Velo Taxi試乗

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先週末に代々木公園で開催されたナマステ・インディア2009の会場脇で、Velo Taxiの試乗会が行なわれていた。1997年にドイツで運行が開始され、日本に上陸したのは2002年。最初に京都、続いて東京でも営業が始まった。
このVelo Taxi試乗は、代々木公園のイベント広場から原宿駅まで行き、そこから折り返して再びイベント広場に戻るというルート。
東京で営業しているVelo Taxiでは、インド政府観光局が広告スポンサーになっており、車体脇に『Incredible India』のロゴを掲げて走っている。そのつながりから、ナマステ・インディアの会場で試乗会をしてみないか?と声がかかることになったのだという。
東京ではVelo Taxiの車庫は有楽町にあるとのこと。人力による乗り物であることから、無闇に遠くまで行くことはないというが、それでも制度上は23区内ならばどこでも運行するとできるのだそうだ。
『でも決まった時間には有楽町に戻らなくてはなりませんから』とは運転手の男性の弁。利用者が増えて、都内に新しい営業拠点がいくつも出来れば、もっと利用しやすい交通機関になるのかもしれない。
電子式のメーターが付いており、初乗りは自動車のタクシーの半額程度。しかし速度では比較にならないため、同じ距離を行くとすればこちらのほうが割高になるようだ。
生身の人間がペダルを踏んで進む乗り物だけに、坂道だらけの土地ではキツいようだが、それでも電動アシストが付いていることから、肉体的な負担はかなり軽減されているとのこと。女性のドライバーも活躍しているそうだ。
丸みを帯びた車体からの眺めは開放的で、春・秋の気候の良い時期にはとても快適。もちろんそんな心地よい時期ばかりではなく、寒風吹きすさぶ凍てついた冬もあれば、ジリジリと身を焦がすような暑い夏もあり、ジトジトとうっとうしい梅雨もあるので、いつでもどこでも楽しいVelo Taxiというわけにはいかないところは、やはり『サイクルリクシャー』であるがゆえだろう。
こうした環境負荷の少ない交通機関がもっと普及するといい。彼らが営業するエリアがもっと拡大し、駅前や商業地など、そこらで客待ちしている姿を見かけるのがごく当たり前のこととなったら便利だろう。
この車両が広く普及することにより、利用料金がもっと安くなり、すぐそこまで、これまで歩いていた距離でも気軽に利用できるようになるといいなぁ・・・などと思ったりもするが、そうなると運転手の取り分が少なくなり、格差社会を象徴するような乗り物になってしまうのも良くない気がする。
環境に優しい乗り物という点では諸手を挙げて賛成したいのだが、体力勝負の仕事でお客の入りも季節や天気次第という不安定さもあることから、車両の普及と運転手の待遇が両立するものなのかちょっと気にかかるところである。
『エコな乗り物』という切り口から出てきた新型タクシーなれども、Velo Taxiのホームページに書かれているとおり、目指しているのは『バスや地下鉄を補完する環境にやさしい公共交通としての定着』であることから、バスストップや駅前で大勢で客待ちしているサイクルリクシャーの姿とダブるものがある。
運行スピードからしても、クルマと対等のものではなく、かなり近距離の移動のみに用途が限られるであろうことからも、やっぱりこれはサイクルリクシャーである。
タダで乗せてもらって、こんなことを書くのは気が引ける。だがVelo Taxiが日本で日常の交通機関として定着したならば、環境保全に対する意識の向上のみならず、むしろ私たち市民の経済事情や雇用環境の悪化という歓迎できない要因が、その普及に対してプラスに作用しそうなことに不安を覚えるのは私だけだろうか。
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ヒトもまた大地の子 2

