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カテゴリー: life

  • グルガオンの中華レストラン「如家」

    グルガオンの中華レストラン「如家」

    グルガオンの中華料理屋「如家」

    グルガオンにある中華料理屋(大陸から来た中国人が作る)に行ってみた。厨房から聞こえてくるパワフルでリズミカルな中華鍋捌きの音が食欲をそそる。ご存知のとおり、インド人が作るインド中華は、本場の中華料理とまったく別物だが、中国人コックによるちゃんとした中華料理は、「調理する音まで違う」ことをつくづく感じる。

    メニューの一部

    注文してみた料理

    かなり繁盛している店のようだが、ここで主たるものは宿泊施設で、そこのグラウンドフロアーに併設されているのが「如家」というレストラン。厨房で忙しく働くのは大陸からやってきた本場中国の料理人で、フロアーで注文取ったり、料理を運んだりするのはインド人スタッフ。果たしてチャレンジ精神旺盛な中国人商売人がデリーまで進出してきたのか、それとも目先の効くインド人が中国人料理人を招聘して開いたのかはよくわからない。

    しかし、どちらであったとしても、インドで本物の中華料理を楽しめるということが素晴らしい。だが、この場所への行き方についての詳しい記述はやめておく。なぜならば、9月末でグルガオンの店は閉めてしまい、10月15日前後からラージパトナガル2で営業を開始するからだ。

    ラージパトナガル2へ移転のお知らせ
    ホテルごと移転するようだ。

    ラージパトナガル2といえば、秀逸なアフガニスタン料理屋が多く、ここに中華料理屋「如家」が参入するとすれば、食道楽には大変嬉しいことになる。

    さて、「如家」はグルガオンのDLF Phase 1にあったのだが、これがラージパトナガル2に移転してしまうからといって、このエリアから本格中華料理の火が消えてしまうというわけではないようだ。「印度小四川火鍋」という、名前がそのまま示すとおりの火鍋専門店は、同じくグルガオンのPhase 2にあり、引き続き営業を続けるとのこと。最寄りのメトロ駅は、イエロー・ラインのSikanderpurあるいはMG Roadである。

    こちらは引き続きグルガオンで営業

    印度小四川火鍋 (Indian Xiao Sichuan)
    J/23, DLF Phase-2, Opposite Sahara Mall, Gurgaon
    電話(携帯)70655 85704

  • 第四次印パ戦争の足音か

    インドがついに一線を越えた。

    国内世論と世界的な支持を集めるモーディー政権の自信か、それとも過信か。パキスタンの反応次第では、かなりキナ臭い事態へと発展してしまうかもしれない。

    文民政権は越境テロを繰り返す組織を抑え込む力はなく、政府と並立する軍という、二重権力構造のパキスタン。文民政権は、自国領への攻撃を黙認するわけにはいかず、テロ組織のスポンサーでもあり、文民政権とはしばし鋭く対立するパ軍はどのような応対をするのか。
    印パ対立という現象面以外に、パキスタン国内でのふたつの大きな権力の相克の行方が大変気になるところでもある。

    パキスタンで、クーデターによる軍事政権樹立という動きもあるかもしれない。また、インド側にしてみても、一度振り上げた拳をどこで引っ込めることができるのだろうか。

    様々な国内問題、外交問題で喧々諤々の議論を交わす民主主義国インドだが、例外は対パキスタン軍事行動。与党・野党を問わず、右から左まで、諸手を上げてのイケイケ状態となるので、ブレーキ役は不在となる。

    民生や汚職追放には熱心だが、これまで外交問題にはあまり関心のなさそうに見えたデリー首都圏のAAP政権でさえもこんな具合だ。

    第四次印パ戦争開戦は、もうすぐそこまで迫っているのかもしれない。核保有国同士の大規模な衝突へと突き進むことがないよう祈るしかない。

    Kashmir attack: India ‘launches strikes against militants’ (BBC NEWS)

    India strikes back, carries out surgical strikes on terror launch pads at LoC (THE TIMES OF INDIA)

