しばらく前に、インドのメディアで大臣や高級官僚等による海外を出張の頻度や旅費関係の支出等についてまとめた記事をいくつか目にした記憶がある。
『小さな政府』を志向し、国や自治体の支出を削減しよう、民間でできることはなるべく民間で行なうなどといった風潮は、国や地域を問わず、世界共通の風潮となっている。
個人的には、そういう視点も必要かとは思うものの、人々の働きかたの多様化を尊重するというおためごかしのために、働く人々の立場、つまり正社員であったり、期限付きの非常勤であったり、はてまた外部からの派遣であったりなどと、雇用関係等が様々な人たちが同じ職場で働く、あるいは同じ仕事をするのに賃金か大きく違ってくるといったことが当たり前になっていることについては決して肯定的に受け止めることはできない。
また、働く人々の立場が寸断された形になっているがゆえに、『労働者』として力を合わせて経営側と渡り合うことが難しくなっていること、さらには世界的な不況という背景も加わり、一般的に今の労使関係が大幅に雇用者側に有利になってしまっていることは大きな問題だと思う。
冒頭に書いたとおり、インドでも公金の使い方について、いろいろな方面で議論がなされているようだ。政治家や高級官僚が移動する際の旅費や公用車云々についても、様々な話がある。
コングレス首脳は、そうした動きを逆手に取って、自らの『クリーンさ』をアピールしようと図っているように見える。
一昨日、コングレス総裁のソーニアー・ガーンディーは、デリーから飛行機のエコノミークラスでムンバイー入りしたと伝えられた。
Sonia Gandhi flies economy class (ZEENEWS.COM)
息子のラーフルは、昨日シャターブディー急行でデリーからルディヤナーに向かったとのことだ。
Rahul travels by Shatabdi (ZEENEWS.COM)
確かに本人分の運賃は安く上がるのかもしれないが、こんな大物たちが公用でミドルクラスの人々と同じ乗り物を利用するなどということは、警備にかかる手間ヒマに労力、周囲の混乱その他の影響等を含めた『社会的コスト』を考えると、あまり現実的ではないように思う。
今の時代、無辜の市民が非情なテロリストの仕掛けたテロの犠牲になるということは珍しいことではなくなっている。有力な政治家が、エコノミーな交通機関を利用することにより、かえって市民が多大な不利益を蒙るようでは本末転倒だ。
昨日のZEE NEWSでは、ラーフルが乗車したシャターブディー急行の車内の映像も流れていたが、車両内の乗客全員がコングレスの動員による『仕込み』なのではないかと疑いたくなった。あるいはインド国鉄が、身元が絶対に確かな人々だけをその車両に配置したのではないか?とも。
民主主義の制度の下で、各選挙区から選ばれた代議士たちには、人々の代表としての責任と義務があるわけで、それをまっとうするために様々な便宜が図られているわけで、『支配層の特権』ではなく、本来ならばちゃんと合理性のあるものであるはずなのだ。問題は、それが理念に適った用い方をされているかどうかということ。
こうした現象は、政治不信の裏返しということもできるが、『無駄撲滅』といわんばかりに、必要なはずであるからこそ講じられている便宜を放棄して、関係各署その他に無理な負担を強いての『清廉さのアピール』は、チープなパフォーマンスにしか見えない。
同じような類のことは日本でもしばしば行なわれているので、インドのことばかり非難するつもりはない。ただ思うのは、どうも政治家のアピールというものは信用できないなぁ・・・といったところだろうか。有権者としては、ひたすら『選球眼』を磨いていくしかない。
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チープなパフォーマンス
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先達なき道
やはり実績ほどモノを言うものはないということなのだろう。今年5月にLTTE最高指導者を殺害することにより、1983年から長期に渡り続いた内戦の終結を高らかに宣言したスリランカがパーキスターンに教えうるものは少なくないらしい。
Sri Lanka to train Pakistani army (BBC South Asia)
スリランカは、パーキスターン軍に対する訓練を与えることを打診されているのだとか。上記の記事中には、スリランカのすでに同様のトレーニングを米国、インド、バーングラーデーシュおよびフィリピン対して実施しているとのことだ。
