テロ後のロンドン

 2012年のオリンピック開催がイギリスのロンドンに決定してのお祝いムードもつかの間、まさにその翌日に同地で高性能爆発物を使用した同時多発テロにより死者50名以上、およそ700人にものぼる負傷者という痛ましい事件が起きた。
 アルカイダ系のグループによる犯行と見られていることから、同地在住のムスリムたちへのいわれのない「報復」が心配されているという。
 UKエイジアンといえば通常イギリス在住の南アジア系の人々のことを指すが、人口180万人近い大きなマイノリティグループであるとともに、この中のおよそ半分がイスラーム教徒であることでも知られる。
 イギリスに住んでいるムスリム人口はおよそ150万人とされるが、このうちパキスタン出身者が61万人、バングラデシュから20万人、インドからは16万人を数える。これら三か国の出身者たちだけで97万人、つまり在英ムスリム人口の65パーセントにも及ぶのである。
 総人口5900万人のこの国で、「エイジアン」にしても「ムスリム」にしても、都市部に集中しているためかなりの存在感があるはずだ。
 9.11のときも事件とは無関係のイスラーム教徒(およびスィク教徒)の人々の被害がアメリカから多数報じられていた。今回はそのようなことが起きないことを願いたい。
 近年、世界の耳目をひきつけるテロ事件にかなり共通した背景があるため、欧米その他の非ムスリム国で特定の宗教コミュニティへの偏見や彼らを危険視する傾向がさらに進む可能性が高いことついても大いに懸念されるところである。
Muslim leaders join condemnation (BBC South Asia)

津波から半年

 早いもので、世界的な大災害となった昨年12月26日の津波から6カ月が過ぎた。インドでは、死者と行方不明者合わせて1万6千人を超す。津波の原因となったインドネシアの大地震の震源地スマトラ沖に近いアンダマン・ニコバールでは4千人(非公式には1万人とも)が死亡、5万人が家屋を失ったとされる。
 現在、地元当局は島嶼からなる同地域の沿岸部を津波災害から守るため、2億ルピーを投じて土による堤防を建設中だが、これに対して環境専門家たちは資金の無駄であるとともに、環境にも悪い影響を与えると警告している。
 今回のような大きな津波が来ればこんな堤防で防ぐことはできないであろうこと、大地が海水に浸ったことによる塩害が心配されているところだが、幸いこの地域が降水量豊富であることから、じきに地面から塩分が取り除かれるはずのところ、地表を伝う雨が海に流れ込まなければ塩が土地に堆積してしまうのだという。そして土が海に流れ出すことにより珊瑚が死滅してしまうことや建設用の土砂が掘り起こされることにより島の森林が減少することも危惧されていると、下記リンク先のニュースに書かれている。
 未曾有の大災害後、行政側としては何かしらの手立てをするのは当然のことだが、「地域住民の要求により」とはいうものの、中央政府から下りてくる特別予算がついた以上、何としてでも消化しなくてはならないという消極的な理由もあるのかもしれない。現場をあずかる担当者の立場にあっても組織の歯車のひとつにすぎず、上意下達の命令体系の中で黙々と仕事をこなすしかないのだから。個々の職員たちはそれなりに誠実にやっているつもりでも、総体で見れば責任の所在がはっきりしないい加減さが目に付くのは、洋の東西を問わずお役所ならではの体質かもしれない。
 また「地元からの要求」はさておき、こうした付け焼刃の事業案件を掘り起こしては中央政府や地元行政の要所に働きかける土建業者やブローカーがいて、人々の見えないところで大きな利権が動いていることもあるのかと想像する向きもあるだろう。
 ともあれ数百年に一度とされる稀な大災害を「今回は運が悪かった」と片付けてしまうのか、今後同様の騒動が起きるのは数世代先になる可能性が高いことを承知のうえで可能な手を打っておくのか。津波にかかわる研究や対策の充実が望まれるところではあるが、ただでさえ財政的に苦しい途上国にあっては悩ましいところだろう。記憶はやがて風化していくものだが、今回の津波は私たちにどんな教訓を与えたのだろうか。
Questions over Andaman tsunami aid (BBC South Asia)

