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投稿者: ogata

  • 二者択一

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    インドで、知人の家でも宿泊施設でも、ベッドにエアコンの冷風が直接当たるようになっていることが多い。吹出し口が手の届く距離でしかも横たえた身体とほぼ同じ高さということも珍しくない。
     暑い外から戻ってきて、冷気と風量ともに最大にすれば、まさに生き返るように気持ちが良い。しかしそのまま眠り込んでしまえばあの世行きといっても大げさではないだろう。特に酔っ払っていたりすれば・・・。 分厚い毛布にくるまっていれば助かるのかもしれないが、外はひどく暑いことを思えばずいぶん無駄なことだ。
     そういえばクーラーはともかく、天井からぶら下がるパンカー(扇風機)だってかなりのものだ。ゆっくり回していても一晩中動いていればヤワな私は必ずカゼをひいてしまう。せめてタイマーくらいついていればいいのにと思う。
     就寝直前まで、部屋の中をエアコンでガンガン冷やしてからスイッチを切ることにした。寝入りはいいが、次第に室温が上がってきて目が覚める。窓を開けて、そのころには涼しくなっている外気を入れると気持ちの良いものだが、すぐに耳元でブンブン蚊が騒ぎ、首筋やつま先を刺され痒くてたまらない。天井のファンを動かすと蚊は吹き飛ぶ。再び眠りに落ちていく。
     突然腹痛で目が覚めてトイレに駆け込む。お腹が冷えるとてきめんに下痢してしまうのだ。しぶる腹を抱えてしばし便器に座ったまま「ウーン」なんて唸っていたりする。
     落ち着いてから部屋に戻る。「待ってました」とばかりに蚊たちが襲来してくる。電気蚊取りをオンにする。窓を開け放していると際限なく入ってくるので、やはり閉め切ってエアコンを入れることにする。室温が思い切り下がれば、蚊は天井や壁に張り付いたまま動かなくなる。やれやれ・・・。
     部屋に備え付けの薄いブランケットにくるまってもひどく寒い。荷物の中から寝袋を取り出して中にもぐりこむ。やけに暑いかひどく寒いかの二者択一、辛い一夜である。

  • 昔はずいぶん静かだった

    インドの街は活気に満ちている。パワーみなぎる人々の営みが繰り広げられている。往来を行く市民たちのざわめきや商店の中から聞こえてくるお客と商店主のやりとりはさておき、バザールの店先に置かれたスピーカーから流れる音楽、クルマのエンジン音やクラクションといった電気音や機械音こそが街中の騒音の主役だろう。大きな音が公害だという観念が薄いということもあるが、インドの街の風物の一部となっていることは確かだ。
    これらがなかったころはさぞ静かであったことだろう。うるさい装置が世の中に普及したのはそんなに昔のことではないから、20世紀初頭くらいまではインドの大都会といっても案外のどかなものであったのではないだろうか。
    モスクから流れるアザーン(イスラーム圏でモスクにおける拡声器の使用が一般化したのはいつごろなのだろうか?)やお寺から聞こえてくるマントラやバジャンだって、スピーカーを通さない肉声だったはずなので、敷地の外からでは耳を澄ましてみてもなかなか聞こえなかったことだろう。
    現在では人口1300万人を越えるデリーだが、1901年のセンサスによれば当時の人口はわずか20万8千人あまり。中世の様子ともなれば推して知るべしといったところだろう。その頃、都会の昼間に聞こえてくるのは小鳥たちのさえずりくらいだったのかもしれない。
    ムガル朝がこの地を治めていた時代、城壁で囲まれた華やかなりし世界有数の都シャージャハーナーバードにあっても、城門が閉まり外界と遮断される頃には街地はすっかり静まり返っており、もちろん排気ガスをはじめとする大気汚染だってなかった。
    インドに限ったことではないが、そんなのどかな環境が失われたのは「ごく最近」のことらしい。

