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カテゴリー: life

  • 部族の村とハート(1) ドゥルワー族の村

    部族の村とハート(1) ドゥルワー族の村

    この日は地元で長年、主に部族の村やハート(定期市)に関するガイドをしているAさんに案内を依頼した。

    朝9時にホテルを出発してマルヴィーパダル(Mavlipadar)村に行く。ここにはドゥルワー(Dhulva)族の村で、Aさんの昔からの家族同然の付き合いだという人の家に立ち寄る。

    家の外壁は石積みであることが多い。

    Aさんはムスリムでジャグダルプルの育ちだが、いろいろな部族の言葉で会話することができ、訪れる先の村やハートに品物を出している人たちの中にも彼の知己が多い。彼の父親の仕事の関係で、さまざまなアーディワースィーの人たちとの交流が幼少時から多かったことが背景にあるそうだ。

    この地域の部族民たちの言葉はいろいろあるのだが、その中で優勢で広く通用するゴンディー語の挨拶「ジョーハール(Johar)」というのを覚えた。「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」など、いろいろ使えて便利なようだ。

    その「家族同然」という人は、Aさんよりも一世代上の人なのだが、彼は夫と子のある女性と恋に落ちて、そのまま結婚することなく所帯を持ったとのこと。そういうケースはここの先住民の中では珍しいことではなく、それで色眼鏡で見られたり人付き合いに支障をきたしたりということもないそうだ。男女の関係についてはオープンであり、男女間の上下もないとのこと。そういう社会がインドのヒンドゥー教徒の大海に囲まれた中にあるというのは興味深い。

    当人はせっせとカゴを作っていたが実にうまいもので、見ている前でどんどん仕上げていく。ハートで売ると、ひとつ30Rsの収入となるのだそうだ。家の前は畑になっており野菜を栽培しているが自家消費用。現金収入はとても少ないが、かといって生活に困ることはないらしい。

    器用にカゴを編み上げていく。
    カゴを作るための下準備
    家の前は畑

    村の中ではサゴヤシが生えている家があり、上のほうに樹液を取るための壺がかかっている。採取してから数時間で発酵して弱い酒ができるのだそうだ。これもまたハートでよく売られている。この酒をサルフィーと呼ぶ。

    ここの部族の村で不思議なのは乳製品を摂取する習慣がないとのこと。それでチャーイもブラックティーとなる。理由は動物の乳は、牛でもヤギでも、それぞれ牛やヤギの赤ん坊が飲むべきもので人間が飲むものではないという考えとのことだそうだ。

    〈続く〉

  • Darbha村の定期市(ハート)

    Darbha村の定期市(ハート)

    村から品物を運んでくるアーディワースィーの人たち
    同じ村の人たちとジープをチャーターしたりもする。

    バスタル地方といえば、カラフルなハート(定期市)で知られるが、だいたい大きなスペースに屋根や幌が張られているところで工業製品、野菜、軽食などを商うのは町の人。

    そのまま何もないところにムシロを広げて野菜、竹のザルやカゴ、手作りのホウキ、酒、野蚕の繭など村の産品を売るのは先住民が多い。どちらも近くに集まって商っており、先住民とのその他の市民が隣り合って商売しているという図はなかなかないし、アーディワースィー(先住民)が屋根や幌の下で何かを売っているというのもないようだ。きちんとしたマーケットプレースの場所で商売するのが普通の市民、先住民はその脇や空き地で物を売るといった棲み分けになっているらしい。

    野蚕の繭

    生鮮食品でも町の人たちとアーディワースィーの人たちが売るものには違いがある。私たちに馴染み深く、大量に栽培・収穫できる野菜類などを沢山積み上げて売るのは町の人たち。商業作物としてあまり栽培されない野菜についてはアーディワースィーの人たちが扱っているようだ。

