ムンバイーを本拠地として一定の影響力を持つシヴセーナー。地元マハーラーシュトラの民族主義を基とするヒンドゥー右翼政党だ。彼らの『ヴァレンタインデイ攻撃』については、よく外国のメディアにも取り上げられるところである。ヴァレンタインのギフトを売る店を襲撃したり、『西洋的な退廃の浸透だ』などと大げさなアピールをワアワア繰り広げたりする。
数年前、ムンバイーで彼らがBJPとともに実行した『ムンバイー・バンド』を目の当たりにする機会があったが、前日に地元に暮らすU.P.州出身の運転手から『セーナー(シヴセーナー)のバンドは本当に怖いよ』と聞いていたのだが、実際あまりに暴力的かつ脅迫的なリーダーシップ(?)と、徹底した実力行使ぶりには背筋が寒くなる思いがした。
ちょうどその時期、党の創設者であり最高指導者であったバール・タークレーが表舞台から退き、実権を息子のウッダヴに譲り移した時期だった。これまで長きにわたり強い指導力を発揮してきたカリスマが退くことにより、求心力が低下するのでは?という声を払拭するために、このときに起きたムンバイー市内でのバス爆破事件への抗議活動としてのバンドを実行するのは、都合が良かったのだろう。あまりに極端で過激な劇場型政治である。
やはり代替わりの時期ともなると、新体制やその中での個々のリーダーたちの位置づけや序列などをめぐり様々な摩擦や衝突がある。翌々年のこの時期には、かつてシヴセーナーとBJPが連立した州政府首相まで務めたことがある大物政治家、ナラヤン・ラーネーが党を脱退してコングレスに加入して世間を騒がせたし、それまでウッダヴとともにシヴセーナー新世代の顔として、大親分のバール・タークレーの直近下位にあったラージ・タークレーも党を離れることになった。ラージは、先述のウッダヴのいとこであり、バール・タークレーの甥だ。
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総体としてしっかり
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悪玉センセイ
投降した女盗賊、プーラン・デーヴィーの彼女の半生を描いた映画『Bandit Queen』が制作されたのは1994年。その2年後に社会党から立候補して国会議員に選出され、これまた話題を呼んだ。2001年にニューデリーで殺害されるまで、『元犯罪者』の議員として何かと世間の耳目を集める人物であった。
はなはだ残念なことではあるが、インドの政治家の中には犯罪にまつわるさまざまな疑惑を抱える者(政敵に「まんまとハメられて」罪に問われるケースだってあり得るだろうが)『現役の犯罪者』は少なくないし、在任中に有罪判決を受けて服役する例も決して珍しいことではない。
目下、鉄道大臣として手腕を発揮しているRJDのラールー・プラサード・ヤーダヴにしてみても、元映画女優にしてAIADMK党首でもあるジャヤーラリターにしてもみても、これまで汚職その他のスキャンダルには事欠かなかった。清濁併せ呑む度量の大きさは、大国をまとめる大衆政治家の器の証としては言いすぎだろうか。
前者については、昨年だったか彼の大学生の娘のボーイフレンドが死亡した状況が不審であったということで、ひょっとして?という憶測が飛んだりもした。娘と付き合っている男性(大学の同級生)が一緒のキャンパスの友人カップルたちとピクニックに出かけた先の渓谷で急死し、川の中から遺体が発見されたというものである。死亡時の目撃者はいない。
ラールー・プラサード・ヤーダヴ率いるRJDの元RJD党員にして国会議員でもあったパップー・ヤーダヴは、対立する人物を殺害したかどで終身刑の判決を受けた。
コングレス、BSP、BJPと所属政党をいくつも変えてきたアマルマニ・トリパーティーは、元U.P.州政府大臣を務めたこともある有力政治家だが、やはり脅迫・殺人その他の大きな疑惑を抱えてきたが、2003年には不倫相手の女性を手下に殺害させたことにより。夫婦そろって終身刑に。
JMM党首で、元ジャールカンド州首相シーブー・ソーレーン。以前秘書として雇っていた男性を殺害して終身刑を受けるも、その後証拠不充分で釈放となった。あるいは明らかにヤバい人物、あるいは限りなくクロに近いグレーな人物が政治家であったり、しかもかなり高い地位を占めていたりする。 -
The Great Khaliに仰天

テレビ画面に流れているZEE NEWSをボンヤリ眺めていたら、すごいコワモテの巨漢が登場していた。筋骨たくましく、見るからにタダ者ではない。なんでもアメリカのWWE所属で、グレート・カーリーというリングネームで活躍するインド人、ダリープ・スィン・ラーナーという人物なのだそうだ。背丈はなんと、2メートル20センチもある。
