ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: reading

  • ナマステ・ボリウッド ムック・スートラvol.3

    ナマステ・ボリウッド ムック・スートラvol.3

     

    ナマステ・ボリウッド ムック・スートラvol.3のThat’s Bollywood 2000’sが発売された。 

    タイトルに『2000’s』とあるとおり、2000~2009年までのボリウッド映画の総まとめである。今年は2010年、ゼロ年代といえばつい昨年までのことだが、次第に遠い過去の話になっていま7。ボリウッド関係の書籍、とりわけ最近のものがほとんど存在しない日本で、こうした形で大きな変化と飛躍を遂げた映画界に関する出版物が出ることの意義は大きい。 

    2009年から2000年までの年ごとの主要作品と傾向を検証し、スターの世代交代や新たなカリスマの出現なども併せて、この10年間のボリウッドを俯瞰できる図鑑のような仕上がりだ。ページをめくっていると、大ヒットしたフィルミー・ソングや心に残るシーンなどが走馬灯のように脳裏を巡る。 

    1990年代以降、衛星放送の普及により、エンターティンメントの『グローバル化』の波がインドに押し寄せたこと、また各地で大型のシネコンが増えたこともあり、ボリウッドにおける映画作りが相当変化した。かなり乱暴な言い方をすれば、ボリウッドがハリウッド化してきたことにより、旧来の『インド映画圏』以外でも、充分観客のテイストに応えられる内容になってきたといえる。とりわけ2000年以降のゼロ年代においてはその傾向が急速に進んだ。 

    さらには近年、ボリウッドを巨大な市場として期待するハリウッド関係の資金が盛んに流入するようになってきており、インドでの興行収入はもちろんのこと、インドで製作された作品の国外でのロードショー公開なども併せて、急速に国際化が進展することになった。上映時間もずいぶんコンパクトなものが多くなっている。 

    そうした意味で、90年代前半の日本における『インド映画ブーム』は時期尚早であったともいえるだろう。当時、日本で公開された作品のタイプが重なっていたこともあるが、『踊る』『ハッピーエンド』『貧者が憧れるゴージャスな夢』などといったフレーズでインドの映画作品を語る論評が多く、それらの多くがそれまでインドの映画に縁のなかった映画関係者たちから頻繁になされていた。 

    そうしたスタンスで映画の興行がなされていたこと、それらを取り上げるメディアもその物言いを増幅して日本社会に喧伝したため、インドの映画に対するステレオタイプなイメージが定着することになった。ブームが一服すると従来の映画好きの人たちの間では『メッセージ性がなく中身もない映画』『長すぎて疲れる』となり、それ以外の人たちからは存在さえも無視されるような・・・としては言い過ぎかもしれないが、総じてB級、C級以下の作品群であると一括りにされてしまっているようであることが残念だ。 

    ひとたび固定観念化してしまうと、それを拭い去るのは難しい。少なくとも当時の『ブーム』の記憶がある世代の間でインド発の映画に対するネガティヴなイメージがある限り、どんなに良い作品が日本で公開されても、特にインド映画に関心のある人でなければ映画館に足を運ぼうとはあまり思わないようだ。 

    そうしたイメージを抱いている観客を相手に、興行会社も二の足を踏んでしまうのも無理はない。そもそも興行側にしてみてもインドの映画といえば『踊る×××』『やたらと長い』という認識しかないのかもしれない。 

    近年大きく変貌しているボリウッド映画作品。それがゆえに前述のとおり、都会のシネコン向けの映画が増えているが、これにより取り残される形になったそれ以外のファン層を狙ったボージプリーその他の方言による映画も隆盛するという多層化の時代を迎えている。

     こういう時代なので、本来ならば今こそ日本でのヒットを狙うことのできる作品が多く出てきているはずなのだが、それらの多くは日本国内での映画祭での公開に留まってしまうのは、やはり90年代前半に突如訪れた『インド映画ブーム』の影響を引き摺っているという部分が大きいのだろう。 

    ボリウッド作品を含めたインド映画とはいかなる形においても無縁で真っさらな状態であれば、より多くの人々が『IT大国の映画って何だろう?』と純粋な好奇心で映画館に足を運び、スクリーン上で展開しているストーリーとまっすぐに向かい合いことができたのではないかとも思う。メディアという限りなく大きな影響力を持つ存在によって創り上げられた『イメージ』が日本市場におけるインドの映画作品参入の障壁となっているとすれば、あんまりな話だ。 

    もちろん今となってはそんなことを言っても仕方ない。まさにそういう状況を打開するために渾身の力を込めて頑張ってくれているのがNamaste Bollywoodであり、今後益々の発展を期待したい。 

    幸いなことに、今の20代前半までの年齢層の人たちは、昔のインド映画ブームによる刷り込みがなかったり、そもそも記憶自体が存在しなかったりする。同時に余暇や趣味の時間が充分に確保できる年代でもあることから、前述のような状況は今後大きく変わっていくものと思われる。もちろんインドという国に対するイメージについても、それより上の年齢層とはかなり異なるものがあるとともに、ボリウッド作品内容の普遍化、グローバル化という流れもあり、今後興味、関心を持つ層が急増しないまでも、年々拡大していく下地はあるはず。 

    今回のThat’s Bollywood 2000’sにて、様々なジャンルの作品の紹介のみならず、巻頭ではゼロ年代の主要作品の海外ロケ地(非常に多くの国・地域が世界地図上に書き込まれている)とともに、これらの映画に出演している俳優、製作者、音楽関係者等のプロフィールにもページを割いてあり、ボリウッド映画の多様性を実感できるつくりになっている。『ゼロ年代のBollywoodを語る』という対談記事と合わせて、今のボリウッドを知るため大いに役立つことだろう。 

