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  • インド優勝 試合を分けた痛恨のPK 快進撃のアフガニスタン散る SAFF CHAMPIONSHIP

    インド優勝 試合を分けた痛恨のPK 快進撃のアフガニスタン散る SAFF CHAMPIONSHIP

    自国国家を斉唱するアフガニスタン選手たち

    開催国インドに挑むのは今大会で旋風を起こしてきたアフガニスタン。準決勝までとは打って変わり、ジャワーハルラール・ネールー・スタジアムには大勢の観客が詰めかけた。もちろん今日が日曜日ということもあるが、開催国インドが進出しての決勝戦なので、こうでなくてはならない。おそらく西ベンガル、カルナータカやゴア等、サッカー人気の高い州から駆けつけてきたファンも少なくないのではなかろうか。

    インドとアフガニスタンは、12月3日に行われたグループAでのリーグ戦で最初に対戦して1-1で引き分けた同士だが、やはり今日の決勝戦もタフな試合となった。前半戦は両チームとも互角の闘いを展開。どちらかというとロングパスを多用するインドに対して、アフガニスタンは中盤で細かいパスをつなぐテクニカルなサッカーが持ち味だ。

    前半は決定的な場面を作れなかったインドだが、アフガニスタンにはぜひ決めておかなくてはならないシーンがあった。自陣に攻め込んできたインド選手たちをほとんど置き去りにしてのカウンター攻撃で、最前線へのパスを受けたFWバラール・アールズーがペナルティエリア内に持ち込み、GKカランジート・スィンと1対1の状態で放ったシュートが正面に入ってしまい弾き返された。

    一昨日のネパール戦での不調がまるで嘘のように、本来の調子を取り戻したアフガニスタンは攻守ともに充実していた。両チームともに無得点のまま前半を終了してハーフタイムに入った。

    後半戦も互角のゲームが展開されていた。心情的にはインドに期待しながらも、大躍進を見せているアフガニスタンのMFイスラフィール・コーヒスターニーの豊富な運動量とチャンスメイキング、左サイドバックのハルン・ファクルディーンの旺盛なオーバーラップ等々、観ていて楽しいのはアフガニスタンのほうであった。

    だが試合が大きな波乱を迎えたのは後半20分。インドのサイヤド・ラヒーム・ナビーが前線に送ったボールをFWジエジエがペナルティエリア内で受ける際にアフガニスタンDF選手と交錯して倒れた瞬間、主審のスクヴィール・スィンが笛を吹いて判定はペナルティキック。これに対して抗議をしたのはアフガニスタンGKのハミドゥッラー・ユースフザイ。これに対して主審は即座にレッドカードを出して退場を命じた。拮抗した試合の中で、ほんのわずかの時間に思いもかけないハプニングが起きてしまった。

    今後、アフガニスタンは11人のインドチームに対して、10人という数的不利の中で闘わなくてはならない。ましてや相手のペナルティキックというこの試合最大の危機を迎えることになってしまった。退場となったハミドゥッラー・ユースフザイに替えて控えGKのワシール・エヘマド・ダマンがゴールを守ることとなり、MFのグラーム・ハズラト・ニヤーズィーを下げることになった。

    PKはインドのエース、スニール・チェートリーが冷静に決めた。もっとも蹴る前にインド選手の1人がフライングしてペナルティエリアに入ってしまい、ペナルティキックのやり直しを命じられるというハプニングがあったのだが。スニール・チェートリーは今大会通算7点目をマークした。

    GKの退場劇とペナルティキックの成功で、試合の流れがすっかり変わった。すっかり勢いづいたインドは、自らとは対照的に浮足立ったアフガニスタンに対して、後半33分にスニール・チェートリーが中央から右に流したボールを受けたクリフォード・ミランダーが、ディフェンダーを1人かわして切り込んで豪快なシュートを叩き込んだ。

    そのわずか1分後には同じくスニール・チェートリーが左サイドからドリブルで持ち上がり、中央にいるジエジエに速いパスを送り、これを見事にアフガニスタンゴールに突き刺す。これで3-0となって試合は完全に決まったのだが、その後スシール・クマール・スィンの強烈なミドルシュートによる4点目が入った。

    後半中途まで、あれほど拮抗した試合を展開していながらも、GK退場劇とそれによるプレイヤー人数減、ペナルティキックによる失点というハプニングの後、総崩れになったアフガニスタン代表の有様は不憫でさえあった。実力的には互角でどちらが勝ってもおかしくない試合であったが、件のペナルティキックの判定はかなり微妙なものであることに加えて、アフガニスタンGKの抗議に対して即レッドカード(何か非常に汚い言葉を吐いたのでもなければ、あまりに唐突であった。)という判断も合わせて、インド人でもなくアフガニスタン人でもない第三者から見ても何とも言えない部分がある。

    このことについては、アフガニスタン・インドともに快勝 SAFF CHAMPIONSHIPでも触れたように、微妙な判定が勝敗を左右した場合、見た目からしてインドとの縁が深いと邪推されかねないスィク教徒が主審というのはどうも収まりが悪い。シリア、韓国、マレーシア他から、立派なキャリアを持った審判員を招聘しているのだから、敢えてインドの試合、しかも決勝戦での主審という役目をスクヴィール・スィン(国籍はシンガポール)に負わせるのは、適切な判断であったのだろうか。

    スクヴィール・スィンは、今大会で幾度か主審を務めており、現在28歳とまだ若いものの的確かつ冷静なジャッジングをする審判員だと私は思っていた。だが本日の決勝戦での微妙な判定とそれに続いてのGKの抗議に対する一発退場については、とりわけ『極めてインド寄り』の外観から『インド側と事前に何か打ち合わせがあったのかも?』という疑念を生じさせるのに不足はない。ましてや今大会の開催地はインドである。

