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カテゴリー: life

  • インディアン・コーヒーハウス

    インディアン・コーヒーハウス

    コールカーターのカレッジストリートで書籍漁りをした帰りに、インディアン・コーヒーハウスに立ち寄ってひと休み。数々の文化人たちや一般社会の人々たちはもちろん、幾多の革命家たちからも世代を継いで愛されてきた、アジアきっての名門カフェだ。
    コーヒーやお茶はもちろんのこと、けっこうちゃんとした食事も楽しむことができる。
    常に多くの人々が出入りし、賑やかな会話が各テーブルから聞こえてきて、どこからかタバコの煙がゆっくりと流れてくる。
    近ごろ流行りの洒落たカフェにはない重厚さがなんとも素晴らしい。

    Indian Coffee House (zomato.com)

  • コールカーターの街

    コールカーターの街

    英領期の壮麗な建築物が今もふんだんに残るコールカーター

    文化人類学者の中根千枝氏が、戦後間もない頃に自身のコールカーター等に滞在している。彼女が何かで書いていたが、当時目にしたコールカーターの印象は、今の時代の私たちが感じるものとは相当異なるものであったようだ。

    壮麗な建築物が整然と建ち並び、当時としては非常に良く整備された都市インフラと行き届いた給電があり、中には空調設備が整った施設もあったという。色濃く残っていた英国式マナーと文化的なたたずまい等々に感銘したらしい。インド独立直後のカルカッタは、まだ『先進的な欧州の街』であったのだ。

    分離独立時の東パーキスターンからの難民流入に加えて、その東パーキスターンが西パーキスターンが相手の独立戦争を経て、バーングラーデーシュとして再度独立を果たすに至っては、さらに大きな規模の難民が雪崩を打って流れ込む中で、街中の様子が大きく変わったとも聞く。

    その少し前から始まった基幹産業や銀行などの国有化政策により、大きく左寄りとなった中央政府のスタンスにより、90年代に入るまでは長く停滞が続いたインド経済だが、とりわけ西ベンガル州においては、70年代に共産党が政権に就いてから(2011年の州議会選挙で負けて野党に転じる)は、カルカッタの街は右肩下がりの低迷を続けた。

    知の都コールカーターを擁する西ベンガルは、インドを代表する『革命の都』であったことから、様々な左翼活動家を輩出し、今も労働組合活動が大変盛んな土地柄だが、暴力的な極左勢力マオイスト(西ベンガルのナクサルバーリーで決起したことから、ナクサライトとも呼ばれる)が活動を始めたのも西ベンガル。

    当時のカルカッタ大学にも、これに共鳴するシンパは多かったとのことで、英領期から続く名門大学の学生がかなりの規模で行方不明(警察による検挙)となった過去がある。初期のナクサライトを指揮したマーズムダールはベンガルひとながらもカルカッタ大学出身ではなく、デリー大学の卒業生だが。

    カレッジストリートにあるインディアン・コーヒーハウスも、そうした若き革命家たちも出入りして、闊達に議論を戦わせる場所でもあった。
    コールカーターでは、現在もユニオンや左翼政党による戦闘的なラリーが開かれたりポスターが貼られたりしており、今も革命の都の面影が感じられたりする。

    インディアン・コーヒーハウス
    インド共産党(マルクス主義派)の街角集会
  • 元人民解放軍兵士54年振りの里帰り

    ラージ・ババードゥル、本名王琪(Wang Qi)という在印華人のことがメディアで取り上げられている。

    在印華人たちが1962年に起きた中印紛争をきっかけに、「敵性国人」の扱いを受けることとなり、カルカッタその他に暮らしていた彼らが次々に拘束されて、ラージャスターンのデーウリーにある収容所に送られたこと、その後も常に公安関係とのトラブルや差別的な扱いが続いたことから、大勢の華人たちの脱出が続いたことが知られている。

    もともとインドに在住していた人たちとは異なり、国境地帯に勤務する人民解放軍の測量兵だったので、紛争の当事者のひとりであったとも言えるのだが、紛争数週間後に国境のインド側で迷い、インド赤十字に助けを求めたところ、インド軍に引き渡されている。

    その後、スパイ容疑で7年間服役したが、出国許可を得ることが出来ず、M.P.州のナーグプル近郊の村に定住することとなり、現地女性と結婚して家庭を持ち、今では3人の孫もいるそうだ。

    The Chinese man trapped in India for half a century (BBC NEWS)

    駐インドの中国大使館の力添えと旅費の工面により、彼が今月11日に故郷の山西省に里帰りして、親族たちとの再会が実現している。

    Chinese soldier returns home after 54 years in India (CGTN AMERICA)

    元兵士とはいえ、インドに対する工作活動は、軍人であるがゆえに上官の命令に従ったがゆえのものであり、半世紀以上もの長きに渡り、故郷の地を踏むことさえ出来なかった彼もまた、戦争の犠牲者のひとりであったと言えるだろう。