    また欄外にもボリウッド映画の予備知識、ゴシップ、スターの来日に関するもの等々の記述がふんだんに散りばめられているなど、寸分の隙もなく充実した内容になっている。グラフィックの美しさはもちろんのこと、豊かなコンテンツとともにボリウッドに対する限りない愛情と情熱に満ちたお薦めの一冊である。

    購入先についてはこちらをご参照願いたい。

  • ニュース、報道、メディア・・・

     活字中毒・・・というわけでもないが、いつも手元に何かしら読み物がないと落ち着かない。小説でもノンフィクションでもいいのだが。加えて日々の出来事に目を通さないと何だかスッキリしない。日常の暮らしの中でも旅行先でも目覚めてから一番にすることといえば、新聞を広げながら朝食を取ること。 

    朝起きてすぐに手に入らなければ、近くのマーケットに散歩がてら出かけて新聞売りを見つける。あるいは早い時間帯から鉄道、バスその他で移動する際には、駅やバススタンドで、まず最初に買うのはスナック類ではなく新聞だ。                                                                                                          

    全国規模のメディアで広大なインドの政治、社会、経済等の様々なニュースを目にするとともに、ローカルな新聞も押さえておきたい。広域紙には出ない地元の出来事がいろいろ掲載されているので、数日間読み続けると今そこで話題になっているらしいことについておおよそ検討がつくようになってくる。 

    往々にして退屈な記事が多いことも事実だが、例えばモンスーン期に激しい雨が降り続いているときにヒマーラヤ地方を旅行する際、あるいは付近で洪水その他の天変地異が起きている場合など、参考になることはとても多い。 

    また政治関係も同様だ。アッサム等の北東州を訪れた際には、ULFA (United Liberation Front of Asom)やNNC(Naga National Council)をはじめとする各地の分離活動を行う組織にかかわる記事をいろいろ目にすることができて興味深いものがあった。北東州関係については、コールカーターあたりであっても、地理的に北東州に近いこともあり、そのあたりに関するニュースはその他の地域よりも格段に豊富だ。 

    南インド、とりわけタミルナードゥやケーララあたりでは、新聞をはじめとするヒンディーによる印刷物はほとんど見当たらないものの、都市圏以外でも英字紙が豊富なのはありがたい。だいぶ前のことになるが、2005年12月のスマトラ沖地震による津波災害の際にちょうど南インドの沿岸部にいたため、いろいろ参考になった。 

    各地でメディアの活動が盛んであることは言うまでもないが、報道の自由度が高く周辺各国とは大きな開きがある。人々の『知る権利』が尊重されているからこそ『読むに値する新聞』が豊富であることはありがたい。 

    もちろん新聞といっても様々なので、報道の質についてはいろいろあり、それは報じる側、読み手側の双方のスタンス、加えてこう言っては大変失礼かと思うが、それらの質の問題もあることは否定できないのだが。もちろんそれこれは読み手自身がメディアを選択すればいい。 

    報道の自由は必ずしも手放しで称賛できるものとは限らず、報道機関とて大きな資本によるいわば『営利事業』であるがゆえに、ニュースの『売り手』の事情が紙面に現れることがあってもおかしくない。また近年の民間放送局による視聴率を意識してのセンセーショナルな報道(興味本位の犯罪特集番組、ヤラセや捏造ニュース)や視聴者からの携帯電話のSMSによる人気投票的なマーケティング手法等、ちょっと良識を疑いたくなる面も否定できない。 

    これを玉石混淆とまで言うつもりはないが、そうした様々なソースから流れるニュースを人々が個々の意志と良識で取捨選択できる状況は健全であると私は思う。 

    ともかく新聞をはじめとするメディアにより、人々は国、地域や社会の動きを知り、自身の頭でそれを理解する。私たち外国人も同様にそれにあずかることができる。これはとても大切なことだ。ミャンマーや中国のようにメディアやネット環境にも大きな制約のある国々と比べるのは極端に過ぎるかもしれないが、インドという世界最大の民主主義システムの根幹にあるのは、活発で自由度がとても高い報道の存在であるといって間違いないだろう。 

    政府により、報道に関する制約が厳格な国々以外に、現地のアンダーワールドな部分からの圧力により、メディア自身が事前に『自己検閲』をしてしまう国もある。たとえばメキシコのように政府と拮抗する勢力である麻薬カルテルによる報復への恐れから、これらの組織に関する分野は報じられないようになっているようだ。既存のメディアでは伝えられない『空白地帯』を一人の匿名の大学生(・・・ということになっている)によるBLOG DEL NARCOというブログが情報を流しているという状況は決して肯定できるものではないだろう。 

    ブログ運営者のもとに、多数の発信者たちから連日大量の情報が写真や動画とともに届けられ、これらを編集したり裏を取ったりすることなく、そのまま掲載しているとのことだ。血なまぐさい内容が大半で、凄惨な画像も含まれている。 

    すべてスペイン語で書かれているが、ブラウザにGoogleツールバーがインストールしてあれば、日本語に自動翻訳したものを読むことができる。いささかぎこちない和文となるものの、おおよその内容を掴むことはできるだろう。 

    もちろんインドを含めた各国のメディアにおいても、報道する側の身の安全という点から世の中に伝えることが難しい事柄は存在するであろうことは否定できないし、もちろん日本もその例外ではないのだが、こうした出所のよくわからないソースによる情報を日々綴ったブログが、本来それらを伝えるべき報道機関に取って代わってしまうという状況はとても危うい。 

    話はインドに戻る。

    報道の本質にかかわる事柄ではないのだが、インドの外にある国々からしてみると、現地の各メディアによる各分野における英語によるニュース配信を大量に入手できることについても大きなメリットがある。とりわけインターネットが普及してからは、その感がさらに強まっている。 

    全国ニュースからかなりローカルなものまで、各地のメディアによる立ち位置の異なるソースから手に入れることができるという点で、とりわけ非英語圏の国々に比べて非常に『オープンソースな国』という印象を与えることだろう。 