    大会始まってすぐからインドとアフガニスタンの決勝進出を予想していたが、これが現実となって非常に嬉しく思っていた。サッカーのスタイルがまったく異なるが、チーム力の差はほとんどないため、緊張感あふれる好カードになるに違いないと期待していた。確かに後半途中まではそうであったのだが、試合の流れを完全に変えてしまった判定については、第三者的な視点に立てばやはり疑問符を付けずにはいられず、何とも後味の悪い結果となった。今大会のインド優勝を素直に喜ぶことができないのが悲しい。

    SAFF優勝に沸くインド代表チーム
  • インドとアフガニスタンが決勝進出 SAFF CHAMPIONSHIP

    インドvsモルジブ

    12月9日の準決勝第1試合はインドvsモルジブ。両チームとも良い立ち上がりを見せ、序盤から互いにゴールを脅かすシーンが幾つか見られた。均衡が破られたのは、クリフォード・ミランダの右からのクロスをジィェジィェが頭で合わせたボールを、サイヤド・ラヒーム・ナビーが強引に押し込んだゴールだ。

    実力が拮抗している両チームだけに、これで試合がそのまま決まるはずはない。ハーフタイムの後、後半10数分の時間帯で、モルジブのシャムウィール・カースィムが見事なミドルシュートを決めて同点に追いつく。シャムウィールは、アリー・アシュファクと並んで、南アジアを代表する優れたサッカー選手だ。このゴールで試合の流れが変わり、優勢に転じたモルジブにインドが苦しめられるシーンが続いた。

    だがインドに起死回生のチャンスをもたらしたのは、FWでエースのスニール・チェートリーだった。ドリブルによる強引な切り込みが相手のファウルを誘いPKを得た。これをよく落ち着いてゴール右隅に蹴りこみ、再びインドが勝ち越す。

    小国ながら技術・戦術ともにレベルは高いモルジブの中盤は、今大会参加チームの中で最高レベルだろう。幾つもの好機を演出しながらも、ゴールを挙げることができないままに、時間が経過していく。終盤では守備を1人減らして、オフェンスの選手を投入しての猛攻が続く。

    なんとかインドが守って逃げ切ってくれ!と祈るような気持ちで観戦しているうちに、時計は90分を回った。ロスタイムは3分くらいだろうか?と思ったあたりで、長いドリブルで持ち上がったFWのジィェジィェからのパスを受けたスニール・チェートリーが冷静にゴールを決めた。このあたりの安定感はさすが『バイチュン・ブーティヤーの後継者』である。今日の2ゴールで、今大会通算6ゴールで得点ランキングトップに立った。

    この試合でもたびたび決定的チャンスを生み出してきたジエジエの名前も記憶しておいたほうがいい。ミゾラム州出身でまだ19歳。非常に才能に恵まれた選手だ。これからのインド代表の歴史は彼とともにあることだろう。

    準決勝なので当然といえば当然の話だが、今大会これまでの試合の中で最も見応えあるゲームであった。

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    アフガニスタンvsネパール

    続いて準決勝第2試合はアフガニスタンvsネパール。今大会で旋風を起こしているアフガニスタンだが、南アジアの雄、ネパールを前に押し込まれるシーンが続く苦しい立ち上がりだった。グループのAでの華やかな試合運びがまるでウソのように、防戦一方の展開が続く。この日の中盤の出来は最悪で、前半戦はFWのバラール・アールズーが大きく引いてカバーに回るシーンが散見された。

    劣勢に終始したアフガニスタンにとって、初めてのチャンスは前半の30分過ぎに訪れた。左からのクロスをゴール右に走り込んだ選手が頭で落として、ゴール前のバラール・アールズーに合わせるといった絶好の機会であったが、バラールはこれを確実に決めることができなかった。ネパールに圧倒されて非常に苦しい中、数少ない好機をモノにできないとどうにもならない。バラール・アールズーは、そのしばらく後も右サイドからのフリーキックを頭で合わせたものの、ボールはゴールのクロスバーを叩いてしまい得点ならず。今日はどうもツキに見放されているようであった。

    後半に入ると霧が濃くなってきた。嵩にかかって攻めたてるネパールに対して、散発的にカウンターを仕掛けるアフガニスタン。圧倒的にネパールが支配している試合だが、実のところごくわずかな攻撃の機会ながらもきっちりと決定的な場面を作ることができているのはアフガニスタンであった。中盤を支配しても、アフガニスタンの最終ラインを崩せずにいるネパールに不安なものを感じたのは私だけではないはずだ。

    ついに0-0のままでタイムアップ。短い休憩を挟んで延長戦に入る。ここでもやはり豊富な運動量とパスワークでゲームを支配するネパールに対して、防戦一方のアフガニスタンがときおりカウンターを仕掛けるといった具合だ。それにしても今日のアフガニスタンの中盤の不甲斐なさといったらない。90分終了してからもまったくスピードが落ちないネパールのタフさには感心するものの、アフガニスタンの手堅い最終ラインを崩すためのアイデアがない。ワンパターンの攻撃を仕掛けては弾き返されている。

    そんな膠着状態の中、ネパール選手たちが自陣深く入り込んだところでボールをインターセプトしたアフガニスタンは、一気に最前線に繋ぐ。バラール・アールズーが飛び出した。追いすがるネパールのディフェンス選手たちをかわして、後方に置き去りにし、放ったシュートがネパールのゴールに鮮やかに刺さる。まさに一瞬の出来事であった。

    これで試合は決まった。この後、ネパールはボールを支配しながらも、アフガニスタンのゴールを襲うことができない。今日のアフガニスタンの出来は最悪であったが、バラール・アールズーという切り札のここ一番での活躍により、8割方支配されていた試合を勝利で飾ることができた。

    準決勝第1試合のインドvsモルジブのような充実した内容はなく、あまりに雑で退屈な試合であった。唯一の見せ場が延長戦でのバラール・アールズーのゴールだ。バラールは、これで通算6点目となり、先の試合で2ゴールを決めたインドのスニール・チェートリーに追いついた。