    町の人たちが売る野菜

    アーディワースィーの人たちが売る野菜

    魚類については、大きな鮮魚類は町の人たち、小魚などの干物はアーディワースィーといった具合だ。

    町の人たちは鮮魚を売る。

    アーディワースィーの人たちは小さな魚の干物を売る。

    マフアの花から造った地酒マフア、米から醸造したドブロクみたいなのを売っているのは女性たち。こうした「青空バー」は、地域の様々な村からやってきたアーディワースィーの男たちの社交場となる。ちょっとした美人ママのところにそうしたお客たちが集まるのは、いずこも変わらないようだ。

    青空バー
    米から造ったドブロク
    こちらはマフアーの花。これを使ってマフアーの酒が造られる。
    マフアーの酒を売る美人ママ
  • ティーラトガルの滝

    ティーラトガルの滝

    ジャグダルプルを出てからしばらくの間は良い道路が続く。昔ながらのインドの幹線道路では、これよりもっと大きく天を突くような大木が道路両側に等間隔で並んでおり、スケールの大きな景観を提供していた。中央アジア地域や中国の新疆でも道路両側に大きなポプラ並木が見られるが、樹木の種類は違えども、目的は同じだろう。緑のトンネルが遮光して往来する車両や人を強烈な日差しから守る、交通にかかる「インフラ」のひとつであった。

    英領期から計画的に植えられてきたものだが、モータリゼーションの大衆化、物流の大量化、高速化に伴い、全国各地で幹線道路が複数車線化していく中で、当然こうした国道沿いの緑のトンネルは急速に姿を消している。おそらくパキスタンやバングラデシュでも同様だろう。幹線道路脇の並木は伐採されて、道路幅が拡張されていくのだ。

    やがて周囲は森となり、勾配のある山道となってくる。こういう眺めを目の前にすると、マオイストが潜んでいるのはそういう地域なのだろうかと想像する。バスタルは「チャッティースガルのカシミール」などとも表現されることがあるが、高度がありスイスのような景観のカシミールとでは、美しさが異なる。

    マオイストたちはこんな具合の森に潜んでいるが、夏季にはマラリアに大変苦しめられるという。

    この地域ではやたらとサルが多い。ニホンザルの近縁のアカゲザルである。私には区別さえつかない。これほどたくさんいたら、このエリアを徒歩で行くのはかなり危険であろう。これは滝に着いても同様で、周囲にはサルがとても多かった。

    やたらとサルが多い。

    さて、そのティーラトガルの滝だが、天然の階段状になった小高い斜面を流れ落ちるという視覚的に面白いものはあるのだが、格別といえるような風情や眺めがあるわけではなかった。この日の目的地は他にあり、ここは途中で立ち寄っただけなのだが、もしここに期待して訪れていたら、かなりガックリきていたかもしれない。

    滝の近くのマーケットで売られていたみやげ類
    いまひとつパッとしない。
  • チトラクート滝

    チトラクート滝

    ジャグダルプルから直行するミニバスがあり、1時間余りで到着した。
    「チャッティースガルのナイヤガラ」とも呼ばれるそうだが、増水する雨季にはもっと流れが大きいのだろう。
    太陽の角度の時間帯がドンピシャで、虹が見えて良かった。狙って行ったわけではないが、「虹がね・・・」という話を前日に聞いていたので。

  • ダンテーシュワリー寺院

    ダンテーシュワリー寺院

    バスタル地方のダンテーワーダーの町にあるダンテーシュワリー寺院。シャンキニー川とダンキニー川のサンガム(合流点)にあるこの名刹は、秋に全インドで祝われるダシェーラー祭の中でも、その盛大さと祝う期間の長さは格別であることで広く知られる「バスタルのダシェーラー」の中心地のひとつでもある。

    お寺によって外国人はお断り(全国的にところどころにある)とか、上半身裸で下は白のドーティーを着ないとダメ(ケララの某寺院)とか、女人禁制(カルナータカのサバリマラ寺院が代表的)いろいろローカルルールがあるお寺は珍しくはない。
    このダンテーシュワリー寺院は、男性は白のドーティーかサフラン色のルンギーを着用するようにというローカルルールがある。