  • ルアンパバーン街歩き 1

    ルアンパバーン街歩き 1

    利用した宿には朝食がついていたが、クロワッサン、フルーツ・サラダ、コーヒーあるいは紅茶というシンプルなもの。だがクロワッサンは美味しかった。

    旧仏領のインドシナ地域では、植民地時代からの伝統で、バゲット作りは盛んだ。それらをフランス式に食べるのではなく、屋台で土地の作法で肉や野菜を調理したものをはさんで売っていたりする。だがそれ以外のパン類については、おそらくこうした観光地での製造が、近年になって盛んになったものと思われる。

    バゲットなどのパンを売るベーカリー

    ルアンパバーンのサッカリン通りには、3 NAGASというレストランがある。洒落たコロニアルな建物はもとより、1952年式のレトロなシトロエンが店の前に置いてあることから、大変目を引く存在なのだが、これを経営しているのは、Accor Hotelsというフランス資本のホテルグループだ。

    ルアンパバーンには、他にもちょっとお洒落なレストランやカフェがあるのだが、こうした国際チェーンはもちろんのこと、タイなど近隣国の外食産業も参画しているのではなかろうか。

    例えば、いくら旧仏領といっても、国際的に通用するような旨いコーヒー、美しいケーキ類がその当時から存在したわけではなく、やはりこうしたものを伝えたのは、観光化が進むにつれて参入した国外資本(個人による開業を含む)が道を切り拓いてきたはずで、元々この地にはなかった新しい文化を導入することになった。

    外来の外食産業がリードすることにより、地場の業者も優れた感覚やサービスの手法を取り入れていく。観光業振興におけるひとつの成功例である。

    そんな具合で、観光客が多く滞在するエリアでの外食はけっこう値段も高いので、バックパッカーをはじめとする安旅行者たちは、どこで食事をしているのかといえば、もっと質素な店になる。

    ナイトマーケットが開かれるエリア界隈では、ビュッフェ方式の屋台が店開きする。「何でも盛り切りで1万5千キープ」などと書かれており、大皿を手にして、自分でいろいろ盛り付けている西洋人たちの姿がある。

    夕刻近くなると、屋台を切り盛りする人たちが、こうした料理をポリバケツに入れて、大八車で運んでくる。一見、生ゴミを運んでいるのか(失礼!)と思ってしまうが、それらを大皿に盛りつけて、賑やかな宴が始まるのだ。こうした需要を見つけて行動する地元飲食業者たちのフットワークの軽さに感心する。

    ここでも中国人観光客がとても多いため、漢字の看板もよく見かける。グループでやってくる人たちが多く、客単価も高いようで、なかなかの上客だろう。

    このような造りのホテルも少なくなく、コロニアル建築を改修したものであったり、まったく新築のコロニアル風建築であったりもする。いずれにしても快適に滞在できそうで、好感度抜群だ。

    〈続く〉

  • 托鉢の街角

    托鉢の街角

    托鉢の僧侶たちの行列を待ち受ける人々

    街の人々が総出でお坊さんたちを迎えている、という印象を受ける。

    毎朝繰り返される仏門と在家のコミュニケーション。ゆっくりと歩む僧侶たちは、沿道のひとりひとりにお布施の機会を与える。

    同時に、施すものを何ひとつ持たず、仏門にいる僧侶たちの姿を拝みにきた貧しい者には、托鉢中の僧侶たちから施しが与えられる。

    誰でも、短期間であっても、僧籍に身を置くことが普通の南方上座部仏教であるからこその、人々の参画意識もあるかもしれない。

    かつて自分がそうしていたことがあり、こうしている今も、身内の誰か、学生時代の仲間の誰かが袈裟をまとってお寺にいるとあれば、お寺を通じた「同窓」意識みたいなものがあるのかもしれないと想像したりする。僕らが持ち合わせていないもうひとつの人付き合いのチャンネルを持っているということになる。

    話は全然違うが、かつてタイその他のこうした南方上座部仏教国で、王家の跡目争いに負けた人物、政争に破れて身の安全を確保できる居場所を失った人などが、最後の避難場所として、しばしば逃げ込む先は仏門であった。

    生涯、還俗しない限り、元居た社会に影響力を及ぼすことはできないが、命を狙われることも(概ね)なかった。もはやその人物は、俗世にあらず、仏道に精進する僧侶であるからだ。

    俗世間と同じ空間で、次元の異なるもうひとつの世界があるのは、悪くない。

    この国に限ったことではないが、仏門の裾野の広さが、 社会で居場所を失った人、失業や貧困に苦しむ人を救う社会のセーフティネットとして機能している部分もあり、そうした仏門を支える社会の姿勢もある。