パーキスターンにおいて、バルーチスターンで長く反政府武装組織による活動は続いてきた。だがそれとは比較にならない大きな問題が、近年イスラーム原理主義過激派武装組織の著しい台頭だ。近年は、大規模なテロ事件をはじめとする様々な挑発や破壊行為、こうした組織による特定地域の実行支配とその拡張、本来の行政機構とりわけ警察や軍との緊張等々、気になるニュースが日々伝えられるようになっている。
彼らの存在は、不安定な同国の政治基盤をゆるがすものとなりかねない。2008年2月の総選挙後にはおそらく国政を担うことになると思われたベーナズィール・ブットー氏がその前年2007年12月の遊説後に暗殺されたことは記憶に新しい。そのわずか2ヵ月ほど前に帰国する前後から、彼女を好ましく思わない組織から幾度も脅迫を受けていたことは周知のとおりである。
またパーキスターンを本拠地とする組織による、隣国インドへの度重なるテロ事件は外交上の大きな障害になっている。これらの組織を取り締まるべき政府の当事者能力の問題もさることながら、今後パーキスターンそのものが、自国ならびにインド以外の第三国対するテロ実行犯の出撃基地となるのではないかという、さらに大きな危惧もある。 加えて、近い将来に事実上の核保有国が、こうした勢力を含む原理主義的なスタンスを取る勢力に乗っ取られたらどうするのかという悪夢さえも決して否定できるものではない。
こうした事態に至るまでに長い伏線があった。パーキスターンの歴代政権が、軍政・民政両時期を通じて対アフガニスタン工作ならびに内政の運営においても、こうした勢力を温存しつつ利用してきた過去のツケであるといえる。かつては時の政権に都合よく操られてきた勢力も今では力を充分蓄えており、政府そのものと競合するところにまで成り上がってしまった。
そうした中、パーキスターン軍が、国内の騒擾を鎮圧した先達としてのスリランカから学べるものは少なくないのかもしれない。だがスリランカにしてみても、長らく政府と対峙してきた武装組織が壊滅し、その首領も死亡したとはいえ、そもそも長く続いた武装闘争の原因としての、政府に対するタミル系の人々の反感との土壌となっている部分が解消されたわけでもなく、根本的な解決に至ったと評価することはできない。
腕力で捻じ伏せた相手がそのまま黙って服従するのか、あるいは彼らの胸の中で大きな渦を巻く怒りの奔流がふたたび堰を切って立ち上がるまで、束の間の『空白期間』に過ぎないのか、まだよくわからない。
スリランカのタミル人たちによる分離活動は、当初複数の勢力が並立する形であったものが、次第にLTTEという組織に集約されるようになった。その中でも最高指導者であった故プラバーカラン議長の存在は突出していた。そのため昨年後半からのスリランカ政府軍による大攻勢と『LTTE首都』キリノッチ陥落、北東海岸地域に背走する残党を掃討、親玉のプラバーカラン殺害による『反乱終結』という構図は明解であるように見える。
パーキスターンの不安定要因のひとつとなっているイスラーム武装組織の場合、LTTEのようにひとつの核からなるものではない。そうしたグループないしは運動が多極的であり、特定の指導者を叩いてみたところで、それが終わるものではない。これは民族の枠組みの中に限定される運動ではなく、彼らの理想、教条、行動に感化される可能性のある人たちが住んでいるところならば、どこにでも広がり得るという特徴もある。
攻撃の矛先が向くのも、居住国の政府はもとより、彼らが自分たちの運動に敵対的な立場を取る国ならばどこでも攻撃対象となり得る、極めてユニバーサルなリスクだ。アフガニスタン、パーキスターンに続き、同様の窮地に陥る国が今後出てくるかもしれない。
8月5日、米軍の空爆により、パーキスターンのタリバーン運動の指導者、ベートゥッラー・メヘスードの死亡を伝えるニュースが流れていたが、このほど彼の直近の部下であったズルフィカール・メヘスードがその地位を継いだことが確認されている。死亡した旧指導者は、まだ34歳という年齢であったが、彼を継いだズルフィカールは28歳とさらに若い。『向こう見ず』という評もある彼は、今後どんなプランを練っているのか。
彼らと対峙するパーキスターンが模範とすべき前例は存在しない。彼ら自身が事例を積み上げていくことになる。先達なき道を歩んでいかなくてはならないことから、この国の指導者たちの知恵が試されるところだ。同時に、周辺国を含めた国際社会は、パーキスターンに対して、どういう形で協力の手を差し伸べることができるのかという意味でも、まさに世界全体の英知が問われているといっても過言ではないだろう。