  • デリー・ダルバール

    「忘れ去られた名所がある」と友人が連れて行ってくれた先はオールドデリーのアウターリングロードの北縁あたり。このあたりまで来れば、デリーの市街地もそろそろ終わりといったところだ。「ロンリープラネット」のガイドブックにも小さく取り上げられている割には、途中の新興住宅地で人に道を尋ねるがその場所について知る人は少ない。
    友人は適当に見当をつけて進んだ後、クルマを止めて道端の木陰で一休みしているおじいさんふたり連れに声をかけてみると「あっちだよ」と指差してくれた。
    「かなりのお年寄りだと知っていたりするんだ」と彼は言う。
    やがて私たちが到着したのは、1911年12月にジョージ五世が来印した際に、政府高官、各国大使、藩王等も含めた当時の有力者たちを来賓に迎えてインド皇帝位へ就いたことを宣言する「Delhi Coronation Durbar」が盛大に開かれた場所である。イギリスのヴィクトリア女王がインドを支配する皇后であることを宣言した1877年のデリー・ダルバール、彼女の死後1903年にエドワード七世の新しいインド皇帝としてのそれもまた同地で行なわれている。
    すぐそばまで宅地が迫ってきているものの、たたずまいはおそらく当時からほとんど変わらないことだろう。一番近いタウンシップはガーンディー・ヴィハールだ。
    現在「Coronation Memorial」として知られているこの場所はだだっ広い空き地になっており、あたりに住む子供や若者たちがクリケットに興じているのを目にするだけだが、その脇にいくつも置かれているかつてインドを支配した歴代の総督たちの大きな像が寡黙ながらもこの土地の由来を語っており、古いモノクロ写真に残されたデリー・ダルバールの様子がまぶたの裏に浮かんでくるような気がする。
    ▼Delhi Durbar
    http://www.indhistory.com/delhi-durbar-presidency-bengal.html

  • 「革命家」は二人乗り?

     かつて自転車をこいでいた人たちがバイクにまたがり、スクーターに乗っていた人たちがクルマに乗るようになったかのように見える昨今のインド。それでもまだまだ家族総出(?)で一台のバジャージにまたがる風景は健在。
     そんな大切な「人々の足」としてのバイクやスクーターの存在は隣国ネパールでも同様だが、首都カトマンズでは異変が起きている。治安上の理由から二人乗りが禁止されたのである。猛スピードでバイクを駆る運転者、その後方に乗る男が銃を乱射というシーンはボリウッドのアクション映画でしばしば目にするが、ネパールの街ではマオイストたちにより、実際にこうした攻撃が行なわれているのだそうだ。
    街で再び人々が二人乗り(あるいは三人乗り、四人乗り・・・)できるようになったころ、この小さな山国に平和が再び訪れている、ということになるのだろうか。
     暴力を肯定するつもりはないが、こういう勢力が存在することについては、その社会の抱える深刻な問題があることも事実で、「造反有理」という面も否定できるわけではない。  
     もちろん「革命無罪」とは到底思えないのだが。
    Pillion ride ban in Kathmandu (BBC South Asia)

  • テロ後のロンドン

     2012年のオリンピック開催がイギリスのロンドンに決定してのお祝いムードもつかの間、まさにその翌日に同地で高性能爆発物を使用した同時多発テロにより死者50名以上、およそ700人にものぼる負傷者という痛ましい事件が起きた。
     アルカイダ系のグループによる犯行と見られていることから、同地在住のムスリムたちへのいわれのない「報復」が心配されているという。
     UKエイジアンといえば通常イギリス在住の南アジア系の人々のことを指すが、人口180万人近い大きなマイノリティグループであるとともに、この中のおよそ半分がイスラーム教徒であることでも知られる。
     イギリスに住んでいるムスリム人口はおよそ150万人とされるが、このうちパキスタン出身者が61万人、バングラデシュから20万人、インドからは16万人を数える。これら三か国の出身者たちだけで97万人、つまり在英ムスリム人口の65パーセントにも及ぶのである。
     総人口5900万人のこの国で、「エイジアン」にしても「ムスリム」にしても、都市部に集中しているためかなりの存在感があるはずだ。
     9.11のときも事件とは無関係のイスラーム教徒(およびスィク教徒)の人々の被害がアメリカから多数報じられていた。今回はそのようなことが起きないことを願いたい。
     近年、世界の耳目をひきつけるテロ事件にかなり共通した背景があるため、欧米その他の非ムスリム国で特定の宗教コミュニティへの偏見や彼らを危険視する傾向がさらに進む可能性が高いことついても大いに懸念されるところである。
    Muslim leaders join condemnation (BBC South Asia)