    世の中って、うまく出来ているものだなぁと感心したりもする。

  • 中国ナンバーのクルマ@ルアンパバーン

    中国ナンバーのクルマ@ルアンパバーン

    若者、家族連れ、熟年夫婦等々、中国人旅行者の姿は大変多い。中国のいくつかの街からルアンパバーンへの直行フライトがあるということもさることながら、陸路でやってくる人たちもまた少なくないようだ。

    こうした中国ナンバーの乗用車をよく見かける。もちろん地理的に近い雲南省のものがほとんどあることは言うまでもない。窓に番号が表示されているものも多いが、これらはクルマによるツアーなのだろう。

    かなり良いホテルに宿泊する人たちも多く、よく買い物もするようなので、地元の人たちにとっては上客だろう。

    こんな番号の表示があったりする。

  • ルアンパバーンの朝市

    ルアンパバーンの朝市

    旧王宮の裏手、マーケットと住宅街の境目にある狭い路地で開かれているマーケット。スペースはないのだが、たくさんの人たちが商っている。

    穀物、野菜、肉類その他のごく普通の食材以外に、サルノコシカケ、サワガニ、大きな川魚、タガメなども売られている。

    様々な種類の米

    赤米
    タケノコ
    野菜なのだろうが名前はよくわからない。
    ウナギ?アナゴ?のように見える。
    サルノコシカケ
    サワガニ
    川魚各種
    タガメ

    その中で、とりわけ目を引いたのは、ハチである。日本のようにスズメバチである。幼虫、丸ごとの巣、サナギなど、様々な状態のものがある。日本でも「ハチノコ」といえば、ミツバチ、アシナガバチの他にも、スズメバチなどが食用とされる地域があるが、直にこうして見かけるのは初めてなので、ギョッとしてしまう。怖ろしい・・・。

    マーケットで商う女性たちは、これらを運んできただけだが、これを捕獲する人たちは大変な危険を冒しているわけである。それにしても、幼虫にしてもこのスズメバチ、実に大きくて迫力があった。

    ハチの巣
    ハチノコ
    ハチのサナギ
    成虫となる寸前のハチのサナギ
    こちらはほぼ成虫
  • 夕刻のルアンパバーン

    夕刻のルアンパバーン

    ルアンパバーンの宿に着いたのは午後4時。
    部屋に荷物を置いてから外を散策。民家が建ち並ぶ中を歩いていると、タイの田舎町に来たような気がするのだが、時折やってくるクルマは右側を走っていることに、ここはタイではないことを感じたりする。

    また、メインストリートには、仏領時代の建築物がよく残っており、ちょっとアップマーケットなホテル、レストランやカフェとして利用されている。ほどなく日没の時間となり、あたりが暗くなってくると、これらがセンス良くライトアップされて、静かな街の様子と相まって、幻想的なムードとなる。

    騒々しい音楽や往来もなく、ゆったりとした時の流れを楽しむことができるのもいい。

  • ルアンパバーンへ

    ルアンパバーンへ

    ここしばらく、インドと関係ない国に関する記事が続いており、恐縮である。

    久しぶりにドンムアン空港に着いた。2006年にスワンナプーム国際空港が開港にあたり、閉鎖されていた時期もあった。今では、第1ターミナルは国際線用、第2ターミナルは国内線用として、どちらもLCCの航空会社が乗り入れている。

    ここからエアアジアのフライトでラオスのルアンパバーンに向かう。ずいぶん昔のことと較べても仕方ないのだが、便利になったものだとしみじみ思う。

    ラオスが個人旅行者に門戸を開いたのは、確か1989年あたりだったと記憶している。バンコクで宿泊していたゲストハウスで他の旅行者から「ラオス入れるようになったって!」という話を聞いた。当時は「インターネット」というコトバさえも耳にしたことがなく、こういうことがあった場合、実際に訪れた人から直接話を聞くか、あるいはその国の大使館に行って、本当に個人で観光ヴィザが取得できるのか確認するしかしなかった。