昨年11月に起きたムンバイーのテロ事件は、決して印パ二国間の問題であると割り切れるものではなく、次の10年には他の国々にも降りかかってくるかもしれない脅威の前触れかもしれない。パーキスターンの現状から、私たちが学ぶべきこと、試みるべきことは多いに違いない。さりとて誰が何をすれば良いのか誰にもよくわからないのが現状だ。
手本とすべき先達がなく、頼りになる道しるべさえもない危険なルートに踏み込むパーキスターンを独りで歩ませるのは、果たして賢明なことなのだろうか。 -
ニッポンは選挙真っ盛り
インドとはまったく関係のない話で恐縮である。今月末に投票日を控えたニッポンの総選挙をめぐり、政権交代を睨んだ様々なニュースが過熱気味だが、最近各政党から最近リリースされた宣伝ビデオがなかなか興味深い。
そうした作品の中でも特に面白かったのが自民党によるこのビデオである。自民党を追い落とそうかという勢いに見えるものの、根拠のない口約束ばかりが耳に付く民主党への強烈な当て擦りで、思わず噴出してしまった。
是が非でも与党の座を得たいがためにシャカリキになるのはわかるが、政権を担うようになってからのヴィジョンが感じられないと揶揄する次のビデオも『うむ、そのとおり』とうなづいてしまう。リーダーたちの『ブレ』を皮肉るこの作品もなかなか良かった。
どの作品も良く出来ているのだが、当の自民党にしてみても他党に対してこうしたネガティヴ・キャンペーンを繰り広げることができるほど立派な行ないをしてきたのか?と多くの人々が感じることだろう。それならば今後のことは政権交代してもらってから考えようかと。
ところで民主党からはこんなアニメがリリースされているが、あまりインパクトは感じられない。私は自民党支持者ではないが、少なくともこの部分では民主党を打ち負かしているようである。宗教団体を母体とする政党としては、公明党からこうしたものが出ている。
アニメではないが、圧巻なのは幸福実現党の『北朝鮮の核ミサイル着弾』かもしれない。なかなかリアルで怖いドラマだが、果たして国家予算が日本の滋賀県ほどでしかない国が核を持ったからといって、それほどまでに大きな脅威であるかどうかははなはだ疑問だ。
共産党は相変わらず生真面目だが、そういう地味さがゆえに、庶民にとって厳しい時代にありながらも、いまひとつ人気の伸びに欠けるのだろうか。
自民党が政権を死守するのか、それとも前評判どおりに民主党が大きく票を伸ばして政権交代を実現するのか。国民による審判が下されるのは今度の日曜日である。
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ジャスワント・スィン 著作とBJP除名
財務大臣、外務大臣、国防大臣といった要職を歴任したラージプート出身で軍歴も持つ大物政治家、ジャスワント・スィンがBJPから除名処分を受けたというニュースが流れたのは一昨日のこと。
ヒンドゥー右翼政党にありながらも世俗的なスタンスで知られ、BJP幹部の中ではRSSでのキャリアを持たない異色の存在でもあった。
71歳のご老公が党を追われることになった原因は、つい先日発刊となった彼の著書Jinnah India-Partition Independenceにおける隣国パーキスターン建国の父、ジンナーに関する記述だという。

この件についてはいろいろ報道されているところだが、まだその本自体を読んでいないので何ともいえないが、要は党として看過できない内容が書かれているということになっている。
2005年に同党のL.K.アードヴァーニーがパーキスターンを訪れた際、現地でのジンナーに対する言及も大きな騒動を引き起こしたことを思い出される。
Advani salutes ‘secular’ Jinnah (2005年6月4日 The Telegraph)
BJPのリーダーたちにとって、祖国を分離へと導いた立役者であったジンナーに対する肯定的な姿勢はまさに禁じ手ということになるにしても、あまりに短い時間でこうした動きになるのは、彼を追い落とすために、こうした機会がめぐってくるのをじっと待って雌伏していた勢力が党内にあったのかもしれない。
ところでジャスワント・スィンは、自身のウェブサイトを運営しており、今回の顛末について彼なりの意見等が表明されるのかもしれない。
なお、このサイト上には彼に対するリクエストや意見等のメッセージを送ることができる機能も付いており、それに対して『本人から3日以内に返事がもらえる』ということになっている。
BJP内部でどういう動きがあったのか、彼がどういう立場で政治活動を続けていくのか、今後メディア等による続報や分析などが伝えられることだろう。今後の成り行きを見守りたい。