    12月11日にインド時間午後6時試合開始の決勝戦では、インドとアフガニスタンの勝敗とともに、得点王がどちらの手に渡るかという個人タイトルの面からも楽しみだ。今大会、インドにとってグループリーグでの初戦の対戦相手がアフガニスタンであった。スコアは1-1で引き分けている。南アジアにおいてトップレベルの代表チームを相手に互角に戦った見事な試合だった。

    今日のアフガニスタンは散々な出来だったが、決勝戦はベストの状態でインドと当たって欲しい。南アジアのサッカー界の頂点のプライドと地元開催の名誉にかけてインドが勝利をモノにするのか、あるいはこの地域のサッカーの世界の勢力図を塗り替えて大きなサプライズを呼んだ新鋭アフガニスタンが、自ら王者となって更なる驚きと衝撃を南アジアサッカー界に与えるのだろうか。

    南アジアのサッカー関係者たちにとって、今大会の決勝戦はまさに『時代が動く』瞬間かもしれない。

  • アフガニスタン・インドともに快勝 SAFF CHAMPIONSHIP

    アフガニスタン・インドともに快勝 SAFF CHAMPIONSHIP

    SAFF CHAMPIONSHIP INDIA 2011

    12月5日のSAFF CHAMPIONSHIPのグループA第一試合はスリランカvsアフガニスタン。大会開幕以前、Aグループの1位通過は順当にいけばインドで2位通過はスリランカ、場合によってはその逆もあり得ると誰もが予想していたことだろう。 ところがこのグループの初戦でインドと1-1で首尾よく引き分けたアフガニスタンが、ブータン戦を終始支配して3-0で退けたスリランカを相手に劇的な勝利を収めた。私自身、インド戦で『意外に侮れない』と感心していたアフガニスタンだが、南アジア諸国を相手にするこの大会において、その強さは本物だった。

    前半の早い時間帯に、スリランカはモハマド・ザイーンのゴールで先制したものの、その後はサイドからの折り返しをサンジャール・エヘマディーに強引に押し込まれて同点に追いつかれる。サンジャール・エヘマディーはさらにもう1点追加。後半にはアター・モハンマド・ヤムラーリーが左からのセンタリングを豪快なヘッドで叩き込む。このあたりで勝敗はほぼ決まった。

    アフガニスタン代表チームの登録メンバーの中には外国でプレーしている選手が8名もあり、それらの中には欧州・北米のクラブでプレーしている者が多く、母国の土をほとんど踏んだことがない選手もあると聞く。そのため、単純に『長らく続いた内戦からの復興の中で頑張っている』チームとは言い切れないものがある。 放送の中でインド人アナウンサーは、今大会におけるアフガニスタンの活躍を歴史的な快挙であるといった調子で伝えていたが、このチームは間違いなく優勝をさらう可能性もあるチームである。インド戦での引き分け、スリランカ戦での快勝ともに奇跡でも快挙でもなく、実力があるチームであるがゆえの相応な結果だ。

    とりわけ背番号10番と9番、サンジャール・エヘマディーとバラール・アールズーは今大会最強のツートップではないだろうか。両選手ともに南アジアのレベルを凌駕するFWプレーヤーだ。ゆえに前者はドイツで、後者はノルウェーのクラブチームでプレーしているわけだが。 本日の試合で2点を決めたサンジャール・エヘマディーに対して、先のインド戦を引き分けに持ち込む貴重なゴールを奪ったバラール・アールズーはスリランカ戦では得点がなかったものの、やはり幾度も好機に絡んでいたし、前半には右サイドから流し込まれた低い弾道のパスをゴール右側からインサイドで後方に流しての難易度の高いシュートを試みるなど、観る者を唸らせる素晴らしい見せ場を演出していた。

    アフガニスタンの次のゲームは、12月7日にブータンを相手に行なわれる。アフガニスタン、インド、スリランカ、ブータンから成るAグループの上位2チームが、12月9日の準決勝に進出する。ぜひインドとともに駒を進めて欲しいと私は願っている。

    この日の第二試合で、インドが日本人の松山博明監督率いるブータンと対戦するカードは、両者のレベルがあまりに違いすぎて楽しむことができなかった。スコアは5-0でインドの大勝。得点者は『インド版メッシ』と形容されることもあるドリブルの名手、サイヤド・イブラヒーム・ナビーが1点、クリフォード・ミランダーとスニール・チェートリーがそれぞれ2点ずつ記録した。

    インドvsブータンの試合を観戦していた方々は、主審が大柄なスィク教徒であることに気が付いたことだろう。その当人、スクヴィール・スィンはシンガポール国籍で、他の国際試合がどれもそうであるように、試合当事者たちと無関係の『中立国の審判』であることは間違いない。だがインドに対する個人的な思い入れが深いであろうと邪推されかねないため、今後もインド戦でホイッスルを吹くことがあれば、対戦国が力の拮抗した相手であったり、準決勝、決勝に駒を進めたりした場合、自国開催のインドに有利に働く可能性があると批判を浴びる可能性は否定できず、決して好ましいことではないだろう。

  • Flash Mob Mumbai

    Flash Mob Mumbai

    今日は久々に『心底楽しいニュース』を見た。

    ニュースチャンネルAaj Takを点けていたら11月27日(日)にムンバイーCST駅に突如現れたフラッシュ・モブを取り上げていたのだ。

    ムンバイーCSTに出現したフラッシュ・モブ

    フラッシュ・モブとは、ネットで呼びかけを受けた人々が公共の特定の場所に集結して、前もって取り決めてあるパフォーマンスを演じて、その場に居合わせた大勢の注目を集めた後、さっさと解散していくといったものだ。

    その模様はYoutubeにもアップされているので、ぜひご覧いただきたい。

    Flash Mob Mumbai – CST Official Video (Youtube)

    Rang De Basantiが流れて、最初に1人の女性が踊り始める。周囲の人たちから「何よ、あんた?」と冷ややかな視線が投げかけられるが、そこにもう1人の女性が加わった後、5人、10人、20人、40人・・・と、どこからともなく沸いて出てきた踊り手がどんどん増えていく。