残念なことに、私はプロレスのことはまったくといってよいほど知らず、彼がどういう活躍をしているのか見当もつかなかったが、Youtubeを検索してみると彼の試合の映像がいくつも引っかかってくる。その中のひとつにこういうものがあった。なんだかものすごい迫力である。The Great Khali’s Fan Siteというサイトもあるくらいだから、かなりの人気者なのだろう。
ちなみに日本との間にもなかなか深い縁があり、新日本プロレスに短い期間在籍していたらしいから、プロレスファンの方々はよくごご存知かもしれない。
リングでは荒々しい彼が、里帰りすると信仰心厚い青年となるのだとかで、お寺で坊さんにひざまづいていたり、人々と一緒にバジャンを歌っていたりする様子などがニュースで流れていた。彼の家族はパンジャービーで、現在ヒマーチャル・プラデーシュに在住。
プロレスラーとしてのみならず、なんと俳優としてのキャリアも築いている。2005年のアメリカ映画『The Longest Yard』に出演し、今年2008年公開予定のGet Smartにも登場する。
ふさわしい役どころがあるのかわからないが、いまにボリウッドから声がかかることはないだろうか?風貌も体型もヴジュアリスティックで、映画向きではないだろうか。個人的には、インドに里帰りして筋肉アクション系スターとしての活躍を大いに期待したいと思う。軽く2メートルを超える身長だと、あまりにスケールが大きすぎてスクリーンからはみ出してしまうかもしれないのだが。 -
聖地

パーキスターンのスィンド州ラルカーナー郊外のガリー・クダー・バクシュ村にあるブットー家の墓。墓というよりもまさに廟なのである。先月27日に暗殺されたベーナズィール・ブットーが10月に帰国して墓参した際、またそのわずかふた月あまり後に彼女自身の葬儀が行なわれたときにも、テレビや雑誌などに取り上げられていたが、
ブログ『Farzana Naina』にその写真が数点掲示されている。
水際に臨む好ロケーション、一件古風な建築ながらも細部のデザイン等が省略されているように見えるのは、現代的にアレンジされたものなのか、それともまだ造営途中であるのか。私たちが生きる今の時代に造られた墓廟としては、極めて例外的に壮大なものだ。ブットー家の財力と集金力、そして支持基盤の強固さを感じさせられるとともに、この『大衆政治家』父娘の封建的かつ権威主義的な面をも示しているようだ。廟内にはベーナズィールの父、ズルフィカール・アリー・ブットーの墓が安置されていたが、これに暗殺された娘のものが加えられる。
いつか機会を得て、ぜひこの墓廟を見学してみたいと思う。しかしそこに葬られているのが、今となっては歴史の本の中の記述のみに存在する歴史の彼方の人物ではなく、直に会ったことはなくても、これまで各種メディアで盛んに取り上げられてきた故人の力強く色鮮やかな記憶がまだ生々しいだけに、大きな墓廟の凛としたそのたたずまいから深い悲哀が感じられるようだ。
非業の死を遂げた父ズルフィカールとともに、まだまだ多くのことをやり残したベーナズィールの悔恨や怨嗟の想いが凝縮されたこの建築を目にして、ブットー家ないしはPPPを支持する人たちは、その遺志を継ぐ決意を新たにするのだろう。精神と肉体が消滅し、次第に人々の中から故人の人格や行いといった日常的な部分についての記憶が薄れていくものだ。しかし非人間的な大きさの廟に祀られ、当人たちの表情、感情や体温を感じさせないシンボルと化し、輝かしい業績や政治スタンスのエッセンスのみが昇華されて人々の心に刻まれるようになる。
政治家としてのブットー父娘について、さまざまな意見があるところだが、カリスマ性、魅力と話題に富んだ政治家であったことは誰も否定しないだろう。党の『終身総裁』の観があり、大看板でもあったベーナズィールを失うという大きな痛手を負ったPPPだが、彼女がここに葬られることにより、墓廟は支持者たちにとって『聖地』としての資質をさらに高めることになったに違いない。
ちなみに墓廟とラルカーナーとの大まかな位置関係は以下のとおりである。

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テロで変わるもの