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トラ死すとも・・・
インドの隣国スリランカ。LTTEの最高指導者、プラバーカランが死んだ。スリランカのタミル人反政府組織が国軍に降伏したことが報じられた直後、後は彼の身柄拘束がひとつのカギとなる・・・と伝えられたものの、実はその時点で彼はすでに殺害されていた。
2008年11月24日に『キリノッチはどうなっているのか?』で取り上げたことがあったが、2004年の内部分裂以降弱体化していたLTTEに対し、昨年1月に政府は停戦破棄を通告、特に同年後半から政府は国軍による攻撃をエスカレートさせ、力によるLTTEの粉砕の意思を明らかにしていた。
近隣国ということもあり、インドのマスコミにもたびたびLTTEにまつわる記事が掲載されているのを目にした。スリランカ国軍によるこの時期からのLTTE実効支配地域へ進攻について、これを『これが最終的な局面へと繋がるだろう』と読んでいたようで、決定的な展開へのシナリオを掲載するメディアもあり、ほぼその予想どおりに事が運ばれていったといえる。
しかしながら他国のメディアでは、その後スリランカ情勢について、たいした報道をしていなかった。11月下旬に開始された当時のLTTE実効支配地域の『首都』であったキリノッチ攻略により、LTTEが本拠地を東へと移動していくことになる。
今年の年明けあたりだっただろうか、彼らが民間人を『人間の盾』として立てこもっていることが次第に広く伝えられるようになり、日本のメディアにもそうした状況が少しずつ報道されるようになってきていたところである。
1983年に本格的なゲリラ闘争に手を染めて以来、海外のタミル人組織や旧東側ブロックの国々からの武器調達等により、正規軍顔負けの戦闘能力と、都市部等においては爆破テロ等で揺さぶりをかけるなど、スリランカにおいて非常に大きなプレゼンスを示してきた。
それだけに、ラージャパクサ大統領率いるスリランカ当局が、LTTEが弱体化してまだ回復しておらず、『テロとの闘い』という建前が反政府組織殲滅に当たる国軍の暴虐に対する非難に対する護符として使えるこの機を逃してなるものか、と一気呵成に片付けてしまうという賭けに出た。
当初から予想された欧米その他先進国等から批判と反発を浴びつつも、非常に満足のいく結果を得たということになるのだろう。
26年間、国軍を向こうに回して闘い続けてきたトラは死んだ。しかし対話による和解ではなく、力による粉砕という手段を経ての反政府組織殲滅は、果たして同国の安定をもたらすのだろうか。
長年に渡って彼らが撒いて来た『テロリストの種』は、静かに水を含んで殻を膨らませ、あちこちで小さな芽を吹いているかもしれない。あるいはすでに蔦を伸ばして新たな居場所を模索しているのではないだろうか。 -
中央政権継続へ
昨日、世界最大の選挙、インドの下院選の結果が出た。
国民会議派+ : 258
インド人民党+ : 158
左派陣営+ : 24
大衆社会党 : 21
社会党 : 23
ラーシュトリヤ・ジャナター・ダル+ : 4
全インド・アンナ・ドラビダ進歩連盟+ : 10
テルグ・デーサム党 : 9
ビージュ・ジャナター・ダル : 13
ジャナター・ダル : 3
その他 : 20
総数 : 543
国民会議派陣営が前回2004年の総選挙時の234議席から28議席増となり、インド人民党陣営はオリッサの有力政党ビジュー・ジャナター・ダルが離脱した分も含めて前回184から30減である。国民会議派単独でも205で、前回145であったところからの大きな伸びが注目に値する。対するインド人民党は116であった。
選挙前の出口調査では、現政権の国民会議派陣営の勝利の可能性が高いとのことではあったものの、波乱含みであろうことを予想する向きもあった。
国民会議派陣営とインド人民党陣営の拮抗、あるいはこれらと立場を異にする第三勢力の台頭の予感などから、国民会議派でもなくインド人民党でもない、他の有力政党が次期政権を成立させるキーとなるであろうという意見が多かったからだ。
たとえば大衆社会党のマーヤワティー党首が『初のダリット出身の首相誕生か』というサプライズの可能性が取り沙汰されるなど、意外な展開となる可能性を示唆する報道もあった。
しかし実際フタを開けてみれば、国民会議派陣営の議席増、インド人民党陣営の議席減、第三勢力は予想ほどには伸張せず、国民会議派陣営の勝利という結果となり、会議派陣営は過半数には届かないものの、今後少数政党を自陣に取り込み新政権を構成することになる。