先の見えない「平和」に向けてバスは走った

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 反対勢力によるテロなどの妨害はあったが、予定どおり4月7日に国境ならぬ「実効支配線(LOC)」を越えてスリナガルとムザッファラーバードの間を結ぶバスルートが開通した。隔週に一度という非常に限られた機会だが、独立以来分断されているカシミールで人々が直接往来できるのは、まさに歴史的な出来事である。
 これはインド・パキスタン関係がこれまでになく良い状態にある証であり、二国間の係争地帯となっているカシミール地方に暮らす人々にとって喜ばしいことであるのは間違いない。
 だが困ったことに表面上は穏やかになりつつあるように見えても、カシミール問題自体は何も解決しておらず、たまたま小康状態にあるに過ぎない。両国が対立の手綱を緩めたことによって訪れた「平和」には裏付けや今後への保証があるわけではないのだ。
 1999年2月にデリーとラホール間を結ぶバスルートが開通し、当時のヴァジパイー首相がその第一便に乗ってラホールを訪問したことはインド・パキスタンの良好なパートナーシップの進展を世間に印象付けたがが、その後間もなくカールギル紛争が勃発して両国関係は一気に悪化した。
 また2001年12月にニューデリーで起きた国会襲撃事件後には緊張状態がエスカレートし半年以上に及ぶ一触即発の態勢が続くなど、近年においてもインド・パキスタン関係は予断を許さない状態だ。対立こそが平時ともいえる両国関係は、多少の融和とその揺り戻しであるかのような緊張との間を振り子のように行き来している。
 今回スリナガル・ムザッファラーバード間のバスルート開通後、何か不吉な出来事が待ち受けてはいなければ良いのだが・・・。
 ニューデリーとイスラーマーバード、対立する両国中枢による綱引きが行われている分断カシミールでは、土地の人々の意向を無視した大義が振りかざされ、イデオロギーが独り歩きする。
 ふたつの地域大国のパワーがせめぎあう中に一種の真空地帯が生まれ、武装組織が活動の場を得る。当局による治安維持の名目で不条理な弾圧や人権の蹂躙が行われる一方、解放の名のもとに反対勢力によるテロや暴力が横行する。
 カシミールの領有を主張して譲らない両国の間に横たわる「実効支配線」とは、土地の人々にとって自分たちに断りもなく決められたものである。
  
 百歩譲って地域の境界あるいは領有について二国家に委ねるとしても、人々が個々に「自分はどちらの国家に属するか」を決めることができても良さそうなものだ。 
 現実的ではないが「パキスタン国籍を選んで向こうに移住する」あるいはその逆、さらにありえないことかもしれないが「インド国籍を選び、外国人としてパキスタン国内に居住する」あるいはその反対が可能であってよいはずだがそうはいかない。
 分断国家によくあることだが、ある時点での居場所により国籍が自動的に決まってしまうのはあまりに酷である。
 土地の所属あるいは人々の国籍にしても、自分たちの意志ではどうにもならない宙ぶらりんで他人任せの状態が続いている。結局のところ自分たちの処遇を決めるのはカシミールから遠く離れたデリーであり、イスラマーバードであるのだ。これらふたつの権力の中枢が知恵を絞って建設的な解決を見出さない限り、カシミールの人々はその雲行きを見ながら右往左往するしかない。
 自らの意思によらず、不安定なインド・パキスタン関係に翻弄され続けなければならないことこそ、カシミールの最も大きな問題ではないだろうか。
 ともあれ実施が懸念されていたバスが走った。これからもずっと続いて欲しいものである。分断されたカシミールの間で人々が直接往来する機会が増えるのは喜ばしいことではあるが、自らの手で運命を決めることができないカシミールでは、今回のバス外交の行き着く先がどこなのか誰にもわからない。
カシミール地図(テキサス大学図書館)
Media praise Kashmir peace buses (BBC South Asia)

紺碧の海の下に

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 7〜8世紀ごろパッラヴァ朝の重要な交易港として最盛期を迎えていたマハーバリプラム(現ママラプラム)は、現在では世界遺産に登録されている遺跡群で有名だ。
浜に建つ海岸寺院に加えて六つの寺があったとする「セブン・パゴダ」の伝説とともに、かつてこの地を襲った大洪水によりかつての港町が海に沈んでしまったという言い伝えがあることもよく知られている。
 昨年12月26日に起きた津波直前に潮が大きく引いた際に、その伝説の寺院らしき遺構が姿を現したといい、押し寄せた大量の海水が周囲の砂を運び去ったことにより、これまで埋もれていたヒンドゥー寺院が新たに発見されることにもなった。
 今回の津波災害で犠牲となった方々のことを思えばはなはだ不謹慎かとは思うが、「突然海が遠くへ引いていき、大昔の石造寺院が忽然と姿を見せた」「津波の奔流が過ぎ去ると、誰も見たことのないお寺が出現していた」といった光景そのものは、実に神秘的であったことだろう。
 
