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カテゴリー: life

  • シュリーナガル郊外観光

    シュリーナガル郊外観光

    ダル湖の南東には、いくつかのムガル朝が残した離宮や庭園が点在している。文字どおり、ムガル帝国が強大であった時代に、スリナガルに建築させたペルシャ式のシンメトリーを基調とする美しい庭園だ。

    オートで出発!

    最初に訪れたのはパリー・メヘル(Pari Mahal)だ。ムガル朝の第5代皇帝シャージャハーンの息子であり、皇帝の跡取りとなることを目させていながらも、アウラングゼーブとの熾烈な争いに敗れて殺害されたダラー・シコーが建てさせたもの。
    ここに行く途中にラージ・バワン(Governor’s House)があるのでBSFのチェックポストがあった。ここでは乗客は降りてチェックポストを通過、クルマやオートは運転手だけが乗って通過しなくてはならない。パリー・メヘルは、ここからの湖の眺めが素晴らしいはずなのだが、あいにくの雨天でいまひとつであった。

    パリー・メヘル

    パリー・メヘル

    パリー・メヘルからダル湖方面の眺め

    次に訪れたのは、チャシマー・シャーヒー・ガーデンCheshma Shahi Garden。規模は小さいのだがなかなかきれいでいい感じだ。ムガルの家臣であったアリー・マルダーン・カーンによるもの。

    チャシマー・シャーヒー・ガーデン

    チャシマー・シャーヒー・ガーデン

    ニシャート・バーグ(Nishat Bagh)はさらに壮大な規模の庭園。第4代ムガル皇帝ジャハーンギールの妃、ヌール・ジャハーンの兄であったアースィフ・カーンによるもの。これはダル湖のほとりにあり、ここからの眺めも素晴らしい。
    ペルシャ式庭園の幾何学的なデザインや配置は、自然の眺めのそれとは無縁のものなので、こうして山や湖に囲まれた美しい風景の中では好対象を成しているが、ここがイスラームが伝わる前のヒンドゥー時代には、カシミールの人たちの暮らしや気質は今とはずいぶん異なるものであったことと思う。

    ニシャート・バーグ

    ニシャート・バーグ

    ニシャート・バーグ

    ニシャート・バーグ

    ニシャート・バーグ

    そしてシャーリーマール・バーグ(Shalimar Bagh)へ。ジャハーンギールが建てさせたもので、規模が大きなことはもとより、手入れの行き届いていることからも、湖の眺望も楽しめるニシャート・バーグと合わせて、どちらも甲乙付け難い。

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    シャーリーマール・バーグ

    素敵な庭園の水路脇にベンチがあった。「カップルにおあつらえむきだな」と思って撮った矢先に、若いカップルがやってきて腰掛ける。やはりこのロケーションは、そういうムードなのだ。

    スクールトリップで、大勢の子供たちが先生たちに引率されて訪れている。乗り込むバスを間違えないように、先生は生徒たちにバスの番号を大声で唱えさせていた。
    「bus no.38, bus no.38…」
    元気な声で繰り返しながら進んでいく子供たちの姿が可愛い。

  • シュリーナガル旧市街観光1

    シュリーナガル旧市街観光1

    それでも7時くらいまで寝ていたので疲れは取れた。
    宿のロビーで朝食。そして旧市街へオートで向かう。

    グルドワラー・シュリー・チャッティー・パートシャーヒー・サーヒブ(Gurudwara Shri Chatti Patshahi Sahib)へ。スィク教の第6代グルーのハルゴービンドが17世紀前半に、カシミール各地を歴訪した際に建立したものとされる由緒あるグルドワラーだが、現在の建物は20世紀以降に建築・増築されたものである。