  • 近未来のデリー お出かけは便利な地下鉄で 

      インドの(途上国はどこもたいていそうだが)公共交通機関を利用するのにはなかなかパワーが要る。都会は広いだけに、乗り物をうまく利用しないことにはにっちもさっちもいかない。通常、インドの都市部では公共の足といえばくまなく張り巡らされたネットワークを持つ市バスということになるだろう。郊外電車、路面電車を走らせている街もあるが、ごく限られた路線を行き来しているだけなので、利便性では前者の足元にも及ばない。
     だが線路といういかにもわかりやすいルートを往復するものと違い、道路にバス路線 が矢印で描かれているわけでもなし、しばらく長く住んでいなければどの番号のバス がどう走っているのか見当もつかない。そうであっても普段の自分の行動圏からはみ 出せば、やはり文字どおりの異邦人となってしまう。
     また膨大な人口を背景とした需要に対する供給が追いつかないため、朝夕には出入口まで乗客で鈴なりになっていたりするのを目にした途端乗る気が失せてしまうし、運行間隔がアバウトためか、同じ番号のバスが立て続けにやってきたかと思えば、その後首を長くしてもなかなか来なかったりする。バス停で完全にストップせずに「徐行」中にステップから乗り降りしなくてはならなかったりするのはお年寄りや身体に不具合を持つ人たちにはさぞ大変なことだろう。
     バスはともかく歩いていてもそうだ。「歩道」の縁石が階段の三段分ほども高く、一応足元に注意を払っていないと、蓋が失われたマンホールの中にスッと消えてしまうこともありえるし、コンクリートの敷石もあちこち欠落しているのでつまずいたりするし、急に野犬が飛び出してきたりもする。早朝にジョギングを楽しめる環境ではないから、歩いていても快適とは言いがたい。
     片側複数車線の大通りの中央分離帯は、反対車線から対向車が大きくはみ出してくることのない「安全地帯」だ。半分渡ってここで一息ついてから残りを渡ることができるのだが、これがない通りではかなりの勇気と判断力が必要になってくる。日本と違っておおむね街の灯が暗いこともあるが、特に見通しが悪くなる日没後はこれらに加えて「視力」も大切になってくる。

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  • 来たれ、操縦士!

     インディア・トゥデイ誌(6月27日号)によれば、現在インドの航空各社は「飛行機を購入するよりも難しい」問題に直面しているのだという。大幅な路線増、新会社の参入等によりパイロットが不足しているため、どこの会社も操縦士獲得に血眼になっているそうだ。
     しかも今後5年間に国内を巡る飛行機が300機増えることが見込まれていることから、あと現在の人数に加えて3000人ものパイロットの需要があるとのことである。
     国内の飛行訓練施設のキャパシティ、訓練にかかる時間、費用どれをとっても、その溝を埋めることは難しいのだという。大幅な不足を補うための臨時的な措置として、外国人の雇用もすでに始まっているというが、こちらは雇用期限が3ヶ月までとのことで、根本的な解決にはならず、人材の供給不足が業界の成長の足を引っ張ることが懸念されている。
     こうした状況下で、他社が提示するより魅力的な報酬を得ようと、現在勤務している会社を辞める操縦士が続出し、存続が危ぶまれる区間もあるというから大変だ。どこの会社も彼らの引止め工作に奔走しているらしい。そのおかげパイロットの定年が60歳から61歳に引き上げられるとともに、給料が昨年比で40%から50%も増えたという。これらに加え新たな操縦士を育成するために多大な出費をしなくてはならないわけで、逼迫する人件費に経営陣は頭を抱えているといったところだろうか。
     競って派手な広告を打ったり、マスコミに華々しく取り上げられたりしている航空業界だが、華々しい成長の舞台裏には、案外泥臭い問題を抱えているようだ。
     人材が足りない・・・急な成長期を迎えた業界には珍しいことではないが、見方を変えれば、まさに目下前のめりで突っ走っているインド経済そのものを象徴しているかのようでもある。