1978年に第一回大会が開催され、『パリダカ』の名前で日本でも親しまれてきたダカール・ラリー。いくつもの国境を越えて、非常に条件の悪いルートを走破するこの過酷な競技の映像を目にすれば、モーターファンならずとも大きな驚きと感動をおぼえるとともに、出場者たちに大きな拍手を送りたくなることだろう。
そのダカール・ラリーは今月開催されるはずであったのが、まさに直前になって主催者より中止の発表があったのはご存知のとおり。すでに各種メディアで報じられているとおり、原因は治安面での不安、つまりテロの標的となる可能性があるとのことだ。
主催団体ASOのコメントにもあるように、社会的影響や経済的損失を考慮したうえでも、中止を決断しなくてはならないところまで追い込まれたとのことだが、これは尋常なことではない。フランスの諜報機関筋が具体的なテロ計画の情報が把握したことがこの判断につながった理由のひとつだというが、テロ組織がASO自身に直接脅しをかけていたのかもしれない。
今後もコースとなる北アフリカ地域での治安状況に不安はつきまとうことから、来年以降のラリー大会開催について他地域も視野に入れているようで、すでに南米を視察したとのことだ。
インドでは、首都デリーで『1月15日からIDの携帯義務化』の動きが議論を呼んでいる。ここでいうIDとは、運転免許証、有権者登録証、配給証、学生証、勤務先の職員証、外国人の場合はパスポートや外国人登録証等々など。IDとして認められるものの範囲が広いのでなんとかなるかといえば、そうでもないのがインフォーマルセクターで働く人々であり、さまざまな形で首都に入ってきて社会の底辺を成す移民の人々でもある。
この件について様々な反論や反響が報じられている。そういうものを常時携帯することを強制することは民主的でないという声があるとともに、総人口のおよそ半数が身分を証明するものを何ら持ち合わせていないと推定されるこの国で、突然このようなものを身につけろというのは実際的ではないという批判、そして電子データ入りの統一された身分証明証を発行して携帯させるべきであるという意見もある。 -
Daughter of the Eastを悼む

なんということだ。ついに起きてしまった。多くの人々が恐れていたことが。
過激派による警告を受け、10月18日の帰国前から身辺の危険に関する懸念を口にしていた。まさにそのとおりに帰国当日のカラーチーでのパレードで、この国でこれまでに起きた中でも最大規模のテロが発生し、ブットー自身は難を逃れたものの140人もが亡くなる大惨事となった。その際当局が供するセキュリティの不備等について、批判の声が上がっていた。このたび、まさに同様の事件が今度はラーワルピンディーでの遊説後に再発し、来年1月に予定される選挙の趨勢を握る重要人物が永遠に帰らぬ人となってしまった。 -
王室廃すと・・・
このほど王室の廃止が確定したネパールだが、すでに今会計年度の王室予算配分がゼロとなっており、今年7月に宮殿で行われた国王の60歳の誕生日を祝う式典に同国閣僚や外交団の参加者はなく、集まった支持者も千人ほどでしかなかったとのことだ。
昨年半ばに政府から王室に財産の公開が求められ、これに従わない場合は当局による強制的な執行がなされるという旨の報道があった。同年10月には2001年に殺害されたビレンドラ前国王の私財が国有化されている。今年8月には七つの宮殿を含む王室財産の国有化の決定に加えて、ギャネンドラ国王夫妻とパーラス王子の銀行口座を凍結するなどの措置が取られた。
しかし王室が以前から海外に所有する資産、ギャネンドラ国王即位後に国外に逃避させた前国王の私財など、よくわかっていない部分が多いらしい。国内に所有するその他資産と合わせて、今後も『埋蔵金探し』が続くことだろう。
ギャネンドラ国王は意欲的なビジネスマンの側面を持つ。彼を含む王室のメンバーたちが自国内で、旅行業界に加えて、食品や、タバコ、紅茶、電力などで幅広く投資を行なっており、これらの分野の著名企業の大株主でもある。カトマンズ市内のアンナプルナ・ホテル、旅行代理店のゴルカ・トラベルズ、スーリヤ・タバコ会社などがこうした王室系資本ないしは強い影響下にあることは外国人にも広く知られているところだ。
国家に帰属すべき王室財産と、シャハ家としての私財をどう色分けするのだろうか。かねてより関係者の間で熾烈な駆け引き、取り引き、策略などが展開されてきたことだろう。近・現代史の中で、ロシアの二月革命でのニコライ二世、イランのモハンマド・レザ・シャーのように自国内で発生した革命により王権が剥奪された例、韓国の李朝のように外国(日本)からの侵略により消滅した例はいくつかある。