    Gurudwara Shri Chatti Patshahi Sahib

    その奥にあるカーティー・ダルワーザー(Kathi Darwaza)は1590年にムガル帝国のアクバル大帝が建てさせた門。ハリ・バルバトの丘のふもとに位置する。

    Kathi Darwaza

    ここから少し坂道を登り、マクドゥーム・サーヒブ(Makhdoom Sahib)というスーフィー聖者のダルガーからじっくりと見物を始める。このダルガーのすぐ下には、シャージャハーンの息子であり、兄弟であったアウラングゼーブとの争いの中で殺害されたダーラー・シコーが、17世紀半ばに建てさせたアクンド・ムッラー・シャー・マスジッド(Akhund Mullah Shah Masjid)の遺跡が見える。

    Makhdoom Sahib

    階段を下り、そこからジャマー・マスジッド(Jama Masjid)までかなり距離があるかと思ったが、そんなことはなかった。旧市街を歩くと、インドではなく中央アジアにでも来ているかのような気がする。それほど「インドとの距離感」がある。

    Jama Masjid
    Jama Masjid

    Jama Masjid

    ジャマー・マスジッドは典型的なカシミール建築で、やはりここにしかない個性がある。1,400年に建造された木造のモスク。ドームはないが斜型の屋根を持つ、独自性に富んだカシミールならではの建物。内部では非常に太い木の柱が天井を支えている。石造ではないため火気には要注意で、これまで3度も焼け落ちているという。

    「インドとの距離感」を覚えるのは、伝統建築も然りだ。決して人口は多くなく(インド側で1,000万弱、パキスタン側で300万人強程度)なく、それほど経済的にも豊かではなかった地域ではあるものの、文化的に非常に高く洗練されたものがあることを感じさせてくれる。

    カシミールの文化についてあまりよく知らない外国人が訪れても、そう感じるくらいなので、カシミール人たちにとってはやはりインドは異国なのであろう。印パ分離直後、カシミールの所属が宙に浮いていた頃に、これを巡って両国が武力衝突し、力で事実上の分割が行われてしまったという経緯もある。

    目鼻立ちが整っていて、男女ともに優美な風貌をした人たちが多いのとは裏腹に、気が短くてケンカっ早い傾向もまた、カシミールで何か起きる際には本当に唐突に事が発生するということにも繋がるのかもしれない。

    〈続く〉

  • 靴を購入

    靴を購入


    シュリーナガルのResidency Road界隈のモールで靴を買い換えた。近年のインドでは、こうしたショッピングモールは中規模の都市ならどこにでも見られるようになっている。

    購入したのはLee Cooperのシューズで2300Rs。インドにあってこれはなかなか高いが、数百Rsで買える靴はすぐに捨てることになるのでちゃんとしたものを買うことにした。足入れ感良好で、靴擦れしそうにもないものとなると、これが最もいい感じだった。ナイキやプーマ等は4000Rs、5000Rsもするので、日本で買うよりも高いかもしれない。

    靴を買う場所については多少にこだわりのありそうな若者に質問してこの場所になったのだが、聞いた相手が良かったということになる。

  • シュリーナガルの官営シルク工場

    シュリーナガルの官営シルク工場

    2014年9月の洪水
    2014年9月の洪水
    2014年9月の洪水

    シュリーナガル周辺の緑と農産物豊かな盆地は、ジェラム河の賜物だ。しかし、2014年9月、まさにこのジェラム河の氾濫による発生した大規模な洪水は、大きなニュースになったので、記憶されている方は多いだろう。街中を歩いている分には、当時のダメージを感じさせるものが目に付くことはないとはいえ、人々に尋ねてみると、やはり自宅や店が浸水してしまい、「それはもう大変だった!」という話はよく耳にした。建物を指差して、「壁の色があそこから色が少し違うでしょ?あのラインまで浸水したのです。」というようなことも聞いた。

    もとより可処分所得の多くないこの州だけに、当時の被害による負債が後を引いているという人たちは少なくないことだろう。また、短期滞在者として、外面だけ眺めている分には気が付くことはなくても、人々の暮らしの中に入っていく機会があれば、そうした影響はまだまだ顕著に残っているに違いない。

