
最近「インドの酷熱地獄に日本人収容所があった」という本を手に入れた。これを読むまで大戦中にインド日本人収容施設があったことなどまったく知らなかった。非常に興味深いものだったので、内容の一部を取り上げてみよう。
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独立前夜のインド、首都デリーのプラーナー・キラーで暮らした日本人たちがいた。その数なんと2859人。当時の英領各地で、「敵国の人間」であるがために捕らえられた日本の民間人たちである。
しばらくして解放され、インドから出国できることになった者が400人ほどあったものの、他の人々はここで425日間過ごしたあと、彼らはラージャスターンのコーター市から国道12号線を80キロほど北東へ向かったところのデーウリーという町近郊へと移った。
1941年12月8日に起きた日本軍による真珠湾攻撃(現地時間では12月7日)により幕を開けた太平洋戦争。まさにその瞬間を待ち受けていたかのようにシンガポールやマレーシア在住の邦人たちが、地元当局により一斉に拘束された。彼らは船でインドへと連れて行かれる。カルカッタに上陸後に鉄道でデリーへと移送され、プラーナー・キラーの中に設置された抑留者キャンプに入れられることになった。
やがてビルマから、そしてセイロンからは僧侶を含めた人々、またインド在住の日本人たちも捕らえられた人たち、はてまた遠くイギリスや当時英領下にあったアフリカ地域から送られてきた者もあった。運悪くこの時期アメリカの船舶に乗り合わせていたがために、途中寄航したイギリス統治下のイエメンのアデン港で拘束された挙句にインド送りになったというケースもあった。
非戦闘員である一般市民がこうした形で強制収容されてしまうのは今ならば考えられないことだが、当時アメリカ在住の日本人たちも似た経験をしたように、そういう時代であったということだろう。なにしろ当時、日本の駐シンガポール総領事も同様に拘束されてインド送りになっている。もっともその「身分」を考慮してのことか、抑留地は過ごしやすい避暑地のマスーリーであった。
1947年のインド・パキスタン分離独立の混乱時、プラーナー・キラーは地元在住のムスリムたちを保護するための難民キャンプになったという。しかしその数年前には日本人抑留者キャンプとなっていたことは、おそらくデリーの人たち、相当年配の人たちでもそれが存在したことすら知らない人のほうがずっと多いのではないだろうか。外の市民生活から隔離された特別な空間であったからだ。
外部の情報から遮断されたムラ社会であるがゆえの悲劇も起きている。デリーのプラーナー・キラーから移動した先のラージャスターンのデーウリーのキャンプで終戦を迎えても、日本の敗北を信じない人たちが多かったのだという。祖国の敗戦を事実として受け止めた人とそうでない人々たちの間の抗争は、ついにキャンプ内での流血をともなう暴動にまで発展する。騒ぎの鎮圧のために投入された軍隊の発砲により、19人が死亡するという惨事にいたった。
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東南アジア各地に旧日本軍にまつわる戦跡その他は多い。タイの「戦場にかれる橋」マレーシアの「コタバル海岸」シンガポールの「チャンギ刑務所」等々。そして今では数はめっきり減ってしまっているものの、占領時代を経験した世代の人たちから声をかけられることもたまにあり、「戦争」について考えさせられる機会は決して少なくない。
南アジアにそうした場所はほとんど見あたらないが、インドの首都観光に外すことのできないポピュラーな史跡、プラーナー・キラーにまつわる故事来歴の中にこうした史実が加わると、ここを訪れるときまた違った関心が沸いてくるのではないだろうか。
<インドの酷熱砂漠に日本人収容所があった>
峰敏朗著 朝日ソノラマ発行 発行年1995年
ISBN4-257-03438-6
投稿者: ogata
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デリーの古城で
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MADE IN INDIA !