現代のヒトは、野山で狩猟採集生活を送っているわけではないし、そうしたやりかたでは大地が養いきれないほど膨大な人口を抱えている。私たちがこうやって暮らしていくことができるのも、自らが造りだした文明のおかげだ。今後とも発展を続けていくことこそが、私たちの社会が存続していくことの前提なのだから、私たちの生産活動を否定するわけにはいかない。
古の彼方、ヒトという生き物が地上に現れたころ、命を維持するのに必要な水や食料の関係で、生活できる地域は限られていた。河、湖、池、泉といったものが必要で、すぐ近くの海、山、野原などから様々な産物等が容易に手に入ることが必須条件だった。
その後時代が下るにつれて、世界各地で耕作が始まり、ヒトが集住する規模が拡大し、富が蓄積されるようになってくる。やがてそれらの富を広域で動かして交換、つまり交易という活動が盛んになってくる。
文明の発展は同時にヒトの持つ様々な知識を向上させ、技術を進歩させていくことになる。ヒトが集住する地域では都市化が進み、交通や地理学的な知識の蓄積から、生活圏や経済圏は次第に拡大していく。長距離に及ぶ陸や海のルートが確立され、シルクロードに代表される長距離に及ぶ貿易が実現されるようになった。
その後、やがて欧州は大航海時代に入り、世界各地に進出して植民都市を建設していくことになる。様々な富を様々な形でそこから持ち出すことが、彼らの最も大きな目的のひとつであったとはいえ、鉄道敷設が始まる前に建設された市街地の多くは、海や河の岸辺から広がる形のものが多く、まだまだ人々が生活できる条件が揃う地域は限られていたといえる。
だが、いまや国や地域によってはなはだしい格差はあれども、各地に道路、水道、電気等々の生活インフラが行き渡り、蛇口をひねると水がほとばしり、スイッチを入れれば電気が使えて、調理や暖房などのためガスが利用できるようになっている。どこにでもエンジンのついた乗り物で、道路、空路、海路などで簡単に移動できるようになっている。かつては地理的、物理的にヒトの生活に適さなかった土地であっても、ちゃんと生活環境が整うのが今の時代だ。
そうした技術や交通手段の進歩により、都市も拡大している。鉄道、バス、メトロなどの発達により、それらが導入される以前よりも日常的に行動できる範囲が広がっている。これにより、都市の周辺に大きく広がる『郊外』を出現させ、その郊外はさらに近隣の町を呑み込んで市街地をさらに拡大させていく。こうした市街地に生まれ育ったおかげで、自然との関わりを、日々あまり意識できないのは私に限ったことではないだろう。
もちろんそうした技術の進歩や経済活動等の拡大により、産業革命以降、とりわけ20世紀以降はエネルギーの消費量が飛躍的に増えている。近年、先進諸国が停滞している中にあっても、いわゆる新興国の発展にともない各地で大規模な開発が進んでいる。これらにより、環境に与える負荷がますます大きくなっていることは言うまでもない。
生態系システムから大きく逸脱してしまったヒトの社会活動そのものが、大自然というシステムに対していかにリスクの大きなものであるかという認識が広まっている。日々の暮らしや生産活動等が環境に与える影響をなるべく小さくしようと、熱帯雨林保護、CO2排出量の規制、CNGを燃料とするエンジンやハイブリッドエンジンを動力にして走る自動車の導入、日本発の『クールビズ』の呼びかけ等々、世界各地でさまざまな取り組みがなされている。
だが、それらの試みは、これまでの間に失われた環境を取り戻すものではないことは言うまでもない。私たちが自然環境に対して与えるダメージを、今後なるべく小さくしていこうというものでしかない。そのため、われわれ人間が環境や自然に対して与える影響や圧力はどんどん蓄積していくいっぽうなのだ。
ヒトもまた、もともとは自然の生態系の中で育まれた生き物のひとつである。建物やクルマ、電化製品や通信機器といった多くの無機物に囲まれて暮らす私たちだが、大自然という大きなものに対する畏れと愛情を忘れてはいけないと思う。
私たちのこの大地は広大にして精緻なるもの。先述の緑の革命のように、近代的な技術により土地にもともと備わっていた条件を克服したかのように見えても、実は長期的にはその成功は不完全なものであり、背後には厄介な問題が控えていることが判ったりする。
私たちヒトが、母なる大自然への反逆者ではなく、大地の子として周囲と共存していくためには、私たちの存在が自然に対して及ぼす影響の本質について、今後もっと大きく踏み込んだ取り組みが必要であろう。

ヒトもまた大地の子 1

近年、インド各地で農民たちの自殺のニュースをよく目にする。緑の革命に成功したはずのパンジャーブでさえもそうした事例が多い。1961年の大飢饉以降、近代的な農業が導入され、記録的な増産を実現したものの、塩害の問題が取り沙汰されるようになっている。
インドの穀倉地帯、パンジャーブ州の農業の基盤となるのはもちろん広域にわたって張り巡らされた灌漑だが、これらの維持管理の不手際が指摘されている。また河川からの取水だけではなく、地下水も盛んに利用されているが、これは過剰揚水につながり、地下水位の下落につながっている。
また地下水中の含塩量の問題等が指摘されている。これらは国境をまたいだパーキスターン側でも同様であるとともに、はるか西のエジプトにおいても、塩害が深刻な問題になっているという。どの地域も大規模な灌漑に成功し、水利のコントロールと農作物の収穫増に大きな成果が上がったと自負していたはずの地域である。
都会の街中、しかも建物の中にいると、窓の外の気候の変化はまるでテレビの画面の中の出来事のようで、あまり現実感がないといっては言い過ぎだろうか。あるいは大きな建物に囲まれた中に身を置いていると、本来地上の生き物としてあるべき空間、外界とのつながりが希薄になってくる。
空気の乾湿、気温の高低以外に自然界の影響というものをほとんど感じなくさえなってくる。 都市生活の中で、『大自然の脅威』を感じるのは、それこそ大地震であるとか、予期せぬ規模の豪雨のため洪水といった大災害の発生時くらいのものではないだろうか。
ヒトとは、実に環境負荷の大きな生き物だ。地下に巣を掘ったり、樹木を立ち枯れさせるほどに旺盛な食欲を見せる動物たちはいるが、大自然の中に都市というヒト専用のコロニーを造って平野の景色を一変させたり、河を堰き止めて広大な湖を作ったり、ときには山を跡形もなく消失させてしまうなど、大地の有様さえも一変させてしまうほどの大きな力を行使する生き物は他にないだろう。地形だけではない。大気や水さえも汚濁させて、それまで生活していた動植物を駆逐させてしまうことも多々ある。
しかもヒトの生活圏において、動植物を含めたあらゆる有機物は、ヒトにとって有用であるものだけが存在することを許され、多くの場合は飼育・栽培といった形でその数量まで管理される。しかしながら有益でない、あるいは害があると判断された生物は、そこにいることさえ許されず、駆逐や駆除といった形で殲滅が図られるという厳しい掟がある。