    そんなことを思ったのは、シュリーナガル市内にある州政府系の絹織物工場を訪れたときのこと。シルク専門の工場としては規模が大きく、かつては「世界最大級の絹織物工場」とされた頃もあったそうだ。戦前、すなわちインド独立前の藩王国時代に藩営工場として創業開始。インド共和国成立後の経営は、州政府に引き継がれた。

    正面の建物がシルク織物工場
    シルク織物工場の壁にも当時の浸水の跡が見られる。

    その工場について、先述の洪水の約半年前に書かれたこんな記事がある。

    Once largest in world, Rajbagh Silk Factory ‘dying’ of official apathy (Greater Kashmir)

    歴史的な工場だが、近年は生産性がはなはだ落ち込み、好ましくない状態にあったらしいが、そこに追い討ちをかけるように、2014年の洪水でひどいダメージが与えられたとのことだ。工場内には30前後のラインがあるのだが、動作していたのはわずか三つのみ。それ以外は泥を被ったままであるのが痛々しい。

    敷地内には、私が見学させてもらった棟以外にも、いくつかの施設があり、絹織物工場としては相当大きなものであったことは容易に察しがつくだけに、なんとももったいない話である。

  • シュリーナガルの水上マーケット

    シュリーナガルの水上マーケット

    午前5時あたりになると、外が次第に明るくなってきたので宿から外出してダル湖へ。すでにシカラの漕ぎ手たちは客待ちをしている。

    彼らは、先端がハートのような形になっている木製のオール一本で漕ぐのだが、思いのほかスピード感があるのは静止した水の上を進むからだろう。屋根がついていて、座席も広いのでとても快適だ。漕ぎ手なしで一日借り切って、シカラ上でのんびり過ごせたらいいだろうな、などと想像してしまう。鏡のように静まり返った湖面に浮かぶハウスボートを横目に見ながら、細い水路へと入っていく。













    時おり行き交う舟があり、それらに野菜を満載していたり、漕ぎ手が魚を捕っていたりする。水路には雑貨屋があったりするが、こういうところでは舟で来る人だけが買い物をするのだろう。よくわからないのは、ハンディクラフトや衣類の店のボートもあったりすることだ。こういうところにはシカラで連れて来られる観光客や付近のハウスボートに泊まっている客が差し向けられるくらいのものだろう。



    湖に浮かぶ野菜畑。潅漑の必要がなく、養分を含んだ水分が湖から直接吸い上げられるので、作物の成育には良いことだろう。こうしたエリアは限られているようだが、水郷といった雰囲気がある。スリナガルはこうした湖と市内を流れるジェラム河の賜物だ。

    やがて水上マーケットに到着。観光局のパンフレットには、「バンコクの水上マーケットに次ぐ規模」と書かれているのだが、そういう具合では全くなかった。何しろ、ここで商う舟は、ごく数えるほどしかない。宿のマネージャーが「2014年の洪水後はとても小さくなっているのでガッカリするよ」と言っていたが、まさにそのとおりであった。




    それでも、早朝の静かな時間帯に、こうして湖面をゆったりと進んでいくのは大変心地よかった。

  • ムガル最後の皇帝 バハードゥル・シャー・ザファルの墓所

    ムガル最後の皇帝 バハードゥル・シャー・ザファルの墓所

    ムガル最後の皇帝ザファルの墓はミャンマーのヤンゴンにある。

    バハードゥル・シャー・ザファルのダルガー (indo.to)

    ザファルは、ウルドゥー詩人としても高名だが、一部ではスーフィーの聖人としても崇められている。彼が埋葬されている場所は、その聖人としてのザファルを祀るダルガー(聖者廟)となっており、金曜日にはヤンゴン在住のインド系ムスリムたちが多数出入りする。シュエダゴォン・パゴダから南へ1.5kmほど進んだところにある。ここにそのロケーションを示すリンクを示しておこう。