フランスのルノー社がインド合弁で低価格乗用車「ロガン」を生産するという。東南アジア諸国の中で右ハンドル地域、つまり左側通行の国々への輸出拠点に発展する可能性もあるのだという。タタ社の「インディカ」も提携先のローバーブランドでイギリスにて販売されているように、自動車業界のグローバルな生産拠点としての地位を占めつつあるようだ。
もっともこうした外資が参入以前から、タタやアショーク・レイランドのバスやトラックの姿は南アジアの周辺国以外でも、東南アジア、中東、アフリカなどで決して珍しいものではなかった。インド国内ではポンコツバスしか見かけなかった時代にも、マレーシアのペナン市のローカルバスにはインド製の車両があったし、アラブ地域でもしばしば「T」印のエンブレムを輝かせたエアコン付きでまずまずのバスを見かけたりしたので、こと大型商用車の分野ではそれなりの地位を築いていたのだろう。
だがこの分野もインド資本の韓国進出により、大きな変化をむかえている。昨年3月のタタグループによる大宇商用車(旧大宇自動車郡山トラック工場)買収により成立した新会社、タタ大宇商用車は大型トラックを製造しており、韓国商用車市場で25%のシェアを占めている。今年からは5トンクラスの中型トラックの生産にも乗り出し、さらに売り上げを拡大する予定だ。
韓国で商用車市場に突如出現したインド資本の存在感はさておき、注目すべきは取得した韓国メーカーからインドへの技術移転効果が大いに期待されていることだ。現在のインドの路上風景の一部ともいえる古色蒼然とした「ボンネット型トラック」は遅かれ早かれ日本で見るような「普通のトラック」に駆逐されてしまうのではないだろうか。
インド製大型車両の「世界標準化」により、販路が従来よりも拡大されることが予想される。現在過熱気味の乗用車市場だけではなく、今後は大型商用車の分野でも海外での販売を視野に入れたうえでの地元資本と外国メーカーとの合従連衡が一気に進むのかもしれない。
自動車大国ニッポンでは、ヒンドゥスタン・モータースのアンバサダーのように「愛好家」が存在する自家用車を除き、インド製自動車が国内市場に入ってくることはなさそうだが、世界のクルマ市場でインドの存在感が日増しに大きくなってきていることは間違いない。

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ロバは歩む

バングラデシュでチッタゴン丘陵地帯での物資輸送問題を解決するため、インドから輸入したロバを投入するのだという。
このあたりには、主にモンゴロイド系の少数民族たちが暮らしていることで知られるが、地理的な要因のため非常に開発が遅れた地域である。政治的にも不安定で1997年まで20年間ほど地元の武装組織による反政府運動が続いていた。
バングラデシュの地図を見てわかるとおり、幹線道路の多くはチッタゴン丘陵地域に入ったあたりでプッツリ切れてしまっていることが多い。ロバの投入云々というのは、まともな道路の不足のためクルマが入れない居住地が多いためである。
下記の記事中に「ネバールやブータンでも同様の役割を担っている」とあるように、小柄ながらも、丈夫で辛抱強いロバは交通の不便な地域で、山のような荷物をのせてトボトボ歩く姿はよく見かけるので、その有用性は言うまでもない。
ロバという動物は、その哀しげな眼差しといい嗚咽にむせぶような鳴き声といい、なんという業を背負っているのだろうか。あの大きな荷はまさにロバが負う因果そのものではないのか、と気の毒な思いがする。
それはともかく、こうした辺境の地に何か将来有望な産業があるのか、といえば特に何もないように思えるし、開発が進めば本来ヨソ者のベンガル人たちが入植してきて、地元に昔からいた人たちは、彼らに従属するかさらに不便なところへと追いやられてしまうことになりがちなのだろう。
世界各地で「グローバル化」が進む昨今、問題は後進性よりも地域の独自性や自主性を保てないことであることも少なくないのではなかろうか。また開発や発展を是とするのは強者の論理という側面もあるかもしれない。
人々の生活圏や経済圏が広がるいっぽう、従来の狭い地域では日々の営みが成立しなくなってくる。経済的に低く発言力の弱い立場では、新しい論理や倫理、ルールや習慣はたいてい外から否応なく押し付けられていくものである。だが厄介なことに、強い側にいる者たちはそれらを「公平にして普遍のきまりごと」と信じ込んでいるのだ。
多数決をもってする民主主義というシステムについても、人口の少ないマイノリティの人たちにとって、特に利害がマジョリティと相対する場合、それが公平なものであると認識できるだろうか。
かといって、時代の流れ止めることなど誰にもできやしない。世の中、コトバだけではわかり合えないことが山ほどある。
Bangladesh turns to donkey power (BBC South Asia) -
聖地に集合!