これらと時代も状況も違うので比較はできないものの、ネパールではこの王室廃止についてどのような処理が進められていくのか、王室無き後この国に住み続ける旧王族たちが実質的にどういう立場になっていくのかなど、かなり興味を引かれるところである。 -
ネパール 王室廃し共和制へ

マオイスト勢力の圧力を受けて、ネパールの王室が廃止されることが確定した。1599年のゴルカ王国成立から数えて400年以上、同王朝を率いるプリトヴィー・ナーラーヤンが1768年にマッラ朝を倒してネパールを統一してから240年の長きに渡るシャハ王朝の歴史に幕を下ろすことになる。
90年代初めにそれまで国王による事実上の専制状態から立憲君主制へと移行したものの、議会の混乱やマオイスト勢力の伸長などにより、長く不安定な時期が続いたネパール。2006年に国名がネパール王国からネパール国へと変更された。それまで世界唯一のヒンドゥー教を国教としていたこの国が世俗国家となり、それまでの王室を讃える歌詞内容の国歌が廃止された。しばらくの空白期間を経て、今年8月に新国歌制定が宣言されることとなった。
今後共和制に移行するとともに、王の肖像をあしらった紙幣、王室を象徴する要素の強い国旗のデザイン、国旗を上部にあしらった国章についてもやがて変更されることになるのだろう。


かといって、これらが人々の生活の向上に直接作用するとは思えないし、国内が確実に安定へと向かっているのかどうかはわからない。こうした象徴的な事柄や制度が改められていく背景にある本質的なものとは、近年のこの社会の様々な方面における力関係の大きな変化に他ならない。
とりわけこの国の政治権力構造で浮沈の激しいいわば『戦国時代』が続く中、かつてこの国を名実ともに支配していた王室という伝統的な政治パワーが、表舞台から公式にドロップアウトすることとなる。今後のネパールは融和と安定へと向かうのか、それとも衝突と分裂の歴史を刻んでいくことになるのだろうか。この国から当分目が離せない。
今ネパールで起きていることや現在進行中のこうした動きなどについて、近隣国のブータンも慎重に分析していることだろう。国内に退位を求める声が起きていないのに、それまで権力を握ってきた王家が自主的に民主化を進めるという世界的にも稀有な例を世界に示している同国。その背景にはいろいろあるのだろうが、隣国の情勢を踏まえての強い危機感もまたこれを決断させたひとつのきっかけとなっているのではないだろうか。
Federal Republic of Nepal, 601-member CA agreed
(Kathmandu Post)
Nepal strikes deal with Maoists to abolish monarchy
(Hindustan Times) -
たたかうヒンドゥーたち
90年代以降サフラン勢力が急伸したインドから東へ海を隔てた先にあるマレーシア。人口2600万人中の8%をインド系が占めており、多くはタミル系のヒンドゥーたちである。ここでも政治的なヒンドゥー組織が、ムスリムがマジョリティを占める『世俗的』政府に対して声を上げるようになっている。
背景には、従来からブミ・プトラ政策により不利な立場にあったマイノリティの人々が、もともと非常に寛容なイスラーム国家であったマレーシアの右傾化、つまりイスラーム保守層の台頭により一層の不満と不安を抱え込みつつあることがあるようだ。クアラルンプルを含めた各地で土地の不法占拠を理由としたヒンドゥー寺院の取り壊しが散発的に行なわれている。中にはすでに150年間も存在してきた寺院に対する撤去の予告なども含まれる。こうした動きを受けて、ヒンドゥーの人たちの間では、非イスラームのマイノリティの排除を意図するものであると疑う声があがっているのだという。
都市部での商業活動や高度な専門職に就くことにより、経済的に恵まれた層に属する人々も多い反面、インド系人口の中には、ゴムの樹液の採取作業や農地での小作といった仕事で食いつなぐ貧困層も多く、経済的にも政治的にもマジョリティであるマレー系の人々に対して立ち遅れた常態にあるという。
彼らの声を代弁する存在として大きな注目を浴びるようになったのが、30のヒンドゥー団体の連合体であるHINDRAF (Hindu Rights Action Force)だ。当局による数々の弾圧や不当な逮捕などに耐えつつ、世俗国家におけるマイノリティとしての権利擁護を訴えている。インドにおけるサフラン勢力と違い宗教色が前面に出ることはないが、ヒンドゥーであることを大切なアイデンティティとして持つインド系住民としての社会政治活動ということになる。 -
お隣さんはどこに行く??
