I Leagueに注目!

サッカーの母国イングランドのプレミア・リーグに在籍するインド人移民の子、マイケル・チョープラー選手(母親はイギリス人)の活躍が伝えられるこのごろだが、チョープラー選手の父親の祖国インドのサッカー界も今、大きな変革の時期を迎えている。インド代表チームのワールドカップ予選の試合が10月8日と同28日に予定されていることを考慮し、今年9月末に開幕する予定であったものを11月23日に延期されることになったI League、インドで本格的なサッカーリーグがスタートする。
敢えて無礼を承知で言えば、もともとのスタート点が低いため、リーグの興行成績、代表チームの戦績、ファン層および草の根サッカー人口の拡大、どれをとってもここ数年のうちに順調な成長ぶりをアピールするのはそう難しいことではないだろう。主に都市部で人々の所得が上がるにつれて、個々の興味関心や趣味の領域も広がることだろうから、もともとサッカー人気の高い西ベンガル、カルナータカ、ゴア、ケララなどを中心とする地域で盛り上がりを見せるだろうし、その効果はやがて他の大都市圏や各州へと波及していくのではないだろうか。
もとより『サッカー不毛の地』北米を除く多くの国々で常に最も注目を集めている競技がサッカーだ。テレビ視聴者数からいえばサッカーのワールドカップこそが世界最大のスポーツの祭典。国威発揚の具としての位置づけからかつてのソ連、東欧や今の中国のような国が華々しい成績を修めるのを除けば、おおかた競技人口が先進国に偏ったスノッブな競技が競われるオリンピックと違い、多くの国々の庶民たちは幼いころから大好きで、実際にプレーしながら長く親しんできたためその楽しさや難しさがわかり、フィールドに立つ選手たちに負けないくらい感情移入できるスポーツがサッカーだ。

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天空の斜面でヴァージン・スノー

ヘリ・スキー
 インドのスキー場といえば、カシミールのグルマルグ、ウッタラーンチャルのアウリー、ヒマーチャル・プラデーシュのナールカンダーなどが頭に浮かぶ。国土の北側に『世界の屋根』ヒマラヤを擁するだけに、もっとスキー場があってもいいような気がしないでもない。
 だが単に山に雪が積もっているだけではなく、ゲレンデに適した地形でないといけないし、スキー場の開発や維持には相当の資金が必要だ。もちろん地域への交通や宿泊施設等のインフラの問題もある。肝心のスキー人口はその国の経済力を反映するものだ。いくら好調に発展を続けているとはいえ、もともとのスタート地点が低かったがゆえに華々しい成長率を記録していること、膨大な人口を抱えているがゆえに将来性を評価されているのであり、一般市民の生活はまだまだとても慎ましいのが現状である。
 それでも将来、インドで交通、通信その他のインフラが遠隔地でも整備され、市民生活のレベルが大幅に向上して名実ともに『消費大国』となったころには、カシミール、ウッタラーンチャル、ヒマーチャル・プラデーシュの三州を中心とする各地にスキー場ができて、賑わう様子を見るようになるのかもしれない。まだまだずいぶん遠い将来であろうが。

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アジア大会 インド勢はこの人に注目!

チェス
 英語で『Fruit』といえば、カシューナッツやピスタチオも含まれてしまうことになるようだ。決して甘くはないうえに水分も少なくてカリカリしたナッツ類は穀類という気がするためかなり違和感がある。日本語になっている『フルーツ』とはややズレがあるようだ。
 そして『Sport』の意味するところについても同様のことがいえる。ビリヤードは首をかしげつつも、やはり肉体的なスキルによる競技なのでまあ許せるとしても、チェスも『Sport』の中に含まれることを思えは、このコトバを『運動』と訳すのは正確さに欠けるのかもしれない。チェスがSportならば当然将棋や囲碁も同じようにくくられなければおかしい。すると羽生善治氏、趙治勲氏らも『スポーツ選手』ということになるのがどうもしっくりこない。
 広く知られているとおりチェスはインドのチャトゥランガが起源であるとされるが、これはチェスという名称自体の語源でもある。現代のインドにおいても元FIDE世界チャンピオン(2000-2002)で、現在FIDE世界ランキング第2位(2006年10月)のヴィシュワナータン・アーナンドのように、まさにこの時代を代表する競技者もある。また2001年に15歳3か月というインド人として最も若くしてグランドマスターに認定されたペンタラ・ハリクリシュナのように未来が嘱望される人材とともに、今年は彼の記録を2歳近く縮めて13歳4か月でグランドマスターとなったパリマルジャン・ネギ少年、また女の子でも15歳4か月でこれを得たコネル・ハンピーと、チェス界の明日を背負う若くて優れた人材には事欠かない。
 12月1日からカタールのドーハで開催される第15回アジア大会(実は11月18日から一部の競技が開始されているのだが・・・)でもチェスは競技種目に入っている。この大会でインド代表のエースとして活躍が期待されているのがクリシュナン・サスィキランである。ベテランのヴィシュワナータン・アーナンド、期待の新星ペンタラ・ハリクリシュナとともに目下インドのチェス界三大巨頭のひとりとされる強豪だ。
 カバッディーや射撃などとともにインドにとってメダルが予想される重要な競技であるためぜひ注目していきたい。