    そのとき、私はすでにバングラデシュのダッカへ飛ぶフライトを予約していて、ラオスに長居することは出来なかったとはいえ、とても気になったのでその翌朝にラオス大使館に行ってみた。ヴィザ申請に来ている人たちはさほど多くなく、手続きはすぐに終わり、確か翌日あたりには発行されて、そのまま長距離バスで、メコン河を挟んだラオス国境の町、ノンカーイに出発した。

    その頃、メコン河両岸を結ぶ橋の建設について、そういう計画があるということは聞いていたのだが、まだ工事にさえ取り掛かっていなかったように思う。ノンカーイからは、渡し船で対岸のラオスに着いた。草が生い茂る岸辺に、「Duty Free」と看板が出ている免税店があるのが印象的だった。

    1989年 渡し船でタイのノンカーイからラオス側の岸辺に着いたとき

    1989年 ラオスが個人旅行者に門戸を開き、メコン河を渡ってビエンチャンに向かう旅行者を待ち受けるタクシー

    タイのノンカーイにしても、特にどうということのない田舎町だったが、それでも対岸のラオスに着いて、そこから客待ちをしているずいぶん古いトヨタのタクシーで、首都ヴィエンチャンに着くと、時間が40年ほど遡ったかのような思いがした。

    1989年 ラオス首都では「自家用車」を目にすることはほとんどなかった。

    1989年 ヴィエンチャンでは社会主義的なイラストの看板をよく目にした。

    今では交通渋滞なども発生しているラオスの首都だが、この頃にはまだ自家用車の姿は非常に少なく、「ラオスで初めて出来た信号機」には、見物人が集まっていたりするなど、のどかなものであった。

    モンスーン期、当時のラオス首都では、メインストリート以外に舗装道はなく、自転車を借りて郊外まで走ると、車輪がぬかるみにはまって往生した。くるぶし上まで泥に浸かって進まなくてはならないところもあった。

    この頃、雨季のルアンプラバーンについては、軍の全輪駆動の車両をヒッチして行くのが定石であった。すでに予約してあったダッカ行きのフライトのこともあったし、ガイドブックもなかったので、首都からそう遠くないところにどんな見どころがあるかも知らなかった。そんな具合で、時間もないので早々に切り上げてタイに戻った。

    「美しい古都」として知られているルアンパバーンについては、1995年に町そのものが世界遺産指定されてから、爆発的に訪問者が増えたと聞いており、その後もことあるごとに気になっていた。

    今では、タイ、カンボジア、中国、ベトナム、シンガポールなどから国際便が乗り入れており、子連れで気軽に訪れることができるようになっているのだから、世の中ずいぶん大きく変わるものだな、と思う。

    ドンムアン空港からエアアジア搭乗。湿度が高く、フル回転を始めた空調から出る空気は白い蒸気となる。
    ルアンパバーン空港へと機体は高度を下げていく。
    ルアンパバーン空港到着
  • パフラットで昼食

    パフラットで昼食

    インド人が集住している商業地区。マレー半島やシンガポールと異なり、このあたりに住んでいる人たちは北インド系の人々が中心。それを象徴するかのように、スィク教徒の姿が目立つとともに、規模の大きなグルドワラーがあり、こうした人々の資金力の豊かさを思う。

    グルドワラー内部

    北インド系のコミュニティーといっても、出自は必ずしもインドとは限らず、ネパール系の人々もあり、ミャンマーから渡ってきたインド系、ネパール系の人々も少なくない。

    グルドワラーのすぐ隣には、INDIA EMPORIUMという、インド関係商品の店が多く入っているモールがある。サーリーやシャルワール・カミーズといった衣類、神像、神具等に加えて、様々な雑貨類も販売されている。

    周囲にはインド系の人々が経営する食堂、ミターイーの店、インド映画DVDを扱う店なども多く、ちょっとした「インド空間」が広がる。

    ここでは、ごく普通にヒンディー語が飛び交っているが、そのいっぽうで、見た目はタイ人の血は入っていない生粋のパンジャービーに見える年配男性同士の会話がタイ語(これが母語となっているのだろう)だったりして、タイ生まれの人たちについては、すっかり言語環境は現地化している様子も窺える。これは性別や年齢層を問わずに言えることのようだ。

    そんな具合でも、話しかけてみると、きれいで流暢なヒンディー語で返事が返ってくる。パフラットのインド人が多いエリアの周囲は、当然のことながらタイ人ばかりの空間であるのだが、タイ生まれのインド系の人々の存在に加えて、常にインド、ネパール、ミャンマーからの人々の流入も盛んであるため、こうしたインドらしい環境が、その活力とともに維持されていくのだろう。