やはりインドという国はひと味もふた味も違う。シカゴを拠点とするNRI資本により、「ディズニーランドみたいな」テーマパークが建設されるそうだが、花形マスコットはミッキーマウスではなく、ハヌマーン神だったりするのだそうだ。
このテーマパーク「ガンガー・ダーム」は、ガンジス河岸の聖地ハリドワールで、25エーカーもの広大な土地に650万ドルの資金を投入して建設されるという。
予定されている入場料は35ルピーと手ごろだが、ヒンドゥーの神々のアニメーション博物館、フードコート、サウンド&ライトショー等々さまざまなアトラクションが用意されるのだという。
ハリドワールで2010年にクンブメーラーが開催されるころには、このガンガー・ダームも全面開業しているとのことだ。 -
外国へ行こう、安く!!

大衆化が進むインドの空の旅(本当の庶民が飛行機に乗るようになったわけではないが)だが、この流れはついに国際線にも及んできている。
かたや「自由化」の波、かたや日増しに拡大する需要にこたえるため、政府系企業であるエア・インディアとインディアン・エアラインス両社による独占体制はいよいよ終わりだ。
4月29日、新会社「エア・インディア・エクスプレス」によるガルフ方面へのフライトが就航予定。インドからの航空路は東方向よりも西方面、とくに湾岸諸国との間のネットワークがより緊密で、中東産油国との関係の深い縁を感じさせてくれる。近いうちに東南アジア方面へのサービスも始める予定だという。運賃は既存の便より3割ほど安いのだとか。
エア・インディア・エクスプレスは、その名の示すとおりエア・インディアの子会社だが、今後ガルフや東南アジアといった近隣国への路線には、ジェットエアウェイズやエア・サハラといった90年代に発足した民間の航空会社も参入していく方向だ。前者については欧州やアメリカ路線への進出を控えており、インド発の国際線も今後は自国キャリア同士での大競争時代を迎えることになるのだろうか。
チェンナイからカリカットへ行きのインディアン・エアラインスのフライトを利用したが、空港では国際線ターミナルから出発だと告げられた。この飛行機の最終目的地はオマーンの首都マスカットなのである。他の多くの国内線と同様、エアバスA320の小さな機体。中央の廊下をはさんで左右に三座ずつならんでいるものである。同社の国際線はあまり利用したことがないのだが、タイムテーブルを見てわかるとおり、現在までは湾岸諸国行きのフライトを含めた国際線の多くはこのエアバスA320が使われている。
空の旅の大衆化により需要が大幅に拡大している昨今、これからは使用される機材の大型化も進んでいくのではないだろうか。インド各地で既存の空港の拡張が行われ、新たに国際空港化されるところもいくつか出てきているし、すでに空港のキャパシティが限界にきているバンガロールのように、新空港建設が急務とされているところもある。
インド空の旅事情は、今後数年間で大きく様変わりすることだろう。
Air-India Express to expand network in India, abroad -
紫煙に想う

葉巻といえばキューバ。往年のカストロ首相のトレードマーク(とっくの昔に禁煙しているそうだが)みたいでもある。
だが60年ほど前まで、これに匹敵するほどの葉巻王国がアジアにも存在していた。インドである。主要な産地として世界的に知られていたのは、岩山の上にそびえる寺院で知られるインドのタミルナードゥ州のティルチラッパリであった。当時の綴りでTiruchinopoly。かのウィンストン・チャーチル(1874〜1965年)もここの製品を愛用していたとか。
今ではすっかり衰退してしまったインドの葉巻産業。あえて「インドの葉巻」の話を持ち出せば、「あぁ、ビディーのことね」なんて言われてしまいそうだが、実は今でもティルチラッパリを中心に、地場の葉巻を製造・輸出する会社がいくつかあるようだ。
その中にはフルーツやスパイスなどのフレイバー付きの小ぶりな葉巻を扱うSopariwala Exports、Afzal Molassesといった業者もある。