    世にいう『グローバル化』とともにインターネットによる情報通信の普及と進化の過程の中で、これまで以上に英語が突出した存在感を示すようになっていることから『英語支配』の趨勢に対して主に非英語圏から危惧する声が上がっているが、インド自身はその英語による豊富な情報発信量から得ているメリットについては計り知れないものがあると思われる。 

    もちろん英語による情報のみでインドという国を理解できるとは思えないし、カバーされる範囲にも限界がある。それでも英語という広く普遍性を持つ言語によるソースが非常に豊富であるという点から、私たち外国人にとっても非常に利するものは大きいといえるだろう。報道の自由度の高さと合わせて、インドのメディアは自国内のみならず国外に対しても、非常に公益性が高いとも言えるのではないだろうか。

  • Namaste Bollywood #25

    Namaste Bollywood #25

    Namaste Bollywoodの今号の特集は『ゼロ年代のボリウッド』である。 

    2000年から2009年までの、Kabhi Kushi Kabhie Gham, Devdas, Munna Bhai MBBS, Kabhi Alvida Naa Kehna, Om Shanti Om, Rab ne bana di Jodi等々の 代表的作品が取り上げられている。 

    ご存知のとおり、ボリウッド映画界のトレンドはここ10年ほどで大きく変化するとともに、ロケ地、配給先、資金関係などにおいて、一層のグローバル化が進展した時期でもあった。 

    この時代を振り返るムック本もNamaste Bollywoodから発刊される。題して『That’s Bollywood 2000’s』だ。 

    Namaste Bollywoodのウェブサイト内に、ボリウッド映画のDVDレビューが掲載されるようになっている。 

    十年一昔とは言うが、今から遡ること11年前の今ごろ、世界規模でのコンピュータの誤作動が『2000年問題』に対する懸念が世界的話題になっていたことが、はるか遠い昔のことに感じられる。 

    私たちがこうしている『今』の出来事も次第に過去へと追いやられてしまうのだが、ゼロ年代に続く『10年代』のボリウッド映画界ではどんな作品が発表されていくのか、今のスターたちがどう進化していくのか、どんなスターが誕生してくるのか等々、非常に楽しみである。

  • ドキュメント・スキャナー

    ドキュメント・スキャナー

    衣類を頻繁に購入しているつもりはないのだが、ふと気が付くと収納が一杯になってしまっている。

    その結果、普段よく着るものはすぐ手の届く手前に、そうでないものは次第に収納スペースの後方や下方へと、意識しないうちに押しやられてしまうことになる。するとその存在さえ忘れて新たに似たようなものを買ってきてしまっているのだと思う。 

    たまに『あのズボンはどこに行ったのだ?』とすべてをひっくり返して探し物をすると、『あぁ、こんなのがあったなあ』『この上着は昨年買ってから着ていない』などといったモノがいくつも出てくる。 

    これはいけないと思い、ちょっと勿体ない気はするのだが、昨年1年間着用しなかったものを思い切ってドカッと捨ててしまうことにした。数年前も同じことをやっている。『本当に要らないのか?』と後ろ髪引かれるものはあるが、こういう場合はあまり深く考えないほうがいいようだ。不思議なもので『捨てるべきではなかった』と後で悔やんだ記憶はないからである。 

    衣類もそうだが、書籍や雑誌類もまたいつの間にか溜まってしまう。書棚やマガジンラックに入りきらなくなって床に上に積むようになったら、それこそ加速がついて山となってしまう感がある。衣類と違い、目に見えるスペースを蔦が伸びるような速度で覆ってしまおうとする分、こちらのほうがよりタチが悪い気がする。 

    雑誌等はちょっと気になる記事があったら『いつかスクラップしておこう』と思いつつも、そのまま床の上に積んでしまう。やがてどんなことが書かれた記事があったのか、それはどの雑誌に入っていたのか、といったことさえ忘れてしまう。 

    こちらについてもいろいろ考えずにガサッと処分してしまえば、後から思い出して『保存しておけばよかった』などということもないのかもしれない。 

    だがいくらでも似たようなモノが手に入る衣類と違い、それが書かれた時点でしかあり得ない記事というものはある。同じ印刷物でも雑誌以外の書籍類となると、再び読み返すことはないように思っても、なかなか捨ててしまう踏ん切りがつかない。何かで再び読んでみたくなるとか、参照したくなるかもしれないというという気がしてならない。 

    それでも今後も印刷物は次々に私の部屋にやってくる。それらを収めることのできるスペースは限られているため、何がしかの新陳代謝の方策が必要であることは明白だ。 

    そのためドキュメント・スキャナーである。いろんなメーカーから様々な機種が出ており、さんざん迷った挙句にFUJITSUのScan Snap S1500を購入した。2009年の2月に発売されたモデルで、こうした類の製品としては割と長く販売されていることになる。幅広いユーザーに支持されている一番の売れ筋なので、完成度が高く使い勝手も良いことを期待した。 

    このスキャナーで読み取りできる最大サイズはA4。付属のキャリアシートを使えばA3まで対応可能ということになっているが、大量のページを一気にスキャンするという用途においては、実用となるのは前者まで。スキャン速度はカラーまたはモノクロの600 dpiにて1分あたり両面・片面20枚。まずまずのスピードである。 

    これを使って、手始めに溜まっていた雑誌類を次々にPDF化してみた。続いて文庫本、新書、ペーパーバックや単行本等の背中を片端から裁断して、こちらもどんどん電子化していく。書籍を切断してしまうとページがバラバラになり捨てるしかなくなってしまう。もはや古本としてどこかの店に持っていくことはできないし、人に譲ることもできなくなってしまう。 