それにしても今のパーキスターンの混迷ぶりは気にかかる。その有様を眺める世間の視線もまた気になる。世の中で広く『民主主義=善』『軍事政権=悪』と認識されている。広く民意を募り、つまり公平で自由な選挙という手段によって選ばれたもの、人々の信任を得たものが最良であるという前提がある。国民の総意を結集して樹立した政府に能力の不足や不手際があればふたたび選挙によりそれを交代させることができるという、政治勢力間の競争原理が働くがゆえに、ベターなガバナンスが可能となる・・・はずなのだろう。
しかしどうした具合か、パーキスターンではその民主主義がうまく機能しないことが多い。文民政府が迷走し、あるいは腐敗の度合いを深めると、「コラーッ!』と怒鳴り込んでくる『雷オヤジ』か、または腐敗した政府に鉄槌を下すための『懲罰機関』であるかのような観さえある。これまで市民の間にもそれをある程度許容する部分があったのだろう。政界で選挙を通じて選び出された政権と軍の威光が並立してきたその背景にあるのは、民主主義というシステムの機能不全である。
しかし軍政=強硬派による兵倉国家という図式にならないのがパーキスターンである。現在大統領職にあるムシャッラフ氏は、有能な統治者であり軍籍にありながらも、政治的には穏健でリベラルな思想を持つ人物として認識されてきた。隣国インドにとっても、『テロと闘う盟友』のアメリカにとっても、パーキスターンの指導者として少なくとも今までところは『余人を持ってかえがたい』存在である。
ムシャッラフは、兼務している陸軍参謀長を11月末までに辞任して軍籍から離れ、次期は文民として大統領職に就きたいとの意向を明らかにした。また11月15日に下院が任期満了により解散し、翌16日に選挙管理内閣が発足。上院議長モハンマド・ミヤーン・スームローが暫定首相に任命されている。1月9日までに予定される総選挙は非常事態下で行われる可能性が高い。つまり集会や結社の自由などが保障されない状態での選挙となることから、公平性や透明性が期待できないとの批判を招くことだろう。
総選挙を前にして、現在同国の政治を率いるムシャッラフ、彼と組んで与党として政権を運営してきたPML、首相返り咲きを狙って帰国したブットーと彼女が率いるPPPという、三者三様の思惑が渦巻く中、先行きは不透明なままである。しかしながら米国にとっては、ムシャッラフ+PML、ムシャッラフ+ブットー率いるPPP、はてまた非常事態宣言に続いて二度にわたる自宅軟禁を受けてムシャッラフに対して激しい批判の声を上げ始めたブットーとPPPがこのままムシャッラフとの距離を広げていっての独走も、場合によってはありえるのかもしれないが、いずれが浮上しても、親米という路線は不変であろう。ムシャラフ氏の専横の度が過ぎて、米国は表面では圧力をかけつつも、本音はちょっと違うのだろう。、最終的に勝ち馬に乗ればいいのだから、目下冷静に様子見である。現在のところパーキスターンとの関係がまずまず良好な隣国インドは大きな変化を望むはずはなく、前者の組み合わせでの現状維持を期待するといったところだろう。
しかしながら万が一、この三つの勢力に批判と抵抗を続ける原理主義勢力が急伸し、強硬な反米政権が樹立されることになったどうなるのだろうか。今のところ既存の宗教系政党でそこまでの力を持つものはないので心配はないが、数年後はどんな構図になっているかわからない。原理主義過激派が暗躍する素地を作ってきたのはパーキスターンの歴代の政治による部分が大きいとはいえ、昨今こうした勢力が急速に台頭しているのも民意の表われのひとつでもある。
だがもっと現実味のある危険なシナリオもありえるかもしれない。軍の中に現在のムシャッラフのスタンスに反感を抱く勢力もあり、新たなクーデターの懸念が出ていることがそれだ。こうした懸念があってこそ、先日『ムシャッラフが自宅軟禁』というデマが流れたのではないだろうか。再度のクーデターにより、いくつもの欠陥があれどもとりあえずは前進してきた民主化のプロセスが水泡に帰してしまうだけではない。世俗的かつ穏健派であったムシャッフラに異議を唱えるのはどういう人物であるかということを思えば、かなり危険なものを感じてしまう。