    それを知らずに行列して、寺院最奥内陣の御本尊であるダンテーシュワリー女神の神像の前までたどり着き、手を合わせたところで、参拝客たちにプラサード(参拝者たちに手渡されるもの。通常コンペイトウ的な糖菓子少々であることが多い)を手渡しているプージャーリー(司祭)に、咎められ「履き替えて出直し」を命じられる。
    ドーティーあるいはルンギーについては、入口にある靴預けのところで借りることか出来るとのこと。

    他の地域からやってきたインド人たちの中にも、私のようなミスをしてしまった人たちがいた。ローカルルールというものは、よそ者にはなかなか判りづらいものがある。

  • ジャグダルプルの少数民族博物館

    ジャグダルプルの少数民族博物館

    少数民族博物館を訪れてみた。Anthropological Museum(文化人類学博物館)という名前になっているが、事実上の少数民族博物館である。

    ASI敷地内にあるが、そのASIとは、Archaeological Survey of India(インド考古学局)ではなく、Anthropological Survey of India(インド文化人類学局)だ。インドの田舎町によくある「シケた博物館」と違い、展示内容は大変示唆に富むものであり、しっかり時間を取って見学する価値がある。

    館内は撮影禁止であったが、各部族についてのわかりやすい説明と習俗や生活等に関する紹介などがなされており、これらをまとめたブックレットでもあればぜひ購入しておきたかったが、残念ながらそうしたものはなかった。屋外には主だったところの部族の家屋等が再現してある。

    同博物館では、インドの少数民族研究への功績に敬意を表し、イギリス人の文化人類学者ヴェリエール・エルウィンについての紹介もなされていた。私はこの人については知らなかったのだが、ウィキペディアからの受け売りになるが、このような人物であったらしい。

    ロンドン生まれで、宣教師として植民地インドでのキャリアをスタート。彼はインドにおける少数民族研究に大きな足跡を残すとともに、マハートマー・ガーンディーの独立運動にも関わっていたとのことで、「インド愛国者」としての評価も高いそうだ。

    ゴンドの女性と結婚、離婚、そしてまた別のゴンド女性と結婚、独立後のインドでは、そのまま少数民族関係の仕事のため残り、インド国籍を取得。そしてデリーで亡くなったそうだ。
    イギリス人としては、相当な変わり者であったようだが、少数民族研究において、大きな業績を達成した人物であるらしい。

  • ジャグダルプルの「ニュー・ケーララ・レストラン」と「ニュー・ケーララ・ホテル」

    ジャグダルプルの「ニュー・ケーララ・レストラン」と「ニュー・ケーララ・ホテル」

    街の中心にある商業地に、同じマネジメントによるふたつのレストランがある。

    この日の夕食は「ニュー・ケーララ・ホテル」にてフィッシュカレーとマトンフライを注文。実はこの一角を越えたすぐ先にあるノンヴェジのアーンドラ料理屋に行くつもりだったのだが、道路こちらの「ニュー・ケーララ・レストラン」、路地挟んで向かいの「ニュー・ケーララ・ホテル」という壁を越えることができなかった。

    実は昨日、道路左側にある「ニュー・ケーララ・レストラン」のほうに入ってしまったときもそうだった。本当は、アーンドラ料理の店を目指して歩いていたのだ。

    本日はその二の足を踏むまいと、道の右側を歩いてみたのだが、今度はその側にある「ニュー・ケーララ・ホテル」から漂う香りに足を止められてしまった。

    経営者が同一のふたつの人気店が細い道路両側に建つという、絶妙な位置関係で、そこから先に進もうとする空腹客を見事に取り込んでしまう。地元の同業者たちは、「これは反則だ!」と声を上げてもいいように思う。