 近年、今のママラプラム沖合の海底に残る遺跡を検証すべく調査が進められている中、年末にアジア各地で未曾有の大災害をもたらしたこの津波は、この伝承にかかわる調査研究活動にとっては追い風となっているようだ。
 2月10日から25日までの間、海底に沈んでいる遺構についてインド考古学局と同国海軍の共同での調査が行われた。ダイバーたちが遺跡のある海底に潜って様々な構造物を検証する際に陶器片などの遺物も見つかっているという。
 海底に散在する遺構の姿が明らかになるのが待たれるところであるが、それらが水面下に沈んでしまった理由についてもぜひ知りたいところだ。徐々に海岸線が後退していった結果により水面下になってしまったのか、あるいは伝承にある「洪水」(地震による津波あるいは地盤沈下?)のような突発的な災害によって起きたのかわからないが、当時の文化について知るだけではなく、この「稀有な自然現象」の貴重なデータも得られるかもしれない。
 観光開発の目的から注目している人たちもあるかと思う。やがてインド初の海底遺跡公園として整備されて「グラスボートでめぐる水中遺跡」「遺跡ダイビングツアー」といった形で海面下に散らばる遺跡を公開することはあるだろうか?
 亜大陸反対側、グジャラート州のカムベイの海面下にはハラッパー文明のものと思われる遺跡が沈んでいるというが、こちらは9000年以上も昔のものではないかという説もあるそうだ。
 歴史と遺跡の宝庫インドは、まだまだ多くの不思議と謎が隠された玉手箱のようである。
津波の置き土産(BBC NEWS South Asia)

今もどこかで

 世界各地のニュースをテレビやラジオなどで網羅するイギリスの公営メディアBBC。ウェブサイト上でも英語によるカバーはもちろんのこと、なんと43言語でのニュースを発信しており、南アジア地域で使用されているコトバだけでもヒンディー語、ウルドゥー語、ベンガル語、タミル語、ネパール語、シンハラ語、パシュトゥー語の6言語に及ぶ。
 文字で書かれた記事のみならず、音声でも聴くことができて便利だ。自国の出来事を各国語で流すのではなく、世界各地で国際ニュースを含めた「地元情報」として発信しているのだから恐れ入る。やはり「太陽が沈まない」とまで言われた大帝国を支配していただけのことはある、といったところだろうか。
 利用できる言語の数も、ニュースの充実度もアメリカのVOAと双璧を成している。
 どちらのメディアもインターネット出現や衛星放送が一般化する前から、ラジオの短波放送などを通じて世界各地の特にメディアへの規制が強い国・地域では「信頼できるソース」として定評が高い。
 世界各地の現場から報道しているだけに、不幸にも命を落とす関係者も少なくないようで、1月下旬にはソマリアで取材中のBBC女性記者が銃弾の犠牲になっている。
 真摯な姿勢で報道の現場に直接かかわる人々の意識はともかくとして、自国民の利益に直接つながらない海外でマスコミ事業をわざわざ行うことにはそれなりの意図があるわけだろう。また発信(国)側の都合によりバイアスがかかる可能性は否定できないが、それらを差し引いても自国の国境を越えグローバルな「公益性」が非常に高いことも間違いない。
 そんな中で日本語を含めた22言語によるニュースを発信しているNHKオンライン。世界各地でそれぞれの言語で流されるラジオ・ジャパンのプログラムを聴くことができる。南アジアの言語もヒンディー語ウルドゥー語ベンガル語で聴取できる。国際ニュースの量も質もはるかに見劣りするが、主に日本の国内ニュースが中心なので、外国の人たちに私たちの国で今起きていることを知ってもらうには良いかもしれない。
 NHKワールド「日本語講座」もあり、各言語による日本語の初歩の手ほどきがなされている。講座のヒンディー語バージョンはもちろんインド人を対象にしたものだが、毎週これを聴いている人たちはどのくらいいるのだろうか。
 ともあれインドで、特に都市部を離れると日本を直接あるいは間接的に知るためのソースは少ない。今もどこかで「ニッポン」にひそかに関心を寄せてくれている人たちが、静かに耳を傾けていることだろう。プログラムの今後一層の発展を期待したい。