    ふと気が付くと、駅構内中央部はRang De Basantiを踊る群衆で一杯になり、「何か面白いことやっているぞ!」と詰めかけた物見高い見物人たちがそれを取り囲み、ムンバイーCSTはすっかりお祭り状態に。短い時間でドドッと盛り上がり、曲が終わると踊り手たちは何事もなかったかのように雑踏の中に散っていく。

    Aaj Takでは、今回のフラッシュ・モブの仕掛け人の女性にインタビューしていた。だいたい同じような内容のものが以下のサイトにも掲載されている。

    Interview: Shonan Kothari–the Woman Behind the Mumbai CST Flash Mob (guylife)

    他の多くのメディアでも、この出来事について取り上げている。

    How Mumbai Flash Mob prepared for its big day (NDTV)

    Flash mob hits Mumbai’s CST station, surprises commuters (Times of India)

    今回のフラッシュ・モブに触発されて、今後インドの主要都市で同様のパフォーマンスが発生することになるのかもしれないが、誰よりも最初にやってのけることに大きな意味がある。

    見事な企画力と実行力に大きな拍手を送りたい。居合わせた人々の注目を浴びただけでなく、メディアを通じてその場にいなかった人たちにも大きな驚きを与えてくれた。私もまたテレビを通じて彼らに楽しませてもらった1人である。

  • トークイベント 「ポスト 3.11をふんばるインド・パキスタン的生き方」

    今年3月以降、家電の大型量販店、アマゾンや楽天その他の通販サイトで線量計が売られているのを見かけるようになっている。

    線量計なるものが世の中にあることを初めて知ったのは、1986年のチェルノブイリ原発事故が発生してからだっただろうか。『ガイガー・カウンター』により、放射線の値を測定している様子をテレビで目にして、一見普通に見える事故現場周辺地域で、目に見えない危険物質が飛散しているということについて、背筋が寒くなる思いをした記憶がある。

    ガイガー=ミュラー管を使用したガイガー・カウンター以外にも、シンチレーション検出器その他いろいろな種類のものがあり、測定の対象や目的により様々な線量計があるのだが、いずれにしても放射線のある環境下での職務に就いている人、あるいは特定の医療従事者以外が手にすることはない特殊な装置だと思っていた。少なくとも今年の3月までは。

    3.11の津波被害に起因した福島第一原発の事故以来、そうした『特殊装置』が普通に身の回りに見られるようになってきた。多くは個人が使用する目的であるため小型の製品だが、それらが目の玉が飛び出るような価格で販売されていた。

    そんなに大量生産・大量消費されるような類のものではないとはいえ、これまで私たちが手にしてきている携帯電話その他の家電製品に比べて、製造にかかるコストがそんなに大きなものなのかどうかわからないが、手にしてみると意外にチャチな製品が、実売価格にして10万円前後あるいはそれに迫る価格で売られているのを見て、唖然としたものだ。

    しかしとりわけ事故現場に近いエリアに住んでいる人々にとっては、たとえそれが避難地域外であったとしても、政府の発表する内容だけでは何がどうなっているのかはっきりしない状態の中、自分の身は自分で守るしかない。

    小中学生、幼稚園、保育所の子供たちにガラスハッヂと呼ばれる個人線量計を配布した地域もあると聞く。これを身に付けて1か月経過したら回収して検査機関に送り、その子供たちには新しいものを配布してまたひと月身に付けさせて・・・といったことを繰り返しているとのことだ。行政として子供たちの被ばく量を測定する目的があるとのことで、意義自体は理解できるものの、何ともやりきれない話だ。

    そこからやや離れた首都圏においても、いくつかのホットスポットについての情報などが出てくるにあたり、やはり不安でこうした機器を購入した人たちは少なくないだろう。それがゆえに全国の顧客が相手の通販サイトはともかく、首都圏の家電量販店でも線量計が販売されているのだ。

    そうした線量計について、震災・原発事故以前の価格が空前の品薄状態を背景に、数倍に跳ね上がった製品、そうした価格で積極的に捌いた業者も少なくなかったことは耳にしていた。おそらくここにきて線量計の『バブル状態』も一服したのか、従前から販売されているモデルの価格はかなり下落してきていることに気が付いているこの頃。

    大手通販サイトで『線量計』と検索してみると、102,900円 → 17,000円やら69,800円 → 13,500円などという価格表示をしている業者がいくらでもある。ボロ儲けをアテ込んでの在庫がダブついたのか、線量計の大きな市場となった日本向けに製造元が生産体制を大幅増強したのか知らないが、確かに原発事故からしばらくはそんな金額で販売されていたモデルだったと記憶している。それが『市場価格』というものだということになるのだろうが、一市民から見るとまさに火事場泥棒的な商売だ。早い時期に購入した人たちは『何!17,000円のものを102,900円で売りつけていたのか!』と怒り心頭のはずだ。

    いずれにしても、これまでそうした機器に縁の無かった一市民が線量計を持つということが珍しくなくなってしまった状況に私たちは置かれており、これまで海外でも安全・安心という評判を得ていた日本そのものに、大きな疑問符が付くようになってしまっている。

    今さら、グチばかり言っても仕方ない。放射能汚染は今後長期間続くことは明らかだ。加えて放射線による直接の健康被害はさておき、ここのところジリジリと後退してきていた日本の国力が、こうした事態であることを背景にさらに削がれていくことは間違いないことも肝に銘じておかなくてはならない。

    さて、前置きが長くなったが、本題に入ろう。12月6日(火)19時30分(開場19時)から東京都渋谷区宇田川町のUPLINK FACTORYにて、J-one talks vol.01「ポスト3.11をふんばるインド・パキスタン的生き方」が行われる。

    J-oneの主宰者で、ナマステ・ボリウッドの主宰者/発行人でもある、すぎたカズト氏がMCを務めるトーク会だ。ナマステ・ボリウッド誌サイトにもこのイベントについての情報が掲載されているので、こちらも併せてご参照願いたい。