    昨日「ニュー・ケーララ・レストラン」で食べたフィッシュ・ビニヤーニーのときと同じく、汁に入っている堅揚げの魚のフライが水分を吸い込み、やや柔らかくなった、かつ香ばしい外側のカリカリと汁の酸味のハーモニーを楽しみつつ、骨付きマトンの柔らかく煮込まれた肉とスジの部分のなかなか噛み切れないながらも深いコクを楽しむ。楽しい夕餉となった。

    同一マネジメントの店とはいえ、メニューは共通ではないのが憎い。「ニュー・ケーララ・レストラン」はどちらかといえば少しアップマーケットで、家族連れ、商談客、カップルなどが多い。
    「ニュー・ケーララ・ホテル」のほうは、ひとりで訪れる客、若い客が多いようだ。こちらはメニューに掲載してあるアイテムを絞り込み、よりエコノミーな料金で提供している。
    そんな具合に客層を区分しているため、斜向かいに建つ姉妹店とはいえ、使用されている米の種類も違えば、食器類のグレードも異なるのだ。

    「ニュー・ケーララ・レストラン」で出されるビリヤーニー
    「ニュー・ケーララ・ホテル」で提供されるビリヤーニー。ご覧のとおり「ニュー・ケーララ・レストラン」のものとは使用する米の種類も異なる。
  • バスタル宮殿

    バスタル宮殿

    バスタル王国最後の王、プラヴィール・チャンドラ・バーンジ・デーオ。現在の当主の祖父だが、独立後のインドで州議会議員となったが政治絡みで非業の死を遂げている。

    バスタルは英領期に小さな藩王国であった。王はラージプートの家系だが、バーンジ王朝と呼ばれるオリッサ、チャッティースガルなど、東部にいくつかの小王国を築いた系譜に連なる。
    現在の当主はまだ若いカマル・チャンドラ・バーンジ・デーオで、2013年の州議会選挙にBJPから出馬して見事当選している。
    だが彼の家はそれまで40数年間も政治から遠ざかっていたこともあり、旧藩王国の主という知名度はあっても、地盤はとうの昔になくなってしまっていたため、相当な快挙だったようだ。
    さて、この宮殿だが、入口の赤と白で彩られたゲートを入ってすぐのところにダンテーシュワーリー寺院という当地では有名な寺があるので参拝客は絶えないのだが、その少し奥に旧藩王家の宮殿がある。
    「ラージプートの宮殿」と聞いて想像するようなきらびやかなものではなく、政府の役所みたいな感じの建物だ。
    私のような外部の人間が見学できる部屋がひとつだけあり、そこに歴代の当主の肖像画や写真が飾られている。
    一番下の画像がその部屋なのだが向かって右側奥に階段があり、その上は旧王家の住まいとなっており、彼らはここで今も日常生活を送っているとのこと。
    藩王国が終わったとき、つまりインドが英国から独立してからだが、もちろん関係者にとっては生活を賭けた一大事であった。
    藩王国から州政府に統治権限が委譲されるといっても、それまでの統治や記録、ノウハウ等々の一切を藩政府の役人たちが握っており、そうした背景を持たないまっさらの人たちが送り込まれても何も仕事ができないため、旧体制で実務を担ってきた人たちの多くが、そのまま横滑りしたケースが多かったことは想像に難くない。
    各藩王国の主やその家族たちはインド政府から年金を保証されて共和国への併合を承認した。
    その後、国会による決議を経て、1971年に旧藩王家への年金は廃止されている。ここに至る動きの中で、これを阻止すべく大勢の旧藩王家の人たちが中央政府の総選挙に出馬しているのだが、独立インドでしっかりと地盤を築いてきた一部の人たちを除き、ことごとく落選している。
    独立以降のインドでは、旧王家という看板だけではまったく戦えないのである。あるのは他の政治家と同じで、地盤があるかどうかだ。
    先述の旧藩王家の当主だが、今年11月に投票が実施された州議会選挙では再選できなかったようだ。
    そんなわけで、もはや旧王家であることによる世俗の力は何もなく、あるのは共和国への移行に伴い手元に残すことができた私財をいかに運用できたか、つまりビジネス等の世界で増やすことができたかどうか、あるいは藩王国廃止時点で持っていた地盤と人脈を最大限に活用して、政界に地歩を築くことができたかどうかですべてが決まる。
    そうして自ら築き上げた地位以外の部分で、今の時代に、王が王としての威厳を行使できる場があるとすれば、王家の時代からプライベートに仕えている執事、使用人(王家によっては、そうした人たちを同じ家から代々雇用しているケースがある)くらいのものだ。
    小さなバスタルの王家でそういう関係にある人たちが今もいるのかどうかはよく知らないのだが。