従来より葉巻を愛用していた人がこんな軽薄な(?)ものに手を出すとは思えないので、おそらく若年層や女性たちの間に新たな顧客層を開拓しようと模索しているところなのだろう。
好調な経済成長とともに、一時期「若い人たちの間でキューバ葉巻をたしなむ人が出てきている」と書かれた記事を見かけた記憶がある。また喫煙率の減少とは裏腹に、都会の女性たちの間にタバコを吸う人が増えてきているのはインドもまた同じだ。そうは言っても手軽な紙巻とくらべて重厚長大で悠長なモノが定着するとは思えない。
かのタバコ大国キューバでもついに公共の建物等での喫煙が禁止されるなど、紫煙に対する風当たりが日増しに強まっているご時勢なのだから。 -
求めよ、さらば与えられん
世にも厳しい法がある。家もなく無一文の人たちによる自らのサバイバルを賭けた「物乞い」という行為が犯罪となる。その根拠となるのは1959年にボンベイ州(当時)で制定された「ボンベイ物乞防止条例」(Bombay Prevention of Begging Act, 1959)で、1961年3月からデリー首都圏でも適用されている。
これによれば、乞食を行う目的で公共の場(鉄道車内等を含む)や私的空間に入ること、身体の不具合を見せるなどしてお金を求める行為が禁止されている。
だが事前に当局から許可を得ているものは取締りの対象とならないことが記されており、これは募金等の慈善行為を指すのであろう。
この条例では施しを求めるいかなる行為、たとえば歌唱、踊り、占い、演技、物品の販売等を禁じているため、本来の乞食だけではなく大道芸人や路上で新聞などを売り歩く少年たちさえも、この条例を口実にした取り締まりの対象となり得る。
違反者の処罰については、初犯は3年以下の禁固、再犯は10年以下の禁固ということになっている。また乞食行為の「使役者」に対しても、1年以上3年以下の懲役が定められている。
2002年にはこの条例が改定され、これを読んでいるあなたも罰せられる可能性が出てきた。「乞食に施しを与えることにより、スムーズな交通の流れを妨げる」ことに対して、100ルピーのペナルティーを課すことができるようになったからだ。
本来はこの条例、物乞いの禁止とそれにかかわる人々の保護と自立支援を目的にすることをうたっており、乞食行為に対する処罰とともに、行政側がこうした人々の保護と収容、教育と就労支援の付与、その目的が遂行されるための施設を運営することが明記されており、必要とあれば病気等の治療も与えられることになっているのだが、路上の現実を見ればまさに机上の空論であろう。 -
ヘリテージなホテル 2 スリランカのコロニアルホテル

インドの宮殿ホテルとくれば、隣国スリランカではコロニアルホテルが特徴的だと私は勝手に信じている。
もちろんインドにもコロニアルホテルは多いのだが、有名どころとなるとタージグループのような大資本の傘下になっているものが多いようだ。そのため新たに手が入りすぎたがゆえに本来「味」が失われていたり、運営やサービスが標準化されていて魅力に欠けていたりする・・・と書きたいところだが、実は高くてあまり利用したことがないので大きなことは言えない。
スリランカのコロニアルホテルの代表格として、ゴール( Galle ) のかつてオランダによって築かれた要塞の中を走るチャーチストリートにそびえる、約三百年前のオランダ時代に建てられたニューオリエンタルホテルを挙げたい。現存する同国最古ホテルということもあり、その歴史的価値は大きく、レトロぶりも他を圧倒している。
いかにも植民地建築らしく、天井が非常に高く、開け放たれた窓からは同じくコロニアルな建物が立ち並ぶ眺めも素晴らしかった。 室内の様子が往時とあまり変わらない(?)と思われるのもまた魅力のひとつ。使い込まれた板張りの床、長く大きな蚊帳を吊るフレーム付きで脚が非常に長いベッド、調度品もずいぶん年代モノのようであった。ひょっとするとベッドシーツやマットレスも・・・(?)