  • またもやインドの本がやってくる。

     例年4月か5月に行なわれていた東京国際ブックフェアだが、今年は7月7日から10日(日)にかけて臨海副都心の東京ビッグサイト東展示場で開催される。時間は朝10時から午後6時まで。
     昨年もこの催しについて触れてみたが、言葉の壁もあってか日本国内の出版社等の参加は非常に多いのにくらべると、外国からの参加は出展者たちの数、陳列される図書の点数ともに少ないことから、正直なところあまり「国際」的な展示会という気がしない。外国書籍の多くは日本語訳の版権を売る相手を探すためことが第一義にあるようで、ちょっと気になるタイトルがあってもその場で購入することはできないことも多いのも残念である。
     デリーのアサフ・アリー・ロードにある語学書のHINDI BOOK CENTER で知られるSTAR PUBLICATIONS (PVT) LTD が今年もFEDERATION OF INDIAN PUBLISHERSとして出展する。 毎年この催しのたびにやってくるヴァルマー氏はなかなかの知日家だ。 
     基本的にここのブースで陳列される書籍は、他の顧客の予約が入っているものを除いてその場で販売される。面白い本は早い者勝ちということになるのだが、興味のある方は当日足を運んでみてはいかがだろう。

  • インド人は本の虫?

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     インドの人々がこんなによく本を読んでいるなんて・・・
     都会には非常に立派な本屋、素晴らしい書物をズラリとそろえる出版社のショールームがあるいっぽう、まともな読み物がないところでは本当に何もない。ちょっと田舎に行けば印刷物といえば地方語の新聞か簡素な雑誌程度しか見当たらないことは珍しくない。日本のように津々浦々までさまざまな書物が浸透しているのとはずいぶん違い、相当不均衡な様子が見られるのがこの国だ。
     それなのに、インドは世界一の読書大国だというのだ。以下、NOP World Culture Scoreによる調査結果である。このデータについて、調査対象の地域や社会層がひどく偏っているのではないかと疑うのは私だけではないだろう。

    (さらに…)

  • 津波から半年

     早いもので、世界的な大災害となった昨年12月26日の津波から6カ月が過ぎた。インドでは、死者と行方不明者合わせて1万6千人を超す。津波の原因となったインドネシアの大地震の震源地スマトラ沖に近いアンダマン・ニコバールでは4千人(非公式には1万人とも)が死亡、5万人が家屋を失ったとされる。
     現在、地元当局は島嶼からなる同地域の沿岸部を津波災害から守るため、2億ルピーを投じて土による堤防を建設中だが、これに対して環境専門家たちは資金の無駄であるとともに、環境にも悪い影響を与えると警告している。
     今回のような大きな津波が来ればこんな堤防で防ぐことはできないであろうこと、大地が海水に浸ったことによる塩害が心配されているところだが、幸いこの地域が降水量豊富であることから、じきに地面から塩分が取り除かれるはずのところ、地表を伝う雨が海に流れ込まなければ塩が土地に堆積してしまうのだという。そして土が海に流れ出すことにより珊瑚が死滅してしまうことや建設用の土砂が掘り起こされることにより島の森林が減少することも危惧されていると、下記リンク先のニュースに書かれている。
     未曾有の大災害後、行政側としては何かしらの手立てをするのは当然のことだが、「地域住民の要求により」とはいうものの、中央政府から下りてくる特別予算がついた以上、何としてでも消化しなくてはならないという消極的な理由もあるのかもしれない。現場をあずかる担当者の立場にあっても組織の歯車のひとつにすぎず、上意下達の命令体系の中で黙々と仕事をこなすしかないのだから。個々の職員たちはそれなりに誠実にやっているつもりでも、総体で見れば責任の所在がはっきりしないい加減さが目に付くのは、洋の東西を問わずお役所ならではの体質かもしれない。
     また「地元からの要求」はさておき、こうした付け焼刃の事業案件を掘り起こしては中央政府や地元行政の要所に働きかける土建業者やブローカーがいて、人々の見えないところで大きな利権が動いていることもあるのかと想像する向きもあるだろう。
     ともあれ数百年に一度とされる稀な大災害を「今回は運が悪かった」と片付けてしまうのか、今後同様の騒動が起きるのは数世代先になる可能性が高いことを承知のうえで可能な手を打っておくのか。津波にかかわる研究や対策の充実が望まれるところではあるが、ただでさえ財政的に苦しい途上国にあっては悩ましいところだろう。記憶はやがて風化していくものだが、今回の津波は私たちにどんな教訓を与えたのだろうか。
    Questions over Andaman tsunami aid (BBC South Asia)