80年代後半以降、国民会議派が単独で過半数を得ることはなくなり、90年代以降台頭してきたインド人民党と合わせて、二大政党と形容されるようになったものの、現在前者はUPA (統一進歩同盟:United Progressive Alliance)を、後者はNDA(国民民主同盟:National Democratic Alliance)をそれぞれ友好関係にある政党とともに構成して選挙戦を戦い、政権を構成・維持するようになっている。
民主主義やそれを実現する手段の選挙において、マジョリティによる『数』こそが力であり、少数者の意見は切り捨てられる傾向があるが、こうした状況はそうしたマイノリティの声を中央政界に伝えるためには歓迎すべきことかもしれない。
2004年以降現在までの中央政界運営においても、UPA政権内で国民会議派とこれを構成する友党との間での軋轢があったし、外資系企業の労使問題を巡り、閣外協力していた共産党との衝突もあった。
総体として、近年のインドにおいては、大政党が強力なイニシャチヴを取りにくい状態となり、政権内でのコンセンサスに手間や時間がかかるようになっているものの、大政党の周囲に寄り添う形で政権運営に加担する他政党によるチェック機能が働くため、単独の指導者ないしは政党による強引なミスリードが生じにくく、全体に目配りの効いた政治がなされる傾向があると私は感じている。
インドの政治土壌や個々の政治家の問題はいろいろあるにせよ、世界第二番目の人口大国であり、文化、人種、信条、生活・教育水準等々さまざまな面から、モザイクのような多様性に富むこの国において、独立以来、選挙を通じた民主的な手法にて政権が選出されていることについては、いつものことながら畏敬の念を抱かずにはいられない。
インド近隣国をはじめとする他の途上国を見渡してみても、これがうまく実現できないどころか、『民主主義』という制度そのものが夢物語である国は少なくないし、経済的により高い次元にある国々においても、こうした民主的な手続きの面において、まだまだ未成熟な国は数え切れない。
加えて、軍に対するシビリアン・コントロールがしっかり効いており、これが政治に影響を及ぼさないという点からも、途上国の中では世界有数の安定感という点からも格別で、国際社会がインドに学ぶべきところ、参考にすべきところはとても多いと私は考えている。
Lok Sabha Elections 2009 (THE TIMES OF INDIA) -
ネパール王家の行方は?
2月27日金曜日の本日より、ナラヤンヒティ宮殿が博物館として公開されているが、かつてここに起居していた元国王夫妻は目下インドに滞在中。
2008年6月にネパール王室が廃止されたことにともない、それまで『ヴィシュヌ神の化身である王を戴くヒンドゥー王国』ということになっていたネパールが世俗国家となったわけだが、元国王としては王位とそれに付随する財産や権利等とともに、現人神としての神性をも失ったことになる。
そんなわけで、旧王族たちは『一般人』となっているが、ギャネンドラ氏は家族14名を伴って2月25日にジェット・エアウェイズのデリー便にて出国。インドに2週間滞在する予定だ。
王位を失ってから初めての外遊だが、以前のように外交旅券を手にすることはできず、今回からは一般の緑の表紙のパスポートを持つ民間人の立場だ。随行員の数も大幅に縮小しているとのこと。
目的は、ボーパールで催される親族の結婚式に出席するためである。現在62歳のギャネンドラ氏の祖父、故トリブヴァン国王には二人の王妃があり、3人の王子と4人の王女をもうけたが、その中のひとりバラティ王女は現在のオリッサ州にあったマユルバンジ 藩王国のプラデイープ・チャンドラ・バンジ・デーオのもとに嫁いでいる。
その娘のひとりであるコールカーター生まれのパドマ・マンジャーリーが、やはりオリッサ州の旧藩王国カラハンディーの元王家に属し、現在ジャナタ・ダルの政治家のウディト・プラタープ・デーオと結婚している。
このたび、この夫妻の娘であるシュリー・マンジャーリーが、やはり旧藩王国の血筋を引くバンワル・アナント・ヴィジャイ・スィンと結婚することになった。ネパール元国王夫妻が出席する2月28日から3月1日にかけて開かれるウェディングには、インドおよびネパールの旧王族や政治家たちが多数顔を揃えるとのことだ。グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディー、マッディヤ・プラデーシュ州首相のシヴラージ・スィン・チョーハーンといった大物たちの出席も予定されている。
なお結婚式の後には、元国王家族はグジャラートのソムナートおよびドワルカの寺院を参拝するとのことだが、それだけではなくソニア・ガーンディー、カラン・スィン、L.K. アードヴァーニーといった有力政治家たちとの会談も予定されているとのこと。すでに権力を失っているとはいえ、今回の訪印に何か期するところがあるのだろうか。