まるで時間が止まったようなたたずまいと合わせて、古い絵や写真でしか見ることのできない昔の「セイロン」を眺めているような気がした。
グラウンドフロアーのカフェテリアで昼食を取った。室内のありさま、裸足のウェイターとそのユニフォーム、スープ、ソーセージにパンの味といい長い伝統(あるいは世紀を越えた旧態依然)を感じさせ、目に映るものすべてが次第にセピア色に染まっていくような思いがした。
惜しむらくは、建物がかなり老朽化していることと、メンテナンスが足りないことであった。実を言うと、私は宿泊費が高くて敬遠したのではなく、もっと快適なところに泊まりたかっただけである。遠目には風格に満ちているが内部は野戦病院のようで、本来大きな潜在力を秘めたホテルであるはずだけに、「伝統ある安宿」化していたのはとても残念であった。
だが知名度が高く立地条件も素晴らしい超優良物件が長いこと放置されているはずはなかった。 実は昨年12月15日には、大幅な改修工事を終えてピカピカになったニューオリエンタルホテルが、西洋人女性のマネジメントのもとで再オープンしているのだ。しかしわずか11日後、12月26日に発生した津波の大きな被害を受けたゴールの町、このホテルは高台にあるため難を逃れたもの、しばらくの間は被災者たちの収容施設となっていたそうだ。出足はつまずいたが、今後人気沸騰することは想像に難くない。 -
ヘリテージなホテル 1 インドの宮殿ホテル

お金がたっぷりあれば泊まってみたいホテルをあれこれ思い浮かべてみた。世界に冠たるムンバイのタージマハルホテルの客室はどんな具合か興味はあるが、よく考えてみるとゴチャゴチャした市街地と隣り合わせの都市型ホテルよりも地方にある宮殿ホテルのようにゴージャスで伝統的なムード満点の宿泊施設のほうが、周囲の風景も含めてより大きな魅力を感じる。
ウダイプルのレイクパレスホテルやジャイプルのラームバグパレスホテルをその代表格とするこのタイプの宿泊施設は、特にラージャスターンやマディヤ・プラデーシュなどの州に多い。
インドの世界的に有名な宮殿ホテルをいくつか思い浮かべてみると、その多くが現在11か国にホテル事業を展開しているタージグループのものであることにふと気がついた。
もちろんインド資本なのだが、外国では「欧米資本」と思い込んでいる人も少なくない。これはオベロイグループも同様である。こう言ってはとても失礼だが、規模といい行き届いたサービスといい、インドらしからぬものを感じさせるからだろうか。
こういった高級ホテルチェーンによるものはさておき、ふつう宮殿ホテルといっても規模や造りは違うし、オーナーの力の入れ具合(フトコロ具合?)も様々なので、サービス、グレード、施設のコンディションには大きな差が出てくる。高級ホテルからほとんど安宿までとピンキリなので、利用者は各々の予算に見合ったホテルを選ぶことができる。
これまで荒れるに任せていたような古い建物を改装してホテルをオープンすることもあれば、不便な場所から交通の便の比較的良いところへの移築といった大掛かりな工事が行われることもままある。
またラージャスターン州シェカワティ地方のジュンジュヌにあるループニワースパレスのように、正確には土豪の館なのに、「宮殿」を名乗っているところもある。広い敷地をクジャクたちがまるでカラスのように飛び回る風情のあるロケーションだ。室料によっては領主一族が使用していたと思われる立派な部屋から、どう見ても使用人部屋にしか見えないものまで色々あって面白い。
こうしたホテルはもともと宿泊施設ではないので大幅に改修されていることが多く、おそらくオリジナルな状態と相当違っていることも多々あるようだ。
マディヤ・プラデーシュ州のマーンドゥの遺跡の中にあるタヴェリ・マハルには現在インド考古学局の事務所と博物館が入っているが、かつてここは同局のゲストハウスだった。主に学術関係者や局の職員たちの宿泊に使われていたようだが、部屋が空いていれば外国人旅行者でも泊めてくれたのだ。
宮殿とはいえ、遺跡にそのままスチール枠のベッドを放り込み、電気と水道を付けただけのものだった。送電があてにならなかったので、夜はもっぱらロウソクが使われており、 昔々の宮殿の主にとっても、夜はこんなに夜は暗かったのだろうな、などと思ったりもした。