  • Ausum Bastar

    Ausum Bastarというフェイスブックページを運営しているUnexplored Bastarというオフィスがあり、ジャグダルプル到着前から幾度かメールやメッセンジャーでやりとりしていたのだが、その場所らしきところに着いてもまったく看板も出ておらず判らない。

    目の前にある薬局で初老男性に質問してみたところ、「ああ、息子がやっているボランティア集団だよ」とのこと。てっきり旅行代理店と思っていたのだが、そうではなかったらしい。

    息子さんは仕事でライプルその他の街から街へと飛び回る忙しい人で、彼と同世代である30代くらいの10数名の仲間たちとバスタルの観光を振興させるための活動をしているとのこと。その半分くらいは先住民出身の人たちで、皆それぞれに仕事を持っているにも関わらず、精力的に情報収集・発信をしているようだ。

    男性は「息子は不在だが彼の仲間を呼ぶよ」とのことで、そうした活動をしている中の一人を薬局まで呼び寄せてくれて、しばらく情報収集をさせてもらうが、かなり有益なインフォメーションを得ることができた。ガイドの紹介、クルマの斡旋等も行っているとのことで、それらについても少し話を聞いてみたが、まったく無理強いすることもなく、本当に観光振興のために活動しているのだなとわかる。

    とりあえず明日回る訪問先を決めたのだが、彼らの紹介できるクルマは少々高いように思われた。「他にも代理店とか当たってみるといいかも?」という勧めに従い、同じ通りにある普通の旅行代理店で予約した。情報だけいただいてしまったようで申し訳ないが、こうした形で地域の観光振興のための活動を続けているというのは実に立派なことである。

  • “Chinatown Days” by Rita Choudhury

    “Chinatown Days” by Rita Choudhury

    アッサムの女性作家、リーター・チョードリーによる大作。
    清朝支配下の19世紀、南中国の寒村から奴隷として町の商人のところに売られていき、そこで奴隷ながらも主の信用を得て、それなりの金銭的充足と自由を得ることとなった少年。だが、彼はさらにここから別の人身売買シンジケートにより、カルカッタへ運ばれ、そこから開業間もないアッサムの茶園に行くこととなる。

    時代は下り、その茶園近くのマークームの町や周辺で事業を起こした中国移民の子孫たち。
    アッサムのすっかり根付き、「中国系アッサム人」として地域社会の中の一部として定着していた。

    中印戦争開戦。最初は特に影響を受けることのなかった華人コミュニティだが、インドの敗色濃くなっていくにつれて、反中国感情の高まりとともに、中国系住民への感情も急速に悪化していく。

    中国との敵対関係がエスカレートしていくとともに、国内政治でも共産主義勢力を「親中かつ反インド」であるとして攻撃するだけではなく、民族的なルーツを中国に持つ人々への風当たりも強くなってくる。

    やがて中国系市民の拘束の命令が中央政府から発せられ、華人が集住していたカルカッタはもちろんのこと、ところどころに華人コミュニティが散在していたアッサム(当時は現在のメガーラヤもアッサムの一部)においても一斉に彼らを逮捕して地域内の刑務所へ収容してしまう。驚いたことに、チベットからダライラマとともに亡命してきたチベット難民の中にも、このあおりで逮捕・拘束された人たちが少なくなかったらしい。

