ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: life

  • アウンサンスーチー氏 国家顧問就任1年

    NLD政権発足から1年。
    期待されたほどの成果が出ていないという批判はあるものの、政権担当した経験がない指導者、政党であること、けれども旧国軍系勢力と衝突することなく切り盛りしていること、外資の呼び込みやおカネの回り具合は良好に推移していることなど、総体的に見て素晴らしいことだ。

    映画や物語の絵空事のストーリーではないし、ガーンディーに比肩するほどの偉人とはいえ、神様ではないのだから、民族問題、内戦、人権侵害等々の課題が山積する国のすべてをいっぺんに取り組むことが出来るわけではなく、解決出来るはずもない。「難局」というならば、現在のNLD政権が直面しているものよりも、軍政時代のほうがより大きな難局に対峙していたと言える。また2010年に「民政移管」と称して、軍幹部が軍籍を外れて発足した翼賛団体、USDP (連邦団結発展党)も「軍政の看板のかけかえに過ぎない」と批判されていたものの、良くも悪くも数々の難局を乗り越えてきた。

    NLD政権発足は、軍を背景とする体制から完全に民政へ移管した快挙であったが、その後、旧体制に属していた層への粛清や報復といった手段により対立を生むことなく、着々と成すべき仕事を粛々と進めているように見える。やはりそこにはスーチー氏の冷静な判断と、彼女に対する周囲の厚い信頼あってのことなのだろう。

    スーチー氏から袂を分かって新たな政治団体、政党を立ち上げようという動きもあることは、これまた好ましい動きだ。旧国軍勢力に対抗するため異なる思惑を抱えつつも横断的に団結していた中から自らのカラーを鮮明にする人たちが出て来たわけで、民主主義のシステムが国民の中のより広範な意見を吸い上げることが出来るようになることを期待したい。

    NLDが政権党となるまでのスーチー氏の闘いの軌跡は偉業だが、大統領の上の存在、『国家顧問』に就任してからのそれも同様だ。

    それにしてもすでに71歳となった彼女、後を継ぐことになりそうな人たちはみんな小粒で、あまりに偉大過ぎるカリスマが去った後の真空をどうやって埋めるのか?埋めることが出来るのかが気になる。
    どんなに素晴らしいリーダーでも、老いという天命から逃れることは出来ない。

    スーチー政権発足から1年、早くも難局にさしかかる政権運営 (WEDGE Infinity)

  • バクタプル

    バクタプル

    夜明けとともに、カトマンズ近隣にあるバクタプルへ。
    確か、初めてカトマンズを訪れたときには、バクタプル行きの中国製トロリーバスが走っていた。その頃の中国でも同じようなものが活躍していたが、日本では『架線から電気を取って走る』バスなど見たこともなかったので仰天したことを覚えている。

    当時、静かな田園風景の中を進んでいったように記憶しているが、今はまったくそんなことはなく、バス往来の激しい幹線道路を進んでいく。大袈裟に言えばバスは100メートルごとにお客を拾ったり、下ろしたりしながら進んで行くのだが、そうした乗客の出入り、沿道の人々の様子を眺めているのもなかなか楽しい。

    カトマンズからバクタプル方面へのアラニコ・ハイウェイは、片側2車線の素晴らしい道路となっており、沢山のクルマが行き交っている。

    アラニコ・ハイウェイ

    バクタプルに到着して市街地に入ると、一見、昔と変わらないように見えるが、ところどころにつっかい棒で支えている建物があったり、無残にも壁が崩れ落ちたり、丸ごと崩壊していたりするものもある。























    非常に建て込んだ市街地で、ぽっかり空いた空間にレンガが積んであるのは、倒壊した建物を再建するための作業に着手するところのようだ。壁が崩れ落ちたままになっているものが目に付くいっぽう、もうかなり再建完成近くなっている建物も見かける。崩壊著しいところでは、複数の建物がまとめて倒れたかのように思われるところもある。たまたまその部分の足元が脆弱だったのか、あるいは崩れた建物が倒れ掛かることにより、連鎖的に倒れたのかな?と想像したりもする。煉瓦造りの家屋が道沿いにぴったりと密着して建てられているため、そういうケースもあったのではないだろうか。