『一般人』になったとはいえ、抜きん出たステイタスを持つVIPであることは間違いなく、近年の政治動向からすこぶる萎縮してしまったとはいえ、背後に控える王党派の存在とともに、今後もネパールや周辺国において、一定の影響力を持つ存在であることはそう簡単には変わらないだろう。
その潜在力があるうちに、元国王自身ならびに旧王族たちが、自らの将来のためにどういう選択肢があるのか、それらを踏まえて今後どういう動きに出て行くのか、ちょっと興味のあるところである。
一般の市民とは異なる特別な存在であった王家が、やはり今後も他とは違うステータスを維持すべく、自国ネパールの社会のどこに自らの新たな居場所を築いていくか、あれやこれやと機会を覗いながら模索しているのではないかと思われる。

Gyanendra arrives in Bhopal for wedding ceremony (indopia)
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※『新加坡的印度空間?』は後日掲載します。 -
軍人ガーンディー
ちょっと古いもので恐縮だが、昨年12月22日のヒンディー紙『サンマールグ』にてこんな記事があった。
1889年に英軍に所属していたマハートマー・ガーンデイー
救護部隊所属で優れた業績により表彰
非暴力運動の指導者は、彼がまさにその人生を賭けて打倒した帝国主義の、その尖兵の軍服に身を包んでいた時期があったという、これまでほとんど知られていなかった事実をこのほど防衛省が明らかにした。
防衛省が発行する機関誌『軍報』が2009年1月2日に創刊100年を迎えるにあたって発行する記念号では、歴史の影に埋もれた貴重な史実に光を当てており、その中にガーンディーが英軍の救護部隊の業務に従事したことについても触れており、アフリカでのボーア戦争終了後、彼はその優れた業績により表彰されたとのことだ。
この記事によれば、ガーンディーが軍に入隊すること、加えてそれを自らの軍隊であると認識することは、ガーンディーとイギリス双方に取って困難なものであった。しかしこの時代の状況下、いたしかたないものであった。救護部隊の創設は、ガーンディーの提案によるものであったと伝えられている。当初、イギリス当局はそれを鼻にもかけなかったが、ガーンディーに共感する行政幹部がいたことから、これが実現する運びとなる。
ガーンディーがどうして英軍に参加したのか、その目的が何であったのかについても、この軍報100年記念誌で綴られる。ボーア人たちのふたつの共和国(トランスヴァール共和国およびオレンジ自由国)がイギリスによる干渉を嫌ったことに始まった戦争において、2万8千人の兵士を擁するイギリスは、4万8千人もの兵隊を抱えるボーア人の軍隊の前に劣勢。
こうした情勢下、イギリスは自らの最も優れた司令官たちをその戦いに投入せざるを得なかった。その時期にガーンディーは救護部隊の創設を思いついた。この時期、イギリス兵とインド兵がともに力を合わせて闘うということは考えられなかったが、最終的にこの部隊が結成されることとなった。
ガーンディーはこの部隊の所属となる。そこには800名の契約労働者を含む1100人のインド人たちがいた。イギリス人指揮官はこの部隊の勇敢な仕事ぶりを称えた。彼らは、25マイルもの距離を徒歩で進み、新任の最高司令官ロバート閣下の戦死した息子の遺体を搬送したと伝えられている。
以下、この記事に掲載されていた写真である。右の円の中が当人であるのだとか。

ガーンディーに軍歴があったとは知らなかった。ニュースの出所はしっかりしているのかもしれないが、一般に知られている彼の履歴とちょっと整合しない部分があるようだ。
1869年生まれのガーンディーは、彼が従軍したとされる第二次ボーア戦争開戦の1889年10月に20歳になったばかり。この戦争が終結したのは1902年の5月。
しかしガーンディーは、18歳になった1887年にロンドンに渡り、法曹界を目指してロンドンにて勉強を始めており、1893年には南アフリカで弁護士として開業している。
留学を始めてから最初の2年間を除き、法曹界で身を立てるための留学・修養期間と重なる。
もっとも戦争期間中を通じてずっと軍に身を置いていたのかどうかについては、この短い記事中では触れられていないし、ガーンディーのような精神的にも能力的にも卓越した人物の行動を凡人のモノサシで測ること自体が大きな誤りであるのかもしれない。詳しくは当の軍報の創刊100年記念誌(今月2日に発刊されているはず)に掲載されているのではないかと想像される。もしこれを手にする機会に恵まれたならば、ぜひそれをじっくり読んでみたい。