    書籍を破壊してしまうことについては、正直なところ気が進まない。本そのものに対して申し訳ない気がするのだ。それでも前述のとおり自宅のスペースに限りがあり処分しなくてはならず、その一方で本の内容自体は手元に保存したいとなると、今のところこの方法しかない。 

    もちろん未読の書籍はそうした『電子化』の対象ではないし、すでに読んでしまっていたも、友人等からいただいた本、内容からしてそのままで取っておきたいものなどは、元々の書籍のままで書棚に置いておくので、自宅の本のすべてをそうやって処理してしまうつもりはない。 

    ところで、肝心の保存先であるパソコンが壊れてしまうと、それまでにPDF化した印刷物全てを失うことになってしまう。今後、さらにスキャンして電子化を進めていくので、なるべく頻繁にバックアップを取ることを忘れないようにしなくてはならない。 

    こうしているうちにキンドルかiPadのような電子書籍リーダーも欲しくなってくるだろう。ただ少々気がかりなのは、PDFというフォーマットが将来長くに渡って利用可能なものであるのかどうかということである。つまりPDFと互換性を持たない新たな電子文書の形式がこれに取って代わってしまい、せっせと『電子化』したものがすべて次代遅れのものとなることがないといいのだが。 

    いや、それよりも前にスキャンして保存した時点で、それらの存在さえも忘れてしまうような気がする。今後、PDF保存した印刷物の量がどんどん増えてくると、きちんと分類しなくては、何がどこにあるのか見当もつかなくなってしまうということのほうが差し迫った心配ごとかもしれない。

  • THE GLASS PALACE

    THE GLASS PALACE

    一度読み終えた小説を再び手に取ることはほとんどないのだが、今年ミャンマーの暑季にマンダレーを訪れてから『時間が取れたらもう一度読もう』と思い出した作品があった。  

    コールカーターで生まれ、ドゥーン・スクールを経てデリー大学、そしてオックスフォードで学び、数々の話題作を世に送り出してきた小説家アミターヴ・ゴーシュが10年前に発表した傑作『The Glass Palace』である。 

     

    書名:The Glass Palace

    著者:Amitav Ghosh

    出版社:Harper Collins Publishers

    ISBN-10: 000651409X

    人気作家の話題作であったことに加えて、舞台設定が英領期のビルマ、インド、マラヤということもあって興味を引かれて、ペーパーバック版が出てからすぐに購入したので、確か最初に読んだのは2001年だったと思う。窓際で陽の当たる書棚に置いていてすっかり日焼けしてしまった本を久しぶりに取り出してページをめくってみた。 

    ストーリーは、ベンガルから家族とともに当時のビルマに移住後、不幸にも父母が相次いで亡くなり孤児となったラージクマール少年が、マンダレーの市街地で印緬混血の女性が切り盛りする道端の屋台で手伝いをしながら糊口をしのぐ場面から始まる。  

    当時、コンバウン朝の王都マンダレーでは、最後の王となるティーボーが王妃スパヤラートとともに王宮で暮らしていた。タイトルのTHE GLASS PALACEとは、その宮殿のことを言う。 

    時は1885年、第三次英緬戦争勃発。ビルマ軍は敗走を続け、英軍はついにコンバウン朝の首都マンダレーを陥落させる。第二次英緬戦争により1853年以降、下ビルマを占領していたイギリスだが、コンバウン朝を倒して上下ビルマを統一することに成功した。翌1886年、ビルマは英領インドに編入される。 

    マンダレーが英軍の手に落ち、側近や衛兵も散り散りになって無防備になった王宮にマンダレー市民たちが押し寄せてきて略奪が始まる。そうした群衆の中にいたラージクマールは、王家の侍女として仕えていた孤児の少女ドリーと初めて出会うことになる。 

    ビルマ最後の王ティーボーは、王妃スパヤラートと幼い王女たちとともにマドラスに移送され、2年後の1887年に王家はインド東海岸の現在マハーラーシュトラ州のラトナギリーに移され、ここが王自身にとっての終の棲家となる。ちょうど1857年にインドで起きた大反乱の旗印として担ぎ出されたムガル最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルが捕らえられた後に妃と息子たちとともにラングーン(現ヤンゴン)に流されたのと同じパターンだ。 

    王家の侍女ドリーは、王家の流刑先でも彼らに甲斐甲斐しく仕えていたが、ここにコレクターとして赴任してきた若くて有能なベンガル人官僚の妻ウマーと親しくなる。ウマーは外の世界をほとんど知らずに結婚適齢期を迎えているドリーを不憫に思っていた。 

    ラージクマールは、英領となった上ビルマで人生の転機を迎えていた。マンダレー陥落前にマレー半島からやってきた華商サヤー・ジョンの仕事の手伝いを初めていた。後にマラヤに戻ってゴム園で成功するサヤーだが、彼が当時のビルマで手掛けていたチーク材取引は順調に拡大していき、能力を認められたラージクマールはサヤーの右腕として重宝されるようになった。やがて独立して自身の力で道を切り拓いていくようになる。 

    日の昇る勢いで出世街道を邁進していたラージクマールだが、王都陥落の混乱の中で出会ったドリーのことが気にかかっていた。 

    その後、ラージクマールは訪印した際にラトナギリーに出向き、ドリーと再会する。当初は彼に関心ある素振りさえ見せず冷淡にあしらっていたドリーだが、ついにラージクマールと一緒になってビルマに戻ることに同意する。 

    ・・・といったあたりが物語の導入部だ。ラージクマールとドリーの夫婦、サヤー・ジョン、そしてウマーの身内といった三つの家族とその子、孫の代にかけて、ビルマ、インド、マラヤの三つの地域にまたがり、王都マンダレー滅亡から第二次大戦を経てこの地域の旧英領の国々の独立、そしてビルマの民主化運動後までの110年もの長きに渡る時空のもとで話が展開する。 