    ダルバール・スクエアの歴史的建造物の中にも、大きな被害を受けたものは少なくなく、再建には、どのくらいの時間(と費用)がかかるのだろうか。このあたりについては、世界遺産指定されていることもあり、規模はともかく、内外から支援の手が差し伸べられることとは思うが、人々の住まいについては、崩壊した建造物の再建はオーナー自身がなんとか費用の手立てをしなくてはならないので大変だ。

    同じく地震多発国に住む者として、大変心が痛む。

    震災後もバクタプルの素焼き作りは盛ん

  • ボダナート

    ボダナート

    カトマンズの渋滞はなかなか大変

    渋滞の中をノロノロと進んでボダナートに着いた。昔、ここを初めて訪れたときには、仏塔がそびえているのが遠くからでもわかったように思う。今は運転手さんに「着いたよ」と指差されても、それが見えないので、どこに来たのか、どこにあるのはわからない。それくらい建て込んでいるのだ。

    ボダナートは世界遺産に指定されたこともあり、境内に入る際に250Rs徴収される。中はかなりの賑わいで、チベット系の人々が仏塔のふもとの部分に座り込んで法要に参加していた。

    ボダナートの仏塔の前では護摩が焚かれており、この煙を自分に晒すような動作が日本の仏教のそれと同じだ。

    仏塔も2015年の地震による被害を受けたはずなのだが、きれいに修復されているのは、やはりここが信仰の対象として非常にメジャーな場所であること、世界遺産に指定されていることなどから、強力な集金力があるという背景があるのだろう。

    周りには様々なレストランやみやげもの屋、仏具店などでいっぱいだ。歩いていると気が付くが入場料を支払わずに入ることが可能な抜け道がいくつもあるようだ。ネパールでは、こういうあたりのガードがかなり甘い。

    近くにいくつもゴンパがあるが、コンクリート造なのであまり惹かれるものはない。腹が減ったので付近で昼食。洒落たカフェなのだが、チベット料理アイテムも出しているのがうれしい。

    カフェでひと休み
    カフェのチベット風意匠をあしらった天井
  • かわいいシアワセ配達人

    かわいいシアワセ配達人

    カトマンズのタメルのカフェにて。
    膝の上に温かいのが乗ってきたと思ったらネコだったので、しばし遊ぶ。
    芸をするわけではなく、犬ほど賢く従順でもないのに、人の心をホンワカさせてくれるのは、よく懐いていて楽しいネコだ。

  • どこでもスマホの時代

    今の時代、ネパールの田舎町の雑貨屋の店番のお兄ちゃんも、日向ぼっこのあばあちゃんも、みんなスマホでチャカチャカ何かやっている。いつでも誰とでも通信出来るすごい時代になった。
    その反面、電源が切れると、なんだか不便で落ち着かない気分になったりするのだが、地図サービスが役に立つ。バスなどで通り過ぎる際にオモシロそうなところを見つけたら、その場所を確認しておき、後から訪れてみたりすることが出来て便利である。

  • ダルバールスクエア(カトマンズ)

    ダルバールスクエア(カトマンズ)

    街の名前のカトマンズの語源(・・・だったと思う)のカスタマンダプが失くなっていたことは、一昨年の地震関連のニュースで聞いてはいたが、本当に跡形も無くなっている有様を目にすると、やはりとても残念な思いがする。
    消失している建物は他にもあり、旧王宮のダメージもかなりのものがあるようで、修復工事が進行中だ。
    市内でも地震の被害があまり無かったという地域も多いし、その反面、こうした大きな被害が出たエリアも少なくない。地盤の関係、建物の構造や規模等々、様々な要素が影響したのだろう。
    だが、こうした文化財の復興には、この国のもっとも大きな財源である観光業の振興は必須である。

    街の名前の起源となったと言われるKasthamandap跡
    王宮建物のニューロード側
    Gaddhi Baithak
    Kumari Bahal
    ここに限ったことではないが、震災後、つっかい棒で補助している建物はかなりある。
  • Meggi Restaurant