正確にはこの分野に含めてよいかどうかはさておき、近年は宮殿風を装った新築ホテルも一部出てきており、なかなか面白いことになってきた。
宿なんて「どうせ夜寝るだけ」という考え方もあるが、こうしたホテルの存在自体はインドならでは味わいでもあるので、たまには利用してみたいものだ。
こうしたホテルを一覧できるようなサイトはないものかと思って検索してみると、すぐに見つかった。India heritage hotels reservation.com という総合予約サイトである。
よく見てみると、ちょっとした旧家を改造したゴアのパンジムインのように「宮殿」はおろか「ヘリテージ」と呼ぶことに首をかしげたくなるようなものも含まれるが、ここは実際に宿泊してみて居心地良かったのでOKとしておこう。
ここには登録されていないが、ケララ州のカリカットの海岸に面したところにあるビーチホテルは、かつての欧州人用クラブを改造したものである。玄関口にはクラブの創設者(?)の古い肖像画が掲げられており、中庭や食堂には往時を偲ばせる雰囲気が残っており、在住していた白人たちの暮らしの一部を垣間見ることができるようで興味深い。
ともあれ、こうした年代物の建物に泊まると、歴史の舞台に身を置く喜びを感じる。いい夢を見ることができそうだ。 -
インド人学生は日本を目指すか?
以前、ビジネス日本語能力をはかるJETRO TESTがついにインドでも行われることになったことを書いたが、今年から日本留学試験もインドのニューデリーで実施されるようになる。年2回、6月と11月に、日本国内では15の都道府県、国外では12か国・地域の15都市での実施が予定されている。ちなみにインドでの受験料は500ルピーとのことだ。
この試験は、外国人留学生として日本の大学への進学を希望する人たちを対象に行われている。ふつう留学生たちが日本国内の大学に志願する際に、この試験を受けていることが必要で、学校によってはある一定のスコアをマークしていることが出願の条件になっている。
もともとインド人の留学先は欧米志向であること、インド国内にも数多くの良い大学があり、様々な国々からやってくる留学生の受け皿にもなっていること、そして学費も非常に安い(インド人学生が自国で進学する分には)こともあり、以前もこの「つぶやきコラム」で書いたように、よほどのことがなければ日本での進学を選択する動機がないように思える。
しかしこれら点ついては中国も同様だが、今年度の日本への留学生総数およそ11万7千人中の7万8千人近く、つまり66%を占める最大の「お得意さん」なのである。
中国からやってくるトップクラスの学生たちは非常にレベルが高いのだが、全体を眺めるとピンからキリまで実にさまざまである。
今のところ「海外遊学」は一般的でないにしても、政府が特に力を入れて重点的に予算配分する、いわゆる国家重点大学とされているところに入れなかった者の中で、経済的に余裕のある家庭の子弟が「国内の三流大学に行くよりは・・・」と海外留学へと流れるケースは何ら珍しいことではないのだから。
IIT (インド工科大学)は海外の有力な工科大学と肩を並べるほどレベルが高く、相当な秀才でもなかなか入ることのできない超難関校として知られているが、「IIT(インド工科大学)入れなかったからMIT(マサチューセッツ工科大学に行く」なんていうのもあながち冗談とはいえないかもしれない。
理系に限らずさまざまな分野の大学へ、インド国内で学ぶのとは費用が比較にならないほど高いことを承知のうえで、特に英語圏を中心とした欧米に進学するインド人学生はとても多く、アメリカの留学生の中核を占めているのはインド人と中国人だ。少子化による学生減に悩む日本の大学は、インドの「留学生送り出し大国」としての潜在力に期待したいところだろう。
文化的な距離、日本語という新たな言語を習得する手間、苦労して得た学位に対する評価、卒業後住み続けた場合の将来への展望等々の不安は多く、関心はあってもなかなか踏み切れないのではないだろうか。すでに多数の同郷の人々が勉学目的で渡っていき、それなりの「ルート」ができあがっている国々と違い、決して少なくないデメリットを押しのけて、敢えて日本を選んでもらうにはそれらをカバーして余りある魅力が必要だ。それはいったい何だろうか?