ただちょっと不思議なのは、まさかその『100周年記念』のネタとして、『軍人ガーンディー』を何十年間も封印してきたのではあるまいし、どうしてまた今になってそんな話が出てきたのだろうか? -
YouTubeで大物政治家の映画人時代を観る

冒頭の写真は、今年2月に還暦を迎えたジャヤラリター。タミルナードゥを代表する大物女性政治家というよりも、インド政界でも有数の女傑といったほうがいいかもしれない。
1981年にタミルナードゥの地域政党AIADMK(All India Anna Dravida Munnetra Kazhagam)に加入し、1988年に同党の創設者M.G.ラーマチャンドランが亡くなってから現在まで20年の長きにわたりリーダーシップを発揮し、同州の首相も務めた。彼女の行政手腕を高く評価する声も多いいっぽう、その強権ぶりと数知れぬ汚職疑惑から数多くの非難もある。
ジャヤラリターは、M.G.ラーマチャンドラン同様に、政界入り前は映画人として高い人気を集めた人物である。タミル映画およびカンナダ映画に多数出演し、この地域の民族的アイドルであった。80年代後半から『元人気女優』としてではなく、実力派政治家として社会に大きな影響を与えるようになってからも、大輪の花を思わせる華やかな風貌にはまた格別の存在感があった。
元有名女優とは知っていても、彼女が出演する映画を見たことがなかったが、近年YouTube他の動画投稿サイトが普及するにつれて、Sakti LeelaiやKannan En Kadhalanといった彼女の出演作のひとコマを簡単に目にすることができるようになってきた。前述のM.G.ラーマチャンドランも同様で、Nadodi Mannanのワンシーンを眺めることができるのはうれしい。
インターネット上に新旧さまざまな映画作品が投稿されていることについては、著作権云々ということもある。しかしインド国外ないしはインド映画圏外からでも、自宅にいながらにしてその映像にアクセスできること、必要に応じて参照できることについては、肯定的に評価できる部分も少なくないのではないかと思う。
ネット上のインド映画については、作品を最初から最後までまるごと見ることができてしまうものもあるが、後日そうした事柄について少し考えてみたい。 -
キリノッチはどうなっているのか?
今年後半に入ったあたりから、インドのニュース雑誌その他のメディアでしばしばスリランカの内戦にかかわる情勢が取り上げられる機会が増えたように思う。それはすなわち戦況に大きな転機が生じているためだ。
昨年春にLTTEがコロンボにある国軍施設に空爆を加えた際、世界でも珍しい反政府軍所有の航空機による政府側に対する攻撃として注目を集めたとき以上のものがある。
2000年以降、政府との間の停戦、2003年の和平交渉においては、それまで堅持してきた分離独立を求める姿勢を改め、連邦制を敷くことに合意するなど、後に紆余曲折はあれども、内戦の終焉へと向かうのではないかという観測もあったが、そうはならなかった。
2004年にはLTTE内での分裂により、それまで9,000名を数えるとされた兵力が半減し、相対的に弱体化の様相を見せる中、2005年に現在のマヒンダ・ラージャパクセ大統領就任直後から連続したテロ攻撃をきっかけに内戦が再燃、しばしば報じられているとおり、今の大統領はLTTE掃討について積極的な姿勢で臨むようになっている。
LTTEは、最盛期にはスリランカの北部および東部のかなりの部分を制圧しており、その地域はスリランカ北西部からぐるりと海岸沿いに、彼らの本拠地である国土の北側沿岸地域を経由して、東部海岸地域にまで至っていたものだ。しかし現在ではかなり縮小しており、ジャフナ半島付け根の南側地域を実効支配するのみだ。
近ごろ政府軍が有利に展開を続けていることを背景に、大統領はLTTEを軍事作戦で壊滅させることに意欲と自信を深めているようだ。
大統領は、LTTEとの戦闘状態について、『内戦ではない。テロリストへの掃討作戦である』という発言をしていることからもわかるとおり、従前の和平交渉での相手方当事者としてではなく、『犯罪者』として相対していることから、そこに妥協や交渉の余地はなく、力でもって叩き潰すぞ、というスタンスだ。
いよいよLTTE支配地域の事実上の首都であるキリノッチへの総攻撃も近いとのことで、インディアトゥデイの11月10日号に関連記事が掲載されていた。
Cornering Prabhakaran (India Today)
