一人旅もよいけれど…

 一人旅は気楽だ。部屋で話し相手がいないと少々物足りないこともあるが、訪れた先々で出会う人たちとの交流もまた楽しいもの。連れがいるとなかなかそうはいかないこともある。カップルで旅するのも悪くないが、相手にそれなりの気を使う必要があるから面倒なこともある。


 数年前、ハネムーンでスリランカを訪れたとき。なんといっても新婚だから、連日いいホテルに泊まってゴージャスにすごしたい…と思っていたのに、長距離バスで目的地に着いたのは夜遅く、アテにしていたホテルは満室だった。後悔。予約くらい入れておけば良かった。すでに遅い時間である。選択の余地なく、客引きに連れて行かれた先はいまにも崩れそうな安宿だった。
 蚊帳のかかった粗末なベッド。蚊帳には穴が開いているから、蚊が簡単に侵入し、容赦なく血を吸われる。仕方なしに蚊取り線香をもうもうと焚く。喘息持ちの妻はカンカンだった。
 連れ合いがいないということは、朝から晩まで何をしようが突然どこへ移動しようが一向にかまわない。気まぐれも出来心(?)も誰が知ったことか100%フリーダム。澄み切った空気のような自由をたっぷり胸に吸い込んでみよう。
 名所旧跡を散策した後は、木陰で読書に耽るのも結構。午前中からビールを開けて(ちょっと罪悪感を感じつつ)グウタラしていてもいい。異邦人である。そこで仕事をしているわけではない。交友関係もない。世俗の一切の義務から解放される。
 ただし一人旅には、いろいろな場面で「代償」がある。
 重いリュックを背負って移動中、「自然が私を呼んでいる」という具合になり、困ったことに「ナンバル2」だったとする。多くの人が行き交うバススタンドや駅、荷物を置いてトイレのドアの向こうに行ってしまう勇気はない。やむなく背負ったまま個室に入ってみる。しかし、足元は汚くて水浸し。荷物をここに置くわけにはいかない。
 リュックを背負ったままでも、前かがみにしゃがんで比較的楽に済ませることのできるインド式トイレならばまだいい。最強の敵は洋式トイレだ。ウエスタンなやりかたを潔しとせず、人びとは頑なにオリエントなスタイルを貫くほかない。まさに「文明の衝突」の現場である。便座が失われているのは、西洋文明の敗北の証なのだ!
 …ともあれ郷に入ればなんとやら、こちらもそれに従うしかない。
 手ぶらならともかく、重い荷物を背にして「洋式」の便座に足をかけるのは実に骨が折れる。両足をハの字型に構えたままで、背中を引っ張る重力と闘いながらコトを済ませるのだ。もしも、ここでコケたら、うっかり滑って片足を便器に突っ込んでしまったら…と常に不安と恐怖にさらされたスリリングな状況。こんな調子ではちっともスッキリしない。
 こんなとき、外で荷物を見てくれる人がいたら良いのに…。わたしが「自由の代償」を感じる瞬間だ。

「一人旅もよいけれど…」への1件のフィードバック

  1. にやけながら会社のパソコンでこのエントリーを読みました。
    古傷にしみるように、おがたさんの気持が分かりました。思いリュックを背負いながら洋式便器の上であの姿勢をとるのはかなりしんどい……。
    学生のときにインドにいったときのことが、鮮明な映像となって頭に浮かびました。なつかしいなあ。

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