    「もうずいぶん前に嫁に来たけど、私が生まれ育ったのはインドのパンジャーブなのよ」と話してくれる女性店主もいたりするが、インドや周辺国からここにやってくるのは男性が圧倒的に多いとはいえ、結婚のためインド本国からタイに渡る女性も少なくないそうで、家庭の中の「インドらしさ」も次世代に引き継がれることになるようだ。

    先述のINDIA EMPORIUMに中華料理屋が入っているのは場違いな感じがするが、せっかくバンコクに来たからには、こういうものを食べるとココロも身体も満足する。

  • タイ・プレミアリーグ観戦

    タイ・プレミアリーグ観戦

    タイ・プレミアリーグ観戦

    バンコクに来たからには、タイ・プレミアリーグを観戦したかった。タイNo.1クラブのブリラーム・ユナイテッドFC、あるいはバンコク郊外のノンタブリーを本拠地とするムアントン・ユナイテッドFCのゲームを観たかった。

    どちらもAFCでは、Jから出場するチームに匹敵する結果を出すようになっており、代表レベルでは、日本に大きく水をあけられているものの、クラブチームベースでは、Jリーグのトップとタイ・プレミアリーグのトップの差は無くなってしまっているのが現状だ。

    Jリーグで解雇された選手が、タイ・プレミアリーグで再挑戦する例は多いが、逆にタイで活躍した日本人選手が、Jリーグのクラブに呼び戻された例もある。

    Jリーグは、試合の放映権のタイにおける販売を広げることを画策しており、そのためにリーグ傘下のクラブにタイの代表クラスの選手の獲得してもらうことを狙っているものの、そのレベルの選手の年俸は急騰しており、各クラブにおいても貴重な外国人枠を使うということもあり、なかなか実現に至っていない。

    しかしながら、短い滞在なので、その日に行われているゲームに出かけるしかない。幸いなことに、この日には先述のブリラーム・ユナイテッドFC、ムアントン・ユナイテッドFCと並ぶ、タイの強豪御三家のひとつ、チョンブリーFCのゲームが、バンコクのタイ・アーミー・スポーツ・スタジアムで開催されることが判った。その名の示すとおり、陸軍が所有する競技場らしい。

    チョンブリーの相手は、このスタジアムを本拠地とするアーミー・ユナイテッドFC。陸軍サッカー部を前身とするタイ最古の名門クラブだ。

    試合開始前にスタジアム外が集うアーミー・ユナイテッドFCサポーターたち

    スタジアム内にあるアーミー・ユナイテッドFCのショップ

    ところで、タイでは「ユナイテッド」という名前が好まれているようで、タイ・プレミアリーグ1st ディヴィジョン18チームのうち、半数近くに「なんとかユナイテッド」という名前が付けられている。

    優れたタレントを揃えた強豪御三家の一角、圧倒的なボールポゼッションと多彩な仕掛けで魅せてくれる前者と鋭いカウンターが持ち味の後者という、対照的なクラブの対戦で、なかなか面白かった。結果は2-0でチョンブリーの勝ち。出場しているのは、どれも私の知らない選手であるため、もっとよく楽しむためには、事前の予習が必要であった。

    ボールポゼッションのブリラーム、カウンター攻撃のアーミー・ユナイテッドのゲーム進行中

    リーグでの成績は中くらいとはいえ、首都のクラブのゲームなので、それなりに観客の入りも良いのではないかと予想していたが、収容人数2万人という小ぶりなスタジアムがガラガラの状態で、いまひとつ盛り上がりには欠けていた。

    ゴールに沸くチョンブリーFCサポーターたち

    それでも、タイ・プレミアリーグの雰囲気に触れることが出来たことで、それなりに満足した晩であった。

  • コサメット2

    コサメット2

    エアコンをガンガン効かせて、「あ~、寒い」とブランケットにくるまり、深く気持ち良く眠った翌朝。20年以上前のコサメットで、暑さにうなされて、朝起きると疲労感があったのとは違う次元の大変気持ちの良い目覚めだ。