ところで、この『首都制圧作戦』は、すでに昨日11月23日に開始された模様だ。
S Lanka attack on rebel ‘capital’ (BBC NEWS South Asia)
その情勢については、Daily Mirror他スリランカのメディアによっても伝えられることだろうが、そうした政府側とは対極にあり、LTTE地域の内側からの情報を伝えるTamilNetに加えて、近隣のメディア大国インドからの関連ニュースについても関心を払っていたいところだ。
正直なところ、スリランカの政府軍についても、LTTEについても個人的にはさほど関心がないのだが、こういう大きな軍事作戦が展開していることについては、とても気にかかっている。
後者について強制的に徴用された少年兵の存在もさることながら、同組織による支配地域に住んでいるからといって、すべての住民たちが心の底からLTTE支持というわけでもないだろう。政府に不満を抱きつつも、LTTEに賛成という訳でもない・・・といっても、自分の居住地が彼らの支配下にあれば、その権力に従うほかにないのだ。
もちろん国情、経済状態その他によってその度合いや政治への参加意識はかなり違ってくるにしても、日本人である私たちも含めて、世の中の大多数の人たちにとって、最大の関心ごとといえば自分自身の将来、家族、友人、恋人、学校、仕事、趣味等々いった、自らの身の回りのことだ。
政治云々についてはそれを仕事にしているのでない限り、自分や家族のことよりも、国や地域の政治が優先、寝ても覚めても政治のことで頭が一杯なんてことは普通ありえないだろう。
そもそも人々がまともに暮らしていくために政府や政治というものがあるはずだ。その『政府』による武装集団、つまり軍隊が自国民の町を襲う、『政治』が人々の平和な暮らしやその命までをも奪うという事態が進行中であることについて、またこの『内政問題』について各国政府が黙認していることを非常に残念に思う。 -
King is pinched
1週間近く前の記事だが、ネパール王室についてこんな記事があった。
Nepal ex-king told to pay bills (BBC South Asia)
22ヶ所の宮殿や屋敷の過去数年間にわたる電気料金100万ドル超を11月7日までに期限内に支払わなければ彼らへの電気供給をストップさせるというもの。
元国王は、この膨大な金額を支払うのか、電気を止められるという屈辱に甘んじるのか、それとも何か他の手立てがあるのかどうかわからないが、5月に王室が廃止されてから身分上は普通の『国民』となった元国王とその家族。
最終的な王室廃止に至る過程の中で、王室財産はかなり処分されているはずだが、それでも海外に隠した『埋蔵金』の話もあるし、そもそも王や王族が経営にかかわる有力企業も少なくなかったようだが、そのあたりはどうなっているのだろう。
まだそれなりの財力があるようだが、政治的な権力を失い丸裸になった元国王一族に対する圧力は相当なものだろう。今までのところ、彼自身は国外への亡命は否定しているものの今後どうなるか。
現在与党の座にあるマオイストにしてみても、それと協力関係にある他の勢力にしてみても、王室の廃止により不人気だったギャネンドラ元国王が民間人になったとはいえ、今でも旧王党派や王室にシンパシーを抱く人々が皆無というわけではないし、そこを基盤にして政治活動に乗り出す元王族やその縁者が出てこないとも限らない。
現政権にとっては、後に憂いを残さないために、旧王室のさらなる弱体化を進めたいところではないだろうか。更には本音では国内から退去して欲しい、地理的にも遠い場所に行ってくれればなお幸い・・・といったところかもしれない。今後も様々な形での締め付けは続くことだろう。
政府からさまざまな『弾圧』を受ける旧王族たちは、この国でどこまで持ちこたえることができるのだろうか。 -
地元主義!
また近ごろメディアでラージ・タークレーと彼が率いるMNS (Maharashtra Navnirman Sena)の暴れん坊ぶりがメディアを賑わせている。
ラージ・タークレー逮捕に抗議してマハーラーシュトラ州内各地で繰り返されたMNS活動家たちの乱暴狼藉ぶりもさることながら、それに先立ち、彼が今月半ばにジェット・エアウェイズの合理化計画の一環としての大規模な人員整理に係わる争議に介入したことについての報道に注目した人も少なくないだろう。
以前、『総体としてしっかり』という記事で触れたとおり、ラージ・タークレーに関わるニュースを専門に収集したRaj Thackeray Newsというサイトがあり、近ごろの彼とMNSの動向を垣間見ることができる。