    Meggi Restaurant

    フリークストリートのMeggi Restaurantは、ずいぶん昔とから営業している。もしかすると、このエリアに70年代初頭、伝説のEden Hashish Centreがあった頃から営業していたのかもしれない。
    私はヒッピーの時代は知らないし、当時の雰囲気はフリークストリートのどこにも残っていないであろうことから、往時の様子は想像も出来ないが、ここで自由を謳歌していた当時の西洋の若者だった人が、青春時代を懐かしんで訪れたりすることもあるのかもしれない。

  • タメル界隈

    タメル界隈

    建物が大きくなったり、エリアが広がったりしていることなどを除けば、ツーリストゾーンの佇まいはあまり変わらないようだ。
    昔はなかったが、今は大変目につくのは、大陸からやってきた中国人たちが大勢おり、中文の看板が多いこと、中国人がやっている料理屋が沢山あることだろうか。








  • 中国のフシギ

    中国のフシギ

    カトマンズのタメルで、写真正面の中国人宿が道路に投影した広告。
    頭上含めてあちこち見渡してみたが、どこに光源があるのか、結局わからなかった。
    なかなか面白い技を利かせてくれる。

  • カトマンズのタメルに溢れる中文看板など

    カトマンズのタメルに溢れる中文看板など

    トリブワン空港では中国人客が多く、空港の携帯SIMを売る店では流暢な中国語を操るネパール人スタッフもいた。
    旅行者ゾーンのタメルでは当然、中文の看板も多く、山東賓館、江蘇飯店といった前の宿泊施設も多い。また「清真料理(イスラーム料理)」を謳う食堂もいくつかある。
    土産物を売る店では、客寄せのために中文での案内を掲げているところが少なくないが、本当に中国人が経営している店には、レストラン、宿泊施設、配送業者等が多い。旅行代理店には、クルマやツアーをアレンジする案内が出ていて、ポカラ、チトワン等々、ネパールの地名にはそういう漢字を当てるのか、と思ったりする。
    華人経営の宿に宿泊して、話を聞いてみても面白いかもしれない。
















  • レインボー柄のセーター

    レインボー柄のセーター

    カトマンズのみやげ物屋でよく見かけるので、結構売れているのだろう。
    旅行者相手のセーター類にも流行り廃りはあるが、こうしたレインボー柄ものは、四半世紀前以上前もよく見かけた。
    私自身、これとソックリなものをカトマンズで買って、長く着ていたのでよく覚えている。

    今も昔も定番柄のセーター
  • カトマンズのUTSEで食事。

    カトマンズのUTSEで食事。

    ここで初めて食事をしたのは1987年のことだ。その後もカトマンズ訪問時には幾度も足を向けて、『あ〜、おいしいなぁ』と感激していた。安食堂のダルバートよりもかなり高かったので、当時の私は、そうしょっちゅう出入りするべきではなかったのだが、旨いものの誘惑の前には為すすべもないのであった。ここの食事は本当に素晴らしかった。

    最後に訪れたのは四半世紀前。当時の小さな食堂は、客席の多い立派なレストラン(かつての場所からは少し移動したようだ)となり、上階はホテルになっている。
    それだけの時間の経過があるので、当然ながらオーナー氏も年を取られたが、お元気そうでなにより。

    UTSEのオーナー氏

    今回、私が注文したのはチベット定食。バフの煮物、豆腐と青野菜の炒め物、モモ、揚げ物、スープとご飯が付いている。四半世紀前、これは出してなかったはずだが、相変わらずどれもとてもおいしい。

    チベット定食

    アイデアや機知も大切だが、まずは『凡事徹底』することが大切であることが重要だ。お客の大半というよりも、ほとんどが外国人旅行者のエリアにあっても、いつも温かい微笑みとともに、心を込めた美味しい料理を提供し続けて、ちょっとアップマーケットかつ素敵なお店になった。

    創業は1971年なので46年の歴史。大したものだ。UTSEがオープンしたころ、タメルにはカトマンズゲストハウスしかなかったという。