    描かれる時代や場所により、一人称で語られる人物が次々に入れ替わっていくが、世代による物事の考え方や価値観の違いも描き出されていく。主人公と呼ばれるべき人物が複数あり、それぞれ異なる軸からストーリーが見事に紡ぎ出されていく。 

    1956年生まれの著者のアミターヴ・ゴーシュは、ビルマに在住した経験はないが、ニューデリーに遷都される前、1911年までは英領インドの首都であり、インド東部に位置する西ベンガルの州都コールカーターは、地理的にもビルマに近い。今でもラール・バーザール東側の10A, Eden Hospital Rd.にビルマ系の人々が出入りするMyanmar Buddhist Temple (Burmese Buddhist Templeから改称)というテーラワーダ仏教の礼拝所がビルの中に入っている。そうした環境のためビルマから引き揚げてきた人たちと接する機会もあったのではないかと思う。 

    それにも増して大きな動機として、著者であるアミターヴ・ゴーシュの父親と叔父が英軍将校としてビルマに駐在しており、インド国民軍との戦闘体験もある。著者自身、父親や叔父から当時のビルマの話をよく聞かされていたようだ。そのあたりの経緯については作品の後書に記されている。『この小説のアイデアは、私が生まれるよりかなり前に父と叔父によってインドの我が家にもたらされた』とあり、作家自身が格別な思い入れと渾身の力を込めて綴った物語であることが感じられる。 

    ビルマやマラヤにおけるインド系の人々の移民史、植民地行政史に関するある程度の予備知識が必要かもしれない。アジアにおけるイギリス支配の中心地であったこのエリアにおける、インド系とりわけベンガル人の視線から見た近代から現代にかけての歴史ドラマだ。 

     20世紀初頭にはラングーンの人口のおよそ半分がインド系であり、文字通り『インドの街』であった。今でもダウンタウンには、ベンガル、U.P. ビハール、タミルナードゥその他に起源を持つ人々が大勢暮らしている。地域に点在するヒンドゥー寺院や祠はもとより、ジャイナ教寺院、グルドワラーがあり、父祖の出身地域コミュニティごとのインド系の人々のモスクがいくつもある。 

    ムスリム地区の一角には、シナゴーグがひっそりと佇んでいる。もはやユダヤ教徒は数えるほどしか残っていないというが、かつてここで繁栄を享受した彼らはユダヤ系インド人であった。 

    この物語の中心人物のひとり、ラージクマールに話を戻す。一時は羽振りの良い材木商として、人々にとって自家用車など夢また夢であった時代に、息子に当時の最新型の自動車を買い与えるなどしていたが、日本軍のビルマ侵攻で全てを失ってインドに難民として逃れる。

    頼った先は妻ドリーとの間柄を取り持ってくれた恩人であり、親しい友人でもあるウマーの実家。彼が死ぬまでの20年間、ビルマにて一代で築き上げたすべてを失い無一文となったラージクマールは、ウマーとその家族の好意にすがって静かに余生を送る。 

    この物語に出てくる人物は、コンバウン朝最後の王ティーボーとその家族を除きすべて架空の人物だが、ビルマにおけるインド系移民の盛衰を鮮明に描き出している点もまた興味深い。 

    ビルマ征服を企てたのはイギリス人であったが、軍の大半はインド兵たちであり、ビルマを統治した役人たちの多くもインド人、鉄道や道路といったインフラを建設したのもインド人ならば、都会で商業活動の中核を成していたのもインド人たちであった。もちろん農作業や家内工業その他非熟練労働に従事するインド出身者たちも沢山いたとはいえ、当時のビルマの人々がいつも目にする『外来の抑圧装置』といえば、やはりインド人たちということになってしまう。

    旺盛な勤労意欲と企業家精神から、当時彼らの帝国の版図に新たに加わったビルマで大きな財を成したインド系の人々は多かったようだ。だがビルマでの独立を求める機運と反英運動は当然のことながら、『植民地の中の植民地』として君臨するインド人(とともにこの国で商業的に成功した華人たち)に対する反感と切り離すことは不可能であった。 

    インドでは独立運動が地域や民族を横断する包括的なムーヴメント(印パ分離という悲劇はあったものの)となり、独立後も民族のモザイクを統合する方向に努力が続けられたのとは対照的に、ビルマでは国内最大の民族集団であるビルマ族中心の民族主義が台頭した。 

    独立前後からすでにあったインド系・中国系を排除する動きのみならず、民族的にも文化的にもインド顔負けの多様性に富んだ国内をビルマ族の言語と文化で国内を統合しようとした結果、長年に及ぶ内戦が続くことになったのはご存知のとおり。 

    ビルマからのインド系の人々の流出には幾度かのピークがあった。最初は1937年の行政的にインドからの分離した際、次は第二次大戦期の日本軍侵攻から1948年のビルマ独立にかけてのナショナリズムの高揚期、そして1962年のネ・ウィン将軍によるクーデターによる軍政が始まった時期である。これらは、印パ分離の陰にかくれてあまり語られることがない、もうひとつの『インド社会の分離と離散』の時代でもある。 

    この作品は2007年に日本語に訳されて、邦題『ガラスの宮殿』として新潮クレスト・ブックスから出ている。多少なりとも興味のある方には一読をお勧めしたい。 

    書名:ガラスの宮殿

    著者:アミターヴ・ゴーシュ

    翻訳:小沢自然・小野正嗣

    出版社:新潮社

    ISBN-10: 4105900625

  • エコノミスト『インド攻略』

    エコノミスト『インド攻略』

    現在発売中の週刊エコノミスト(9月7日号)の特集記事は『インド攻略』だ。 

    外国企業にとっての草刈り場してのインド、同国市場における日韓企業の対決、小売革命、ジェネリック薬の生産・輸出大国、デリー・ムンバイー産業大動脈等々といった見出しが並ぶ。経済というモノサシから俯瞰したインドが描き出される。