    1857年に発生したインド大反乱の名目上の旗印として担ぎ出された当時のムガル皇帝であったザファル。同年9月にイギリスは王宮であったラールキラーを陥落させる。数日後にデリーがイギリスに制圧後すぐに捕らえられ、王妃ズィーナト・メヘルと嫡子のミルザー・ジャワーン・バクト、そして側室の子であるミルザー・シャー・アッバースとともにデリーからビルマのラングーン(現在のミャンマーのヤンゴン)に島流しとなる。ザファルは1862年に同地で亡くなり、秘密裡に埋葬された。

    イギリス当局は流刑先にあっても元皇帝の死後における影響力を危惧し、その後30年間ほどこの場所を立ち入り禁止した。そして亡骸が埋葬されている地点を正確に示すことはなかった。そのため「このあたりに埋められたらしい」といった程度の情報しか人々は知ることができなかったようだ。時の流れとともに、事実を知るわずかな人々もこの世を去っていく。

    やがて1935年にようやくバハードゥル・シャー・ザファルの子孫にあたる人物が運営していたムスリム団体による管理が認められ、この地所が政府から引き渡される。その後長らくムガル最後の皇帝の正確な埋葬地点は不明だったが、ようやく1991年にレンガ積みからなるオリジナルの墓石が地下から発見されることとなった。その年にインドの援助により礼拝所が建設されることとなり、現在の姿となっている。

    さて、異国で失意のうちに生涯を閉じることになったムガル最後の皇帝ザファルだが、大反乱が起きる前、すでに墓所がデリーに用意されていた。以下の画像がそれである。

    上の画像左上から右下へ

    アクバル・シャーII
    (在位1806 年~1837年)
    第16代ムガル皇帝 (バハードゥル・シャー・ザファルの父)

    シャー・アーラムII
    (在位1760年~1806年)
    第15代ムガル皇帝(バハードゥル・シャー・ザファルの祖父)

    バハードゥル・シャー・ザファル(バハードゥル・シャーII)
    (在位1837年~1857年)
    第17代ムガル皇帝
    ※墓石がなく、雑草が生い茂っている部分

    ミルザー・ファクルー
    バハードゥル・シャー・ザファルの跡取りになることが決まっていた王子。大反乱が起きる前年の1856年にコレラで死亡

    この墓所の外観は以下のような具合だ。

    これは、南デリーのメヘローリーにあるザファル・メヘルという離宮内にある。父であり、先代の皇帝であったアクバル・シャーIIの時代に建築が開始され、ザファルが完成させた。ザファルは、この場所がお気に入りであったようで、しばしば狩猟や余暇を楽しむためにここを訪れていたという。

    現在では南デリーの市街地となっているが、1960年代くらいまで、このエリアには何もなく、原生林に囲まれていたらしい。だが、ザファルがデリーに生きていた時代から、この離宮に隣接するダルガー(クトゥブッディーン・バクティヤール・カーキーの聖者廟)は、デリーに存在する最古のダルガーのひとつとされるため、このあたりには何がしかの集落があったのだろう。ザファル・メヘルから、そのダルガーの飾り立てられたドーム部分が覗いている。(下の画像右側)

    ちなみにイギリスによるデリー制圧後、ザファル一行が捕らえられたとされるのは、このメヘローリー界隈。当然、その現場はザファル・メヘルかその付近であったと考えるのが自然だ。

    全盛期には数々の素晴らしい建築を残し、皇帝や妃の死後のために壮大かつ流麗な廟を建てたムガル帝国も、末期では皇帝の亡骸も離宮の中で簡素に葬られるのみであったことに、帝国の栄枯盛衰を想わずにはいられない。タージ・メヘルやフマユーン廟に負けず劣らずの歴史的価値がこの簡素な墓所にあるとも言える。