ブラジル化?を目論むイースト・ベンガル

east bengal
 カルカッタを本拠地とするイースト・ベンガルは、言わずと知れた名門サッカークラブ。代表チームでエースストライカーのブーテイヤー(現在は同チームのライバルであり同じくカルカッタをホームとするモーハン・バーガーンに所属)もプレーしていた同クラブは1920年にスタートという長い歴史を持つ。まさにインドの地においてサッカーという競技の歴史とともに歩んできたのである。
 創立年のみ較べてみれば、FIFAランキング第一位でワールドカップ優勝最多(5回)を誇るブラジルの有名クラブの数々と肩を並べている。例えばコリンチャンスは1910年、パルメイラスは1914年、サンパウロFCは1935年だ。
 ブラジルのサッカーの歴史は19世紀末に遡ることができる。しかし当初は社会上層部の欧州系移民の競技であった。20世紀に入ってから1920年代あたりまでに大衆化が進んだ。そして1933年にプロチームが発足したものの、20世紀前半まではブラジルのサッカーはほぼ白人が独占するスポーツであった。
 現在同国が大勢の混血や黒人の選手たちを擁して、高い個人技とそれをベースにした即興的かつトリッキーなプレー、豊かなイマジネーション溢れるパスワークなどを通じて人々を魅了するようになったのは1950年代も後半から1970年代にかけて遂げた大変身の結果である。ペレやガリンシャなどに代表される非白人の名手たちが表舞台に次々に登場して『サッカー王国』の地位を築いた。その後のさらなる飛躍ぶりは私たちが目の当たりにしてきたとおりである。
 イースト・ベンガルに今期から就任したペレイラ監督は、母国ブラジル以外でもこれまでサウジアラビア、カタール、シンガポールなどでも指揮を取るなど国際経験も豊か。氏のスタイルは徹底した『ブラジル化』が特徴であるという。それはプレースタイルであり練習手法でもあり、あらゆる面からサッカー王国のエッセンスをインドに注入したいと考えているようだ。
 話は日本サッカーに戻る。ジーコがJリーグ草創期に鹿島アントラーズを日本のトップレベルにまで引き上げて黄金時代を築いたことを思い起こさせるものがある。1993年の開幕戦では当時40歳だった彼は名古屋グランパスエイトを相手にハットトリックを決めてチームを勝利に導いた。試合後に相手チームの選手が『憧れのジーコ』にサインを求めたという逸話もあった。当初は選手と指揮官を兼任する形でフィールドにも出ていたが、『サッカーの神様』としてのネームバリューはもちろんのこと、まだよちよち歩きだった日本のプロサッカー界に彼がブラジルから持ち込んだものは大きかった。後に代表チーム監督に就任してからの評判は芳しくなかったことは残念であったが、彼が日本サッカー界に伝えたそれは技術、戦術でもあり、スピリットやサッカーに対する思想でもあった。
 Jリーグ発足後の日本におけるサッカーの『大衆化』の勢いは相当なもので、それ以前は『観るスポーツ』としてはラグビーやアメフトの人気にさえ及ばなかった競技が、プロリーグ発足数年後にはプロ野球をしのぐほどの観客を動員するようにさえなる。これは子供たちのスポーツとしてのサッカーの競技人口の急速な拡大につながり、それまで花形だった少年野球を志す子供たちの数が突如減少したことから、『チーム存続の危機』という悲鳴が聞こえてきたのはそれから間もなくのことである。
 かつてのブラジルと違い、日本のサッカーは特定のエスニック・コミュニティや特別な階層の人々による占有物ではなかったとはいえ、決して数のうえでは多いとはいえない愛好家たちによるどちらかといえばマイナーな競技であった。サッカーの底辺の拡大つまり『大衆化』は、日本のプロサッカーのレベル向上、ひいてはこれまで3回を数えるワールドカップ出場に貢献したひとつの大きな要素である。
 サッカーというスポーツに憧れてその道を目指す少年たちが増えてくれば、世界第二位の人口を擁する大国がFIFAランキング130位台という不名誉な地位に甘んじることはないはずだ。つまるところインドのサッカーが世界の底辺から抜け出すために最も必要なものは、国内におけるこの競技の『大衆化』にほかならないだろう。かつてはブラジルで、近年では日本でもまさにこれが飛躍へのカギであった。
 ペレイラ監督がイースト・ベンガルに持ち込もうとしている『ブラジル』とは単にプレースタイルや練習手法を模倣するということではないだろう。サッカーという競技においてユニバーサルに通用するセオリーや技術などを、ブラジル式の手法で噛み砕いたものをインドに注ぎ込もうとしているはずだ。
 インドのトップチームの更なる強化というスペクタクルな効果が他チームを含めたリーグ全体のレベルを引き上げ、サッカーが子供たちにとって本当に『カッコいいもの』になり、ピッチ上の選手たちが『憧れのプレーヤー』として圧倒的な存在感を示すようになったとき、インドでサッカーの『大衆化』がジワリと始まるのだろう。インドの歴史的なクラブチーム、イースト・ベンガルの新たな試みに今後注目していきたい。