それだけではない。まだ64歳で健康面での不安が伝えられることもないムシャッラフ氏だが、これまで幾度となく暗殺の危機を切り抜けてきた。果たして身近なところに敵対勢力への内通者がいるのかどうかわからないが、流動的な状況のもとで今後も同様の事件が起きても不思議はない。盤石な支持基盤を持つ大政党を背後に持たない彼が、ある日突然この世からいなくなるようなことがあったら、いったいどうなるのだろうか。混沌下で権力の継承がなされぬままに、突然ポッカリと大きな真空状態が生まれてしまうことが一番恐ろしい。
6月10日の総選挙後、北部オランダ語圏と南部フランス語圏の地域間対立をもとに新たな政権を樹立できない空白状態が150日を越えるという稀有な迷走ぶりを見せているベルギーのような国もあるが、パーキスターン政治の混迷は大規模な流血の事態を招きかねず、経済や市民生活に与えるインパクトも甚大である。パーキスターンは事実上の核保有国であることから、有事の際にパーキスターンによる核使用を懸念しなくてはならない隣国インドはもちろん、他国等への核拡散の不安もあることから、遠く離れた国々にあっても無関心ではいられない。
圧政の継続か民主主義の復権かが問われるところだが、本来尊重されるべき『民意』の中にも実にいろいろな部分がある。単に自らの保身というわけではなく無用な流血や混乱を避けるとともに、自国の将来を見据えて平和裏に軟着陸させようと、ベターな『落としどころ』を懸命に探っているのが現在のムシャッラフ氏なのではないかと推測するが、今後かたときも目が離せないパーキスターン情勢である。
〈完〉 -
お隣さんはどこに行く??
9月10日のナワーズ・シャリーフ前首相の帰国直後の逮捕と国外追放、10月18日のベーナズィール・ブットー前首相の帰国当日夜のカーラーチーでの凱旋パレードの際に起きた、パーキスターン史上最大級と言われる被害を出した自爆テロ事件、大統領選立候補資格の有無をめぐる最高裁との対立、テロの拡大等を理由にした非常事態宣言発令、司法の痛烈な批判と最高裁長官の首すげ替え、閣僚宅への過激派による自爆攻撃、ブットー前首相の自宅軟禁とその解除を繰り返すなど、混迷が続くパーキスターン情勢。
亜大陸の反対側にあるバングラーデーシュも、今年1月に総選挙が実施されるはずであったが、対立する政党間での軋轢が激化した結果、大統領による非常事態宣言発令、選挙管理内閣による統治へ。選挙は現在のところ来年10月以降になりそうな見込み。こちらもまた先行き不透明だ。
もっともインドもかつて為政者が強権を発動した時期がなかったわけでもないし、北東部やカシミールでの分離活動やそうした地域で主に軍による人権抑圧、オリッサ、ビハール、アーンドラ・プラデーシュその他広い地域で活動する極左集団、カーストやコミュニティをベースにした対立等々さまざまな問題を抱えている。また90年代から経済的に目覚しい発展を遂げることになったとはいえ、それ以前は長く停滞にあえいでいた。
それでも総体として今のインドの好調さと安定ぶりは際立っている。旧英領『インド』としての歴史を共有する兄弟国でありながら、なぜこうも違うのだろうか?という思いを抱かないでもない。もっとも分離前の広大な地域をまとめあげたのは、亜大陸に住む人々自身ではなく、イギリスの統治によるものであったことから、元々同じ国であったとすること自体に幻想が含まれているのかもしれない。
もっとも今のインドにしても、現在の優位が未来永劫に続くという保証があるわけではない。20世紀には『来たる××年代の大国』『次世紀のアメリカ』と目された国が失速していく例はいくつもあった。インドとて、10年、20年後どうなっているかについては誰も正確な予言をすることはできないだろう。そもそも経済とは自国内のみで完結するものではないし、特に今の時代にあっては国際情勢その他、自分たちではどうにもコントロールできない事象に影響されることも多い。