  • バイク野郎

    バイク野郎

    デリーで、食堂の軒先で朝食をとっていると、野太いエンジン音を響かせて、ごっついロイヤルエンフィールドバイクに乗った上半身入れ墨でいっぱいのいかつい男がやってきた。

    「ああ、これは3月に手に入れたがエンフィールド。インドでツーリングするのは3回目だよ。これからカシミールを経てラダックに行く。」

    イングランド人のマークは、雨季の最中の8月頃にモレー/タムー国境からミャンマーに入るのだとか。すでに外国人も通れるようだが、雨季の北東インドはキツイねぇ。

    「行けるところまで行ってみる。タイ、ベトナム、カンボジアもこのバイクで旅したいね。中国も走ってみたい。こいつでチベットを走れたら最高だろ?!」

    そりゃあそうさ、チベットはもちろん素晴らしいだろうし、インドを旅していても、鉄道やバスで旅行する僕らには体験し得ない様々なものが待ち受けている。

    僕らが乗り物の席に腰かけて居眠りしたり、おしゃべりしている間に、君は自分自身で広大な地平線を走破していくのだから。しかもバイクは「インド製のクラシックなブリティッシュ・バイク」のロイヤル・エンフィールド。新車で購入してもトラブル続きになるかもしれないが、最高じゃないか。

    頑張れバイク野郎!よい旅を!!!

  • KASHMIRI WAZWAN

    KASHMIRI WAZWAN

    デリー在住の方に極上のカシミール料理屋さんに連れて行っていただいた。

    注文してから、どんなものが出てくるのかとワクワクしていたが、どれも上品な味わい、そして繊細な美味しさ。アフガニスタンの料理を思わせるものがあるが、これもやはりペルシャ料理の影響を強く受けているようだ。ヨーグルトやチーズの類をふんだんに使い、辛さの少ないマイルドな味わい。

    出てきた料理のひとつにこういうものがあった。大きな豆腐ステーキ風のパニールがトマト風味のグレービーに入っているもの。

    この店で主食はご飯ものしか作っていないが、ナーンやチャパーティーの類も近隣の店から調達してくれる。膨大なムスリム人口を抱えるエリアなので、極上のルマーリー・ローティー(コシのある薄くて大きな「ハンカチ・ローティー」も取り寄せてもらえる。

    店のスタッフは全員カシミールの人たちで、お客さんたちもほとんどがカシミーリーであった。インドの食の世界は奥深いが、南アジアきってのメトロポリタンの代表格のひとつ、デリーの外食の楽しみの幅もこれまた大変に広い。

    KASHMIRI WAZWANという小さな店で、オールドデリーのジャマー・マスジッドのゲートNo.1近くにある。目印としては、あまりに有名なKarim’sに入る路地の斜向かいにある。1階部分(インド式に言えば、グラウンドフロアー)は主に長距離バスチケットを売る旅行代理店と携帯電話&SIMカード販売店となっており、上階でこのレストランが営業している。

  • ミターイーの魅力

    ミターイーの魅力

    食の大国インド、料理以外にもミターイーのミルキーで豊かな味わいの素晴らしさにはいつもながら敬服する。日本においてはバリエーションには乏しいものの、カレー屋さんの類はいろいろあるのに較べて、ミターイーについては、インド系の雑貨屋さんでわずかに置かれている程度で、出来もあまり良くなかったりするのが残念。

    大手のチェーン店では、各種の美麗な菓子類が冷やして陳列されているが、ビカネールワーラーその他のこうした企業が日本に進出して店舗を開いた日には、大変なブームになるのではないか?と個人的に想像している。こうした店で提供されるミターイーは、都会の中産階級の人々を中心とする健康志向もあってか、ほどほどの甘さであったり、中にはノンシュガーのアイテムもあったりする。画像にある3点のうち、上部にあるのは「ノンシュガーのラース・マライ」である。