    ゲストスピーカーは、NPOジュレー・ラダック代表のスカルマ・ギュルメット氏、ビデオ・ジャーナリストのラシード・サマド・カーン 氏、そして当サイトindo.toのウェブマスターの矢萩多聞氏という豪華な顔ぶれだ。

    災害時にも強い南アジア流生活・共生術、南インド式保存食の作り方(試食あり)から放射能対策・情報リテラシーまで、といった具合に様々な角度からのトークが行われる。ポスト3.11に生きる私たちの日々のありかたについてじっくり考えてみる良い機会となるはずだ。

    チャージは2000円(1ドリンク+「J-one」創刊号1冊付)で、「J-one」持参の方は500円OFFとのことだ。会場となる渋谷 アップリンク・ファクトリーの所在地と電話番号は以下のとおり。

    東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1階 TEL.03-6825-5502

  • ウィルブル・サルグナラージ

    YouTubeで様々なビデオクリップを公開しているタミルナードゥ州マドゥライ出身のウィルブル・サルグナラージ

    彼は様々なコミカルなクリップや音楽ビデオなどをリリースしているが、その中には下世話ながらも『インドのトイレの使い方』というのがあった。

    How to use Eastern Latrine- Wilbur Sargunaraj (YouTube)

    便器にまたがる方向だの、ちゃんとホールを狙ってするだの、ディッパーで水を流さずに左手を使うな、終わったら石鹸でちゃんと手を洗うことだのといったことを大真面目にレクチャー(?)していて笑える。

    同様に『洋式トイレの使い方』というのもあるが、いろいろ検索してみると彼の『How toもの』には膨大な量がある。今後ますますの活躍を期待しよう。

  • コールカーター華人が発信するブログ

    5年近く前に「BLOOD, SWEAT AND MAHJONG」(Ellen Oxfelda著)という本について取り上げてみた。コールカーターに代々暮らしている華人について書かれた本だ。

    残念なことに、当の華人たちが自分たちのコミュニティについて書いた書籍は見当たらない。出身地域ごとの同郷会館にはそうした資料はあるのだろうが、少なくとも市販されている書籍にはそうしたものはないようだ。

    だがそうした状況もかわりつつある。facebookをはじめとするSNSで情報発信するコールカーター華人たちが出てきているし、そうした華人たちによるウェブサイトも複数存在している。

    そうした中で、現在までのところ最も内容がまとまっていて、コンスタントにアップデートされているのは、www.dhapa.comのようだ。

    Dhapa(華人たちは塔霸という字を当てている)とはコールカーター東郊外にあたるエリアで、華人たちの主要産業のひとつである皮なめし業の工場、醤油工場、大小様々の中華料理屋等々が建ち並ぶ文字通りチャイナタウンであるテーングラーのタウンシップが存在する。

    www.dhapa.comでは、コールカーター華人コミュニティでの年中行事、インド華人の歴史に関するトピック、コールカーターをベースにする華人たちのマジョリティを占める客家人たちに関する話題、華人たちの教育、彼らの『地元コールカーター』に関するニュース等々、彼らの息吹が感じられて興味深い。

    従前は彼ら自身による情報発信といえば、インドで唯一生き残っている華語新聞『印度商報』くらいだったが、それにしてみたところで読者は年配の(まだ華語の読み書きが充分出来る)華人たちのみであった。

    ウェブの時代になって、ようやくコミュニティ内外に様々な情報を発信するようになってきた華人コミュニティ。中印紛争以降、政治的な理由から国外への流出が続き、近年は対中国関係の改善、インドの経済成長は在印華人たちにも商機の増大をもたらしていること、中国からの人々の行き来と投資の増加等々といった新たな局面のもと、コールカーター華人(ならびにムンバイー、シローンその他にも少数ながら居住しているインドで数世代に渡り生活している華人たち)への風向きも変わりつつあるのかもしれない。

    これまで彼らが『外の人たち』に対して記すことになかった在印華人にまつわる様々な事柄について、日常の事象に加えて自らの歴史にまつわる事柄についても書き記していくことは大いに意味のあることであろう。

  • UP州 四分割へ

    2000年に州北西部のヒマーチャル・プラデーシュ州とネパールの間に挟まれたエリアをウッタラーンチャル州(現ウッタラーカンド州)として分離させたウッタル・プラデーシュ州(以下UP州)だが、今度はさらに四分割されることになるようだ。

    UP Assembly passes resolution on state’s division into four (INDIA TODAY)

    西側がデリー首都圏に隣接するパシチシム・プラデーシュ、その東側にアワド・プラデーシュ、その南にブンデールカンド、現在のUP州東部はプールヴァンチャルとする法案が、本日11月21日にUP州議会を通過した。州の分割について今後は中央政府の判断に任せることになる。

    現与党の大衆社会党(Bahujan Samaaj Party : BSP)党首で、州首相でもあるダリット出身のマーヤーワティーによる、2012年4~5月にかけて予定されている州議会選挙を念頭に入れた策略であるとする野党側の声は高い。

    だが先述の2000年に分離したウッタラーカンド州地域を除けば、英領時代のUnited Provinces of Agra and Oudh(略してUP)が、独立後もほぼそのまま継承されたUttar Pradesh (略称同じくUP)は、現在1億9900万人超の人口を抱える巨大な州である。なんと人口世界第5位のブラジル(1億9500万人)を凌ぐ数字だ。

    デリー首都圏からほど近く、工業地帯として発展したノーエダーを擁する西部は、後進地域であるその他の地域から切り離したほうが将来の展望は明るいと思われるため、それを希望する意見は従前からあった。

    その他、現在のUP州都であり、アワド王国の古都としても知られ、北インドの文化の中心地のひとつでもあるラクナウーがそのまま新州都として移行するのであろうアワド・プラデーシュは豊かな穀倉地帯だ。

    同じく農耕地の広がるプールヴァンチャルは、隣州ビハールにつながるボージプリー話者が暮らす地域だ。先に挙げたふたつに較べると有力な産業を欠き、開発の遅れたエリアということになる。