     言うまでもなくインドのメディアの経済関係記事とは異なり、日本からの視点に立ったものであるため、日本のビジネスマンたちがインドのどのあたりに関心を抱いているのか、巨大市場の中での日本企業の位置取りといった、観念的なものではない経済活動という極めて現実的な日印関係を簡潔に俯瞰することができる。

    書店で見かけたら一読してみるといいかもしれない。

    週刊エコノミスト『インド攻略』(9月7日号)

  • アジア文庫

    東京都千代田区の神田神保町にあるアジア文庫の店主で、同店ウェブサイトの『アジア文庫のレジ裏から』でレジ裏話を発信してこられた大野信一氏が今年1月23日に亡くなられていたことをつい先日知った。
    私はここしばらく同書店を訪れていなかったが、ホームページにあるとおり経営権を内山書店に譲渡し、内山ビル5Fにあった店舗を3Fに移転して営業しているとのことだ。
    本の街、神保町の中でもとりわけ個性的な書店のひとつとして知られてきたアジア文庫は、限られたフロア面積ながらも、アジア関係(中国以外)の専門書店として、一般図書から他ではなかなか手に入らない書籍まで、様々な本を読者たちに提供してきた。
    昔、たまたまこの店を見つけたがゆえに××国に興味を持ったとか、その後××国に住むことになったという、どこかの国や地域と関わるそもそものきっかけとなったという人もあるのではないかと思う。
    慎んで大野信一氏のご冥福をお祈りいたしたい。
    ※彼方のインド 5』は後日掲載します。

  • キプリングの時代

    ボンベイ生まれのイギリス人作家ラドヤード・キプリング(1865〜1936)の献辞が書かれた彼自身の著作『THE JUNGLE BOOK』が見つかったのだそうだ。
    Rare Kipling edition discovered (BBC NEWS South Asia)
    代表作『トム・ブラウンの学校生活』で知られるトマス・ヒューズ(1822〜1896)と並び、生前には当時のイギリスを代表する大作家であり、1907年のノーベル文学賞受賞作家でもあった。文豪ヘミングウェイに多大な影響を与えた人物としても知られている。
    代表作『ジャングルブック』『少年キム』などとともに、『領分を越えて』『ブラッシュウッド・ボーイ』『損なわれた青春』などの短編も邦訳されており、これらは岩波文庫の『キプリング短篇集』に収録されている。
    なお、今ご覧になっているPCの画面から、そのままキプリングの作品にアクセスすることもできる。邦訳されたものは、青空文庫にて、『幻の人力車』ならびに『モウグリの兄弟たち』というふたつの短編しか読むことができないが、英文のテキストならばProject Gutenburgにて、キプリングの作品群が多数公開されている。
    1865年にボンベイで生まれた後、1871年には両親により教育のため、まだ見たことのなかった祖国イギリスに送られているが、1882年には再度インドに渡航して、ラーホールの新聞社に職を得た。Civil & Military Gazetteという新聞の発行元である。
    その後、1887年にはアラーハーバードのPioneer紙に移り、このころから紙面に定期的に短編小説を発表するようになった。やがて文壇の怪物として台頭し、ついにはイギリスの国民的作家としての名声を不動のものとするキプリングの文芸活動のはじまりである。
    彼は、インドはもちろんのこと、アメリカ、シンガポール、ビルマ、日本、南アフリカ等各地を訪れている。彼の作品に出てくる舞台も当時のインドのみに限定されるものではないとはいえ、やはり彼の書き残した主要作品の中で最も大きなウェイトを占めるのがインドであり、キプリングの作品から当時のインドの世相や欧州人社会を探ることを試みた書籍なども多数出ている。
    帝国主義的、人種差別的であると評されることもあるキプリングだが、私たちが生きている現代とは社会の風潮や常識といった物の考え方の尺度が異なっていたことを踏まえる必要があるだろう。
    彼の作品で描かれる主人公その他の欧州人たちは、提督や政府高官といった権力者ではなく、大きな富を抱えた大商人でもない。多くは、役人、技師、兵士その他の被雇用者といった『末端の白人』として生きた人々の低い目線から描き出したものである。
    当時の『インドの大衆』とは大きく一線を画す存在であったとはいえ、インドを舞台とする作品中で彼が描いた主人公の多くは、インドのイギリス支配の末端を担う、現地の白人社会における『一般人』たちであり、異郷で彼らなりの運命を切り拓くべく努めていた『普通の人』たちである。
    つまり主要な読者層であった欧州系の人々、イギリスその他欧州に暮らす人々であれ、インドを含む当時の英領地域に住む白人の同胞たちであれ、同じ一市民として感情移入できる作品群を書き残したからこそ、各地で広く読まれることになったのだろう。そして今なお彼の作品が人々に親しまれているのは、その目線の低さと、読者にとって『私たちと同じ』市井の人々を活写していたからに他ならない。
    私たちにとって、すでに遠い過去のものとなった植民地時代の白人社会の日常に関わるつぶさな描写は、非常に示唆に富むものである。また主人公たちによる『ネイティヴ』の人々への視線やかかわりかた等々、まだ映画やテレビドラマのなかった時代の日々を、私たちの目の前に鮮やかに描き出してくれる。
    インドを舞台にした彼の作品は、小説というフィクションでありながら、当時インドに暮らしていたイギリス人をはじめとする白人たちの人々の社会史・生活史の資料でもある。キプリングが後世の人々に残した功績は、文学のみに限定されるものではない。
    彼が描き出した当時の世の中のありさま自体が、非常に良い状態で保存された『史跡』のようでもある。この世の中に文字というものがある限り、そこは決して失われたり荒れ果てたりすることなく、それらが書かれた当時のままの光景が、ページをめくる私たちの目の前に展開するのだ。
    キプリングという大作家があってこそ19世紀後半から20世紀初頭にかけての『当時の世間』が、誰にも読みやすく、興味深い小説として闊達に綴られた。時代を超えて、また活字という手段により国境を越えて、我々が共有する貴重な遺産である。

