくわからない墓石が並ぶ空間を、かつてこの大地で自分たちの歴史を築いてきた人々の存在の証明とし、そこをわざわざ遠くイギリスから観光客を誘致するテーマと成し得るのは、豊かな情報の蓄積や知識の裏づけあってのことだろう。