  • ラクダを駆る子供たち

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     ご存知のとおりUAEではラクダレースがとても盛んだ。テレビで中継されたり新聞に結果が大きく報道されたりするなど国民的な娯楽だ。レースで入賞することは、オーナーにとって大きな名誉であるとともに、現金以外にも高級乗用車、四輪駆動車その他の財産をもたらしてくれる。
     伝統的なラクダレースを担ってきたのはもちろんアラビア人たちであったが、現在騎手のほとんどが外国人、しかも南アジア出身の子供たちなのだという。「体重が軽いこと」と、外国人である彼らの「低賃金」に加えて、競技が「危険であること」がその理由だ。レース中の事故や他の騎手(の子供たち)とのケンカなどにより、命を落とす者が後を絶たないのだというから胸の痛む話である。
     子供たちは親の意思でブローカーに託される場合もあれば、組織的な誘拐により連れ去られることもある。産油国を出入りする労働者その他の南アジア人の子供に偽装して入国して騎手としての訓練を施される。UAEでおよそ3000人の子供たちがラクダレースにかかわっており、その中のおよそ7割から8割がパキスタン出身だという。
     UAEで1993年から子供を騎手として使うことを公には禁止した後も、この状態はそのまま続いてきており、今年の5月になってこの問題に真剣に取り組むべく当局が重い腰を上げたらしい。今後は16才以下および体重45キロ以下の者がラクダレースの騎手になることはできなくなるとともに、「ロボット騎手」の導入も検討されている。
     このほど騎手として働かされていたパキスタンの子供たち22名が国連の仲介により帰国することができた。ほとんどが貧困層の出身で、年齢わずか3歳の幼児も含まれるというほど、ほんの小さな頃に連れられていくケースが多いためか、帰国してからも両親を探り当てるために血液検査等が必要になるという。
     一連の動きは歓迎すべきことではあるが、問題は受け入れ側だけではなく、送り出す国々にもあることはもちろんだ。UAEのラクダレースに限らず、南アジアから湾岸産油国へ同様の手口で送り出される南アジアの子供たちがいるのはよく知られているところだ。こうした悪辣な「幼児移民」を生む背景が消えてなくなるわけではない。騎手がダメなら次は何のためにどこに送り込まれることになるのか、世間は注視していく必要がある。
    Repatriated child jockeys return (BBC South Asia)

  • A Taj Hotel in N.Y.

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     国際的なホテルチェーンFOUR SEASONS HOTELグループ傘下のTHE PIERREは、ニューヨークにある五ツ星ホテルだ。日本語サイトも用意されているので、日本人の利用客も多いのだろう。このホテルの英語によるウェブサイトのトップページ右下部にはこんな文章が掲載されている。
    Important Note: The Pierre New York is expected to be sold on or about June 30, 2005, after which Four Seasons will no longer operate the Hotel. All confirmed reservations will be honoured by the Hotel, which is expected to become part of Taj Hotels Resorts and Palaces. If you have any questions or concerns please contact the Hotel at the number listed above.
     つまりこのホテルがタージグループによる買収の結果、7月1日から「インド系ホテル」として再出発することになるのだ。従来から名前が広く知られている高級ホテルということもあり、これまで築いてきたブランドイメージが大切にされるであろうが、経営陣が入れ替わる・・・しかもインド系企業と化すことにより「スパイスが効いた」変化が長期的には見られるのだろう。
     インド本国を中心に近隣国その他UAE、イエメンやイギリスなどでも高級ホテルを展開する同グループだが、アメリカでの五ツ星クラスのホテルの経営を手がけるのは初めてとのことである。
    Taj Declared New Operator of The Pierre (Hotel Travel News)
    Taj to operate The Pierre (4 Hoteliers)