    報道されている内容から察する範囲では、王琪さんはインドで円満な家庭を築くとともに、地域で良好な人間関係にも恵まれているらしいことは幸いなことである。

  • NAHOUM & SONSのケーキとビスケット

    NAHOUM & SONSのケーキとビスケット

    以前、コールカーターの老舗洋菓子店と題して取り上げたNAHOUM & SONS。カルカッタに現存する最古の洋菓子屋。『ナフーム』という名の示すとおり、ユダヤ人家族による経営で、創業1902年の老舗。

    先日、欧州飯店再考で取り上げた「コールカーターに現存する最古の中華料理屋」のごとく、植民地期には洋菓子店はいくつもあったはずなのだが、この土地を離れたり、廃業したりしている中で、店を続けていくと最も古くなってしまう。冷蔵庫の無いころのケーキはこんな感じだったのだろう。ユダヤ人店主はもう高齢なので、店には出てこないようだ。

    植民地期の欧州人地区に隣接していたニューマーケットにあるが、サダルストリートからは目と鼻の先なので、すぐに買いに行けて便利だ。

    Nahoum店内
  • 香港飯店

    香港飯店

    サダルストリートのすぐ近く、フリースクールストリートの香港飯店へ。
    コールカーターの他の華人経営の店の多くがそうであるように、ここも客家系華人による経営。インド人も雇用しているが、厨房で指揮を取るのは客家人の店主兄弟なので、いつ来てもおいしい料理が出てくる。
    ウェイターのベンガル人ムスリム、ヌール君はずいぶんここで長く働いているが、近年はちょっとオジサンが入ってきた。
    界隈では、料理店以外に、美容室、大工、靴屋などをやっている人たちが多い。華人が作る靴については、「とにかく履きやすい。そして長持ちする」と昔から評判がいいらしい。

  • 2017年のサダルストリート

    2017年のサダルストリート

    コールカーター中心地にあり、言わずと知れた安宿エリアだが、近年はアップマーケットな宿やレストランが出来たり、既存の宿が大改修をしたり、サダルストリートから派生した路地裏にも新たな宿がオープンしたりと、少しずつ変化はある。

    ひところまではとても盛んだったISD、STDといった国際電話、国内長距離電話やインターネットの利用などをさせていた店は、スマホの普及と宿でWi-Fi利用がごく当たり前のこととなったため、すっかり尻すぼみになっている。

    この通りの東端で消防署に突き当たるが、そこからフリースクールストリートを少し南に進んだところにあるマルクィスストリートからバーングラーデーシュ行きのバスが発着していることから、そのあたりには主にバーングラーデーシュ人たちが利用する宿がいくつも出来ている。だがサダルストリート自体は、長年に渡ってたたずまいはほとんど変わらなかったように思う。

    それでも近ごろは、いくつかの古い建物が取り壊されて、新しくモダンなビルが出来ており、古ぼけた街並みの中で異彩を放つようになってきている。昔ながらの建物に入居する宿や食堂などの入れ替わりは、視覚的にはさほどの違いはもたらさないが、こうしたハコモノ自体が建て替わると、ずいぶん違ったムードになる。今後も、このような動きはゆっくりと、しかし着実に進んでいくのだろう。

    最近オープンしたモダンな商業ビルで営業する旅行代理店
    サダルストリートらしからぬキレイなブティック
    今はこうしたアップマーケットな宿も営業している。この向かいにはムンバイーが本拠地のBawaグループのホテルがある。
  • サダルストリートを行き交う人々

    サダルストリートを行き交う人々

    サダルストリート

    サダルストリートと交わるフリースクールストリート

    サダルストリート近くでバングラデシュとの間を行き来する国際バスが発着するため、バングラデシュ人たちの姿が大変多い。

    ここ西ベンガルと同じベンガル人はベンガル人だが、このエリアにおいては、やはりバングラデシュからやってきた人たちはひと目でそれと判ることが多いのが可笑しい。

    まずずいぶん頑張ったよそ行き(とりわけ女性)格好であったり、店先をキョロキョロしながら物色していたり、手には大きなおみやげ袋を抱えていたりと、いかにもおのぼりさんといった風情。インド人旅行者がサダルストリートに来ることはあまりないし、地元カルカッタの人たちはこんなところに用事はないので、とりわけ目立つ。

    また、こうした都会で初対面の見知らない店員たちに、いささかの戸惑いもなくいきなりベンガル語で話しかけるのも、いかにもバングラデシュ人たちらしいことかもしれない。都心近くの商業地では、周辺州(ビハールやUP等々)から出てきた人たちが多く、店先で働いているのはベンガル人でないことが多いためである。

    まあ、目立つというか、ここで旅行者として訪問しているインド人みたいに見える風貌の人たちのほとんどがバングラデシュから来た人たちなのだが。

    ストリート界隈で特定の商いを営む人たちの中にも特定のエスニシティがあるようだ。タクシー運転手はほぼビハール、UPから来た人たちのモノポリーなのはオールインディアな現象だが、この地域で両替屋のオーナーにはアングロ・インディアンが多いというのはちょっとオドロキだった。