サッカー インド大善戦!

 10月11日、バンガロールのスタジアムで君が代に続いてジャナ・ガナ・マナの演奏がなされた後、インド時間午後5時40分、日本時間にして夜9時10分にAFCアジアカップ予選A組インド対日本の試合がキックオフされた。
 すでに本大会行きが決まっている日本にとっては消化試合に過ぎず、今回の大会ではすでに後に続くものがないインドにとってもこの試合で具体的に得られるものは特にない。それでもインドにとっては世界レベルのチームとの対戦は決して多くない貴重な機会である。特に若手の選手にとっては自らの実力を自国のサッカー協会や所属クラブにアピールする絶好のチャンスだ。開催地がバンガロールということもあり、自国ファンの目の前でインドがどこまで頑張ることができるのか大いに期待されるゲームだ。
・・・とはいうものの、スタンドには空席が目立つ。サッカー熱の高いカルナータカで戦う自国代表の試合がこんなものであるのはちょっと寂しい。
 前半の日本は2点を挙げたとはいうものの、明らかに格下(FIFAランクを書く)のチームのペースに合わせてしまい、持ち味のスピード感を欠く退屈な試合をしていたと言わざるを得なかった。ただしこの両得点を挙げたガンバ大阪の播戸の気持ちの入ったガッツあふれる姿勢は良かった。風貌、体格といいプレーのスタイルといい、若いころのインドのエース、ブーティヤーを彷彿とさせるものがある。
 そのいっぽうインドはといえば、FWのバイチュン・ブーティヤーはインド、いや南アジアを代表する名手とはいえ、前線に張っている彼にいくつかのいいボールが渡っても、やはり相手が日本くらいのレベルになると特に目立たないごくフツーの選手となってしまうのはやはり盛りを過ぎたためもあったのかもしれない。全般に技術・戦術のレベルの差が大きいため個々の選手に気持ちの余裕がないのだろうが、せっかくフリーでボールをキープしていても平凡なミスにより失ってしまうシーンが目立つのは残念だった。
 だがインドは思い切り引いて守りを固めてカウンター一発を狙う・・・という形でくるだろうという大方の予想に反して、中盤の高いところから果敢にプレスをかけてくる積極的なスタンス、だからといって簡単に裏を取られることない守りの固さは大いに評価できるだろう。
 個々の選手としては中盤のマンジートはなかなかいい仕事をしていたし、ステーヴンも卓越した技術を見せてくれた。ディフェンダーのプラディープが自陣深いところから時おり前線へ繰り出す長いパスも魅力的だった。 誤解のないように付け加えておきたいが、FIFA世界ランクの評価ほどにはインド選手の個人技のレベルは決して低くないのである。

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