    以前から分離要求の声が最も高かったのは、現在のUP州の中で最貧地域であるブンデールカンドだ。人口中にダリットが占める割合も高く、州の現与党であるBSPの大票田としても知られている地域だ。

    もちろんマーヤーワティー率いるBSPにはしたたかな計算あってのことには違いないとはいえ、ひとつの州が『世界的な大国並み』の巨大人口を抱えていることは、政治への民意の反映や施策への民意の汲み上げを困難にするし、行政の効率上も好ましくない。

    さらに露骨な言い方をすればUP州西側の先進地域パシチム・プラデーシュにとっては、『その他の地域を食わせてやる』義務から解放されて今後勢いの良い成長が期待できるということになるし、州内では比較的豊かなアワド・プラデーシュにとっても『余計なお荷物が減った。今後は自分のことに専念できる。』ということになる。反対にこれまで州の後背地であったブンデールカンドとプールヴァンチャルは、それぞれ独自の州としての地位を得ることにより、自主性・主体性を持った開発が可能になるとも言えるだろう。

    地域的なカラーが著しく異なる(ゆえに分割という論にたどり着くことにもなるのだが)がゆえに、UPの有力政党がそれぞれの地域でうまく棲み分けをすることにより、不毛な政争を避けて、それぞれが本来なすべき仕事に注力できるようになる・・・としては期待しすぎだろうか。

    独立以前から有力な政治指導者たち、イギリスが去ってからは歴代の首相や政界の重鎮たちを輩出してきたUP州の政治的な重みは失われてしまうが、このUP分割はそれでも『遅きに失した』感さえある。

    今後、UP州分割がどのように進展していくのか目が離せないし、はなはだ失礼であることを承知で言えば、分離したそれぞれの地域がどのような成長あるいは停滞、発展あるいは混乱を呈していくのかといった野次馬的な興味も尽きない。

  • チェルノブイリは今

    チェルノブイリは今

    今年の9月に、チェルノブイリの現状を写真と文章で綴った本が出ている。

    ゴーストタウン チェルノブイリを走る

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    ゴーストタウン チェルノブイリを走る

    http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0608-n/

    集英社新書ノンフィクション

    ISBN-10: 4087206084

    エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワ 著

    池田紫 訳

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    1986年に起きた原発事故から四半世紀が経過したチェルノブイリにガイガーカウンターを持ち込んで、バイクで駆ける写真家エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワがチェルノブイリの現状を伝えるウェブサイトを日本語訳した書籍だ。

    汚染地域に今も残る街や村。すでに暮らす人もなく朽ち果てていく建造物。家屋の中にはそこに暮らした家族の写真、子供たちの玩具が散乱しており、役場等にはソヴィエト時代のプロパガンダの跡が残っている。

    ソヴィエト時代、原発事故が発生する前のチェルノブイリは、中央から離れた周辺地であったが、それでも整然とした街並みや広い道路、広大な団地、病院その他公共施設、遊園地、映画館といった娯楽施設等々の写真からは、社会主義時代に築かれたそれなりに豊かであった暮らしぶりがうかがえる。

    人々の営みが消えてから久しい現地では、それとも裏腹に豊かな自然が蘇り、もう人間を恐れる必要がなくなった動物たちが闊歩している様子も記録されている。

    一見、のどかにも見える風景の中で、著者はそうした街や集落など各地で放射線量を図り、今なおその地が人間が暮らすことのできない危険極まりない汚染地であることを冷静に示している。

    これらの写真や文章は、著者自身のウェブサイトで閲覧することができる。

    elenafilatova.com

    チェルノブイリに関して、上記の書籍で取り上げられていないコンテンツとともに、スターリン時代の強制収容所跡、第二次大戦期の戦跡等に関する写真や記述等も含まれている。

    私たちにとって、チェルノブイリ原発事故といえば、今からずいぶん遠い過去に、遠く離れた土地で起きた惨事として記憶していた。事故後しばらくは、放射能が飛散した欧州の一部での乳製品や食肉などへの影響についていろいろ言われていた時期はあったものの、自分たちに対する身近な脅威という感覚はほとんどなかったように思う。まさに『対岸の火事』といったところだったのだろう。

    今年3月11日に発生した地震と津波、それによる福島第一原発の事故が起きてからは、原発そして放射能の危険が、突然我が身のこととして認識されるようになる。実は突然降って沸いた天災と片付けることのできない、それまでの日本の産業政策のツケによるものである。曲がりなりにも民主主義体制の日本にあって、私たち自らが選んだ政府が推進してきた原子力発電事業とそれに依存する私たちの日々が、いかに大きなリスクをはらむものであったかを思い知らされることとなった。

    順調な経済成長を続けているインドや中国その他の国々で、逼迫する電力需要への対応、とりわけ先行き不透明な原油価格、CO2排出量への対策等から、今後ますます原子力発電への依存度が高まることは、日本の福島第一原発事故後も変わらないようである。もちろん各国ともにそれぞれの国内事情があるのだが。

    原発事故後の日本では、食品や生活環境等様々な面で、暫定基準値を大幅に引き上げたうえで『基準値内なので安心』とする政府の元で、放射能汚染の実態が見えにくくなっている中で、今も収束にはほど遠く『現在進行形』の原発事故の危険性について、私たちは悪い意味で『慣れつつある』ように見えるのが怖い。

    事故があった原発周辺地域の『風評被害』云々という言い方をよく耳にするが、実は風評などではなく実際に無視できないリスクを抱えているということについて、国民の目を塞ぎ、耳も塞いでしまおうとしている政府のやりかたについて、被災地支援の名の元に同調してしまっていいものなのだろうか。

    これまで原子力発電を積極的に推進してきた日本の政策のツケが今になって回ってきているように、見て見ぬ振りをしていたり、『どうにもならぬ』と内心諦めてしまったりしている私たちのツケが、次の世代に押し付けられることのないように願いたい。