牛のげっぷ問題

地球温暖化の懸念が高まる中、それを生じさせる原因を少しでも削減しようという試みがなされており、それ自体がビジネスにもなっている昨今。『悪役』をあぶり出す動きもまた盛んである。
温暖化の元凶とは、おおまかにいえば工業化と都市化に集約されるものとばかり思っていた私だが、生き物の活動による影響もかなりあるらしいことを知ったのは、次の記事を目にした本日のことだ。
牛のげっぷを9割削減 出光と北大、天然素材発見(asahi.com)
なんでも、げっぷに含まれるメタンの温室効果は二酸化炭素の21倍もあるのだという。大型動物がゆえに1頭あたりが発生させるメタンの量も多いために問題視されるのだろう。記事によれば、日本国内の牛440万頭から年間32万3000トンのメタンが発生しており、これは二酸化炭素換算で678万トンに相当するという。これは日本国内の温室効果ガス年間排出量の0.5%に相当するというからバカにならない。
牛1頭あたりの排出量1.54トンを、1億8千万頭いるとされるインドの牛たちに、体格は違えどもそのまま当てはめてみれば、2億8千万トン近い数字が出てくる。つまり先述の日本における温室効果ガス排出量二酸化炭素換算の値のおよそ2割!にまでなってしまう。インドの温室効果ガス排出量は日本よりも少なく11億トン弱程度のはずなので、この中に占める割合は25%にも及ぶことになる。でもよくよく考えてみるまでもなく、インドの温室効果ガス排出量の四分の一が牛のげっぷだなんて、これはきっと何かの間違いだと思うのだが・・・。
記事中にある『牛のゲップを9割抑える天然素材』として、カシューナッツの殻に含まれる成分と、ある酵母菌に含まれる界面活性剤が用いられるといい、2011年度には商品化することを目指しているとのことだ。
温暖化対策に有効とされるバイオ燃料の需要により、穀物をはじめとして様々な農産物とその加工品の値段がグンと上がったように、世界の『牛げっぷ対策』でインド特産のカシューナッツの価格が高騰することもあるかもしれない。すると、これを原料とする(ココナツから醸造するものもあるが)フェニーの小売価格が暴騰し、ゴアの庶民の手に届かなくなった・・・なんていう話も後日出てくるのだろうか。

Sweet water in Mumbai

 ムンバイーで『海水が甘い!』と話題になっていることは数々のメディアで伝えられているところだが、実際のところどんな味がするのだろうか?今ちょうどその水際にいる方があれば、ぜひお話をうかがいたいと思う。本当に『甘い』のかそれとも海水なのに『塩気が感じられない』というのか?
 いずれにしてもこのウワサが本当だとすれば海の中で何が起きているのだろうか。こんな大きな話題になっている。このトピックを取り上げる地元マスコミ人たちは味見くらいしているのだろうか?
 アラビア海に面したチョウパッティ・ビーチを散策すると、しばしばコンコンと水が湧き出ている(?)様子が見られる。正体を確かめようと砂を掘り起こしてみたことがある。だが予想に反してそこには水道管だか下水管だかがあり、ここから派手に漏水していることがわかってガッカリした。同じ浜辺の別の地点でも波打ち際の砂地から滔々と湧き出る水流が出現している様子に気がついた小学生の息子に『ほら、足元に地下水脈があるんだ』と説明をしている父親の姿に思わず苦笑してしまった。
 でもひょっとするとムンバイーの沿岸の海底では本当に大水脈から真水が湧き出ているのだろうか?と思わせるような出来事だ。でも今になって急に水量が増えて『甘くなった』とするならば『ひょっとして近いうちに大きな地震でも?』と不安ならないでもない。それともやっぱり大型の配水管や下水管が破裂して海水の味を大きく変えてしまっているのか?大都会のミステリーの裏に隠された真実やいかに??
Hundreds drink ‘sweet seawater’ (BBC South Asia)