デリー・ダルバール

「忘れ去られた名所がある」と友人が連れて行ってくれた先はオールドデリーのアウターリングロードの北縁あたり。このあたりまで来れば、デリーの市街地もそろそろ終わりといったところだ。「ロンリープラネット」のガイドブックにも小さく取り上げられている割には、途中の新興住宅地で人に道を尋ねるがその場所について知る人は少ない。
友人は適当に見当をつけて進んだ後、クルマを止めて道端の木陰で一休みしているおじいさんふたり連れに声をかけてみると「あっちだよ」と指差してくれた。
「かなりのお年寄りだと知っていたりするんだ」と彼は言う。
やがて私たちが到着したのは、1911年12月にジョージ五世が来印した際に、政府高官、各国大使、藩王等も含めた当時の有力者たちを来賓に迎えてインド皇帝位へ就いたことを宣言する「Delhi Coronation Durbar」が盛大に開かれた場所である。イギリスのヴィクトリア女王がインドを支配する皇后であることを宣言した1877年のデリー・ダルバール、彼女の死後1903年にエドワード七世の新しいインド皇帝としてのそれもまた同地で行なわれている。
すぐそばまで宅地が迫ってきているものの、たたずまいはおそらく当時からほとんど変わらないことだろう。一番近いタウンシップはガーンディー・ヴィハールだ。
現在「Coronation Memorial」として知られているこの場所はだだっ広い空き地になっており、あたりに住む子供や若者たちがクリケットに興じているのを目にするだけだが、その脇にいくつも置かれているかつてインドを支配した歴代の総督たちの大きな像が寡黙ながらもこの土地の由来を語っており、古いモノクロ写真に残されたデリー・ダルバールの様子がまぶたの裏に浮かんでくるような気がする。
▼Delhi Durbar
http://www.indhistory.com/delhi-durbar-presidency-bengal.html

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