    その後、華人たちは、まとめてラージャスターン州のデーオーリーキャンプへと列車で移送される。(デーオーリーキャンプは、奇しくも第二次大戦期にマラヤ半島などに住んでいた日本人たちが敵性外国人として植民地当局に検挙されて移送された先でもある。)

    インド政府は、世代を継いでアッサムに暮らし、インドを祖国とする中国系市民を敵視するいっぽう、引き揚げ船を仕立てて彼らを迎えるというオファーをする中国に対して、これ幸いと彼らの身柄を引き渡してしまう。インド生まれの華人たちにとって中国は未知の国。おりしも時は文革の渦中で、引き揚げてきた彼らはインドによるスパイという嫌疑もかけられて大変な苦難を重ねることとなる。

    中国に送られることなく、アッサムに帰還することができた華人たちにとっても、日々は決して楽なものではなかった。苦労して得た工場、店、家屋などは、「敵性資産」として、競売にかけられており、彼らの父祖がそうであったように、再び裸一貫でスタートしなくてはならなかったからだ。

    文革の嵐が収まりかけたあたりから、中国に送られたアッサム華人たちの中で、当時英領だった香港を目指すのがひとつの流れとなっていった。

    そして現在、結婚したばかりの華人妻と生き別れになったアッサム人男性が、かつてマークームに暮らした華人住民たちの小さな集まりが開かれる香港を訪問して49年振りに再開。

    雄大な時間軸の中で展開していくスケールの大きなドラマ。こうしたインド系の人々の歴史を交えた長編作品を得意とする大作家アミターブ・ゴーシュの作品を彷彿させる。

    もともとマークーム(মাকুম)と題して2010年にアッサム語で発表された当作品だが、好評を得て英語版も出版されることとなったが、翻訳版という形ではなく、新たな記述等を加えて最初から書き下ろすことになったため、英語版の出版まで何年もかかったと聞いている。

    タイトル:Chinatown Days
    著者:Rita Choudhury
    出版社:Amazon Services International, Inc.
    ASIN: B0786T8XKX
    ※紙媒体ではなく、アマゾンのKindle版を入手。

  • ジャグダルプル空港

    ジャグダルプル空港

    南の方角から走ってくると、ジャグダルプルの市街地に入るあたりで空港が見える。まだ新しい施設だが昨年11月から乗り入れがなくなっている。昨年6月からラーイプル→ジャグダルプル→ヴィシャカパトナムというフライトが就航したのだが、半年も持たなかった。
    市街地に隣接しており、繁華街はすぐ目の前。利用者にとっては大変便利な立地だったはずだが、その数については大変ずさんな試算のもとで空港の建設がなされたということなのだろう。
    近年のインドでは、数多くの空港建設が進んでいるが、せっかく完成しても乗り入れる定期便がない、就航したもののすぐに乗り入れ停止というケースも少なくない。ジャグダルプル空港もそうした中のひとつである。

    ジャグダルプルの空港の市街地からのアクセスの良さはインド最高クラス。繁華街から徒歩でも行ける距離だ。

    PM Modi Inaugurates Flight Service From Jagdalpur To Raipur (NDTV)

    Why flight services to Maoist-hit Bastar region have been discontinued 5 months after launch (FINANCIAL EXPRESS)

  • 視力測定板

    視力測定板

    日本で言えば、片目を塞いで「上」「右」「下」「左」などと、円の切れ目の方向を言ったりするが、ジャグダルプルで道を尋ねた眼鏡屋でこんなものを見かけた。
    デーヴァナーガリー文字で「ダ」「パ」「タ」「ナ」「ガ」・・・などと読んでいくのだが、ずいぶん文字も文字列も少なく、いい加減な感じがする。
    文字が左右逆になっているのは、このボードを背にした反対側の壁に置いてある鏡に映った像を読んでいくためである。