    同様に、これから原子力発電への依存度を高めていこうとしている国々についても、将来もっと豊かな時代を迎えようかというところで、予期せぬ事故が発生して苦しむことにならないとも言えないだろう。今の時代に原発を推進していこうと旗を振っていた人たちは、そのころすでに第一線から退いているかもしれないし、この世にいないかもしれない。一体誰が責任を取るのか。

    もっとも今回の原発事故で四苦八苦しており、原子力発電そのものを見直そうかという動きになっている日本だが、それでも他国への積極的な売り込みは続けており、すでに受注が内定しているベトナムでの事業に関するニュースも流れている。

    チェルノブイリが残した反省、福島が私たちに突き付けている教訓が生かされる日は、果たしてやってくるのだろうか。

  • 親族旅行 御一行様18名

    親族旅行 御一行様18名

    だいぶ前のことになるが7月にジャイサルメールを訪れたときのことだ。雨季ではあったものの西ラージャスターンは降雨がとても少ないのはいつものことで、それがゆえに砂漠が広がっているわけでもある。

    そんな土地であるがゆえに、農耕その他に利用されることもなく手つかずの大地が広がっているという条件は、風力発電にはちょうどいい具合のようで、グジャラート州のカッチ地方同様に大きな風車がグルグル回っている。

    持参した温度計は昼前には気温は43度を指していて、暑さが苦手の私も小学生の息子もヘトヘトになってしまっていた。多少は空調の効いているところで何か冷たいものでも、とオートで飛ばして、RTDCのホテルのレストランまで出かけた。

    そこで食事をしていたのはムンバイーの北にあるワサイー在住の老夫婦。何でもクルマを借り切って旅行中とのことで、その日の夕方に砂丘を見に行くので一緒に来ないか?と誘ってくれた。

    借りているクルマとは観光バスであった。一体何人で旅行しているどういうグループなのかと思えば、近隣に住んでいる兄弟や親戚だという9組の夫婦で総勢18名。毎年この時期(オフシーズンで比較的安く済むからということもあるらしい)にその顔ぶれでインド各地を旅行しているそうで、昨年はタミルナードゥを訪れたのだという。

    老夫婦のご主人、Jさんは十数年前に55歳でタバコ会社を定年退職したというから、現在70歳くらいだろう。団体の中では最年長のようだが、他の男性メンバーの面々の多くはすでに隠居生活だという。彼らが宿泊しているRTDCのホテルのロビーで午後5時に待ち合わせということで、一度宿に戻って仮眠することにした。

    夕方になっても、まだかなり気温は高い。ホテルの敷地には小型の観光バスが停車していて、Jさんが車内から出てきて手を振ってくれている。みんな夫婦連れだが、バスの中では前が女性グループ、後方が男性グループと分かれて座っていた。皆気さくで感じの良い人たちであった。

    行先はジャイサルメール市街から西へ45kmくらいのところにあるサム砂丘。果てしなく続く荒地の中の道路をひた走るとチェックポストがあり、明らかに警官ではない民間人が乗り込んできて、バス最前列に座っている女性に『団体の代表の方はどなたですか?』と尋ねている。

    何かと思えば、ラクダでの砂丘観光とダンスを見ながらのディナーといったパッケージの売り込みをしている。執拗なセールスに対して、何とかJさんたちは『砂丘を見るためだけに来たのだから・・・』と断ったものの、男はバイクにまたがって私たちのバスの前を走っている。他にも同様の男たちが沿道にいたようだが『これは私のお客』として確保したつもりなのだろう。

    舗装はしっかりしているものの、このあたりからは道路の半分くらいが砂に埋まってしまっていたりする。『ここから先は一般人立ち入り禁止』となっている地点でバスは停止。そこからバイクの男の誘導で、彼の案内する駐車場に停めることになった。

    このあたりで彼の役目は終わりのようで、後はそこを縄張りにしているラクダの御者、レストランの客引き、飲み物売りなどが、どこからともなく沸いて出てくる。

    駐車場の脇にはファイヤープレイスと円形にしつらえた席を用意した場所があり、ここがダンスだのディナーだのといったサービスが提供される場所であるらしい。ここでも男たちが出てきて『食事は?』『ダンスは?』と勢いよく売り込みにかかっている。

    Jさん一行が『これから砂丘に行くのだ』と断ると、合図とともに物陰からラクダが引くカートが数台現れた。このあたり『よく出来ているなぁ』と妙に感心する。それならば、とみんなでそれに分乗して砂丘のサンセット・ポイントなる場所に向かうことになった。

    気温が下がった日没時にここを訪れる人たちは非常に多い。シーズンオフではあったものの、砂丘のそれぞれのリッジすべてに観光客たちの姿があり、そうした人たちを相手に歌や踊りの余興をやってみせる子供たち、ソフトドリンク類を売る男その他が沢山群がっている。砂漠がこんなに賑やかなところであるとは想像もしなかった。

    360℃どこを見渡しても観光客たちの姿

    砂はさらさらのやわらかいもので、日本の砂浜にあるのとおなじような感じだ。しばらく前に雨が降ったようで、砂丘の斜面の砂がある程度固まっていて斜面を登りやすくなっていた。そこでしばらく過ごしてからバスを停めてあるところに行き、皆でチャーイを飲む。周囲には同様の施設がいくつかある。やはり途中のチェックポストで観光バスを『拿捕』して自分たちの縄張りに囲い込んでしまうということが、この商売のツボであるらしい。

    Jさん一行と記念撮影

    日が沈んですっかり暗くなった帰路、車内では賑やかな会話が続き、誰かが声をかけると一斉にバジャンを歌い始めた。一行の中では一番若い感じ・・・といってもおそらく50代半ばと思われる男性は、沿道の酒屋でバスを停めさせて沢山の酒類を購入している。宿に戻ってから乾杯するのだろう。Jさんたちに『一緒に飲みませんか?』と誘われたが、こちらは子連れなので遠慮しておく。

    よく、日本の高齢者は元気だというが、概ね退職年齢が早い分、インドの年配者たちも同様だ。経済成長に伴う可処分所得の増加により、余生を楽しむゆとりがある人たちも増えているはずで、大いに結構なことである。

