<海外旅行>解禁40周年

 『異国憧憬―戦後海外旅行史』によると、海外旅行が自由化する1964年以前の日本で、若い人たちが海外に出る機会といえば、留学か移民か船員かという選択肢しかなかったそうだ。自由化以降も「アメリカでの収入3週間分が、日本の年収に相当」「ハワイをツアーで訪れるためには、若者の年収分以上の費用がかかった」とある。格安航空券が登場する前のこと。1970年代前半くらいまでは、海外旅行をしようと思っても経済的に困難だったはずだ。


 この時期、ベトナム戦争を取材した若いフリーランス・カメラマンの手記によれば、日本を出てから香港で資金を貯め、ようやくインドシナの戦場に向かったのだという。バックパッカーたちの間でも、ヨーロッパで稼ぎ、中東やアジアを旅行する、あるいは北米で仕事をしてから、南米に向かうというスタイルは、80年代半ばに円高が定着する前まで珍しくなかった。
 インドがIMF八条国に移行してから約10年。これにより為替制限や、差別的な通貨措置を廃止し、これまでの外貨購入における厳しい制限から自由になった。市内で私設両替商を見かけるようになったのもこの90年代半ばからだ。(ノウハウ豊かな闇両替商が大手を振ってオモテ舞台に出てきたのか?)
 ちなみに日本が八条国となったのは1964年。当時の日本と現在のインドを単純に比べることはできないが、現代インド人たちにとっての海外旅行というのは、海外旅行解禁直後の日本のそれと似ている部分があるかもしれない。海外へ出かけるのは自由になったが、費用を工面できる人は多くない。ビジネスや就労目的ではなく、観光で海外へ行くのはまだまだ贅沢なことだ。
 バカンスはともかく、エコノミーな長期旅行をするバックパッカーたちを送り出せる国は恵まれている。庶民の若者が旅の資金を簡単に得られる国はそう多くないからだ。仕事や学業から離れ、長期にわたり時間が自由になり、帰国してからも何かしらの職にありつける。
 先進国ではどんな仕事についていても、なんとか世間並みの収入が得られるという点で、途上国とはずいぶん事情が違う。欧米出身のインド系バックパッカーは珍しくないが、純粋なインド人バックパッカーにはついぞお目にかかったことがない。
 私たちにとって「海外旅行」はもはや特別なことではない。航空券も宿も国内旅行のほうが割高感がある。これは考えるまでもなく非常にありがたい状況だ。世界60数億人のうち、気楽に外国を旅行できるのはごく一握りの人びとなのだから。
 中央アジアや東南アジアに比べ、地理的には離れた日本とインド。だが経済的には「インドへの道」は近い。逆に、インドの大多数の人びとから見た日本は、地理的な距離以上に遠いのだろう。
 海外旅行解禁40周年。その間に強くなった日本円、そして旅行情報の蓄積があってこそ、誰もが簡単にインドを訪れることができる。「いま」という時代に感謝したい。

異国憧憬―戦後海外旅行外史

異国憧憬―戦後海外旅行史

著者:前川健一|出版社:JTB|発行年月:2003年 12月

サイズ:単行本|本体価格:1,500円

日本人は何に誘われて外国に行ったのか、また外国の情報をどう得たのか。戦後、海外旅行が大衆化した後の、海外旅行に関するさまざまな事柄を取り上げる。日本人の外国への憧れを、海外旅行を軸に描く。

「<海外旅行>解禁40周年」への2件のフィードバック

  1. まだ友人だったインド人の夫が日本へやってくるときの、観光ビザ取得の煩雑さと屈辱的な書類提出義務(二人の関係を証明する手紙類など)を知って始めて、日本人であるわたしたちが外国へたやすく行けることは特別なことなんだ、と知ることができました。

  2. 仕事以外の目的でインド人が日本に入国するのは、結構面倒のようですね。以前、とある映画監督+スターが日本の映画祭に招待されたときでさえ、ビザなどの入国手続きに手間取っていました。現地ではカリスマ的スターなのに!
    インド人のなかでも、特にタミル人は入国に関して差別を受けていると、友人に聞いたのですが、本当なんでしょうか。

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