    だが、個人営業の店でも独自で優れた逸品を提供する店もある。下の画像のイチゴの形をした「カージュー・セーブ」はオールドデリーで売られていた。その名のとおり、カシューナッツとリンゴがベースになっており、とてもフルーティーな味わいであった。店主の甘味類への飽くなき研究心とそれを支える顧客たちのスイーツへの愛着が、こうした珍品を世に送り出すこととなるのだ。

  • 電気式オートリクシャー

    電気式オートリクシャー

    インドで、デリーをはじめとする大都市圏を中心に、環境への配慮により電気式のオートリクシャーが導入されて久しい。最初はピカピカで物珍しく見えた車両もすっかり煤けてきて、街の風景に馴染んでいる。

    一度フル充電すると80km走行が可能とのことなので、通常のオートリクシャーよりも走行可能距離の面で不利なので、主に街中で短距離間の往来に用いられる。まさにそうしたエリアこそが排ガス等による汚染がひどい地域なので、電気式オートリクシャーが活躍するのにふさわしいと言える。今後、バッテリー容量の改善が進んでいくであろうことを期待したい。

    加速や最高速度はCNGやガソリンエンジンのオートに対して見劣りはするものの、エンジンによる振動や騒音なしで、スス~ッと滑るように進んでいくので乗車していても心地よい。

    デリー等の路上とは関係ないが、alibaba.comにて、いろいろな電気式のオート三輪が販売されており、こうした中から1台購入して、街乗りに使ってみたいものだと思ったりもする。

  • 燃える土地 ジャリヤー

    ジャールカンド州の州都ラーンチーから東に位置するダンバード地区の西ベンガル州境附近のジャリヤー(झरिया)は英領期から長きに渡って炭鉱で栄えてきた土地。最寄りの鉄道駅はダンバード・ジャンクション。ここはシャターブディー・エクスプレスその他のメジャーな列車が停車する大きな駅だ。

    現在、インドでは製鉄業を中心に、燃料の2/3は石炭が使用されるという。インド自身、世界第三位の石炭産出量を誇るが、実にその3/4はここから採掘されている。ここではCoal India Ltd.やBharat Coking Coal Ltd.といった、この分野ではインドを代表する大きな政府系企業が操業している。

    400平方キロメートルの面積に75もの炭鉱があるというほど集中しているが、そのエリアには100万人超の人口を抱えていることも特筆される。この地域では、石炭の埋蔵量が豊富であることだけではなく、地表近くに鉱脈があることでも知られており、それがゆえに採掘が容易である。ゆえに違法採掘が絶えないだけではなく、住民たちの中で炭鉱労働に従事してはない人たちも簡単に石炭を採取しては売りさばくといった形で、家計の足しにしていたりする例も数多いという。

    この地域に住む人たちは部族民が中心だ。しかしながらこれを取引するのは地域外の人たちである。地下資源に恵まれながらも、外界から搾取される存在であるという矛盾がある。
    こうした土地なので、政治で暗躍する人たちや炭鉱マフィアたちのパワーゲームが常時展開する暴力的な風土もあるらしい。

    地表近くに鉱脈があることによる利点と同時にデメリットも大きい。河川や土地の汚染はもちろんのことだが、住宅のすぐ脇から火が噴いていたり、100年以上も続いている燃焼により、地下が空洞となることから地盤が陥没したり、その上にあった建物が崩壊したりなどしているとのことだ。これによって廃線となった鉄道路線もあるとのこと。参考記事のリンクを以下に付しておく。

    India’s Jharia coal field has been burning for 100 years (CNBC)

    健康被害もまた甚大なようで、石炭で潤うことにより、田舎の部族中心の社会としては例外的に栄養問題がほとんどないとされるようだが、採掘と地下の燃焼による大気汚染による呼吸器疾患を抱える人々の割合が異常に高いとされる。