    Jさんたちは『今度は東方面に行きたいね!』と、すでに来年の団体旅行の計画を練り始めているそうだ。

  • 国境の飛び地問題

    しばらく前のことになるが、India Today誌を読んでいたら、隣国との関係でとても興味深い記事が目についた。インドとバーングラーデーシュの間の飛び地問題である。その記事の英語版が同誌ウェブサイトに掲載されているので以下をご参照願いたい。

    In a State of Limbo (India Today)

    印パ分離独立以来、つまりインド東部が現在のバーングラーデーシュの前身である東パーキスターンと分かれた際、双方の国境線内に両国の飛び地が存在しており、それが後々まで尾を引いており、飛び地の人たちについてどちらの国でも『外国人』として扱われており、事実上の無国籍であった。身分証明書の類も与えられず、医療や教育といった基本的な社会サービスを享受できないままに放置されていたのだという。

    そもそもこうした飛び地が発生した原因とは、印パ分離独立前に地元の藩王国であったクーチ・ビハールとラングプルが、それぞれの王がトランプやチェスでの賭け事の勝敗で土地のやりとりをしたことが原因なのだというから、とんだ為政者もあったものだ。ふたつの藩王国のうち、前者がインド、後者が分離独立時の東パーキスターンに帰属することになったことなったため、飛び地が両国国境をまたいで散在することになってしまった。飛び地問題の解消については、1958年、1974年そして1992年にも合意がなされたものの、実行に移されることはなかったようだ。

    今年の9月になってようやく両国がこれらの飛び地とそこにいる無国籍の人々の扱いについての合意がなされ、双方の領土内の飛び地の交換の実施とそこの人々には国籍選択の自由が与えられることになったとのことで、さすがに今度はそれらがきちんと実施されるのではないかと思うのだが、これらの人々が何らかの理由で、居住している土地の帰属先とは異なる国籍を選択するようなケースには、著しい不利益を被るであろうことは想像に難くない。

    インド側にある飛び地ではムスリムが多く、その反対側ではヒンドゥーが多いとのことである。単純にムスリムだからバーングラーデーシュ、ヒンドウーだからインドという図式ではなく、それまで自分たちを冷遇してきた行政つまり飛び地を内包していた国の政府への不信感とともに、『私(たち)が本来所属するべき国』への期待感(あるいは失うものよりも得るものが多いかもしれないという推測)から国境の向こう側の国籍を選択する例も決して少なくないだろう。とりわけバーングラーデーシュ領内の飛び地の人々にとっては、総体的に経済力の高いインドへの移住が合法となること自体が魅力であろう。

    土地の帰属のみで解消できるものではなく、結果的には一部の人口の流出と受け入れも伴うことにもならざるを得ないように思われる。政府の対応には不満があっても、住み慣れた土地を離れる当事者たちにとっては苦い『第二の分離』として記憶されることになる例も少なくないだろう。

    移住という選択があるにしても、それぞれの人々がこれまで築いてきた人間関係、仕事関係はもちろんのこと、通婚その他いろいろ抜き差しならぬ事情も報道でカヴァーされることのない色々な事例が沢山あることだろう。

    インド・バーングラーデーシュ飛び地問題については、以下のサイトにもいくつか参考になる動画がリンクされている。

    Indo-Bangladesh Enclaves (Indo-Bangladesh Enclaves)

  • レストラン流行るもシェフは人材難

    先日、日本の新聞社のウェブサイトにこんな記事が掲載されていた。

    求む、英国カレー調理人 移民規制で不足し国民食ピンチ (asahi.com)

    移民規制の厳格化によりヴィザの取得が難しくなったことで、インドをはじめとする南アジア系料理店でシェフを招聘するのが困難になっているとのことだ。こうした傾向は今に始まったものではなく、2004年にはインディペンデント紙が以下の記事を掲載している。

    The big heat: crisis in the UK curry industry (The Independent)

    また2004年にもBBCのこうした記事があり、2000年代を通じてのことのようである。

    Britain’s curry house crisis (BBC NEWS South Asia)

    チキンティッカー・マサーラーは英国の国民食・・・なのかどうかはさておき、人々の間で定着したお気に入りのひとつではあるようであり、インド料理そのものがイギリスにおける人気の外食となっているなど、需要は大きいにもかかわらず、シェフが人材難であることを原因に店をたたむ例が後を絶たないとは皮肉なものだ。

    通常、イギリスでU.K. Asianといえば南アジア系を指すように、インド系をはじめとするこの地域にルーツを持つ人々が多数居住しているとはいえ、地元にいるインド系コミュニティの中からシェフを調達するのはこれまた容易ではないようだ。

    そもそも思い切って外国に移住する勇気を持ち合わせている人々は得てして上昇志向が強いもの。単身でしばらく稼いだ後に帰国する人たちはともかく、家族を伴って来た人たちともなれば、往々にして息子や娘の教育には力を注ぐようだ。親と同じ苦労はさせたくないと。

    そういう点では日本にそうした具合にやってきている中国人料理人たちも同様だ。子供たちは中国あるいは日本で大学まで行かせて『もっと割のいい仕事』に就くことができるようにと頑張らせるのが常だ。日本のバブル期以降、日本の移住し条件を満たして帰化した中国出身者は多く、その中に飲食業に関わる人たちも相当数あるのだが、彼らの子供の世代で、厨房で包丁を握ることを仕事にする人はごくごく少ないだろう。このあたりの事情はU.K. Asianたちの間でも同様らしい。

    ところでチキンティッカー・マサーラー、イギリス人たちの好みに合うというのは単なる偶然ではないようだ。もともとこの料理の起源がインド在住のイギリス人家庭発祥(調理人はインド人)という説がある。その真偽はともかくとしても、主にパンジャーブ地方のアングロ・インディアン(インド在住のイギリス人のこと。時代が下るとやがて英印混血の人々のことを指すようになった)たちが好んだアイテムであったらしく、元々彼らの舌によく合うものであったため、イギリス本国で受け入れられるのは必至であったのだろう。