  • ジャスワント・スィン 著作とBJP除名

    財務大臣、外務大臣、国防大臣といった要職を歴任したラージプート出身で軍歴も持つ大物政治家、ジャスワント・スィンがBJPから除名処分を受けたというニュースが流れたのは一昨日のこと。
    ヒンドゥー右翼政党にありながらも世俗的なスタンスで知られ、BJP幹部の中ではRSSでのキャリアを持たない異色の存在でもあった。
    71歳のご老公が党を追われることになった原因は、つい先日発刊となった彼の著書Jinnah India-Partition Independenceにおける隣国パーキスターン建国の父、ジンナーに関する記述だという。
    Jinnah : India-Partition Independence
    この件についてはいろいろ報道されているところだが、まだその本自体を読んでいないので何ともいえないが、要は党として看過できない内容が書かれているということになっている。
    2005年に同党のL.K.アードヴァーニーがパーキスターンを訪れた際、現地でのジンナーに対する言及も大きな騒動を引き起こしたことを思い出される。
    Advani salutes ‘secular’ Jinnah (2005年6月4日 The Telegraph)
    BJPのリーダーたちにとって、祖国を分離へと導いた立役者であったジンナーに対する肯定的な姿勢はまさに禁じ手ということになるにしても、あまりに短い時間でこうした動きになるのは、彼を追い落とすために、こうした機会がめぐってくるのをじっと待って雌伏していた勢力が党内にあったのかもしれない。
    ところでジャスワント・スィンは、自身のウェブサイトを運営しており、今回の顛末について彼なりの意見等が表明されるのかもしれない。
    なお、このサイト上には彼に対するリクエストや意見等のメッセージを送ることができる機能も付いており、それに対して『本人から3日以内に返事がもらえる』ということになっている。
    BJP内部でどういう動きがあったのか、彼がどういう立場で政治活動を続けていくのか、今後メディア等による続報や分析などが伝えられることだろう。今後の成り行きを見守りたい。
    Jaswant Singh

  • ワールド・デジタル・ライブラリー

    グーグルの書籍検索で、著作権がとうに切れた図書をダウンロードできる。それらの中には、ときになかなか貴重な歴史的な書籍があったりするため、ネット上で入手できるアンティーク本がこのところ気になっていた。だが、ここにきていよいよ真打登場である。
    昨日、4月21日にユネスコが米国議会図書館などの機関と共同で設立するワールド・デジタル・ライブラリーが開館した。20か国の30を越える国立図書館などが所有する書籍や資料などが、ウェブ上で無料にて閲覧できるようになっている。
    日本関係の展示物はこちら、そしてインド関係のものはこちらをご参照いただきたい。
    スタートしたばかりということもあり、まだ蔵書等の点数は少ないものの、こうした取り組みは大いに注目されるところである。今後その内容をますます充実していくことを期待したい。
    歴史的資料は、それを生んだ地域や民族固有の財産であるのみならず、この地上に暮らす私たちすべてが共有すべき貴重な遺産でもある。
    UNESCO, Library of Congress and partners launch World Digital Library (UNESCO)
    グーグル、米議会図書館に300万ドル–World Digital Libraryを支援へ (CNET JAPAN)