    外に出てみると、近所の店では洋風の朝食しか出していない。ご飯党の私たちは、セブンイレブンでコンビニ弁当を買った。これが案外旨い。ちょうど食堂や屋台で出るようなご飯がプラスチックケースに入っている。一食40バーツ程度なので、愛用している安旅行者は少なくないのではないかと思う。とりわけタイではコンビニは多いので、利用する機会は多いだろう。

    コンビニ弁当

    そんな具合で食事を済ませて、外に出ようとしていたら激しい豪雨となった。雷が鳴り響き、足元から先が霞んで見えないような勢いで降り注いでいる。一時間ほどで止んだのだが、それからしばらくの間は空模様が不安定であった。雨季なので仕方ない。宿の前のマーケットから国立公園入口ゲート手前まで、道路がすっかり冠水してしまっている。

    ふと思い出したことがある。昔、コサメットに来たとき、知り合った私と同年代の若いドイツ人女性(当時は私も若かった)が「5日に一度は親に電話しなくてはならないので、辺鄙なところには行けないし、トレッキングとかは絶対ムリなのがツライ」と言っていた。

    欧州人で、そんな過保護な家庭は珍しいな、とやったが、彼女の兄がインド旅行中、夜間に鉄道車内から転落して亡くなり、それ以降はアジア方面に一人旅することに猛烈に反対され、妥協案として、そういう約束になったのだとか。

    でも、そんな頻繁に国際電話していては、電話代だけで大変だろうと思いきや、「私はコレクトコールを申し込んで、親はそれを断る。そうすれば、私が無事でいることが判るでしょ?」とのこと。

    のっぴきならぬ大変なことが起きて電話するような事態が起きた場合には、緊急事態用の名前を用意しており、その場合には親はコレクトコールを承諾して通話する約束になっているということで、さすがドイツ人はしっかりしているなぁ、国際電話をタダで利用して安否確認をするなんて!と感心したものだ。電話局からではなく、民間の電話屋からだと、コレクトコール申し込むと、幾らかの手数料を取るところは少なくないのだが。

    彼女と一緒に食事に出かける前に、コレクトコールの申し込みに付き合ったが、かなり高いことを店の人に言われて(前述のコレクトコールの手数料)、「明日、バンコクに行ってからかけることにする。でも親が心配するなぁ・・・」とかなんとかボヤいていた。

    インターネットの時代到来後、とりわけスマホが普及してからは、若い旅行者たちは、通話アプリを利用して、自国の家族や友人たちと簡単に連絡を取ることが出来るので、もうこんな方法で身内に無事を知らせる人はいないだろう。それに、昔は旅先で知り合った人たちと住所を交換しても、少数の例外を除き、多くは二度と会う機会は無かったりしたのだが、今はFBやLINE等で、そのまま繋がっていたりすることができる。

    今どき、Poste Restante(局留め郵便)などというものを手紙の受け取りに利用する人はいないだろうし、旅行中の「通信環境」は、昔とはまったく別次元になっている。

    ビーチで、娘とフリスビーで遊びながら、長らくすっかり忘れていたことを思いだしたが、通信環境でさえも、こんなに大きく変化しているので、島の様子がすっかり一変しているのも当たり前だな、と思った。10年ひと昔と言うが、ふた昔以上の時間が経過しているのである。

    雨季なので空も海の眺めもいまひとつ

    小腹が空いて、浜辺のカフェに入ると、娘は私のスマホを手にして、ポケモンGOで遊んでいる。インターネット出現前の時代は、もはや遠い過去の話となっている。

    フリスビーで汗をかいた後、ビールが旨い。

    〈完〉

  • バンコクの石鹸

    バンコクの石鹸

    ちょっとした繁華街やモールなどでよく見かけるフルーツ型石鹸が実に精巧だ。ちゃんとそれぞれの果物の香りもついていて、隙のない作り。さすがにここまでキッチリと仕上げてあると、実際に使ってしまうのは惜しい。
    若い女性が番をしている店先で、そうしたフルーツ型石鹸の横の棚に目をやると、そちらに陳列されているのは、大小のこれまた精巧な男根型石鹸であったりして、なんだかこちらのほうが恥ずかしくなる。
    後者については、ときどき警察が取り締まっているらしいが、実にあっけらかんと販売されている。

    Cock-blocked: Police arrest dick soap sellers (COCONUTS BANGKOK)