タダで学べる国費学生として留学生たちを引き寄せるのは簡単だ。しかし家庭の財布をこじあけ、私費学生として飛び出してもらうのは容易なことではない。たんなるイメージの流布や文化の紹介ではなく、わかりやすく具体的な「実利」が必要だ。
実際、バングラデシュやスリランカから来日する学生の大部分を、学費がかからないうえ月あたり十数万円も与えられる文部科学省の奨学生たちが占めている。しかしわざわざ自腹を切ってやってくる学生はほとんどいないに等しいのだ。在学中に与えられる経済的な特典以外には特に魅力がないということだろうか。そもそもこうしておカネをバラまくやりかたについては大いに疑問に思う。
はたしてインド人学生たちにとって、日本は有望な留学先のひとつになり得るのか。今年初めてインドで実施される「日本留学試験」の受験者数、その中から実際に日本へ留学する者がどのくらい出るかということが少なくとも現時点での答えになるだろう。
その結果が「否」であったとしても、金銭でつって呼び寄せるようなやりかたにつながらないよう願いたい。 -
パキスタンの病院へ
先端医療が格安の費用で受けられるということで、「メディカル・ツーリズム」がひとつの産業になりつつあるインドだが、隣国パキスタンもまた同様の流れがあるようだ。
日本国内での腎臓移植費用は350万から400万円、アメリカに出向いて手術を行った場合には1600万円もかかるといわれる。
日本を含めた先進国では臓器移植のドナーが少ない。また移植を受ける側との体質がマッチすることが必須であるため、問題はコストよりもむしろ機会が非常に限られていることであろう。じっと順番を待っているだけではチャンスが回ってくる前に手遅れになってはどうにもならない。
そんな中、費用が安く経験も豊富、そして肝心な臓器提供者が見つかりやすい病院がよその国にあれば、藁にもすがる思いで患者たちが大勢押しかけたとしても不思議はないだろう。
ラーホールやカラーチーといった大都会の私立病院で、かかる費用は140万〜200万円という。海外からは主にヨーロッパや中東から患者がやってくるのだそうだ。マスード・ホスピタル、キドニー・センターといったところが有名らしい。これらは地元パキスタンはもちろん、海外メディアでも幾度か取り上げられているので、世界的にも広く知られているはずだ。
NHK衛星放送で、デンマーク公共放送製作の「パキスタンの臓器売買」が3月1日にオンエアされた。番組によると、現時点でパキスタンにおける臓器の売買が禁止されておらず、あるところでは病院自体が、あるいは出入りのブローカーが提供者たちから臓器の購入を公然と扱うことが常態になっているという。
インドでは少なくとも「公には」この取引が禁止されていることから、隣国のパキスタンに移植希望者が流れているのだとも語られていた。
臓器売買は倫理的に非常に問題があることは言うまでもない。しかし私たち健常者たちが一方的に非難できるものではないとも思う。患者自身の生への希求、身体の一部をお金によってやりとりすることの是非、売買を容認する社会と提供者たちのバックグラウンド等々さまざまな要素があり、とてもデリケートな問題なので、ここでその是非を云々するつもりはない。
しかしこうした取引を可能にしているのは、やはり先進国と第三世界の経済格差であろう。「リッチな国」からやってくる受益者の多くは、大富豪でも大実業家でもなく、それらの国のごく一般的な市民であるからだ。