  • 邦字メディア

    このところ、タイの政治の動きが気になり、同国の英字メディアに加えて邦字紙バンコク週報のウェブサイトを眺めていたらこんな記事が目に止まった。
    インドの民間航空、バンコク便を延期 (バンコク週報)
    ここにある民間航空とは、キングフィッシャー・エアラインのことで、今年3月からバンガロール・バンコク便を毎日運行させる予定であったのだそうだ。しかし機材繰りの関係でこれを今年10月に延期。また発着地もバンガロールの代わりにムンバイーとコールカーターからそれぞれバンコクに就航させる予定だという。 今のところ、首都デリー便は予定されていないようだが、日本からバンコク経由でインド行きの選択肢が増えるのは喜ばしいことである。
    ところでバンコク週報といえば、ご存知のとおりバンコクをベースとする週刊の邦字紙。昨日は、想像を超える多数のアクセスがあった模様で、日中一杯はまったくつながらなかった。もちろんタークシン元首相支持者たちのデモ活動、政府が鎮圧に乗り出し、軍隊と衝突して死者まで出る騒ぎになっているがゆえのことである。
    1976年の創業当時は週間バンコクと称していたそうだ。他にも海外の邦字紙といえば、シンガポールの星日報、フィリピンのマニラ新聞、インドネシアのじゃかるた新聞等、各地でいろいろ出ている。
    現在これらは紙媒体のみならず、多くがウェブサイトも開設しているため、昔は現地の日本人社会周辺でしか見かけることのなかったこれらのメディアに、いとも簡単にアクセスできるようになっている。たまに覗いてみると、日本で発行されるメディアには取り上げられないトピック、日本のメディアとは違った視点なども感じられ、なかなか興味深いものがある。
    海外の邦字メディアへのリンクをまとめて掲載しているところはないかな?と探してみると、ちょうどいいサイトが見つかった。
    海外の日本語新聞 (岸波通信)
    こうした電子媒体をも含めた邦字メディア、つまり海外発の日本語による報道といえば、おおまかに分けて三つに類型できる。
    ?在留邦人向け
    まず第一に、先に上げた仕事などのために現地に在留している日本人たちのためのメディアだ。往々にして駐在期間が数ヶ月から数年と限られており、往々にしてその国や地域の事情にあまり通じておらず、コトバの問題もあり地元メディアによるニュースをなかなか得にくい人たちが主な購買層となるだろう。現地ニュースを噛みくだいて伝え、これと合わせて在留邦人たちに役立つ生活・娯楽ニュースなどを提供することに意義がある。
    ?日系人ならびに定住者向け
    サンパウロ新聞ニッケイ新聞に代表される、海外に移住した日系人たちを対象に発行されているものだ。在住国のニュースが日本語で書かれている点では前者と似ているとはいえ、読者層の大半にとって『故郷』とは在住国そのものであるため、日本に対するスタンスがずいぶん違う。『父祖の国』の日系人に対する処遇がしばしば記事になったりもする。また『納骨堂詐欺にご注意』などという見出しが目に付いたりするのも、そこに根を張って生きる日系人たちの立ち位置が感じられる。また日系人たち(おそらく年配の方々が中心か?)の間で、日本の出身地を単位とする県人会活動が盛んなことも、そうした記事が多く含まれていることから推測できる。
    ?と?は、かならずしもはっきりと境界を区切ることができるものではないかもしれない。タイやインドネシアなどで生活の糧を得る生業を持ち、長年定住して家庭をもうけ、終の棲家としている日本人は少なくないし、ブラジルをはじめとする日系人社会の中に出入りする非定住型の日本人もある。
    ?日本語版外国メディア
    最後に前者ふたつとは明らかに発行主体と目的が異なる邦字メディアがある。日本から見て外国の報道機関が、自国その他のニュースを日本語により日本人読者を相手に発信するものだ。必ずしも発行主体のある現地在住日本人を対象とするものではなく、日本で暮らす日本人たちに自分たちの国の様子を伝える役目をも担っている。ウェブ版の韓国の朝鮮日報、中国の人民日報などがこのタイプに当たる。もちろんロイター・ジャパンのような外国通信社が発信する日本語ニュースもここに分類できるだろう。
    ?はともかく、?と?については、一時滞在も含めて相当まとまった数の現地在住の日本人ないしは日系人の人口がなくては存在しえない。それがゆえに、アジアを中心とする各地で、新たな邦字メディアが生まれたり、日本語による主に娯楽関連のミニコミ紙が登場したりと活発に推移しているのとは裏腹に、中南米の邦字メディアについては、日系人の世代が下るにつれて、日本語を理解しない人が増えていること、父祖の国への文化的な関心も薄れていくことから、かなり苦戦しているところが多いということも耳にする。
    インドの邦人人口はまだそれほど多くはないとはいえ、今後日印関係がより緊密なものになっていくのだとすれば、いつの日かインドで発行される邦字新聞というのも出てくるのだろうか。『日本語で読むインドニュース』を標榜する有料のウェブサイト、インド新聞や無料のインドチャンネルなどというものがあり、活発にインド関連のニュースを発信しているものの、これらはちょっと違う気がする。内容もさることながら、メディア自身が立つ軸足の関係である。
    今、広く知られている邦字紙によるウェブサイトは、言うまでもなく既存の紙媒体のメディアが時代に合わせてウェブ版でも発信するようになったものだ。今の時代に発刊する邦字メディアは、紙面作成や頒布に人手やコストがかかるうえに、流通するエリアに限りがあり、保存性もよろしくない紙媒体をスッ飛ばして、直接電子媒体で・・・というのがいいのかもしれない。
    ともあれ、メディアは社会の公器とはいうもの、れっきとした商売でもあるので、やはりそこはそれなりの需要があり、採算が見込まれることなしに存在しえないことは言うまでもない。

  • 『旅』5月号はブータン特集

    『旅』 2009年5月号
    新潮社の旅行月刊誌『旅』の現在書店の店頭に並んでいる5月号で、ブータンの特集が組まれている。
    表紙に書かれたキャッチフレーズにあるように『ブータンは世界でいちばん幸福な国』であるかどうかについては、そうともいえないがゆえに、ネパール系住民との軋轢や同住民が難民として流出したりしているわけだが、非常に興味深い国であることは間違いない。
    首都ティンプーや地方の町などの美しい景色、人々の暮らし、寺院のたたずまいや手工芸品等の生産の様子、旅行事情、グルメスポットに宿情報など、写真を豊富に使って70ページあまりをヴィジュアルに展開している。
    インドのすぐ隣にありながら、なかなか訪れる機会のないブータン。現在までのところ、同国政府の方針により、外国人はツアー参加が原則で、これまたかなり高額な費用が設定されているため、目下の私には文字通り『手も足も出ない』といった具合。
    ちょうど昨年の今ごろ、ブータンでは総選挙が行なわれた。これにより、大衆からの要求もないのに、この国を支配してきた絶対君主自身により『上からの民主化』が実施され、自らの権力の大部分を放棄して民政移管し、立憲君主制に移行するという、世界でも極めて稀な手続きによる政治体制の大きな変更が実現している。
    これにより、理論的には社会の様々な層からの民意を汲み上げた政治が実施されていくことになり、それまでの政治や社会のありかたに相当な変化が出てくるであろうことは想像に難くない。
    『ブータン 個人旅行受け入れへ』という情報が世界を駆け巡る日もそう遠くないのかもしれない・・・と私は思う。
    ブータンのツーリズムといえば、元々は政府系の事業体のみが取り扱うものであったが、80年代後半から90年代後半にかけて、『民間でできることは民間で』というグローバルな潮流は、ヒマラヤ奥深く位置するこの小国のこの分野にも及び、1991年に旅行業の民営化が実施され、現在では200社を超える大小の民間企業がこの分野のビジネスを取り仕切っているといわれる。
    たとえ事実上の鎖国状態にあるにしても、世界の動きとは無縁ではいられない。これまでブータンの外交といえば、ほぼインド一辺倒であった。しかし民意を広く反映した複眼的な国家運営がなされるであろうことから、南の大国との特別な関係について、今後何らかの見直しが図ろうという動きが出てくることもあり得ない話ではないだろう。
    ときどきインドから少し視点をずらして、視界の片隅に入れておきたい国である。