    観光で訪れるような場所ではないが、街から少し出ると石炭採掘現場があり、蔓延する違法採掘現場はマフィアが取り仕切っているため、カメラやビデオなどを回すとかなり高い割合でトラブルに巻き込まれるという話もある。

    ジャリヤーを取り上げたドキュメンタリー番組はいくつもあるが、下記リンク先が特に秀逸なので閲覧をお勧めしたい。

    INFERNO: JHARIA’S UNDERGROUND FIRES (PSBT INDIA)

  • Magzter Gold

    MAGZTERで電子マガジンを定期購読している。電子版とはいえ、印刷版と同じコンテンツとレイアウトで読むことが出来るのがいい。タブレット、スマートフォンあるいはパソコン上で閲覧する。

    世界中の主要な国々で発行されている各種雑誌およそ7,500タイトルの中から選んで定期購読あるいは特定の号の購入をすることが出来るのだが、これを運営しているアメリカで設立されたMagzter Inc.という企業は、インドからやってきた起業家が設立したものであるがゆえに、インドの雑誌に大変強い。その反面、やはり英語圏や主要な欧州語圏以外は不得手のようで、日本の定期刊行物でMAGZTERにて購読できるものは、現在までのところは、一部の業界誌等くらいしかない。

    さて、このサービスが開始された頃には、世界中の主な国々で発行されている各種雑誌の中から購読したいものを選び、タイトル毎に特定の号だけ購入するか、あるいは定期購読をすることになるのだが、価格設定がシングルイシューのみの購入に較べて定期購読のほうがはるかに安いものとなっているため、後者を選択するように誘導する形になっている。

    ニュース週刊誌のINDIA TODAYを例に挙げると、英語版、ヒンディー語版ともに単号で購入すると約110円。年間購読すると前者は約1550円、後者は780円という設定。なぜ単号では同じ価格なのに年間購読では金額が倍の差となるのかはよくわからないが、特定の号だけ買うよりも、定期購読したほうがはるかにお得であることは明らかだろう。同様に米国のTimeやNEWSWEEKは、前者が単号約890円で年間購読が約16,700円、後者は単号約550円、年間購読約2,800円となっている。

    さらに、現在はMagzter Goldという、上記およそ7,500タイトル中の3,750超のタイトルが読み放題で約890円というプラン(あるいはMagzter Gold Liteという3,750超のタイトルの中から毎月5つの雑誌まで読み放題で約560円というプランもあるが、こちらは「MAGZTER GOLD」に較べてかなり損な気がするだろう)へと誘導しようという流れになっている。

    MAGZTERが扱う雑誌類の中で、MAGZTER GOLDで読み放題となる雑誌がどのようなものであるかにいては明確に示されてはないのだが、価格が高めで需要も多いタイトルが除外となっているようだ。版元の意向によるものなのだろう。

    MAGZTERで購読可能な日本の飲食や商業関係の業界誌(取り扱うタイトルは少ないが)については、MAGZTER GOLDの読み放題の対象となっている。例えば「商業界」という業界誌を購読したい人にとっては、この定期購読料金として約13,360円支払うよりも、MAGZTER GOLD (約890円×12か月=約10,680円)あるいはMAGZTER GOLD Lite (約560円×12か月=約6,720円)のほうが安価という逆転現象が起きることになる。

    インドの主要な雑誌類の多くはMAGZTER GOLDでカバーする対象となっており、新書一冊分の金額で、どこに居てもインドの主要な雑誌類を際限なく読むことが出来るというのは大変素晴らしい。もちろんそれに加えて他国の雑誌も同様であるわけで、なかなか使い勝手の良いサービスではないだろうか。世界中の各種雑誌をネット配信するというサービスは、他にもtextureなどがあるのだが、「インドの雑誌類を読む」ということについては、やはりMAGZTERが有利であるようだ。

    「無制限に読むことが出来る」とはいえ、そのための時間のゆとりがないというのは誰もが抱える悩みではあるのだが。