〈続く〉 -
天まで届くか? ボビー・ジンダル

今年10月、アメリカのルイジアナ州知事選挙で得票率54%という圧倒的な支持を得て見事当選して、来年1月からの就任が決定した共和党のボビー・ジンダル。アジア系アメリカ人のなかで、インド系は中国系、フィリピン系に次いで第三位。総人口の中に占める割合は0.6%に過ぎないとはいえ、シリコンバレーで活躍する実業家たちの中にインド出身者たちの名前がズラリと並んでいるとともに、その他医者や弁護士といった高度な知的職業に従事する人々の割合が高いとされるのが特徴だ。高学歴で富裕層が多く低所得層が少ないといわれる。
極めてアメリカ的なものの中にもインド人との縁が深いものは決して珍しくない。たとえば高性能な音響機器を製造するアメリカ企業Boseもまたインド系アメリカ人にして、アマル・ゴーパール・ボースが起業したものである。彼の父、ノーニー・ゴーパール・ボースは、インド独立の志士で政治活動により投獄経験があり、当時のイギリス官憲の追及を逃れるため渡米した。
在米インド系人口は、高い教育水準と所得レベルを持つ有力なマイノリティ・コミュニティながらも、政界への進出はさほど盛んでないとされてきたが、ここにきて保守的な南部のルイジアナ州知事選で選出され、全米初のインド系知事、同州における135年ぶりの非白人知事となったのがインド系二世のボビー・ジンダル。ちなみにルイジアナ州で始めて白人以外の知事となった人物とは、P.B.S.ピンチバックという人物で、白人農場主と彼の元奴隷であった黒人との間に生まれたとされる。在任期間は1872年12月半ばから翌83年1月半ばまで、わずかひと月あまりと短いものであった。
ボビー・ジンダルは1971年生まれの36歳。インドのパンジャーブ州からの移民の息子として、ルイジアナ州のバトンルージュで生まれた。父の故郷に祖父母が生きていたころは、繰り返しインドを訪れていたという。元々はヒンドゥーながらも中学生のころクリスチャンに改宗。ブラウン大学卒業後、イギリスのオックスフォード大学に留学して政治学修士号を取得。同じくインド系アメリカ人スプリヤーとの間に三人の子供たちがある。
彼は突然降って沸いたように表舞台に登場したわけではない。大学院修了後、20代前半で同州保健局の責任者、20代後半で同州立大学の統括責任者、そしてブッシュ政権発足時の厚生次官補に抜擢されるなど、非常に優秀な行政官として手腕を発揮してきた。また4年前初めて同州知事選に出馬。一次投票は首位で通過したものの、二位につけたブランコ氏との決選投票で僅差の敗北を喫するなど、常に人々の耳目を集めてきた人物である。一昨年9月に大きな被害をもたらしたハリケーン、カトリーナへの対応への批判からブランコ知事が再出馬をあきらめたこと、民主党の票田であった都市部の黒人有権者たちの多くが今でも他州に避難したまま戻ってきていないことなども、共和党の彼に有利な結果を引き出すことになった。
彼の州知事当選を、昨今のアジア系アメリカ人の台頭の一例、インド系アメリカ人の政治進出のシンボルという見方もできるかもしれないが、その実彼のスタンスや支持者層は、インド系の人々の利益を代表するものではないし、いわんや広く他のマイノリティや社会的弱者の利害をも代弁するものではない。南部でも特に保守色が強い、いわゆるデイープ・サウスに位置するルイジアナ州で、伝統的な白人保守層の価値観の代弁者として人々から票を集めたのが奇しくも非白人のアジア系候補者のボビー・ジンダルその人なのだ。肌の色や人種の違いを超えたオーソドックスな保守派として異色な存在だといえる。
しかしながら出自にとらわれない広範な支持とまだ36歳という若さは、これまで彼が発揮してきた確かな行政手腕と合わせて今後も目が離せない。ひょっとするとこの人物は、将来米国政界の頂点、ひいては世界政治を左右する高みにまで上り詰めるのではないか?という予感がするのは私だけではないだろう。
Bobby Jindal GOVERNOR (ボビー・ジンダル公式サイト)