    ごくなんでもない風景の中にも、ちょっぴり興味深いことが見つかったりするのは、やはりインド亜大陸ならではの面白いところだ。他の国を旅行すると、あ〜景色が良かったとか、飯がうまかった云々で終わってしまうのだが、この亜大陸では、ただ座って雑談していても、いろいろな社会勉強をさせてもらえる。

  • サダルストリートの自称『サトシ』

    サダルストリートの自称『サトシ』

    サダルストリートの自称『サトシ』

    自称「サトシ」

    パラゴンの脇で小さな露店をやっていた。初めて見かけたときは、まだ10代の少年だったように思うが、とっくの昔にオッサンになっている。また、いつの間にか彼の日本語は「関西弁」になって久しい。
    商いの場所を替えたとか言っているが、やはり今もサダルストリートの中で、ちいさなみやげ物のようなものを売っているらしい。
    ま、元気そうで何より。

  • 昼間は大混雑のコールカーター

    昼間は大混雑のコールカーター

    どこもかしこも人とクルマでいっぱいのカルカッタ。昼間は絶望的なまでにひどく混雑エリアでも、深夜や早朝は誰もいなくなる。いったいどこに帰ってるんだろう?なんて思ったりする。(笑)

  • ネハーリーで朝食

    ネハーリーで朝食

    以前、コールカーターのスフィヤー・レストランのネハーリーと題して取り上げた、この食堂に足を延ばしてみた。
    せっかくコールカーターに来たからには、ここでの朝食は外せない。
    旧中華街から近くのナコーダーマスジド正面にあるスーフィヤー・レストランのネハーリは絶品だ。
    スーフィヤー・レストランとは、その名の通り『スーフィー食堂』だが、このネハーリーの旨さがゆえに、まさに陶酔のひとときを過ごす。
    ネハーリーは朝食用アイテムなので、楽しむにはこの時間帯しかないのだが、あの脂分を思えば、なぜ昼食や夕食に出さないのか?と思わないでもない。

    スーフィヤー・レストラン
    極上のネハーリー
  • ストリートの名前

    ストリートの名前

    インドの都市では、植民地時代に付けられたストリートの名前が独立間もないころにいろいろ変更となったが、その後もしばしば、各州において地元政権の都合で変更されたりもしていた。独立後、すでに改名されたのに、更に重ねて変更されたものも少なくない。
    ずいぶん昔に名称が変更されたにもかかわらず、いまだに植民地時代の名前が、ごく当たり前に通用している通りもあれば、新しい名前でのみ広く知られているものもある。

    とりわけその濫用ぶりが甚だしいのがコールカーターだろう。その意味で、地図に記されているストリート名が、あまりアテにならなかったりする。インド人で、地元アクセントでベンガル語を話すことができても、通りの名前を挙げるときに、それを間違えると、「あんた、この街の者じゃないね」とバレてしまうことだろう。

    都会は奥が深い。

    オートやタクシー運転手は、たいてい地元の人ではない。たいていは、ヨソの土地(主にUP州やビハール州)からの出稼ぎであるが、新人時代には市内のルート(加えてとても多い一方通行、加えて午前と午後で進行できる方向が反転する道路も多々ある)を覚える(カーナビなんかないし・・・)だけでなく、実際に口語で使われる名称が新旧どちらかを知らないといけないから大変だ、きっと。

    カルカッタにやってきて20年というベテラン運転手でも、お客がベンガル語でややこしいことをしゃべると、『旦那、ヒンディー語でお願いできへんか?』と言う人は少なくないようだが、そのあたりだけはしっかりしている。実際に通用している名称のほうをしっかり覚えているからだ。

    すると、私みたいな旅行者が地図で見て知った通りの名前を出すと、「それ、どこやねん?」となることから、『これは古い名前で呼ばれる通りなのか!』と分かったりする。

    運転手だけではなく、とかく人口の流入や移動が多く、新参者も多数暮らしている大都会だが、それでも『地図に書いてあるとおりとは限らない、人々が実際に使っているストリート名』が、ちゃんと継承されていくのが興味深い。

    都会は面白い。

    Street Name Change (calcuttaweb.com)

  • Javed Khanを漢字で書くと・・・

    Javed Khanを漢字で書くと・・・

    コールカーター東郊外のチャイナタウン、テーングラーで見かけた地元有力政党トリナムール・コングレスの選挙時に壁に書かれたJaved Khan(地元トリナムール・コングレスという政党の重鎮)への投票を呼び掛ける壁書きを目にした。昨年の州議会選挙の際に書かれたものだろう。
    ローマ字によるものと、漢字での表記のものとが並んでいたため、「ああ、こう書いてJaved Khanと読むのだな」と判るが、そうでないと一体何と記されているのか想像もつかないところだった。
    テーングラーの主要産業である皮なめし業にしても、調味料等の工場にしても、オーナーは華人で、働く人たちのほとんどはムスリムだ。
    コールカーターでは、華人とイスラーム教徒は、非常に密な関係にあることを象徴しているかのようなひとコマだ。

    これで「Javed Khan」と読む