現地医療への信頼度や言葉の問題もあり、日本から出向く人はあまりいないのかもしれないが、物理的にも心理的にも距離の近い国で手術を行う人は案外多いのではないかと思う。
中国国際臓器移植支援センター、安信メディカルネットワークなど、中国での臓器移植にかかわる機関の日本語によるサイトがいくつもある。
一件あたりの治療単価が高いため、こうした先端医療が国境を越えたビジネスに発展するのだろうが、その背後には臓器移植を必要とするほどの不調に悩む人々がいかに多いか想像できよう。だからといって何かできるわけではないが、ふだん意識することのない「健康」のありがたさに感謝しなくてはならないと思う。
臓器移植希望者パキスタンを目指す(Buzzle.com)
パキスタンでの手術後の死者5人目(Trinidad & Tobago Express)
※トリニダード&トバゴから出向く患者もいる。
海外からの需要をアテこんだ「毛髪移植」を行う機関も(INTERNATIONAL HAIR CENTRE) -
紺碧の海の下に

7〜8世紀ごろパッラヴァ朝の重要な交易港として最盛期を迎えていたマハーバリプラム(現ママラプラム)は、現在では世界遺産に登録されている遺跡群で有名だ。
浜に建つ海岸寺院に加えて六つの寺があったとする「セブン・パゴダ」の伝説とともに、かつてこの地を襲った大洪水によりかつての港町が海に沈んでしまったという言い伝えがあることもよく知られている。
昨年12月26日に起きた津波直前に潮が大きく引いた際に、その伝説の寺院らしき遺構が姿を現したといい、押し寄せた大量の海水が周囲の砂を運び去ったことにより、これまで埋もれていたヒンドゥー寺院が新たに発見されることにもなった。
今回の津波災害で犠牲となった方々のことを思えばはなはだ不謹慎かとは思うが、「突然海が遠くへ引いていき、大昔の石造寺院が忽然と姿を見せた」「津波の奔流が過ぎ去ると、誰も見たことのないお寺が出現していた」といった光景そのものは、実に神秘的であったことだろう。
近年、今のママラプラム沖合の海底に残る遺跡を検証すべく調査が進められている中、年末にアジア各地で未曾有の大災害をもたらしたこの津波は、この伝承にかかわる調査研究活動にとっては追い風となっているようだ。
2月10日から25日までの間、海底に沈んでいる遺構についてインド考古学局と同国海軍の共同での調査が行われた。ダイバーたちが遺跡のある海底に潜って様々な構造物を検証する際に陶器片などの遺物も見つかっているという。
海底に散在する遺構の姿が明らかになるのが待たれるところであるが、それらが水面下に沈んでしまった理由についてもぜひ知りたいところだ。徐々に海岸線が後退していった結果により水面下になってしまったのか、あるいは伝承にある「洪水」(地震による津波あるいは地盤沈下?)のような突発的な災害によって起きたのかわからないが、当時の文化について知るだけではなく、この「稀有な自然現象」の貴重なデータも得られるかもしれない。
観光開発の目的から注目している人たちもあるかと思う。やがてインド初の海底遺跡公園として整備されて「グラスボートでめぐる水中遺跡」「遺跡ダイビングツアー」といった形で海面下に散らばる遺跡を公開することはあるだろうか?
亜大陸反対側、グジャラート州のカムベイの海面下にはハラッパー文明のものと思われる遺跡が沈んでいるというが、こちらは9000年以上も昔のものではないかという説もあるそうだ。
歴史と遺跡の宝庫インドは、まだまだ多くの不思議と謎が隠された玉手箱のようである。
津波の置き土産(BBC NEWS South Asia)
